病院で施術するなどということは、出産以来のこと。進歩したはずの医学だが、医療従事者の対応は、まだいまいちの感があった。
手術ではないが「同意書」を書くことになった。これこれですから同意書に署名をと言われ、ハイハイと書いた。
後でゆっくり読んでみると、「こんなこと言ってなかったよ」と思う項目がある。それがあるから、止めるというわけにはいかないが。生命保険会社の作る約款のようだと思った。都合の悪いことは小さな字で書くとまではいかないが、迷って質問しそうなことは、口頭での説明では言わないことにしておくのかと、疑問がわいた。
ブロック注射は、神経に直接針を刺すのだから、当然だろうが、図鑑で見ていた神経系統図が、自分の体の中に確かに存在することを実感させた。
それとともに「痛いです」くらいではなく、同意書にあったように「電撃痛」が走った。レントゲン室に響き渡る声で「いーっ!」と叫んだ。「痛い」などと言っていられない痛みだった。幸い「いーっ!」と一息で言えるくらいの、30秒ほどですんだから、何とかできた。あれがそれ以上だったら、失神したかもしれない。
時代劇で、斬られて死ぬときに「ギャー」とか言うのは、痛みを観客に伝える、表現上の約束事かと思っていたが、神経を切られるときの痛みを、再現しているのだと理解できた。
案内には、1時間くらいで帰宅できると書いてあった。しかし、起きて歩けるまでに、2時間もかかった。その間は、治療室の端にあるベットに寝かされっぱなし。
血圧を測りに来た看護士さんは「低いですね」と言っただけで行こうとする。不安になり「いくつですか」と聞くと、「90と○です」という。そんなに低いわけではないと知り、安心する。数値がなければ、不安は解消されない。
血圧の数値などは、患者は知る必要がないと考えているのだろうか。それとも、数値など言っても、内容の理解ができないから、言っても無駄だと思っているのだろうか。
病名にしても同様だ。
近所のかかりつけ医も「脊柱管狭窄症」とか、「神経ブロック」という言葉を使わなかった。ネットで調べてこちらが使ってから、使うようになった。
以前とは違い、患者も勉強する機会があるから、それなりに知識を持っている場合も多い。これが世間の常識だと思うが、医療従事者は、患者は知識がないと思いこんでいるのではないか。世間の常識と、医療従事者の常識は、少しずれているのではないだろうか。
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