人間高齢になれば、多かれ少なかれ「認知症」になってくることは、今や「常識」。マスコミでもしょっちゅう取り上げるようになった。つい数日前の「クロ現」では、認知症の高齢者の「かもリスト」が出回り、同じ高齢者が何回も「だまし」の被害者になっている事実が報道された。
どうやってリストを作成したのか分からないが、数百人という規模ではなく、数千人とか数万人とかの規模のリストが出まわっているというから恐ろしい。
しかも、それを利用して「だまし」を実行した本人の弁では「良心の呵責など無い」というのだから、今の世の中、どうなっているのかと「開いた口がふさがらない」どころではなく「あごが外れてしまう」状況。
そこまでの例を、まだ身近に聞かないのは幸いなことだが、早晩聞くのではないかと思われる人は身近にいる。
「まだらボケ」から始まるのが認知症の特徴と聞いているが、それに当たるのではないかと思われるのだ。
共働きで、いろんな活動もしていたし、著作も何冊かある。まだ高貴高齢者の年令ではない。数年ぶりに会ったそんな彼女が、なんだか様子が変わっていた。
表情が豊かでなくなっている。歩き方が高齢者特有の尖足気味になっている。なにより心配なのは、会議などの予定を忘れてしまうこと。
市民活動の役員などをしているのだが、役員会を忘れて欠席してしまう。待ち合わせをすると、時間通り来ない。などなど。
人のことは言えない状況が自分にもあるから、年のせいで忘れることがあるのは仕方がない。大目に見ていこう。と考えていたが、ことはそんなに軽い状況ではないようだ。
ずっと彼女と関わってきた方の言葉によれば、予定表に書き込んであっても、それを見ていても、直前に連絡をしないと忘れるのだとのこと。
集会の受付を頼んでいて、忘れられたことがあったが、直前に言わないと忘れるとは知らなかったので、前日の連絡をしなかったことを思い出した。
活動を共にしている「仲間」ではあるが、ずっと付き合ってきた仲間ではないし、家族や親戚でもない。早く専門医の診察を受けて、投薬やリハビリをすれば、今より進行せずに済むかもしれないとは思うが、親密なつきあいのない彼女に、何と言って診察につなげたらいいのか、戸惑うところ。
周りは彼女の状況を充分知っているようだが、診察につなげる働きかけはしていないようだ。本人の自覚に待つということかもしれないが、本人の自覚に待てない病気であるのだから、気が付いた者が動くべきではないかと思う。とはいえ、子どもさん達も分かって
いるようだと聞かされると、それを押しのけては行動できかねる。どうしたものか・・・
お節介ばあさんとしては悩むところ。「親切という名のお節介 そっとしておく思いやり」で良いとは思えないが・・・
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