人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2008年3月30日(金)
日本は冤罪大国か
                『冤罪File』の表紙

 研究会の月例会日で、1ヶ月ぶりに、楽しい仲間と、本音の討議をしてきた。すでに大シニアの方が多いのに、同年代のように感じて、いつも元気をもらってくる。

 先月の例会で、「東電OL殺人事件」の事が話題にあがったが、私はその例会を欠席していたので、内容が分からなかった。
 新聞の広告で「発生から10年『東電OL殺人事件』全検証」とのキャッチコピーを見て、よく吟味もせずに『冤罪File』創刊号を買い込んだ。

 家に帰って読み出したら、被害者のOLについての「真相」ではなく、当時犯人とされたゴビンダさんが「冤罪」であることを検証する内容だった。
 落ち着いて考えれば「冤罪」告発の雑誌なのだから、OLのことが書いてあるわけがない。ハイになっていて、注意散漫だからこういうことになる。

 しかし、違う角度から見ると、日本の状況を表していて、興味が湧いた。
 「冤罪」告発の雑誌が創刊されるほどに、日本では冤罪が多いということなのか。
 鹿児島の選挙違反事件を、鳩山法相が「冤罪ではない」と言って、物議を醸したが、そう言わざるを得ないほどに多いということか。
 痴漢事件は、よく冤罪が発生するらしく、マスコミでも時々話題に上っている。
 さわったかどうかについての物的証拠が残りにくいから、やったやらないで争うと、長引いてしまう。

 女性の立場では、今まで我慢に我慢を重ねてきた女達が、声を上げ始めた今。先走りすぎたり、便乗する少数の不届き者の存在を利用して、再び沈黙させようとする、男達の陰謀の臭いを感じたりもするが、実際「冤罪」を被った男には、正義が通るように願う。

 警察の体質が変わらない限り、今後も「冤罪」は起こり続けると思う。取り調べ全部のビデオ化、密室でなく、ガラス張りの取調室など、ハード面の改善も必要だ。
 今までのように、権威をひけらかせて、威圧的な態度を示して、恐れ入らせることで自白を取るやり方は、時代劇の世界に残すのみとしていただきたい。
 スマートに、証拠を示して、冷静に自白させる方向に進めてほしいものだ。

 研究会参加者が、二人も同じ雑誌を持っていたのには驚いた。同じ考えで購入したらしい。
2008年3月29日(土)
仲間作りは、まず身内から

 「年金者組合」支部総会に、久しぶりに出席した。ここは、私などはまだ「ひよっこ」にしか扱われないところだから、総会に出席したからといって、役員の指名がある心配はない。言いたいことを言って帰ってこられる気楽なところ。

 そう思っていたら、「仲間作り」の論議になる頃、会場の空気が変わってきた。
 仲間作りをするためには、「楽しい会」「面白い会」にする必要がある。ハイキングとか、スポーツ、趣味の会など、「自分のやりたいこと」をやれるグループ作りが大事との意見が出された。県の役員が来ていて、この地域は、グループが少ないし、会員拡大が進んでいないとの、現状分析も出された。
 すると、役員のひとりから、「私はやっています。スポーツ交流を」との声があがった。なんだか「とげ」のある言い方だなと思ったが、役員会の中で、路線のズレでもあるのだろうくらいに思っていた。

 「女性部がないのはここだけで、他の地区には必ず女性部がある。女性部ができると勢いづく。ここでも準備会はあるようだから、ぜひ結成に持っていってほしい」との要望が県の役員から出されると、険しさはピークに達した。
 「この険しさはヤバイ」と思い、「なぜ女性部が必要なのか、よく分からないから説明してほしい」と質問した。どうも、準備会を仕切っているのが、スポーツ交流をしている彼女で、進み方についての批判をされたと感じ、険しくなっていると推測したから。

 女性部があると、年金の男女差別に関する学習や行動が起こしやすくなる。との理由には「なるほど。一理ある」と思った。
 個人的には、男女同一賃金の職場にいたので、余り強く感じていなかったが、企業の男女差別はひどいらしいから、それを何とかするための活動は意味がある。
 直に男女差別を持ち出しても、お堅い会と思って敬遠するから、井戸端会議的なところから入っていくのが、仲間作りには必要だとのこと。
 井戸端会議は敬遠したいが、必要とあれば、しなくてはなるまい。と覚悟は決まる。

 しかし、「ひよっこ」の私には、先輩方を押しのけて組織作りする厚かましさはない。「ぜひに」と言われれば、考えてみてもいいが、新役員の選出では、昨年の方々がそのまま横滑りしたから、「ぜひに」との声はかかりそうにない。体調のことを考えれば、受けない方がいいに決まっているから、「ホッ ホッ」だった。

 それにしても、役員の中で、仲間作りができないで、どうやって仲間を広げるのだろう。男性役員の中にある女性差別の結果、とは思いたくないが、昭和一桁世代の女性は、我々世代以上に男女差別にはシビアなのだから、それを理解してくれないと、女性役員は出なくなってしまうのではないか。いろんな会で、同様のことはあるのではないか。

2008年3月23日(日)
いじめっ子 30年後は、ただのオバさん

 卒業後50周年の「同窓会」が開かれ、新幹線で1時間ちょっとかけ、参加した。
 同窓会への参加は、これで4回目。年数の割には参加が少ない。それは、40年近く、一度も参加していなかったから。
 
 私の小学校時代は、暗かった。私は「いじめられっ子」だったから。
 地方の名士の子女が集まる「オフゾク」に、母親の職場の中にあるからとの理由から、紛れ込まされた。名士の子女のただ中に、「貧乏お嬢さん」が入ればどうなるか。テレビドラマによくあるストーリー。「いじめられっ子」の登場。
 そのため、30代、40代のときは、案内が来ても破り捨てていた。

 50代に入り、母が逝った。夫子は居ても、自分の兄弟が居ない私にとって、子ども時代の友人は、兄弟に代わる存在であるはず。
 しかも、高齢になって記憶が曖昧になっていくとき、最後に残るのは、子ども時代の思い出だという。その時が来て、暗い、恨みの想い出だけで生きていくのは、いかにも寂しい。「これは何とかしなくてはならぬ」と考えた。

 そんなとき、ちょうど「同窓会」の案内が来た。「ここで行かないと、一生行かないままになるぞ」と、決心を固め、一張羅を着込んで、肩肘張って参加した。
 会場について、参加者の顔を見る。名前がすぐに思い出せるのは「いじめっ子」ばかり。しかし、拍子抜けした。どの顔も「オバサン」になってしまっていたのだ。
 近況を聞くと、ダンナと子どもの話しかできない。輝いていないのだ。
 それにひきかえ、こちらはバリバリの現職。ひとり3役、4役の活動している毎日。ストレスため込み、辛い毎日ではあっても、自分を生きている輝きはある。

 しかも、近況報告がてらの「5分間熟年性教育講座」での、「これからの夫婦の性」についての話に、参加の男性諸君は「目から鱗」状態。二次会では、続きの話を聞こうと、周りに男性の輪ができてしまったほど。
 子どもの時との大きな落差に、拍子抜けして「あの頃のことは水に流そう」と許せる気持ちが湧いた。
 それからは、案内が来るたび、都合がつけば参加するようになった。

 いつだったか、同窓会に参加して、昔の恨みで同窓生に毒を盛った男が、報道されたことがある。
 会って、現状を知れば、そんなことはしなかったかもしれないと思う。彼の場合は、現状を知る前に、殺害を計画してしまっていたのだ。参加して、「こんな事なら、殺害なんて、ばかばかしくてできるか」と思ったかもしれないが、その時はすでに時遅しで、みんなに毒入りの飲み物が出てしまったのかもしれない。

 今いじめにあって、恨み骨髄で、自殺まで考えている子どもたちには、「30年後に笑うために生きよ」と言いたい。
 「あんたのいじめなんて、たかがしれてるよ。今のいじめは、そんな半端なものじゃない」と、言われるかもしれない。それでも、30年後のために死ぬなと言いたい。死んだら負けだから。生きて自分を輝かすことこそが、自分への勲章だから。
 

2008年3月18日(火)
障害者まで「偽」が出まわる

 偽りの障害者手帳交付と、道の放置を指摘した紙面

 昨年の「今年の漢字」には、「偽」が選ばれた。
 食品偽装から役所の偽装まで、毎日のように「謝罪する経営者・責任者」がテレビの画面に写っていた。

 そろそろ終わりにしてもらいたいと思っているのに、今度は障害認定を偽ったとの報道。それも、聴力障害を偽ったというのでは、聾者に関わっていた者としては、捨て置けない。 障害者になりすますには、聴力障害はやりやすいかもしれない。見かけでは全く区別が付かないから。視覚障害では、見えていればすぐにばれてしまう。肢体不自由も、ごまかしにくい。内部障害には2級がないから、手帳を受けても税金の控除、障害者年金の給付などの恩典が薄い。
 その点では、社会活動には支障が無く、控除は厚く、恩典の多い障害ではあるから、聴覚障害に目をつけたのは、なかなか鋭い。怒り心頭で、褒めるなど以ての外だが、「敵もさる者」と思わずうなってしまう。

 聴覚障害者には、運転免許が与えられなかった時代に、聞こえる人になりすまして、免許を取得したという聾の人に会った経験からすれば、反対もできないことはないだろう。
 被験者がボタンを押すやり方での聴力検査ならば、聞こえるのに聞こえないふりをするのは簡単だ。ボタンを押さなければいいのだから。

 そんなずさんなやり方で、700人もの「偽聴力障害者」に手帳を交付していたという道庁は、どんな仕事ぶりだったのだろうか。
 以前、病院に行くからと、生保の「通院移送費」をだまし取っていた人が出たのも、道庁だったと思う。
 必要な人に、必要な手だてを講ずるのは、役所の責任だが、「お役所仕事」といわれるゆえんは、「自分の事じゃないから、適当にやっていればいい」という仕事ぶりを指しているのではないか。

 今回の不正で、聴覚障害者全体が、不正受給しているのではないかと疑われる心配がある。実は、聾者の中には、不正受給の話は以前あった。2級と3級では、恩典が違うので、本来は3級の聴覚障害なのに、
2級にしているというのだ。今どうなっているのかは、確認していない。聾者の意識が高まり、自浄作用で、不正は正されていると考えたい。
 聾者にしてみると、おまえの2級はおかしい。3級だろうなどと、勘ぐられて、本当は2級の聴力なのに、3級にしてしまったり、肩身の狭い思いをするのは、耐え難いだろう。

 「脳波聴検」をすれば、不正はできようはずがないのだから、成人の中途失聴者が、手帳取得の際には、脳波聴検を義務づけたらどうなのか。新生児用の機器が使用できるのではないか。産婦人科での検査になるのかもしれないが。
 障害者を装ってまで、ぐうたらに生活しようという不届き者が居る限り、似た問題は今後も起きるだろう。不届き者が得をしない社会作りの手だては必要だと思う。正直者が馬鹿を見ない社会作りは、もっと必要だが。


知事の「月内に防止策」の答弁引き出しを報じた紙面

2008年3月15日(土)
ツッパリばあさん、涙する

  かつての職場で、最後の教え子達が卒業式を迎えた。気にかかっていた子がどうなったかを確認したくて、参列した。

 開会前の会場に、幼い日から今日までの卒業生達の成長が、写真で流された。さしずめ、披露宴会場で流される「お二人の足跡」のようなもの。
 写真を見ながら、写真にはない、あんな事、こんな事が浮かんだ。子どもたちのあんなこんなのついでに、忘れたはずの現職の日々が思い出された。
 子どもたちに、これだけは憶えてほしい、とか。あれだけはしてほしくない、とか。なんとしても守らせたい、とか。いろんな思いで格闘した日々がよみがえった。
 隣の席の旧担任はウルウルしている。つられてこちらもウルウルしてくる。

 式場には、まだ現職の、ともに働いた仲間の顔が見える。久しぶりに実家に帰ったような気分になる。在職中は、教育観の違いから、いがみ合ったこともある仲間でも、今は忘れて、一人の人として懐かしさだけがこみ上げる。駆け寄って肩を抱き合いたい気分になる。しかし、これは、別の世界にいるからこその懐かしさであるのだろう。関係ない世界にいるからこそ、懐かしさだけでいられるのだろう。こちらは、懐かしさだけでほほえんでも、相手はどうとるか分からない。いらぬ波紋を起こすことにならぬとも限らない。何もしないのが最良と、黙ってその場を離れる。

 これが最後の卒業式。来年からは、直接の教え子はいなくなる。来る意味が無くなる。最後と思うから、懐かしさもひとしおになるのだろう。
 知っている子どもたちがいて、知っているかつての同僚がいる職場の今、惜しまれつつ消えること。それが大事。歓迎してくれるからと、いつまでも図に乗っているのは、大きな間違い。
 人間、引き際が肝心。どこで引くかを考えねば。それは、同僚ではない。子どもたちだろう。子どもたちが居なくなったら、たとえ同僚が誘っても、引かねばなるまい。
 そう心を決めて帰宅した。

2008年3月12日(水)
聾学校は、誰のための学校か

署名活動する山本さん 改称を取り上げた『天声人語』

 「聾学校」が「聴覚特別支援学校」と名称が変わるという。
 学校教育法の改正を受けた措置だそうだ。筑波大付属聾学校は、すでに変わっているのだとのこと。
 知らなかった。そんなニュースは聞いたことがない。学校教育法の改正は聞いたような気がするが、その中に、聾学校が聴覚特別支援学校に変わるという話は、含まれていた覚えがない。

 障害児教育には、かなり関心を持っているのに知らないということは、関心を持っていない人は、全く知らないと言うことになるだろう。
 大部分の人が知らない間に、名称が変えられてしまう。これって有りのことか?!
  
 これに対し、聴覚障害者自身はどう考えているのだろうか。特に、聾者はどう考えているのだろうか。
 「聾学校 改称しないで」の記事に登場する、静岡聾学校OBの山本さんは、もちろん改称反対の立場だし、全日本聾唖連盟も改称に反対している。
 
 なぜ聴覚障害ではなく、聾と言うのか。そこの説明が丁寧にされないと、せっかく差別語を改称してやろうとしているのに、わがままだということになってしまう。
 「聴覚障害者」というのは、耳が不自由な人たち全体を指す言葉。その中には、突発性難聴などによる中途失調の人。老人性難聴の人。乳児期からの聴覚障害の人。など、様々な人が含まれる。
 それらの人々の中で、生まれつきか、音声日本語獲得前から聴覚に障害があり、言語活動を、音声日本語ではなく、手話により行っている人々を「聾者」という。障害者ではなく、言語的少数者と聾者自身は言っている。
 障害と見るか見ないかは、論議のあるところだろうが、手話により、言語生活においては不自由が無いことはよく分かる。たまたま、少数者であるから、いろいろ不便がある。これは、外国人なども同様の状況にあるから、それを障害と言い切ることには、抵抗があることも事実だ。

とにかく、当事者の想いや、考えを聞かずに、法律が変わったからということで、役人が勝手に変えていいのだろうか、という疑問はぬぐえない。役人は、そういう権利を持っている存在なのだろうか。
 今は、人権尊重ということで、本人や当事者の意見を尊重することが、当たり前とされる時代になった。それなのに、障害者に関しては、当事者は置いてきぼりのままなのか。皆さんの利益のためにしてあげているんです。という言葉は、眉唾にしかとれない。
 我々のやっていることに間違いはないんだ。おまえ達は言うことを聞いていればいいんだ。いちいち反対反対とうるさいことを言うな。という声が聞こえてくるように感じるのは、勘ぐりすぎだろうか。
 

2008年3月7日(金)
日本の格差は、取るに足りない受忍の限度内?!

  たまたま医院の待合室にあった『新潮45』2006.12号を見た。
 曽野綾子さんの『いっぱいの水で生きる 貧困の光景(最終章)』が目にとまったので、読んでみた。これは、後に『夜明けの新聞の臭いシリーズ』として発刊されているようだ。
 
 砂漠地帯の「世界の貧困」を体現するような、筆舌に尽くしがたい貧しさの中で、泥水をすすって生きている人たちを取材して、書かれたエッセイであった。
 しかし、読み進むうちに、以下の文章に出会い、「んっ?!」と思った。
 「格差。日本においてその差は、世界的レベルから見るとわずかなもの。字の書けない人もいない。今夜食べるものがない人もいない。」

 ちょっと待ってほしい。2006年と言えば、格差問題が言われ出した年。前年には、生活保護世帯が100万を突破。「豊かな社会」についてのアンケート結果では、40%の回答者が、「子ども世代の方が、豊かな社会にはならない」と回答している年である。
 格差など、わずかなものと言い切って良いのだろうか。との、異議申し立てだ。

 次のくだりになると、「やっぱりそれを言いたいのか」と、「語るに落ちた人」を見る想いがした。
「日本は社会の格差の増大に苦しむというのが、ここ当分の間、日本国家、与党などへの非難の理由として使われるのだろう。
 答えはただ一つだ。そういう人は、電気のない干ばつのアフリカ、砂漠の続く酷暑のアラビアで、生きてみたらどうか。そして、飢えに苦しむ人々に自分の食べるパンの半分を割いて与えるという、人道の基本を体験したらどうかということだ。(中略)
 日本人の一部の人は、この国は弱者を切り捨てるひどい国だという。この落差の間に、私は長い間立ってきたし、おそらく将来も立ち続けることになるに違いない。」

 曾野さんが、NGOの一員として、アフリカや、アラビアで活動したという話は聞いたことがない。何日かの取材旅行だけで、格差を問題にする人たちに『生きてみたらどうだろうか。』などと言わないでほしい。「泥をかぶってない、あんたに言われたくない」と言いたい。
 日雇い派遣で不安を抱えて働いている若者や、ネットカフェ難民になっている人たちは、アフリカの貧困に比べれば、どうということのない、わずかな格差の中にいる者達で、特に政策をどうこう言うほどのことではない。と言いたいのか。  

 アフリカやアラビアは、一部の特権階級を除いては、全体が貧しい。どうしようもないほどに貧しい。しかし、我が日本国は、全体が貧しく、どうしようもないという国ではない。手だてを取れば、若者は将来の日本をしょって立つ人材になれる。しかし、今、手だてを取らねば、日本の将来は暗い。そういう問題だからこそ、声を上げているはず。

 2008年の今。再度、曾野さんに聞きたい。今も、わずかな差で、受忍限度内にあると言えるかどうかを。  

2008年3月3日(月)
教育介入に"待った"の報道

 「性教育」口実の校長処分は違法の報道紙面

 2/25の「金崎裁判」勝訴の報道がまたされた。
 都教委は、実質的な処分理由が「性教育」であるにもかかわらず、その後の説明ではふれずに、「学級編成の不適正」などと、別の理由を持ち出していた。性教育への攻撃は、七生養護の教育への介入の口実だったことが、明らかになったとのこと。
 判決は「学級編成の不適正」が、都教委の誤認だと断定した。
 処分の1ヶ月後に、「日の丸・君が代」を強制する通達を出し、従わない教員を次々と処分していった。
 金崎先生達への処分は、公立学校を管理統制していく石原強権都政による見せしめであり、前触れだった。判決はこれに「待った」をかけた形である。
 新聞の報道は以上のように述べている。

 東京の教育界にいたことはないから、どんな感じかを、直接肌で感ずることはできない。直接圧力をかけられた、研究会の仲間のなかには、研究会の世話役を辞めざるを得なくなった人もいた。
 いかに不当で理不尽であるとはいえ、逆らえば仕事を続けることができないのだから、折れざるを得ない。そうやって、オカミの言いなりになるようにし向けられる。これはまさに戦前の道ではないか。
 こんなことが許されていいのか。ごまめの歯ぎしりで、どうにもならないことは分かっているが、何とかしたいと思わずにはいられない。

 この勝訴判決を、なぜマスコミは大事にしないのか。すでに戦前に戻っていて、体制に迎合する報道しかしないように、規制されているのか。
 それとも、西ドイツの神学者、マルチン・ニーメラーの詩『今こそ立ち上がるとき』にあるように、「共産党が迫害された/ 私は党員ではないから黙っていた/ 社会党が迫害された/ やはり私は党員でないから黙っていた/(後略) 」の感覚しか持っていないのだろうか。
 しかし、これは「教会が迫害された/ 私は牧師だから行動に立ち上がった/ だが そのときは もう遅すぎた」となるのではないだろうか。そうならないことを願うが・・
 
  報告集会の参加者と、万歳する金崎先生

 勝訴の垂れ幕到着し、会場に掲げられた

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