思 春 期
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○ 男に棍棒持って追いかけられた思い出
 あれは、中学2年の夏だったと思います。
 学校帰り。家においでという友達と二人、女学校と、らっきょう電車(地元ではそう呼ばれていた、小型の電車)の線路に挟まれた、4M道路を歩いていました。午後の早い時間で、通る人は誰もいない。「来年の進学はどうする?」「やっぱり市立かな」などと、あれこれ楽しく話しながら。

 突然、左胸をぎゅっと掴まれたのです。「あっ。何?!」と思ったときには、自転車に乗った男が、20Mくらい先にいました。
 一瞬、何が起きたか分かりませんでした。今でもチビですが、当時も150センチくらいのチビで、後からは分からないにしても、胸は「女だな」と分かるくらいにしか膨らんでいなかった。隣のした。友達は、背もスラッと高く、胸も私よりは膨らんでいて、ずっと女っぽかったのですが。
 今考えれば、隣の友達の胸をつかみたかったが、私が道路側にいたから、私で我慢したのだろうと推測できます。しかし、当時は、そんな理屈は、全く分かりませんでした。

 とにかく痴漢であることは分かりました。痴漢に注意しろという教育は受けていたと思います。ひとりだったら、そのままにしただろうが、友達と二人で、気が大きくなっていたからでしょう。「スケベー」「痴漢」と、大声で叫んだのです。(当時は「エッチ」という言葉はない)。友達も加わり、二人で男を罵倒しました。子どもが喧嘩で、大声出して悪口言ってるのと同じ。
 30Mくらい行き過ぎていた男が、くるっと後ろを向くと、我々めがけて襲いかかってきました。おなかの前に、青紫色に黒が混ざったような、不気味な色の棍棒を振り立てて。
 「危ない! 殺される!」と、恐怖を感じました。友達も同じだったのでしょう。「逃げよう!」と、回れ右して一目散にかけだしました。女学校の金網の塀が破れていたのが幸いして、何とか、女学校の運動場に、逃げ込みました。そして、男が居なくなっているのを確かめてから、学校の正門を出て、友達の家に行きました。

 家族に話した友達は、いつもの通学路であった4M道路を、通行禁止にされ、回り道をして、通学する羽目になりました。私は、母にも話さず、自分の記憶に入れました。
 しかし、それだけで、学校に報告したりとか、警察に事情を聞かれたりなどということはありませんでした。生活には、なにも変化は起きませんでした。
 中学を卒業すると、別の高校に進学したこともあり、その後友達には会っていません。

 おなかの前の棍棒が、男性器だったと知るのは、性教育を学んでからのこと。その間には、恋愛もし、結婚して子どもも生んだのに、それでも分かりませんでした。
 勃起した男性器が、どんな形状になるのかを学んで、初めてあの時のことがはっきり理解できたのです。
 子どもたちが性被害に遭わないためには、抽象的な言い方ではなく、具体的に正確に教える必要があると、自分の体験から実感しています。
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