年金者組合で「年金者まつり」なるものを毎年開いている。何かと言えば「高齢者版学芸会」といったところ。「老人会」でも「芸能大会」とか「お楽しみ集会」を開いているようだから、それの「年金者組合」版だ。
「学芸会」だから、見るだけではなく、自分たちも何かやらねばならないらしい。区ごとに時間の割り当てがあるようだ。
我が区はインテリが多く、かつての「活動家」という方も多いらしいが、こと芸能になると尻込みする人が多いようで、呼びかけても集まらないらしい。何しろ、役員になりたてだから「歴史」を知らず、よろず「らしい」とか「ようだ」になるのだが。
ここ数年は「コーラス」と称して、直前に何回か集まって練習した歌を歌っていたようだ。今年もそれでお茶を濁すことになった。
役員になったからにはと「歌は苦手でも、手芸は得意とか、道具を作ることならできるという組合員もいるだろうから、衣装とか小道具とか作るから手伝ってくれという、呼びかけをしたらどうか」と提案したが、一向に動く気配はなかった。
年金者組合だから当然だが「60ヒヨッコ。70見習い。80やっと人並みで、90過ぎたらいたわられ」の世界だから、ヒヨッコの言うことはほとんど通らない。
切り捨てての60代だが、それでも四捨五入すれば80になる人と比べると、何ともまだるっこしい論議になっている。
見かねて発言しても、一向に聞き入れる様子が見られない。「活動」ばかり続けてきて、心が生きていないせいか、発想の転換が難しく、自分の考えで進めることはできても、別の意見が出たときの対応ができない。あれも一種の「認知症」ではないかと思ってしまう。
というわけで、妥協に妥協を重ね、やっとお客さんを笑わせるような、簡単な振りをつけてのコーラスが完成し、いよいよあさってには発表にまでこぎ着けた。
ところが、役員の中に最後までの「抵抗者」が居る。「ほんの数回練習しただけで、歌を聴かせようなどとはおこがましいから、ずっこけをやって、お客さんが笑ってくれたらそれで成功という路線が大事」と説得し続けたのだが、謹厳実直だけが取り柄の、長年の「活動家」にとっては、自分を崩すことができない。お客さんに笑われるなどは、我がポリシィに反するとばかり抵抗する。笑わせるには、当人が大まじめでおかしいことをやる必要があるのだが、それができずに、本人が照れてしまうから、見ている方に「お気の毒」との印象を与えてしまい、笑ってもらえない。
笑いは、今最も重要視されている「ボケ対策」のひとつでもあるのだから、組合役員としては、率先してやってもらいたいのだが・・・
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