テレビを見ていると「安さ競争」がますます激化している様子がよく分かる。
袋いっぱいでいくらというのは、もう話題にもならないほど一般化してしまったのか。きょうは、ステーキを注文すると、スープとサラダが食べ放題になる店とか、ビールのお代わりのたびに、店自慢の餃子が付いてくる店、などなど。まともに定価で買ったり、食べたりするのがバカバカしくなる状況を映し出していた。
そんな昨今。近くの障害者作業所で恒例になっている「チャリティコンサート」のチケットが、予定の2/3ほどしか売れず、このままでは活動費の捻出がままならぬどころではなく、赤字を抱える羽目になると悲鳴を上げている。
自身の財布と相談すると、3500円のチケットは「高い」との印象があるので、今回は遠慮しておくつもりだったが、赤字になるのは見過ごせないと、協力することにした。
「不景気になっているから、チケットが売れないのよ」との声があって気になった。
「市民劇場」の会員が減少しているのも、不景気が関係しているという。
確かに、財布の紐を締める場合の筆頭は「文化・娯楽費」になるのだろう。食費はどうしても削れないし、光熱水費もなかなか削りにくい。
しかし、それをやむを得ないと認めてしまって良いのだろうか。
芸術は大量生産できるモノではないから、デフレだからと簡単には値下げできない。
しかし、値下げしなければお客さんが来てくれないから、生活費を別の場で確保して、チケットを下げることになる。その結果、練習時間が充分取れず、完成度の高い発表ができなくなる。
ヨーロッパなどでは、芸術を保護するために税金を使っていると聞く。
日本では会員制の「手作り芸術活動」の入場料にまで税金をかけることはあっても、保護するための税金投入は微々たるものらしい。
日本という国の文化度を問われることになるのだが、あまり議論にならないのはどうしてなのか。
「芸術」は、金持ちのお遊びとの認識が根強いのか。政治経済の中心にいる日本の男達が、芸術などは「女・子どもの遊び」くらいにしか思っていないのか。
エコノミックアニマルと言われて久しい日本国の体質は、まだまだ変わっていないどころか、デフレでますます強固になっているように思う。
このまま腕をこまねいていたら、金儲けだけを至上命題とする、心の貧しいおとな達の社会になってしまいそうで、不安になってくる。
衣食足りて礼節を知るとは言うが、餓えるほどには食が足りていないとは思われない、衣もそこそこ足りていると思われる日本人が、なぜ文化には金を惜しむのか。
心を大事にしない民は、何処かで「心」にしっぺ返しをされると思うのだが。
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