人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2008年2月27日(水)
性教育理由の降格は不当

    都教委の処分取り消しを報じる紙面

 2/25。東京地裁で、東京の七生養護学校の校長だった金崎先生に対する、都教委の処分は不当だから「処分取り消し」の判決が出された。
 障害を持つ子どもたちに、真剣に向き合い、性は生の源としての「性教育」に取り組み、都教委も高い評価をしていた七生養護学校の性教育。
 教育内容が過激すぎるとの、都議の質問におたおたして、手のひらを返すように「指導要領違反」などと、訳の分からぬ理由をつけて、封じ込めようとした都教委。
 学校ぐるみの性教育を進める、トップにいた金崎先生。それが気に入らないからと、「学級編成違反」などと言う、言いがかりのような理由をつけて、校長からの降格を図った都教委。
 東京地裁は、それに対しきっぱりと「処分取り消し」との結論を出した。
 裁判後の「報告集会」では、「勝訴などとは言わない。当然の判決だから」との声が出た。なるほど。そういう表現がふさわしいかもしれない。
 当たり前のことが、当たり前として認められるのに、随分時間がかかるものだ。
 都教委はメンツがあるから、当然勝訴を不満として、控訴するだろう。この先、まだ何年もかかるだろう。そして、今の日本国では、誠に残念なことには、上級審に行けば行くほど、「当たり前」が通らなくなる。地裁では勝訴しながら、高裁、最高裁で逆転する例が随分ある。今回もその可能性は、なきにしもあらずだ。
 世論を味方にするためにも、広く知らせて、都教委の不当性を理解してもらうことが大切になる。

2008年2月24日(日)
ホテル使用拒否の問題広がる

 「不使用」運動と、教授の評論  「違法」?の報道

 日教組教研集会会場のプリンスホテルが、会場使用を拒否した問題を、連合がやっと取り上げ、「不使用運動」を始める呼びかけをしたことが、新聞報道された。
 連合傘下の組合にも呼びかけると言うが、どれだけの効果があるものか。一昔前の組合ならば、かなりの力を持っていたから、参加の組合も、それなりの取り組みをするだろうが、今の連合に、大動員かけて、運動を盛り上げるような力は、残念ながら期待できない。
 
 厚労省も、ホテル側に違法の疑いがあるとして、港区が事情聴取する予定だと発表された。
 宿泊拒否については、ハンセン病患者だった方々の宿泊拒否した熊本県のホテルが、営業停止3日間の処分を受けた例があるから、今回もそうなる可能性がないとは言えない。しかし、今回は、前回ほどにマスコミが騒がないから、世論の動きが厳しくはならないように思う。処分はないとふんでのホテル側の拒否ではないかと思う。

 大学教授は、村社会文化の横行を映すと題して論評している。
 契約したからには、名誉にかけても全国集会を実現します。だったら、このホテルの株が上がったろうに。と批判しながら、日教組もドタキャンしたホテルと押し問答している暇に、小さくてもいいから別の会場を借りる手配をし、「署名とカンパをお願いします」と訴えれば、応じる市民もいたはず。開催が危ぶまれた集会が、市民の力で実現したとなれば、右翼も押しかけにくくなるだろう。と、日教組批判も忘れない。
 しかし、ケンカをしたわけではないのだから、両成敗のように、あっちもこっちもどうすれば良かったなどと、外野みたいな事を言っていて良いのかと思う。

 とにかく、どれも新聞の扱いが小さい。関心を持っているものならば、充分目に入る大きさではあるが、特に関心を持たない人に、関心を持たせるには、小さすぎる。
 日教組対右翼という、何十年も前からの、因縁ある両者だからの問題で、他には関係ないこと。ではないはずだ。
 日教組の集会をつぶせたと意気込む右翼は、次のターゲットを決めて、それをつぶしにかかるだろう。
 次々とターゲットを変えて、言論の自由、集会の自由をつぶしてくるに違いない。そうなったら、日本国は戦前に逆戻りしてしまう。それが怖い。
 多くの人に気づいてもらいたいが、なかなか気づいてもらえない。歯がみする想いがある。

2008年2月21日(木)
母べえは、駄作か 秀作か
  母べえのチケット      新聞の批評

 友人が「一緒に行くから買って」というので、渋々買った『母べえ』のチケット。
 ところが、友人はサッサと夫婦で見に行ってしまった。

 「一緒に行っても良い」と言ってくれた友人と、東京の映画館で鑑賞した。
 一人分は「協力券」だが、もう一人は窓口での購入が必要。当日は、「レディースデー」だった。窓口のお兄さんに、わざと「レディース割引使えます?」と言ってみた。たとえ白髪頭といえども、レディーには違いないはず。「シルバー割引だろうが」という顔をしながらも、どうぞと売ってくれた。白髪頭でもレディと証明されて、気分よかった。

 映画を見終わり、喫茶店で感想を出し合った。
 彼女は、開口一番「あれは駄作よ。山田監督は甘いわ。もう寅さんも見ない」と言う。
 映画の中の小学生が彼女で、あの時代を生きた人だから、「あんなに甘い時代ではない」と言うのは、充分理解できた。70すぎても「日中友好協会」か何かの役員をしている、まだ「現役」の彼女が、「親子の情愛を描くなら、あの時代を持ってくることはない」と弾じる気持ちは、もっともなこと。  
 こちらは、生まれてなかった頃と、敗戦の時は赤ん坊だから、全く記憶にない。彼女との話で、温度差があることを、痛いほど感じた。

 しかし、「待ってよ」とあえて言った。「ドキュメンタリーではない。ドラマなんだから。あの時代の忠実な再現をすればいいのではない。『背景に平和の問題が浮かび上がった』と監督自身が言っているように、声高に『あの時代』を糾弾するのではなく、じわじわと感じてもらう作りをしたのではない」と。
 
 たとえば、正月にスカートはいて羽根つきなど、あの時代にはしていない。と言うが、まだいくらかの平和があったその正月に「父親の死」という残酷な知らせが来る。平和との対比を描きたかったのではないか。とか。
 治安維持法で夫を殺されたのに、戦後になっても何も「抗議」をしていないのは、納得できない。とか。

 「あの時代」を生きたものの目から見れば、甘くて、納得できない場面が多すぎる作品らしい。メーリングリストでも「駄作だ」「あんなものではない」との書き込みが次々入っているとのこと。「日中協会」とか「日朝協会」とかに関わっている人たちには、見ていられないことなのだろう。

 しかし、だからといって、いくらかでも「民主的」と言われている人たちを、切り捨てて良いのだろうか。
 憲法9条の改訂は、秒読み段階に入っているとも言えるこんにち。いくらかでも味方になれる人たちを、「甘い」とか「日和見」だと決めつけて、切ってしまっていたら、ますます孤立するばかりではないのか。本当の敵を喜ばせるだけではないのか。

 三浦綾子さんの「銃口」は、すごい作品だが、演劇にはなっても、映画にはならない。すごすぎて、見る人が限られるから、できないのではないか。
 興行的に成り立って、いくらかでも平和や、憲法9条の問題に関心を持つきっかけになるような作品は、貴重だと思うのだが。
 考えさせられる「鑑賞会」だった。
2008年2月16日(土)
ネギの種を初めて見た

 1年近く休んでいた会議に、「聞くだけ」のつもりで参加した。
 経過についての討議は、内容が分からないから、確かに「聞くだけ」しかなかった。

 来年度についての論議になる頃には、昼が近づき、空腹と、脳細胞のエネルギー不足で、だんだんイライラしてきた。その時に、さっき論議し、次回に持ち越しになったはずの議題を、再び論議しようとする発言が出た。
 「聞くだけ。聞くだけ」と意識していたが、我慢も限界になり、「それはさっき論議したでしょ。今論議しても、堂々巡りになるだけでしょ」と大声を出してしまった。
 
 平常心で居ようとしたのが崩れて、頭はますます混乱してきそうだったので、会議会場から外に出た。
 ちょっと歩くと、昔ながらの近郷農業を守っている畑に出た。白梅の美しさに惹かれ、畑の中に入っていくと、老夫婦が農作業の最中だった。
 「何をされているのですか」と近寄ると、ネギの種まきだとの答え。
 「ネギの種ですか」。実って、蒔くまでになっているネギの種など、見たことがなかったので「見せていただいても宜しいですか」とお願いした。
 快く見せていただいた種は、黒くて、ケシの実を大きくしたようだった。

 重ねての質問の結果分かったことは、種を蒔いて発芽し、少し育ったら植え替える。3回も植え替えて、次の冬に出荷できるようになるとのこと。夏の暑い盛りに、植え替えと土掛けをせねばならないから、なかなか大変だとの話だった。今蒔いている種は、1年後にやっと出荷するわけだ。

 都会の真ん中で、農業を続けていくのは、大変だと思う。前には幹線道路、後ろにはマンション、両隣は戸建て住宅が迫っているような場所では、調整区域は、はずされているはず。税金を納めるために、作物を作っているような案配かもしれない。それでも、土地を売らずに続けているのは、相当な覚悟の持ち主なのだろう。そう思って見ると、親父さんは「頑固者」の顔つきだ。おかみさんは愛想が良かったが、親父さんは「入ってくるのは迷惑」という顔をしていた。

 白梅を見て、ほうれん草や、キャベツ、ネギ、イチゴなどを見ているうちに、さっきの激しい怒りは静まった。「珍しいものを見せていただいて、ありがとうございました」と、丁重にお礼を言って、会議の場に戻った。

 土や、植物は、人間を癒す力があることを実感した。コンクリートジャングルになってしまうと、人間がギスギスするのは、理の当然なのだ。
 人間の本来の生きる力を取り戻すには、都会の作り替えが根本だと納得した。

2008年2月14日(木)
産業革命期に後退する日本

  2/3は、「ドンボスコ」のお祝い日で、ミサ中の説教も、聖人に関わったものになっていた。
 説教を聞いたときに「なるほど」と思ったことを忘れていたが、突然今日になって思い出したので、忘れないうちに書いておく。

 ドンボスコは、産業革命期に活躍した聖人。詳しく知りたければ、「ドンボスコジャパン」で検索すれば、人となりや、活動内容は分かる。
 産業革命期のイタリアでは、若者は産業の中での歯車か、部品のように扱われ、長時間労働、低賃金で、街に放り出されていた。
 司祭になったばかりのドンボスコは、彼らの心の叫びを聞き、彼らが安心して生活できる場を作り、自分のところへ来るように誘った。産業革命の矛盾を声高に批判することはせず、ただ安らぎの場を作ることを続けた。
 活動を続けるため、サレジオ会という修道会を作った。今では、世界各地で、教育に携わる修道会になっている。

 産業革命期のドンボスコの有り様は、今の日本にも当てはまるのではないかと、説教した司祭は語った。
 外国からの労働者が置かれている状況に、心が向いているかと投げかけた。彼らのために時間を取っているかと問われた。

 外国人労働者の問題ばかりでなく、若い日雇い派遣労働者問題も同じである。非正規の日雇い派遣労働者の問題に、心を目を向けているだろうか。
 
 キャノンが中堅の製薬会社を傘下に入れて、製薬業界にも足場を作るらしい。
 名の通った企業が、次々と傘下を増やし、合併していく。
 それが進めば、寡占企業になり、物価のつり上げなどが始まったり、リストラがますます進んだりするのではないか。
 格差社会の中で、若者が、産業革命期のヨーロッパで見られたような、使い捨て部品扱いされる状況が、ますます広がっていくのではないかと懸念する。

 現代のドンボスコはいずこにいるのか。
 

2008年2月13日(水)
シャッター通りは、人ごとではなかった

シャッターの閉まったテナントビル 店名の変わったホームセンター

 1年近くも地球を離れていると、さすがに大きな変化が起きていて、「あらーっ」「えーっ」ということが多い。

 電車にも1年近く乗っていなかった。久しぶりに駅前を見回した。
 「えーっ」があった。
 駅前にあったテナントビルのシャッターが、全部閉まっているのだ。
 1年以上前、角のパン屋がつぶれたのは、覚えている。美味しいパン屋だったし、よく売れているようだったが、「手作りパン」の店が増え、スーパーなどで大量に売られるようになったから、成り立たなくなったのだろうか。
 その後の、私の知らない間に、東京の某有名和菓子屋の支店が店を閉じ、漫画ばっかり売っていた本屋が消え、酒屋も、赤提灯も消えた。

 もっと驚いたことには、かなり流行っているように見えたホームセンターが、閉店になったことだ。しかも、「なんだこれは!!」と、開いた口がふさがらない思いに駆られたのは、半月ほどで開店した店が、店名の看板を掛け替えただけにしか思われない、全く同じようなホームセンターなのだ。
 テレビでCM流しているような、チェーン店のホームセンターではないと思う。聞いたことのない名前だから。何のための閉店で、何のための開店か、さっぱり訳が分からない。

 「シャッター通り」をテレビで見ているときは、地方の話で、関係ないと思っていたが、我が家から10分足らずの、駅前商店街が、シャッター通りになるなんて。
 規制緩和以来の、自由競争の津波が、ついに都会のど真ん中にまで、押し寄せてきたことを、実感した。

 市内でも、若い人の多い新興地域と、比較的年配者の多い地域があるようで、我が家は後者に入る地域になるらしい。
 だから、シャッター通りもできるのかもしれない。それは仕方のないことだ。そう言われてしまうかもしれない。
 しかし、それは、本当に仕方のないことなのか。いやなら、新興地域に転居すればすむことなのか。
 どっか、なんか変だ。ささやかな幸せをつぶそうとしている、大きな不気味な力の存在を感じる。

2008年2月11日(月)
死刑が最も重い罰だろうか

読書欄の『死刑』書評。評者は、香山リカさん

 秋田の「剛健君殺人事件」で、秋田地裁の論告求刑が出されたニュースを見た。
 検察は、「立ち直り不可能な犯罪で、死刑を求刑するしかない」という趣旨の発言だったようだ。
 「立ち直り不可能で死刑しかあり得ない」との求刑は、山口県光市の事件、名古屋の事件など、など。世間の注目を集めた凶悪事件には、常套句のように使われるフレーズである。
 
 M78星雲に行っていたからかもしれないが、以前は聞き流していたこの常套句が、妙に引っかかった。
 「立ち直り不可能」と決めているが、誰がそれを決められるのか。検察の永年の経験からか。科学的裏付けがあるのか。はっきり決められる根拠は何なのか。
 人間は神ではない。神ならば、はっきり決められるだろうが、人間が人間にたいして、決められるのだろうか。「立ち直れない」と決めることが、人間には可能なのか。

 死刑と終身刑とを比較したら、どちらが被告人にとって厳しい罰になるだろうか。
 死刑にしてしまえば、それで被告人はこの世から消える。被告人自身の悔恨や罪の重さに対する恐れも消える。
 被害者のやり場のない怒りも、対象を失う。被害者の胸の内で、怒りはブスブスとくすぶり続けていくだけになる。

 「死ぬより辛い」「死んだ方がまし」という言葉がある。
 比喩的な表現にすぎないかもしれないが、死刑になって、すべてが消えるよりも、生かされて、日々思い出させられて、夢にうなされ、幻におびえて暮らす方が、被告人にとっては、過酷な日々のようにも思うが、そうは考えないのだろうか。

 死刑を廃止して、終身刑にする方が軽くなるからダメだという考え方があるようだが、終身刑の方がずっと厳しいのではないだろうか。
 そんなことを考えていたら、『死刑』という本の紹介があった。写真を見ただけで、読むのがしんどいなと思うような厚い本だが、一読して見ねばなるまい。

 

2008年2月10日(日)
言論の自由侵害に、なぜ怒らないのか

グランドプリンスホテルへの要請に向かう「考える会」の方々

 日教組の教研集会会場のホテルが、右翼団体からの妨害を理由に、直前に使用拒否し、裁判所命令にも従わなかったため、全体集会を断念した事件が起きた。
 弁護士らが、7日にホテル側に謝罪を求めた「要請書」を提出した記事があった。

 日教組が、他の労働団体と違う点は、研究集会を開き、子どもたちの教育方法をよりよくするために学ぶことにある。
 賃金や、労働条件などだけを問題にする団体ならば、他の企業労働団体と変わらない。その最も中心的課題の「教研集会」が、右翼の妨害があるからという理由で、開催されないなど、前代未聞の大問題だ。

 日本が戦前に戻りつつあることを憂えて、「戦争前夜」という「窓」も作っている。
 M78星雲に行っていたこの1年で、ますます戻り方が強くなった気がする。
 客商売のホテルなどで、開催しようとしたのが間違いのもとだという気もするが、今時の先生達は、防寒具に身を包んで、ふるえながら発表を聞くのでは、集まらないのかもしれない。

 とにかく、教育問題が論議されない日はないほどになっている今日、教研集会の重みは、以前にも増しているはずで、大問題になって良いはずだ。
 以前、ハンセン病患者の方々の宿泊拒否した九州のホテルは、その後つぶれてしまった。あの時は、マスコミを通じての世論の怒りが、ホテル側を追いつめた。

 今回も、連合と日教組は、HP上で「抗議」を表明している。しかし、一般のマスコミは、ほとんど取り上げていない。前日、当日、翌日あたりは、ニュースとして取り上げたが、その後はだんまりの感じが否めない。
 繰り返し抗議し、市民の喚起を促す様子は見られない。日教組に対する右翼の攻撃は、今に始まったことではないし、下手に報道し続けて、右翼が来られても困るということなのか。

 骨のあるマスコミも減った。長いものには巻かれろになり、国には逆らわず、右翼ややくざのような「強い者」にも逆らわず、ひたすら御身大事で生活しているのではないかと、勘ぐってしまう。
 教育が後退したら、取り返しがつかないのに、それを黙ってみているのは、すでに「2.11」をすぎた状況になっているということなのかもしれない。

2008年2月9日(土)
都教委の強制に歯止め
勝訴の速報示される。今後の決意を述べる報告集会。

 都教委が、卒業式での「君が代」不起立者の再雇用を認めなかった件について、東京地裁は「『違法』で賠償を命ずる」との判決を出した。
 まだ、地裁レベルだから、都が控訴し、高裁では「違法に当たらず」の判決が出るのではないかと危惧される。
 「政党ビラ配布事件」でも、地裁では無罪判決が出たが、高裁では有罪となり、目下最高裁への上告中だから。

 とにかく、上級審へあがればあがるほど、国や行政に有利な判決が出されるのが、今の日本の現状だ。
 裁判官の任命が行政だから、やむを得ないことかもしれないが、骨のある裁判官は居ないものか。地方へとばされるのを恐れて、国の方を向いている裁判官が出世していくシステムは、何とかしてもらいたい。

 とはいえ、地裁の「勝訴」は大きな励みだ。
 東京に追随している神奈川では、不起立者の名簿を出させる行為が、裁判所の禁止命令が出た後も続いているようだが、東京地裁の判決で、今後どうなっていくだろうか。
 都教委も、高裁での逆転判決が出るまでは、「悪代官」のようなまねは、おおっぴらにはできなくなるだろう。判決無視の神奈川に倣うかもしれないが。

 風穴を開けた判決を支えるためには、世論の後押しが大事だが、そこがきわめて弱い。どうして怒らないのかと、あきれるばかりの世の流れ。
 東国原知事に始まり、橋下知事と、タレントが次々当選する現状。テレビに出なけりゃ当選できないという状況を、誰が作っているのか。誰が黒幕なのか。
 マスコミも期待できない、口コミは時間がかかりすぎ、ネットは無責任情報を垂れ流す。状況は悲観的だ。
 はらだち日記は当分やめられない。 
2008年2月7日(木)
定年後は、趣味三昧だけで良いのか

 サークル紹介記事        紹介記事の数々

 朝日新聞に折り込まれた「定年時代」という毎月1回発行される無料新聞を見た。
 平成15年創刊だそうだが、以前は他の折り込み広告に紛れて、目にとまらなかったらしい。
 一面が上の写真にあるアコーディオン愛好会の記事だ。これは、自分たちが楽しむと共に、老人ホームなどを訪れるなどの、ボランティア活動をしてるからまだ良い。
 あとは、6面まである紙面のほとんどが「趣味の活動案内」になっている。ハイキング、映画、園芸、短歌、料理など、など。趣味と名の付くものは何でも載っているという感じ。どれでも良いから、関心を持って始めてみてはどうでしょうと、案内している。

 団塊世代のリタイアに合わせ、その後の人生設計のお手伝いという趣旨なんだろうが、何で趣味しかないのか。
 今までお仕事ご苦労様。これからは、大いに遊んで楽しんでください。と言うメッセージなのか。
 朝日新聞を読んでいるような人ならば、定年後は趣味三昧で暮らせるはずと、決めてかかっているのだろうか。

 私は、定年後は新しい職場に入って仕事をしようと計画していた。職場も見つけて、同僚への挨拶も済ませた。さて仕事始めという時になって体調を崩し、結局仕事は辞めた。 今は、できないから、仕事はしていない。しかし、何か社会に還元しなくてはと、地域の緑保全の活動や、健康体操のリーダーなどをしている。
 
 自分が楽しむだけの趣味三昧で、本当の充実感が持てるのだろうか。社会に関わっている。社会の役に立っているという感じを持たないで、真の満足感が得られるのだろうか。 趣味案内板の紙面ではなく、ボランティア活動情報も載せるような紙面にしてもらいたいと思う。
社会の役に立ってこそ、真の充実感があると信じているから。

2008年2月7日(木)
肝炎訴訟が勝利

仲間と訴える原告団と、実名公表した桑田さん

 きょうは何の日。テレビでよくやる手。
  2/7は何の日か。特別何もない日。
 実は、私の誕生日。

 脳内バッテリーがあがってしまい、M78星雲の実家まで、充電に行っていた。
 久しぶりの日本国は、相変わらず「はらだち日記」のネタが尽きない状況にある。

 余り過激な書き込みから始めると、すぐにバッテリーがあがってしまう危険がある。
 5年間の実名訴えが実って、肝炎訴訟が勝利したニュースならば、過激書き込みにはならないだろう。

 薬害エイズ裁判での、川田龍平さんの実名訴えを思い出した。彼の支援のため、当時の厚生省前での大規模デモにも参加した。あの時は、若者が盛り上がって、大きな力になった。川田さん以外には、実名公表していなかった感染者のなかから、実名公表する人が出て、運動は大きなうねりとなって広がったことをはっきり覚えている。
 
 今回も、桑田さん以外は、最初から実名ではなかったらしい。
 1/31号の「新婦人新聞」で、桑田さんの闘いの陰に「新婦人」の存在があることを知った。
 テレビの記者会見を見て「皆さんしっかりしている。何かバックボーンがあるだろう」と感じていたが、それが新婦人とは気がつかなかった。東京・横浜の新婦人会員が、国会行動に参加していたとのこと。

 いくら理不尽なことがあったからと言っても、仲間がいなければ闘い続けられない。仲間の大切さをまたまた実感させる出来事だった。

 「ツッパリばあさんでは、仲間が作れないよ。いい加減丸くなったら」と、言われそうだ。しかし、仲間はいるから、大丈夫。仲間がいなかったら、単なる「ひねくればあさん」になる。「思っていても、私は書けないから、私の分も書いて」と言う仲間もいる。
 仲間に支えられて、書き続けられるのだ。
 脳内バッテリーがあがらないよう、また、ぼちぼち書き進めたい。

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