ツッパリばあさんのはらだち日記

人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。


日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2010年9月30日(木)
人を楽しませるには、恥をかかねば

 年金者組合で「年金者まつり」なるものを毎年開いている。何かと言えば「高齢者版学芸会」といったところ。「老人会」でも「芸能大会」とか「お楽しみ集会」を開いているようだから、それの「年金者組合」版だ。
 
 「学芸会」だから、見るだけではなく、自分たちも何かやらねばならないらしい。区ごとに時間の割り当てがあるようだ。
 我が区はインテリが多く、かつての「活動家」という方も多いらしいが、こと芸能になると尻込みする人が多いようで、呼びかけても集まらないらしい。何しろ、役員になりたてだから「歴史」を知らず、よろず「らしい」とか「ようだ」になるのだが。

 ここ数年は「コーラス」と称して、直前に何回か集まって練習した歌を歌っていたようだ。今年もそれでお茶を濁すことになった。
 役員になったからにはと「歌は苦手でも、手芸は得意とか、道具を作ることならできるという組合員もいるだろうから、衣装とか小道具とか作るから手伝ってくれという、呼びかけをしたらどうか」と提案したが、一向に動く気配はなかった。

 年金者組合だから当然だが「60ヒヨッコ。70見習い。80やっと人並みで、90過ぎたらいたわられ」の世界だから、ヒヨッコの言うことはほとんど通らない。
 切り捨てての60代だが、それでも四捨五入すれば80になる人と比べると、何ともまだるっこしい論議になっている。
 見かねて発言しても、一向に聞き入れる様子が見られない。「活動」ばかり続けてきて、心が生きていないせいか、発想の転換が難しく、自分の考えで進めることはできても、別の意見が出たときの対応ができない。あれも一種の「認知症」ではないかと思ってしまう。

 というわけで、妥協に妥協を重ね、やっとお客さんを笑わせるような、簡単な振りをつけてのコーラスが完成し、いよいよあさってには発表にまでこぎ着けた。
 ところが、役員の中に最後までの「抵抗者」が居る。「ほんの数回練習しただけで、歌を聴かせようなどとはおこがましいから、ずっこけをやって、お客さんが笑ってくれたらそれで成功という路線が大事」と説得し続けたのだが、謹厳実直だけが取り柄の、長年の「活動家」にとっては、自分を崩すことができない。お客さんに笑われるなどは、我がポリシィに反するとばかり抵抗する。笑わせるには、当人が大まじめでおかしいことをやる必要があるのだが、それができずに、本人が照れてしまうから、見ている方に「お気の毒」との印象を与えてしまい、笑ってもらえない。

 笑いは、今最も重要視されている「ボケ対策」のひとつでもあるのだから、組合役員としては、率先してやってもらいたいのだが・・・

2010年9月23日(木)
2万円は千円の20倍価値があるか

  「反核・平和」コンサートが終わり、初めて「平和コンサート」などに参加した方々の声がいくつか聞こえてきた。
 「高貴高齢者」の体操仲間の方からは「こんなコンサートは初めてでした。とても良かったです」と感激の声。「なるほど。彼女の75年以上の生涯には『平和』とか『反核』という言葉はなかったんだ。今回の誘いがなかったら死ぬまで『反核』は『怖い言葉』となっていたかもしれなかったな」と思い、感慨新たとなった。こちらにとっては「常識」の言葉が「非常識」に聞こえている人々が居ることを改めて感じた。

 「前に『氷川きよしのコンサート』に行ったんです。○○場(野外の会場だったが固有名詞を忘れた)で、チケットは2万円でした。2万人くらいの観客が集まったんですが、きょうのコンサートも、同じくらい良かったです。チケットは千円なのに」の感想。
 同様の感想では「『美川憲一』のコンサートより良かった」もあった。美川憲一を昨年呼んだJAの幹部夫人の感想。バリバリの「自民党支持者」だとのことだが、歌の力には素直に感動してくれる柔軟さはお持ちらしい。女だからだろう。これがおじさんになると「建前」がでるから、素直に感激を表出してくれない。

 「反核・平和」ということで、その道の「専門家」を招いての「講演会」ではこうはいかないと思う。
 第1部の「トーク&トーク」では、NPT参加者の報告があったが、かみ砕いて話してくれとの注文にもかかわらず、『チェンジ』のドラマで、キムタクがくり返し言っていた「小学5年生でも理解出来るレベルの話」にはなりにくく、居眠りの出る人が居た。
 本当に理解出来ている専門家は「5年生」にも分かる話し方ができるそうだが、それができる人は少ないようだ。

 「歌なんぞで理解させるのは、表面的なものだけだ」という人もいるだろう。「5年生に分かる話し方など、私の知識量では不可能だ」という「専門家」も多いと思う。
 しかし、世の中に訴えて、感性を揺さぶり、何か行動しなくてはという気にさせるには「5年生の話」が必要なのだと確信している。
 自分が「5年生」でないと理解出来ないからだが、分かっていると称している「活動家」や「専門家」という類の人々は、聞き手が分からないのは聞き手の責任だと考えているような節がある。それでは運動は進まない。

 歌には「感性」に訴える力があるから、理屈はよく分からなくても「何かしなければ」という気にさせる。
 初めてこの種の歌を聞いたと思う体操仲間が「ステキだったから、CD買ってしまいました」と言った。\500のシングルではなく、\3000はするのに。
 同じ年金者でも、余裕のある層の人だったからと言えばそれまでだが、自分の意志で買うというのは、なかなかのことだと思う。
 今後も機会があればコンサートを開いて「平和」の理解者、共鳴者を増やしたいものだ。

2010年9月21日(火)
打ち上げにゲストを呼ぶときのマナーは

  地域の平和運動のイベントに参加した。単なる参加者ではなく、実行委員の端くれになったので、終了後の「打ち上げ」にも参加した。
 色々の「打ち上げ」には出ているので慣れてはいるが、今回の「打ち上げ」は、中心的メンバーとしてではなく、文字通りの「端くれ」なので、外様気分があった。

 イベントの中心は、民主的な活動している者には知られているが、メジャーとは言い難いシンガーソングライターの方のコンサート。だからこそ、参加費が\1000で、200人が定員などというちっぽけなイベントにも来てもらえるわけだが。
 イベントの主役だからと、ゲストとして打ち上げにも参加していただいた。

 最初は、実行委員長の挨拶やら、ご本人の挨拶やらがあったから、座の中心に居られて居心地悪くなくすごしていられた。
 アルコールが入り、当日に至る実行委員会の裏話が始まったが、まあまあそれなりにおもしろおかしい話で「よそ者」が聞いていても相づちが打てる範囲だった。

 それが過ぎると、本当の内輪話になってきた。ここからが問題。地域の細かな関係性や、それぞれの歴史を知らないと相づちは打てないし、聞いていても「何の話?」になるから、黙っているしかなくなり「蚊帳の外」に置かれた存在になる。しかし、しゃべっているご当人達はそれに気づかないで、話がどんどん弾んでいく。

 私は、ときに学習会などに呼ばれ、役員さん達の「反省会」に付き合うことがある。
 「話し足りない方はどうぞ」と、一応声掛けをして「役員」だけではないような格好はつけるが、結果としては役員だけになることがほとんど。
 そういう場で、自分たちだけが盛り上がり「蚊帳の外」になる経験をしているのでゲストがどう過ごしているかが気になってしまう。

 誰も気づかない様子にいたたまれず「きょうの客層はどうでしたか」とか「これからのツアーなどのご予定はどうなっているのですか」、「車は使われないのですか」、「全国ではどこが多く呼ばれるとか、地域性がありますか」等々、答えてくれそうな、話が広がりそうな話題を考えては、ワイワイガヤガヤのなかに割って入った。
 その都度、私への回答だけでなく、参加の皆さんへの話として話を返すことができ「かやの中」に入ってこられた。

 実行委員の中には、彼のことをよく知る人もいるから、すでに知っていることかもしれないし、音楽にはさほど関心がないから、イベントが成功すればそれで良しと考えている人も居ただろう。
 ご本人との会話を楽しむよりも、自分たちの会話を楽しみたいならば、ご本人との同席の時間を決めて、送り出してからにしたらいいのだと思う。または、話したい人が同席し、自分たちは別の席に変わるという手もある。
 とにかく、ゲストをお呼びした場合は、ゲストが「蚊帳の外」にならないよう気を使うのが、最低のルールだと思うのだが、そんなことは考えなくても良いのだろうか。

2010年9月20日(月)
ツッパリばあさん泣き言を言う忙しさ

  「地域で何かお役に立つことを」とリタイア時に考えて、小さなグループを始めた。時々書いている「公園の斜面緑地保全」活動と「朝の体操」の2つ。これは自分が始めたから簡単には放棄出来ないと、それなりに神経を使っている。
 
 以前から「会員」という立場で関わってきた団体もあれこれある。「老後の楽しみに趣味を始めよう」と関わりだしたグループもある。そんなこんなで数えてみたら、地域の団体だけで両手が必要になっていた。いずれもせいぜい2桁の構成員という小さなグループばかりだが。

 活動するには会場が必要になり、連絡のための会報があった方が良いということになり、なにが何になりと、気がついたら片手では収まらない実務を担当することになっていた。 そのうえ、イベントの実行委員など、定例ではない活動が入ってくることもある。
 生来のおっちょこちょいで、何か頼まれると「いや」と言えない性分のため「これだけだからお願い」と言われると「これだけなら良いか」と、ついつい引き受けてしまう。

 夏から秋にかけては、イベントと定例の活動が重なり、気がついたら8月が終わり、9月も半ば過ぎになっていた。
 埃をかぶったテディベア状態での1年を思うと、充実している毎日で結構だということになるのだろうが、実務担当にいささかうんざりし始めている。

 あれこれ気を使い、スムーズに行くようにと時間をかけても、結果としては「あら、そう」で終わったり「これじゃできないから、変えてよ」と文句をつけられたり。
 うまく行って当たり前、少しでも足りないところがあると「あなたの責任」と言われることになる。実務を担当する者は、負担ばかりが多くて楽しいことが少ない気がする。

 自分が実務を担当しない人に限って注文だけ多い。
 「お前に言われたくない」とか「言うなら自分でやってみろ」と言いたくなるところをぐっとこらえて、何とか注文に答えるようにとまたまた動く。

 夏バテと重なったのか、いささか「お疲れ気味」になってきた。実務が集中しないようにと「仕切屋」として動いているつもりだが、それでも忙しい者はなおいそがしく、暇な者は常に「ヒマー」になるようにできているらしい。
 何とか「一人一役」にならないものかと工作するのだが・・・

 内情を知らないからかもしれないが、一人一役がうまく行っている団体も多いように見える。しかし、私の関わっている団体はどうもうまく行かない例が多い。あまりに小さな団体のせいか、意識しないで排除している結果なのか。
 「ツッパリばあさん」を返上して「フクフクばあさん」にならねば問題は解決しないのだろうか。それはかなり難しい問題になる。清盛が夕日を呼び戻そうとしたのに似た難しさのレベルだから。
 諦めて忙しがるか、返上か。ハムレットの心境。

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2010年9月13日(月)
うちわ太鼓がNYでも響いた

 9.11が9年を迎える昨今、アメリカでは「『グラウンド・ゼロ』近くのモスク建設」に賛否両論がわき起こり、オバマ大統領が演説をしなくてはならぬ事態になっているようだ。宗教対立にはピンと来ないところがあって、何で双方がそんなに意固地になってしまうのかと思ってしまうが、当事者としては実力行使をしてでも・・・という状況のようだ。

 「モスク予定地 和解訴え」の見出しと、ヒロシマでも見たおなじみの黄色の法衣とうちわ太鼓の写真に引きつけられた。
 8/6のヒロシマでは、 原爆ドームのすぐ北側で黄色の法衣とうちわ太鼓の方々が読経に励んでいた。日蓮宗の方々だとは、この記事で再確認した。うちわ太鼓の方々と認識しているので、宗派の記憶が薄かった。

 写真の先頭がNY東部クイーンズ区に住む日蓮宗のお坊さんだと思われる。海外の布教はいろんな宗教でしているから、NYに日蓮宗の僧侶が居ることに不思議はないわけだが、お坊さんは日本に居る者との観念があるのか「なるほど。NYで布教か」との感慨を持ってしまった。
 建設支持の市民約千人が終結して、宗派を越えた相互理解を訴えたなかに参加したとのこと。

 「イスラム教徒がここに建設する権利があるか」「強制的に場所を変更させるべきか」と質問すれば、建設反対と回答した米国民の2/3の世論の結果は異なってくると思う、と参加者の一人がインタビューに答えた。とも書かれている。
 オバマ大統領のスピーチも、この観点からだったように思う。アメリカには宗教の自由があるのだから、イスラム教はダメだとは言えないはず。テロをやったとされる人々はイスラム教徒だったことは間違いないだろうが、だからイスラム教は排除されるべき宗教とはならない。
 日本ではオウム真理教が排除されたが、あれは教祖が破壊を命じた、宗教とは言えない「宗教」だったからだろうと思う。

 テロの実行場所のすぐ近くに、テロ犯が信じていた宗教のモスクを造るとなると、感情的には色々あるが、宗教の自由とのかねあいで考えれば、どこに作っても「ここはダメ」とは言えないだろう。騒音とか、日照に問題があれば、それはダメということはできるだろうが。 
 「近隣住民に不安を与える」との理由はどうだろうか。オウム真理教の教団施設を作らせない理由には、これが使われたと思うが。

 宗教論議は難しいが、とにかく実力行使をするのではなく、話しあいで何とかしようとすることが基本であることは、共通の認識ができる範疇だろう。
 そもそも宗教は、争いをもたらすためにあるのではなく、平和や平安をもたらすためにあるもののはずだから。

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2010年9月13日(月)
被爆ピアノ 海を渡る

  ヒロシマで原爆にあった「被爆ピアノ」が、日米の音楽家が奏でる、NYマンハッタンの教会でのコンサートで使用された、との記事が目に留まった。
 9.11から9年が経つとのことで、NYを初め、各地で記念行事が開かれている。
 「被爆ピアノ」の演奏も、9.11の追悼行事でもされるとのこと。

 原爆の惨禍に遭いながら、奇跡的に残ったピアノの音色を聞いてもらうことで、米市民に核廃絶を訴える狙いで、ピアノの渡米が決まったらしい。
 今も「原爆投下は正当だ」という意見が、米市民の6割以上を占めているとの報道を
09.8の記事で知っているから、50人の参加者が聴き入ったとの記事に、演奏で変わることにはあまり期待を持てないが、米国内への報道が大きければ、若者への影響はあるだろうと信じたい。

 写真を見るとピアノの後に「折り鶴」と思われる飾りが見えるので、NPT会議の時にも「平和コンサート」が開かれた教会だろうと思う。50人の聴衆は少なすぎる感があるが、NPTのような大きな行事ではなく、宣伝も充分されていないだろう今回の演奏会では、50人がせいぜいなのだろうか。
 追悼式で演奏される時は、どんな報道がされるのだろうか。

 「グラウンド・ゼロ」とのネーミングには抵抗を感じている立場だ。
 「お前に言われたくない。なにが『グラウンド・ゼロ』だ。200m四方もないくらいの場所じゃないか。ヒロシマ・ナガサキは何キロって規模なんだ。死者だって何千人なんてチャッチイ数じゃないんだ。何十万人なんだ。しかも、その時だけじゃなくて、65年経った今でも続いているし、これからも世代を超えて続いていくんだ。そういう爆弾が原爆なんだ。それを落としたお前たちに『グラウンド・ゼロ』なんて言ってもらいたくない」と言いたい気分。 

 だが、大きく報道される機会に、本当のグラウンド・ゼロから来たピアノの演奏なのだと報道されれば、7割方が正当性に賛成しているという、60代以上の男性にもいくらかの影響力があるのではないか。影響力を与えてほしいとの願いがある。
 第1次も第2次も、その後の戦争でも、一度も「本土空襲」や「本土決戦」を味わったことのない米国民にとっては、9.11の攻撃が初めての「戦争体験」だったのだろうから『グラウンド・ゼロ』と言いたい気持ちは分からないでもない。

 100歩譲って『グラウンド・ゼロ』を認めてあげるから、自分たちの責任として「核廃絶」に取り組んでほしい。加害者の立場を自覚して世界に「核廃絶」を発信してほしい。
 その意味では『グラウンド・ゼロ』を、いつまでも忘れないでほしい。

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2010年9月13日(月)
薄毛はやっぱり人災

  かつらの広告について書いた後、関係する記事を読んだので「我意を得たり」と思った。 近頃の薄毛は、自然現象ではなく「人災」であることが報道されていた。
 「女性も薄毛にご用心」の大見出しに「20代も細く、少なく?」とある。見た目の感覚でとらえた現象が科学的に証明されていた。感じや感覚は貴重であることが証明されて気分が良い。

 女性向け育毛剤やウイッグの宣伝は花盛り、と書かれている。私の「偏見」ではなく、宣伝は増えているのだ。嫌みなばあさんの「偏見」ではなかったことが証明されたのは、何より自信を得た。

 薄毛を研究している医師によると、女性の薄毛の原因には加齢現象の他「男性型脱毛症」「休止期脱毛症」「円形脱毛症」があり、時には内臓の病気が原因のこともある。とのこと。病気が原因の脱毛症とは捨て置けない。たかが薄毛とバカにしてはいけないようだ。

 育毛剤は効果があることも証明された。とも書かれている。紙面の関係か、どれくらい使用すれば効果が出るとか、どれくらい使用しても効果が現れないようならばやめた方が良いとは書かれていないのが残念。
 効果があるからとつけ続けて、金だけ使って結局どうにもならなかったというのは悔しい。せめて、止め時くらい書いてもらいたかった。 

 「洗髪、1日おきで十分」の小見出しには力をもらった。ズボラばあさんとしては、毎日洗髪しなくてはならないのは、負担に感ずることもあるので。
 体調の悪い時は、一日おきどころか週に1回も負担で、洗髪できないから臭いがあるだろうと、ますます外に出にくくなってしまったこともあった。今でも同じ状況におかれている人が居ると思う。

 子どもの頃は、毎日洗髪など思いもよらなかった。今よりずっと汗もかいただろうが、それでも週1くらいの洗髪で何ということなくすごしていた。友達から「クサイ」とか「ムサイ」とか言われた記憶はない。多分周りの子どもたちも同じようだったと思う。

 いつ頃から毎日洗髪になってきたのだろうか。「きれい好き」と言われる子どもたちは、夜の洗髪に加えて「朝シャン」として、1日2回の洗髪をする場合もあるようだ。
 いくら伸び盛りの若い髪とはいえ、1日2回も洗剤にさらされていたら、20代になった頃には「細くて本数の少ない」薄毛になってしまうのは当然だろう。

 1日2回も洗髪しないと「キレイ」ではなく、もてない女の子になってしまうという「強迫観念」を植え付けて、「このシャンプーを使って、整髪剤を使えば、薄毛にはならないから大丈夫」と宣伝してシャンプーを売りまくり、薄毛にさせておいて、今度はウイッグを売りまくる。

 資本主義の阿漕さは何としても許せない。人間の「生物としての本質」に逆らうような売り方を規制する法律はないのか。
 
 宣伝に乗せられる子どもたちを、もっと賢くする教育をしてほしいものだ。数学だ、物理だよりずっと大事な「人生講座」のはずではないか。 

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2010年9月12日(日)
教育格差は世界有数を証明

  「教育予算、日本また最低」の大見出しに「やっぱり!」と思いながら読んでみた。
 「OECD調査」によると、2007年の日本のGDPに占める公的教育支出の割合が、3.3%で、加盟国のうち比較可能な28カ国中最下位だった。と書かれている。
 07年だけでなく、03、05年調査でも最下位で、04、06年はワースト2位という不名誉な結果になっている。

 今年は、中国に2位の座を明け渡すらしいが、それまではずっとGDPは世界2位の国だったはず。国民総生産は世界2位にもかかわらず、教育にかける金は28位とは恥ずかしい限り。国民の大部分は労働者であるわけだから、いかに労働者を大事にしないで、金儲けにばかり熱中しているかを、世界にさらしていることにもなる。

 今までは、戦後の復興期から始まり高度成長期ということで、国民全体が貧しく、みんなが上を見ながら頑張ってきた時代だから、何とかやってこられた。
 しかし、これからは上を見ても天井につかえそうで「あそこまで上るぞ!」という気分にはなれないだろう。現に「親世代よりいい生活は望めない」と感じている若者が多いのだから。
 
 親世代の作った資産や家庭環境で、それぞれの家族に「格差」が生まれてしまった。今の若者からすれば、親世代ではなく祖父母世代かもしれないが。
 とにかく、うまく成長の波に乗れた家族は、それなりの生活が保障され、教育水準も高くできた。
 しかし、その波に乗れなかった、または乗っていたが何らかの原因で落っこちてしまった家族は、生活も保障されず、教育などに金はかけられない状況にあって、大学進学はおろか、高校も行けるかどうか心配な状況におかれている。

 個人的努力で、子どもの教育を支えてきた今までの日本とは、全く違った発想をしていかないと、日本の教育水準は保てないところにまで追い込まれているのではないか。
 「貧困の再生産」といわれる現実をどう考えていくのか。これを打ち破るには「公的教育資金の投入」しかない。
 高校の授業料無償化は一歩前進かもしれないが、授業料だけでは解決しない。制服、学用品、修学旅行積立金、昼食代、などなど。高校に通うためには諸費用がかかる。それが払えなければ、授業料が無償化されても高校進学は難しい。

 バイトで稼いで高校へ行くとなっても、夜間高校が減らされていたり、バイト先が夜間高校と両立しにくかったり、夜のお仕事しかなくて高校生が誘惑にさらされたりと、働きながら学んだり、学びながら働く条件も整備されにくくなっている。

 教育によって今の生活が変えられる。そのための支援が整えられている。そういう国になれば、結果としてOECD調査での「学習到達度調査」結果が上位になるだろう。
 金も出さずに、教員の尻ばかりたたいていても、結果はついてこないことを肝に銘じてもらいたい。そうでないと後輩達が気の毒すぎる。精神を病む教員がますます増加するだけになるだろう。

2010年9月12日(日)
おばあちゃんは、髪が多いと好かれるのか?!

  相変わらずかつらのCMが続いている。余程売れるのか、最近は会社が増えたようで、CMも代わるがわる出てくるようになった。
 今までは「若く見える」がウリのポイントだったが、最新版では「おばあちゃんが孫に好かれる」バージョンができた。
 つけるのが簡単だというのは、従来のCMと同じだが、つけた後に孫らしい子どもを登場させて「おばあちゃん大好き」と言わせる。

 自分が孫に「おばあちゃん大好き」などと言われたことのない意地悪ばあさんが、ひがみ根性で見ているせいか、すぐに突っ込みを入れたくなってしまう。「髪が多けりゃ孫に好かれるのか。そんな単純なものか。見かけで人を判断するような孫に育てて満足か」と。

 年を重ねてくれば、誰でも髪は薄くなるだろう。特に若い時から白髪を気にして染めていたり、近頃流行りの茶髪などにしていた方は、余計に薄くなるらしい。
 生来のズボラのこちとらは「髪を染めると薄くなる」との情報に力を得て、カラーリンスを少ししたくらいで、全く染めたことはない。それでも前の方が以前に比べると薄くなった感じがする。「見かけで勝負をしない」のポリシイだから、かつらを買おうなどとは毛先ほども考えないが、見かけを気にする方は、CMを毎日見せられたら、考えてしまうと思う。

 「見かけで決めて何が悪い」というようなCMが以前流行ったことがある。あの頃は「見かけ」で決めることに抵抗がある社会情勢だったから、わざわざ大声で言う必要があったのだろう。しかし、今では「見かけ」で決めるのが「当たり前」になりつつあるから、若い人に対しては言う必要がないのだろう。代わって手つかずにある高齢女性に目をつけたわけだ。

 今までだったら、孫との「人間関係」で結びついているから、見かけなどは関係ないと自信を持っていた「ばあちゃん」連中も、CMの攻勢にさらされると自身がぐらつき「やっぱりかつらを買った方が良いかしら」などと思い始めることを狙っているのだろう。

 人の弱みにつけ込んで、阿漕な商売をすることは許せない。以前にも書いたように思うが、CMでは値段のことは全く触れない。いざ買おうとすると、年金生活を圧迫するくらいの値段だと聞いたことがある。それでも買いたい気持ちにさせてしまうから、CMは恐ろしい。

 その結果、CMにあるようなかつらを買えるばあさんと、とても買えないばあさんで、またまた格差が生まれる。
 ツッパリばあさんで「あんなものは見かけだけ。中身で勝負が本来だ」とうそぶいていられれば関係ないが、そうでない人の方が多いと思う。その人達には、またひとつ嘆きの材料が増えることになる。

 あれこれ、あれこれと、それでなくても「金のない辛さ」があるのに、またまた金のない辛さを思い知らされるようなCMは、断然許せない。

2010年9月11日(土)
気の毒なサッカー少年
 公園で毎朝体操をしていると、いろんな風物が見られる。
 夏休み終わり頃から、気になる親子を見かけるようになった。「サッカー少年とパパ監督」と仮に名付ける一組。

 それまでも「野球少女とパパコーチ」は、数組いた。特に目につく一組は「ステージママ」ならぬ「グランドパパ」的な一組。毎朝トレシャツに身を固めたパパと、長い髪を後できりりと結んだ女の子。定時に来て、守備練習と打撃練習を、スケジュール表の順序通りにやっていく。3年生くらいの子どもは、なかなかスジが良さそうで、イチロー並みにバットをまわしては打っている。コーチのパパも、テニスボールのリサイクルらしき特製ボールを手作りし、あれこれ身振りを交えて指導に余念がない。「グランドパパが・・・」とは思うが、熱心さには頭が下がる。

 今回加わった「サッカー少年」は「グランドパパ」の一組とは大違い。やはり3、4年生と思われる少年は、サムライブルーが使用しているようなボールを持って、全日本の○○選手(ばあさんは背番号と名前が一致できない)のユニフォームを着ている。ただし、ちょくちょく一人で来て、つまらなそうにボールを蹴ってみたり、リフティングをしたりして、ものの15分も居ないで帰ってしまう。

 時々はパパとおぼしき男性が来ることがある。これがまた、眼鏡に髪は七三、色白の細面という「運動オンチの秀才」を絵に描いたような方。全日本の監督並みに、背広に革靴のいでたちで、何か講釈は言っているが、本人は絶対にボールにさわらない。「野球少女」のパパとは真逆の存在。
 なぜ、子どもにサッカーをやらせているのかは分からない。とにかく、朝の15分を公園に行かせてボールにさわらせていれば、サッカーがうまくなると思っているのだろうか。
 
 子どもなんて生きものは、オモシロイコトには飛びついて熱を入れるが、面白くなければすぐに飽きてしまうものだ。あきさせないための工夫はおとながやらねばならないこと。しかし、秀才パパにはそれが分かっていないらしい。あまり上手でないサッカーを子どもに見せたくないのかも。ビジネスマンとしては一流らしい様子だから、子どもに対しても厳しいことを要求しているのだろう。そのパパがボールを蹴ったらあさっての方へ飛んでしまうのではこけんに関わるから、やれないのだろうと勝手な推測をする。

 先日は、見かねて体操仲間がパス練習の相手をしてやった。すると、今までの仏頂面が一変して、ニコニコきゃーきゃーとボールを蹴った。体操仲間が特にうまいわけではないし、じいさんだからボールが正確というわけでもない。しかし、自分の蹴ったボールがそれなりに返ってくるのと、拾いに行かねばどこまでも転がってしまうのでは、熱の入れ方が違ってくるというもの。
 下手でも良いから、せめてスニーカーくらい履いてきて、ボールを蹴ったら良いのにと思ってしまう。

 「秀才パパ」の連れあいだから「秀才ママ」だろうが、そっちはどうなっているのだろうか。「あなた。一緒にやってくださいね」くらい言えばいいのに。黙って「監督」をやらせているのはなぜなのだろう。

 ひとんちのプライバシーには踏み込めないが、お節介ばあさんとしては乗り込みたい気分。

2010年9月4日(土)
二人の誓いを繰り返していれば・・・

  「2人の誓い、もう一度」「挙式した夫婦招き『更新式』」の見出しに「何のこと?」と思い、読んでみた。銀婚式とか金婚式の類かと思ったが、写真からはそういう雰囲気ではないものが伝わってきたので。

 カトリック教会で挙式したカップルの"その後"を支えていきたいと、名古屋の教会で始められた行事とのこと。
 教会で挙式したカップルに呼びかけて、毎年1回集まってもらい、「結婚式」でのあの「私たちは夫婦として・・・順境の時も逆境の時も・・・互いに愛と忠実を尽くし続けることを誓います」という誓約を、初心に返り、更新してもらうということで、今年は43組150人以上(子どもを含む)が参加したが、その大半はカトリック信者ではないと書かれている。

 カトリック教会の場合、少なくともどちらかが信者でないと、教会での結婚式は認められていないと思っていたが、この教会では双方ともに信者でなくても挙式してもらえるようだ。結婚講座に出ればokということになっていると、ネットには書かれていた。
 日本の教会は信者の絶対数が少ないので、司祭が許可すれば認めらる教会があるとのことで、この教会が例外ではないらしい。認識不足だった。
 昨年第1回を開き、77組218人が参加したとのこと。

 参加者の中には、2人がもめて「もう別れようかなあ」と思っていたけれど、再び結婚の誓いを新たにしたので、もう一度頑張るという方も居ると書かれている。
 小見出しにある「結婚式は1日 結婚生活は毎日」だから、結婚式では幸せだった二人が、結婚生活では思い通りに行かないことも多いのが当然。「更新式」によって、少しケンカ気味だった二人が仲直りできる例も多いらしい。

 人間は忘れっぽい生きものだし、どんなに感激したことでも、時間が経つと薄れてしまうから、何かのきっかけを作って思い出すことが大事なのだろう。
 教会では夫婦の問題を重要だと考えているとのことだが、結婚前には結婚講座を開いて、二人が長い年月共に生活して行かれるかどうかを考えさせるが、結婚してからは夫婦の関係性についての講座はあまり開かれていない。互いの努力に任されている。

 参加者の中には「毎年参加したい」という人も居たらしい。昨年、今年と続けて参加した人も居るとのこと。
 「参加しよう」という合意が二人でできること自体が、継続への力になるだろうから、参加した人は大丈夫だろう。むしろ、式に参加しない人や参加できない人が、問題を抱えているのではないか。今後は不参加者に対する働きかけが必要だと思う。

 名古屋での成功例にならって、他の教会でも始めるだろうか。「わざわざそんなことをしなくても・・・」とか「夫婦の問題は個別に対応した方が・・・」とかいう意見も聞こえてきそうだが、大勢集まることに意味があると思う。
 「みんなで渡れば・・・」ではないが、こんなに多くのカップルが努力していこうとしているという実感がもてれば、自分たちも・・・と考えやすいのではないか。
 人間は個別では弱い存在だから、仲間の力が大きいと思う。こんな取り組みが広がれば、安易な離婚が減るかもしれない。

2010年9月1日(水)
ベルリン空襲記憶の教会修復される

  「空襲記憶の教会壊さずに修復へ」の見出しと、名前は忘れてしまったが、20年程昔ベルリンに行った時、見学した記憶のある大きな教会の写真が懐かしく本文を読んだ。

 第2次大戦中に連合国の空襲を受け、崩壊した状態のままでベルリン中心部に建ち続ける「カイザー・ウィルヘルム記念教会」が正式名称。読んで「そうそう。そんな名前だった」と思い出した。固有名詞を覚えるのが苦手だから、ベルリンの空襲にあった教会としか記憶がなかった。
 9月から大規模な修復工事が行われ、痛みの激しい外壁中心に修復されるとのこと。

 ベルリンに着いてバスを降りると、そこは、東京・銀座みたいな場所。店が並び人が行き交っていた。その真ん中に、周りとは全く異質の、ススで黒くなった壊れかけた教会の建物がどっしりと建っていたのには、一瞬目を疑った。50年前と今が同居している風景は、日本ではあまり見たことがなかったから。

 ヨーロッパには、日常生活の隣に「歴史」がある場所は多いようだ。
 今でも印象に残っているのは、イタリアの「トレビの泉」。ビル群の角を曲がったら、突然「トレビの泉」が現れた。私のイメージでは「歴史」が現れるには、それなりの環境があると思っていたから、「20世紀の裏には、18世紀があるのよ」と言われたようなショックだった。

 ベルリンの教会は、トレビの泉に比べればずっと「今」に近いが、それでも50年くらい前で、ほとんど「歴史」になりかかっている建物。今の同じ場所には「空襲」の「く」の字も感じられなかったので、余計に違和感が強かった。
 外観を見ただけで別れるはずの教会だったが、ひょんなことから中も見ることになった「忘れられないエピソード」もよみがえった。

 自由行動の半日を有効活用しようと、仲間数人で「シャルロッテンブルク宮殿」を見に行ったが、私だけが仲間からはぐれ、後数時間で空港に行くため、一人でホテルに帰らねばならぬ羽目になった。
 仲間と一緒だからと、のうてんきにホテルの名刺も持たずに出かけたので、どこへ帰ればいいのかも分からず、さすがののうてんきも、頭が真っ白になった。
 かろうじて思い出したのが、この教会だった。むろん名前は分からない。ありったけの知恵を絞って、まず日本人とおぼしきギャル2人連れに名前を聞き、かろうじて通じる英語でタクシーに乗り、教会の前についた。

 「ここまで来ればホテルは分かる」と、真っ白の頭に血が通い「私の普通」に戻った。それとともに「何でも見てやろう」精神も復活し「集合時間にはまだちょっとあるから、中を見ていこう。このまま帰るのはもったいない」とばかり、予定にはなかった「見学」をしてしまった次第。
 天井のモザイク画が素晴らしかったが、空襲によると思われる破損がひどかったのを残念に思った。
 新聞には「年間100万人が訪れる」ベルリンの名所だと書かれているが、私の入った時は、夕方近かったせいもあるのか、混み合っているという印象はなく、静かに見学できた。

 東京大空襲の戦跡が同様に残っているかとネットで調べたが、残念ながら見つけられなかった。「戦災資料センター」にあるのは、建物に入る大きさの「遺品」の類になってしまうだろうから、どーんとそのままの建物がどこかに残っていたら良かったと思う。
 現地に残る建物には、遺品や写真では伝わらない迫力がある。日本は木造で焼け残るものが少なかったから、やむを得ないのかもしれないが「生き証人」として残っていてほしかった。 

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