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2010年5月31日(月) |
チンパンジーも弔いをする?! |
「カメルーンにも弔うチンパンジー」「『母』埋葬に数十匹参列」「孤児育て群れで尊敬」の見出しに、死んでいると見えるチンパンジーの向こう側で、泣いているようなチンパンジーの群れの写真。確かに、死を弔っていると見える。
死を弔うなどという文化的な行動は、人間だけかと思っていたので「へーっ」と感心してしまった。しかし、考えてみれば、ネアンデルタール人などのサルからそう遠くないと思われる人類の祖先がすでに埋葬をし、花などを手向けてやっていたらしいとの記事を見たことがあるから、チンパンジーが弔っても、そう不思議なことではないのかもしれない。
ギニアの野生チンパンジーが、幼い子どもの死骸を、ミイラ化しても持ち歩いている事例の報告があった。テレビでの放映も最近あった。これも死者の弔いだと推察されている。
今回はカメルーンでのことで、実際は2008年9月のことだったそうだ。今回この弔いがあったチンパンジー保護施設の所長が、取材に応じたのだとのこと。
ドロシーと名付けられたチンパンジーが死んだので、センターでは葬式を計画した。ドロシーを施設の外に運び出すと、数十匹の仲間が次々に近寄ってきて、いつもならばせわしく動き回るのに、沈黙を守ってじっとドロシーを見つめ、埋葬が終わるまで一匹も立ち去らなかったのだそうだ。所長は「彼らは明らかにドロシーの死を弔っていた」と振り返ったとのこと。
仲間の死を弔うというのは、どんな心理状態なのだろうか。少なくとも、生と死についての理解があるということになる。生きていれば自分たちと一緒に行動するが、死んだら自分たちとの行動はできなくなり、やがては身体がくさって無くなっていく。という現象的なことの理解があることになる。
他方、死んだ仲間の今までの行動についての記憶があり、自分と相手との関係性についても、思い出として充分残っていることになる。
小さいときにドロシーを守ってやっていたナマという雄は、身体を揺すって眠りからさまそうとするかのように、彼女から離れなかった。埋葬が終わるまで立ち去らずにいた中には、ブブールという、彼女が息子のように面倒を見ていたチンパンジーもいた。などの記述がある。少なくとも、人間がそうするようし向けたわけではなく、彼らが自発的に行動したらしい。
死者の弔いがチンパンジーにもあるとすれば、人間だけだと威張ってはいられない。人間とチンパンジーは、DNAの95%とか98%が共通しているそうだから、チンパンジーにはなくて、人間だけに突然現れる行動は殆ど無いのかもしれない。
あまり威張れなくなっている人間だが、せめてチンパンジーに笑われないような存在ではありたいと思う。
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2010年5月30日(日) |
ポリスも人の子ポルノの子 |
以前「教師も人の子ポルノの子」というタイトルで、教師の買春事件を批判したが、今回は警官の買春事件だ。
「専門家『身内に甘い』」「県警の姿勢疑問視」「捜査員からは怒り、落胆」との見出しがあったが「高津署員・児童買春事件」は、見出しが小さかったので、何についてかが一瞬では分からなかった。
生活安全課の巡査長が買春したというのだから、確かに「捜査員からは怒り、落胆」が出るだろう。
本人を逮捕せずに書類送検だけにした、県警の事件処理が「専門家『身内に甘い』」との疑問が出された理由らしい。少女が19歳と自称していて「18歳未満との認識がなかった」場合でも、生年月日を確かめるなり、身分証明書を見るなりして、年令確認をすべきで「外見が18歳以上に見えたとしても言い訳にならない」との判断が下るケースで、一般的には逮捕になるのだとのこと。だから「身内に甘い」という見出しになるわけだ。
「そもそも警察官が、出会い系サイトを利用していたことが問題。世間は警察官に、自分を厳しく律することを期待している。職業倫理としてどうなのか?」と、ネット犯罪に詳しい専門家からの指摘も書かれている。
確かに、警官が出会い系サイトを利用していては、取り締まりができないだろう。自分で自分を取り締まらねばならなくなる。
銀行員が金にルーズで、キャッシングをバンバンして、督促が来ているようでは、銀行の信用は丸つぶれになる。と同じように、買春を取り締まるべき立場の警官が、買春していては、取り締まれなくなる。「捜査員からは怒り、落胆」が出るのも当然。「お前らもあいつと同じ事してんだろう」などと言われたら、捕まえるべき相手を捕まえられなくなってしまう。
ここにも前回の教師同様、ポルノに教育されてしまった男の姿を感じる。児童買春を担当していたらしいから、毎日毎日買春した男や、参考人として連れられてくる女の子に接していたのだろう。そのうち、世の中全部が買春していて、自分だけがやっていないような錯覚にでも、とらわれてしまったのではないか。自分だけ損をしているような気分で、やってしまったのではないのか。
そうでなければ、自分は取り締まる側にいるのだから、自分だけは特別で、他の人はやってはいけないが、自分はやっても良いのだという錯覚を持ってしまったのか。
教師にも似たことがある。子どもたちには交通ルールを守れとか、何をしてはいけないとか言っているが、そういう本人がルールを無視したり、いけないことをやったりする。自分は教師で教える側だから、特別なんだという「おごり」のようなものが身に付いてしまうらしい。
警官にも同様のことがあるのではないか。権力の末端にいるから、自分だけは何をしても良いのだとの「おごり」があったとしたら、何とも情けない話だ。
多分、この警官も辞職するだろう。何か不祥事があれば、本人の首を切っておしまいにする体質のようだから。それでおしまいにするから、いつまで経っても不祥事が無くならないのだと思うが。
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2010年5月30日(日) |
ブロッキングが始まるらしい |
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「児童ポルノ迅速に遮断」「サイト削除・摘発待たず」「政府が骨子案」「管理団体の在り方焦点」の見出しで、政府案としては、ネット上のポルノ掲載には、ブロッキング実施の方向で正式決定するらしい。
警察庁と、総務省、業界などの意見が分かれていると報道されていた。サイトのサーバーが海外にあったり、所在不明だったりした場合に「緊急避難」的にブロッキングを認める見解だった総務省・プロバイダー側を、「即時遮断」を求める警察庁側が押し切ったようだ。
先日は、テレビ報道のニュース番組で、歌手のアグネス・チャンさんなども出てきて、児童ポルノを禁止すべきだと言っていた。
即刻禁止すべきは当然のことで、ネット上に出すこと自体許されることではない。
被害女性の「画像拡散おびえ続け」という言葉にもあるように、自分の過去が忘れられず、恋愛も結婚もできないと考えている女性も多いと思う。女性だけでなく、男性にも同様の問題がある。
即刻禁止すべきという意見には全く賛成しながら、何か喉に引っかかっているような違和感があるのは、人権に配慮しない軽蔑すべき犯罪行為だが、刑罰だけで何とかしよう、取り締まることで無くなると考えている様子が、見て取れることにあるのだと思う。
罰則で取り締まるという考え方は、上から押さえつけるという考え方に通じる。
現役だった頃には「生徒指導」などという係をしたこともある。毎月「学警連」などという会合があり、警察署へ出向いていったこともある。
生徒の服装チェックなどということをしたこともある。そんなときには、できるだけ対話をして、自ら服装を正してもらいたいと考えていた。
しかし、説得を続けていることに業を煮やした相棒の担当が、変えてこなければ服を取り上げるぞと脅して、即日服装を正したのにはガックリ来たことが、今でも忘れられない。
対話により本人の翻意を促すには、時間がかかる。脅したり罰を示せば、短時間で見た目の変化が起きる。有能だと思われるのは短時間の方で、対話組はモタモタしていて役に立たぬ奴と思われる。
世の中万事能率の時代だから、モタモタやっていてははじまらないのかもしれない。しかし、本当に変えるには、モタモタが必要だと今でも信じている。
ブロッキングを認めることで、モタモタが無くなってしまったら、シンから納得し変革したのではなく、表面的な変化にしか過ぎないものを、認めてしまうことになり、隙あらばと考えるだけで、児童ポルノの罪の重さを悟ったのではないから、必ず将来同じことをすると思う。
それではイタチゴッコで、取り締まりの強化を進めるしか無くなる。そうではなく、本人の考えを変えることが根本問題だと思う。
性教育さえすれば無くなるなどとは言わないが、少なくとも今のように、悪い事かどうかの認識があいまいなままに、ズルズルと流されることはなくなるだろう。やる場合も悪いことだと充分認識した上でやるだろうし、やらない者が増えることも確実だ。
人間を変えるのは、罰則ではなく教育だと信じている。
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2010年5月28日(金) |
ヤクザみたいは、本物のヤクザだったのかも |
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相撲の桟敷席を暴力団の幹部に融通したというので、親方が部屋の閉鎖に追い込まれたとのニュースがある。どういういきさつで今日に至ってしまったのか、詳しい経過は分からないし、分かる必要も感じないが、ひとつ思い当たることがある。
息子が相撲好きで、場所が始まるとテレビを占拠される。こちらとしては夕方のニュース番組などを見たいところだが、まあまあ親子の対話のきっかけになればと息子に譲って、テレビ観戦をすることにしている。
相撲が特別好きというわけではないので、いよいよ時間いっぱいになっての立ち会いまでは「ヒマー」とか「たいくつー」ということになる。
ヒマーだから、見物人にどんな人がいるのか、知った顔がいるかなどに興味が移って、桟敷席をよく見るようになった。「あの相撲記者さん。今日も来ている。お仕事だからな」とか、「あの金ぴかシルクハットのじい様、また来ている。熱心なこと」などと、勝手に批評している。たまには「あらっ。ぼんちおさむさんが来ているわ」とか「あれってペギー葉山さんじゃないかしら」などと、テレビで見た顔に出会うこともあり、それはそれで面白い。だんだん深みにはまって、誰か知った顔がいないかと探すようになった。
いつの場所かは忘れたが、ある場所で例のごとく「知った顔は・・・」と見ていたとき、いかにも刑事ドラマに出てくる「ヤクザ」みたいな顔があった。「えーっ。あの人ヤクザの幹部みたい。あんな人が桟敷席に来ているわけ」と思った。人を顔で判断してはいけないと思い、たまたまヤクザみたいな感じの人なのだと思うことにして、忘れることにしてしまったが。
今回の報道を聞いて「あれって、本物のヤクザだったのかも。あの人達が今回の報道にある幹部だったのかも」と思って、自分の勘を信じても良いのかなと妙な気分になった。 テレビの刑事ドラマに出てくるようなヤクザ顔している人達が、居るのかどうかは分からないが、あれがそうだったとすると、ヤクザ顔している幹部の人達が、実在することになる。刑事ドラマは、まんざら100%フィクションではないことになる。
それにしても、相撲に限らず、日本の芸能界や興行界では、ヤクザとの繋がりがいつも言われている。ヤクザにはヤクザの効用があり、暴対法でヤクザを封じ込めようとしたから、外国のマフィアに日本が占領されそうになっているとか、街の小さなもめ事が解決できなくなったとか、通り魔とか、ひったくり、オヤジ狩りなどの青少年の犯罪が増えたとか言っている人達もいるらしい。
いずれにしても、暴力を背景に、特定の人たちが自分たちの利益を優先させたり、不平等を持ち込んだりするのは、御免被りたい。相撲の砂かぶりで取り組みを見たいとは思わないから、それがどうなろうと関心の薄い問題ではあるが、相撲だけに限らない問題だと思うから、どういう結末になるのかには関心を持っておこう。
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2010年5月28日(金) |
日韓司教が中国で平和を祈る |
日本と韓国の司教らが、中国大連市のカトリック教会で、平和を祈るミサを行ったとの記事を見つけた。だいぶ前のニュースで「古聞」になるが、気になったので書いてみることにした。
ミサを行った理由は、トマス安重根が、中国の旅順監獄で処刑されて百年目に当たるのを記念したものだ、とのこと。
朝鮮の独立運動家だった安重根が、カトリック信者だったことは、記憶になかった。
記念館で買ったパンフレットを、改めて読んでみたら、ちゃんと書いてあった。よく読まなかったのか、読んでも忘れたのか、とにかく「平和ミサ」の記事を読んで、改めて信者だったことを認識した。
記念館のパンフによれば、安重根は、日本の右の方々が言っているような、伊藤博文を撃ち殺しただけの「テロリスト」ではなく、韓国義軍参謀中将の資格で、韓国独立戦争の一部としての行為であり、日本の法廷で裁かれるのも、戦争に敗れて捕虜になったからだ、とのこと。「伊藤博文暗殺」は、個人的テロ行為ではなく、韓国民の民意の表れだと述べている。すなわち、伊藤は韓国を脅かし、天皇が韓国にした約束とは、まるきり逆をいく行動を取り、日本の強要によって韓国皇帝も廃位されたため、韓国人は皆伊藤を仇と思うようになった。そのため、安重根は伊藤をねらい打ったのだと、裁判では述べたとのこと。
まるで眞逆の論が展開され、どちらの論を信じたらいいのか迷うところだが、国と国の問題では、反逆者が英雄の例は多いから、どちらかを100%信じ、他を100%退けないのが良いのだと思う。
追悼式では、日本による「侵略」と「植民地政策」について、中国、朝鮮半島、アジアの人々に改めて謝罪するとともに、「いのち」と「人類の基本的な権利」を守る社会作りを目標にするよう呼びかけた。と書かれている。「これは安重根の願ったことであり、また、私たち教会が果たしていかなければならない、大切な使命です」と、谷司教は訴えた。と結ばれている。
韓国の李司教は「安の没後百年になっても、朝鮮半島には戦争の危機があり、アジアのほとんどの国は軍備競争を続けている。私たちは、これに対して関心と努力が足りなかった」と語り、教会は世界平和のための使命を果たさねばならないと訴えた。とも書かれている。
中国の金神父は「今回のミサを契機に、安重根がめざした日中韓の青年達の交流などを進める活動を始めたい」と訴えた。の文章もある。
安重根は、韓国の教会では長い間「殺人者」として忘れ去られていたが、93年にソウル教区の枢機卿が、武力侵略から民族を守るための行為であり、教会の教えに反しないと、再評価する発言をしていた。と書かれているから、韓国では「英雄」であっても、教会としての評価は、20年近くにしかなっていないことになる。殺人に対しては、絶対的悪との見方が強いからやむを得ないだろう。しかし、場合によっては悪ではないこともあるのだと知った。中世の十字軍もこれと同じ考えなのだろうか。
この世のことは二の次にすることが「良い信者」のように考えられていた時代があった教会も、大きく変わっている。これを理解できない信者も多いのが、頭痛のタネでもあると思う。
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2010年5月25日(火) |
ヘイト・クライム法について |
「日本人も人種差別禁止法を」の見出しに「人種差別を法律で規制することが可能なのか?」と思い読んでみた。人間の意識を法律で規制することが可能とは思えなかったので。
『ヘイト・クライム』の著者は全く知らない方だし、ヘイト・クライムなる言葉も知らなかったので、まずはネットで調べてみた。知らぬことがたくさんあることを、また知らされた。平等とか自由とかを大事にしているつもりでも、具体的なあれこれについての知識は浅いものだ。
ネットによれば、ヘイト・クライム(Hate crime、あるいはBias crime)とは、ある人種、民族、宗教、性愛の有様など、「異なる集団に対する偏見・差別・蔑視」感情などが元で起こされる犯罪行為、とくに暴行、脅迫、殺人などの暴力犯罪を指す。となっていた。
なるほど。犯罪行為というのがミソだ。私の考えが及んでいたのは、差別的な発言をしたり、嫌がらせをするレベルだったので、法律ではどうしようもないものだと考えていたことが分かった。
アメリカの例が出ていたので、なるほどと納得できた。アメリカの差別・偏見は犯罪行為に繋がっていることは知っている。中絶反対勢力が、中絶を実施した医師を殺してしまうとか、同性愛者にたいする差別から家に火をつけるとか。とにかく、嫌みを言ったり、仲間はずれにするレベルではなく、暴力的な行為をすることは、時々もたらされる報道で知っていた。これがヘイト・クライムだという言葉で表されるとは知らなかったが。
日本でも同様のことがあることは、実感してはいなかった。右翼が街宣車に乗り、大音量のスピーカーでがなり立てたりするのは見たことがある。現役の頃は、教研集会の会場前や、宿舎の旅館前でやられたこともある。
教研集会の会場を貸さない理由に、右翼が来て近所迷惑になるからということがあることも知っている。それでホテルが罰則を受けたことは、以前の「日記」に書いた。
私の知る限りではそのレベルだったが、著者によれば「行動する保守」と自称しているグループは、相手方に押しかけて暴力をふるうらしい。暴力が器物損壊や身体的暴力までなのか、日教組並みなのかは分からないが。
器物損壊や身体的暴力でなければ、暴力とは言えないなどという気はない。大声で恫喝したり、大音量のスピーカーでがなり立てたりは立派な暴力だから、断固として取り締まってほしい、今でも「騒音防止条例」とか、迷惑行為違反とかで取り締まることは可能だと思っていた。
しかし、ヘイト・クライムによる行為を特に区別して対象にする必要があるならば、ヘイト・クライム法を制定すべきなのだろう。
世界各国では早くからヘイト・クライム法が制定・運用されてきたそうだ。人種差別撤廃条約を批准した多くの国々は、人種差別禁止法を持っているとのこと。先進国で禁止法を持っていないのは日本だけだそうだ。
もしかしたら「日本にはヘイト・クライム法を制定する必要のあるような差別・偏見はありません」と言いたいのかもしれない。
法律は、最低限の決まりだから、それ以上の道徳や倫理を持っていれば、法律は必要ないことになる。つまり、そういう法律があることは、一面恥でもある。だから、法律を制定したくないのかも。「日本は単一民族国家だから・・・」と今でも盲信している御仁もいるようだから、そういう方々は特に法律制定には消極的、いや拒否的になるだろう。
しかし、事実があるならば、恥などと言ってはいられない。法律で縛るより仕方がないだろう。政治的にも、経済的にも、くもりが出てきたときだから、人々が「敵」を狩りだして、精神の平衡を保とうとしているかのようだと著者は言う。
差別と排外主義が日本を覆い始めている今こそ、社会から差別を無くすための努力が必要で、憲法の「法の下の平等」を活用しなければ、差別は無くならない。との筆者の言葉には説得力がある。
具体的にはどうしたら法律制定になるのか。当面は見守るだけになるかもしれない。
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2010年5月22日(土) |
「負の世界遺産」修復に向かう |
アウシュビッツ収容所のことは、門の表示板が無くなった件で以前も書いた。表示板は戻ったが、その後の修復はどうなったのかと気にはしていた。
「アウシュビッツ 保存の輪」「欧州結束140億円支援 修復へ」の記事を見つけた。写真には表示板が写っている。修復された表示板か、コピーかは残念ながら分からない。そう思ってみると、なんだか新しそうな気もする。
私がアウシュビッツ収容所を2度目に訪れたのが15年くらいも前のことだから、その後の変化は分からないが、記事によれば、建物の老朽化が進んでいるのだそうだ。特に、ビルケナウのバラック群が緊急を要する状況になっているとのこと。
建物の中に入って、雨漏りの土間に立ち、収容者に見つめられている気分で食べたパンの感触は、今でもはっきり残っている。
あの時すでに雨漏りがひどく、当時もこうだったとは思ったが、このままで残していかれるのかとの想いはあった。
記事によれば、水はけの悪い軟弱な地盤に建つ木造バラック群の、礎石修復は待ったなしの状態。とのこと。やはりそうだったかとの思いがわく。
軟弱な地盤とは知らなかったが、木造のバラックが、60年余もそのままでいられるはずがないと感じていた。木で造った家に住んでいる日本人としての感覚からすれば。
現地の見学者にとっては、当分の間、当時の姿が見られなくなるのだから、残念ではあるが、今修復しなければ、永久になくなってしまうのだから、やらねばならない。
博物館来訪者は、欧州での歴史教育の重視や、悲劇への関心の高まりから増加しているとのこと。戦争を知らない若い世代が増えているため、修復に当たって、展示説明も充実させる計画。ナチス時代の歴史を説明する施設を整備するなどして、収容所が建てられた背景にも理解を促す計画。を考えているとの記事もある。
博物館館長が「来場者の増加傾向は、迫害を繰り返してはいけないと、多くの人々が考えていることを示す希望のサインだ。この場所を守っていかなければいけない」と力説している。と書かれている。
「負の世界遺産」として、守っていこうとしている欧州の姿勢には頭が下がる。特にドイツは「歴史への責任」として、資金協力要請額の半分を拠出することを決定した、とのこと。ナチスの責任を、今もって果たそうとしている姿勢を、日本も見習うべきではないか。加害責任をなんとか隠そうとする、日本の右の方々の姿勢とは大違いだ。
同じ「負の世界遺産」である「ヒロシマ」「ナガサキ」にたいして、保存のための活動はどうなっているのだろうか。
いまだに、原爆投下の正当性を教えているアメリカに気を使って、資金協力や、資料返還の要求を出せないでいるとしたら、これまた情けない話だ。
右の方々も一緒になって要求はできるはずだが、要求したとの話は、残念ながら聞かない。「大東亜戦争」と言い「東京裁判」を否定する発言を繰り返す方々が、なぜアメリカにもの申さないのか、理解に苦しむところ。
なにはともあれ、「負の遺産」として、永久に残す努力を続けていただきたい。 |
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2010年5月21日(金) |
偽たばこ あれこれと知恵絞る |
「無煙たばこOK」との見出しに「何だ?」と読んでみた。
都内限定で、煙のでない「無煙たばこ」なるものを発売するのだそうだ。たばこの葉が詰まった専用のカートリッジをセットして、味や香りを楽しむかぎたばこの一種で、法律上もたばこに該当する代物だとのこと。煙が出ないため、タールは含まれないものの、微量のニコチンは含んでいるとのJTの話。
そうまでして吸わせたいかと思うが、JTにしてみれば、たばこが売れなくては商売にならないわけだから、知恵を絞ったのだろう。
偽たばこという意味では、もっとはっきりしている「電子たばこ」というものがあることは、テレビのCMで知った。煙に似た水蒸気まで出して、いかにも煙草を吸っているように見えるし、本人もごまかされるのではないかと思うが、これは一種の「禁煙」のための偽たばことして売られているようだ。日本国内では、ニコチン含有は薬事法上出来ないため、ニコチン含有0の商品だけが販売されているからだそうで、ニコチン含有の商品も海外にはあるのだと、ネット情報で知った。
とにかく、愛煙家の皆さんはニコチン依存症であるから、ニコチンが含まれていない偽たばこでは満足できないのではないかと思うが、煙草を吸っている気分にはなれるから、電子たばこでも心理的効果があって、禁煙の方向に向かうことも可能なのだそうだ。なんだかいい加減な気もするが。
逆に煙草を吸うことに関心が向くから、青少年への影響は、喫煙人口を増やす方向に進める恐れもあるとのこと。
無煙たばこは、煙が出ないだけで、れっきとした煙草なのだとのこと。しかし、煙が出ないからとの理由で、条例で公共性の高い施設内での喫煙を禁じている神奈川県では、規制対象外。路上喫煙禁止の千代田区も、対象外としている。と書かれている。要するに、たばこ対策の禁煙処置は、副流煙にともなう「他人の健康被害」を防止することが目的で、本人については本人に任せる、ということになっていることがはっきりした。おとなを相手のことだから、それで良いのかもしれないが。
航空会社ではOKとNOに分かれたとのこと。日本航空では、周囲の快適性に与える影響が少ないとして容認する。全日空は、他の乗客に誤解を与え、快適性を損ねるとして機内では禁止。だそうだ。
吸いたい客は、日航に乗ることになるのかもしれない。再建がかかるから、日航としては大目に見るのだろうか。
れっきとした煙草ということになれば、呼気から出るニコチンについては、どう解釈すべきなのか。副流煙として、直接周囲にまき散らす煙以外に、いったん肺に入って、呼気とともに出てくる煙にも、かなりニコチンやタールが含まれているように感じるのだが。室外での喫煙後、すぐに部屋に入ってくると、本人の息が強烈にたばこ臭いという体験は、しょっちゅうしている。混んだ電車内で、乗ってきた客がたばこ臭い場合などは最悪で、逃げようがない。無煙煙草にその危険はないのか。じっくり研究してみなくてはならない。なにはともあれ、ニコチン、タールの出る煙草が無くなる日を願いたい。
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2010年5月18日(火) |
予防できるガンは予防できるように |
最近「予防できるガン」として注目を集めてきた「子宮頸ガン」の、全国初、全額公費負担、公立小学校での集団接種による予防接種を、栃木県大田原市で開始した。との報道があった。
マスコミでも取り上げられたので、ご本人が子宮頸ガンになった女優の仁科亜季子さんが、厚労省かどこかへ陳情に行った映像も見ている。洞口さんも、以前テレビで体験を語っていたのを見た。
女優さん達が公表して、啓蒙を図っているからか、予防注射が受けられるようになったことは、知っている親が多くなってきたようだが、費用が5万程度必要になるようで、なかなか庶民には手が届かない面がある。
性交渉による、ヒトパピローマウィルスの感染で発症することは分かっている。となると、性交渉をしなければ感染する可能性はないことになる。「今5万払って予防接種を受けさせるか、性交渉で感染するから性交渉をするな、と言い渡して感染を防ぐか。どちらがより賢明な選択か」と迷う親が居るかもしれない。「娘には、結婚前には性交渉があってはならない」と思いこんでいるような「頑固おやじ」の家庭は、おやじの一喝で受けられないかもしれない。
タイでHIV感染の危険が言われていたときに、売春する女達に「HIVの危険があるから止めろ」と言ったら「10年後の発病より、明日の生活費が必要だから、止められない」と返されたと聞いている。
「将来の感染の可能性のために、明日の生活費から5万は出せない」という家庭があったとしても、それを「子どもの将来を考えないひどい親だ」と、非難することはできないのではないか。
今回の集団接種は「子どものためにはしてやりたいが・・・」と逡巡する親にとっては朗報に違いない。5万出せる親の子は発症を回避できるが、出せない親の子は回避できないという不平等も解消する。
大田原市の大英断には拍手を送りたい。それにしても、大田原市には接種させようという熱心な担当者がいたのだろう。対象者が334人だけという市の規模が小さかったことも幸いしたと思う。これが横浜市などのような大きさだと、1桁か2桁多い数字になり、すぐに実施というわけにはいかないだろうから。小さな市の良さが出たという好例に思う。
それにしても、住んでいる自治体での運不運があることになるのは、納得できない。住みやすい地域はどこかの判断基準のひとつに、予防接種の範囲がどこまでかを入れてもらう必要がある。命の問題だから、順位は高くて良いはずだ。しかし、ネットで調べた範囲では「住みやすさ」の指標とはなっていないのが現状らしい。
どこに住んでいるかではなく、日本国に住んでいれば、どこにいても同じ恩恵を受けたいものだ。命の問題だから「基本的人権」のひとつであるし、日本国の国民すべてに関わる問題なのだから。厚労省には頑張ってもらわねば。
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2010年5月17日(月) |
女児に限らず男児もポルノ対象で |
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児童ポルノに関しては、1/4の「日記」で「子どもをポルノに売るとは何ごとか」と書いた。その時は、親が我が子の画像をネットのポルノサイトに投稿して、金をもらっていたことに「はらだち」してのことだった。子どもの幸せを考えるべき親が、よりによってこれ以上ひどいことはない、子どもの人権を踏みつけにしていたからだ。しかも、それが子どもの人権侵害だとの意識が無く、金をもらえなかったからと警察に相談に行ってバレたという、お粗末も良いところだったことにあきれ果てて書いた。
今回は高3の男子生徒がサイトを開き、27人もが男児の全裸などの画像データを送信し、約150枚もの児童ポルノ画像を公然陳列したのだとのこと。
高校生がサイトを開いたこともびっくりだが「男児ポルノのコレクションを自慢したかった」などの理由で投稿し、全員が容疑を認めていることにも「何考えているんだ」とあきれかえった。
世の中いろんなコレクションがある。先日見たテレビでは、ウルトラマンのブリキのおもちゃが、400万と鑑定されていた。精巧な作りだとか、材料が金だとかいうのではなく、バンとたたけば壊れそうな、子どもの玩具に過ぎないウルトラマンを、400万出しても買いたい人がいることが信じられないが、マニアになるといくら出しても買いたいらしい。コレクションが増えることが、生き甲斐になっているのだろう。
希少価値があるからと、たかが玩具に何百万もかけるのは、「そこまでやるかー」と笑っていればいいことだが、全裸の子どもの画像を「コレクション」とすることには、笑って済ませるわけにはいかない。いったんネットに出てしまった画像は、サイトを閉じたとしてもネット上に残って、あちこち一人歩きをしてしまう。どこでどんな人の手に渡らないとも限らない。本人には一生ついて回る大問題となってしまう。何としても、止めさせねばならない。人間を「コレクション」ともの扱いすることは許せない。
かといって「ブロッキング」をすべきかどうかの問題には、簡単に「すべき」とは言えない。
取り締まりたいと考えている警察庁サイドでは、今すぐにでも導入を切望しているらしい。しかし「通信の秘密」とのかねあいでは、単純にブロッキングを認めるわけにはいかない。今は「児童ポルノ」に限っていても、法律施行後に拡大解釈されれば、ポルノ画像だけの問題では済まなくなる恐れがある。
ネット業界関係者は「ブロッキングは児童ポルノ対策の一手段に過ぎず、技術的な限界もある。児童ポルノは絶対に許されないとの社会的な意識の熟成をはかる方が大事だ」と話している。と書かれている。
「社会的な意識の熟成をはかる方が大事」の考えには大いに賛成だ。個々の人間が「そんなものはやるべきではない」と考えられれば、ブロッキングの必要性が無くなるだろう。
そのために必要なことは何かと言えば「性教育」しかないだろう。
学校での性教育を閉め出して、ポルノに教育を任せた結果に、どう責任を取るつもりなのだろうか。
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2010年5月15日(土) |
夫婦別姓を阻むものは |
「夫婦別姓 阻むものは」「家族の絆 愛情と連帯こそ」「改姓の傷み・不利益への鈍感」の見出しで、弁護士で別姓問題に取り組んでいる杉井さんの論文が掲載された。
論文によれば、夫婦別姓が法制審議会で答申されてから、13年が経っているとのこと。関心を持ってはいたが、きょうの自分には関わりない問題のため、ついつい関心が弱くなっていて、答申後13年も経っているという自覚はなかった。
「姓が同一でも家族崩壊ある」や「少数者であれ人格権保障を」との小見出しが付いた内容については、いちいちもっともな論だと思って読んだ。女性が96パーセントの割合で夫の姓を名乗っている現状は、私が結婚した約40年前と殆ど変わっていないことを再確認した。変わったのは、渋々でも夫の姓に代える女性が殆どだった当時とは違って、今は事実婚を通す女性が増えたことくらいではないかと思う。
この記事をもとにして、メールマガジンで論文が載せられ、それについてのコメントが載った。
メルマガなどに関心を持ってはいなかったが、OJINなるハンドルネームの投稿者が、事実の誤解に基づく論を展開していたので、初投稿してみた。
法改正が無くても、事実上別姓が選択できているはずだというのだ。法律的には男女どちらの姓を名乗っても良いことを、別姓選択と思っていたらしい。
私自身は、数%の部類に入る「旧姓」のない女性のため、自分の問題として別姓選択ができない不合理さを述べることはできなかったので、職場の同僚にいたことにして論を展開した。
結婚していない女性は特別視されていた当時の現象として、同窓会名簿の旧姓欄に、わざわざ変わっていない姓を書いてくれた件は書くことができた。つまり「この人は結婚しているのですが、改姓しなかったので旧姓のままなのです。結婚していないのではありません」と断ってくれたことになる話。
その返事がまたふるっていて、不便を感じる機会がそんなに多いのかとか、不便を感じている人はごく少数で、彼女らはワガママなのではないかという、全くの見当はずれのことを書いているのだ。OJINとのハンドルネームから察するに、メルマガなどをやってはいても「御同類ですね」と言えるような年配者か、訳の分からぬ新人類保守なのだろう。
自分は改姓する気など爪の先ほどもないにもかかわらず、女性が不合理だといえばワガママで切り捨ててしまうような御仁で「おまえに言われたくない」と一喝したい気分になった。
少数者の切り捨てをしないことが「人権」の尊重だろうに、この手の男性は「人権」」などという言葉が嫌いなのだろう。人権などというからこの国が乱れたとしか思っていないのだろうから。
ツッパリばあさんとしては、論陣を張って相手が黙るまでねばり強く続けねばならないのだろうが、不毛の論陣を張るのは疲れるだけだから止めにしておこう。無駄な抵抗はしないのも、策のうちと思って。
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2010年5月14日(金) |
フランスではブルカ禁止が法制化される |
ブルカ禁止の状況については何度か書いたが、今度はフランス下院で「ブルカ禁止」が決議されたとの記事が出た。保守系与党がまとめた決議案に、野党の社会党なども賛成し、棄権を除く全会一致で採択したとの報道だ。
4月末には、ベルギー下院でブルカ禁止法案が可決されたとの記事も見た。ベルギーでは人口約1075万人のうち、イスラム教徒が約40万〜50万人いて、ブルカまたはニカブを着用している女性は数十〜数百人と推定されている。とのこと。人口の約6%ほどがイスラム教徒だとなると、相当な力を持つことになる。とは言え多くても数百人しか着用していないのならば、目くじらたてて法制化までしなくても良さそうな気がしないでもない。
しかし、写真を見るとまるっきり誰だか分からないし、男女の区別もつかない。写真ではピンクのスカート状のものを着ているから女性だろうと思うだけで、はっきり女性とは言いきれない。
もし、テロリストなどが変装していたらなどと思うと、数十だから、数百だからとのんきなことは言っていられないかもしれない。
テロリストとまでは言わなくても、犯罪者などがブルカを着用してしまったら、犯罪実行者が誰か分からないし、逃走の時に着用されたら見分けようがないだろう。
ブルカを着用しているイスラム国では、ブルカを着用しての犯罪などということは考えもしないのだろうか。そういう罰当たりは居ないということか。
それとも男性がブルカを着用することなどは、犯罪者といえども実行できないほどの屈辱的行為なのか。もし、そうならば、フランスやベルギーの人々が言っている「女性の人権無視」に繋がる。男性は自身が着用することは、死にもまさるほどの屈辱だと考えながら、女性にはそれを強制するのだから。
着用している女性の話が報道には載らないので、どういう気持ちで着用しているのかが分からない。全く自身の自由意志で着用しているのか、それとも「信心深い女」と見られたいから、無理して着用しているのか。はたまた、親兄弟などの強制によるのか、そこが分からないと、禁止に賛成して良いものか、反対すべきなのかいまいち納得できない。文化の違いは、思考の違いに通じているから、自分の文化で考えると間違いをする場合もあるから、軽々しくは言えない。
中世以来、キリスト教とイスラム教は、相容れない存在のようになっているから、ヨーロッパの人々にとっては、イスラム教徒は「安心できない存在」と思うようになっているのだろうか。イスラム教徒の象徴のような存在がブルカを着用している女性になるから、風あたりが強くなるのだろうか。
朝鮮人への差別がチマチョゴリへの攻撃になるのと似ているのかもしれない。などと推測してみるが、どうも納得できる答が見つからない。
個人的には、暑そうだという印象があるので、やりたいと思う服装ではないが・・・・
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2010年5月12日(水) |
雑種とミックスはどう違う |
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以前にもこの問題について書いた記憶がある。その時は、雑種を「ミックス」と横文字にして喜んでいることに「はらだち」していた書き方だったと思う。
しかし、再度この問題を考えてみると、そんな単純な問題ではなく、日本国の「格差社会」を形作っている思想に繋がっていることを発見した。
ネットで調べてみると、ミックスには括弧書きで雑種としてあった。解説を読むと、私の考えと同じことが書かれていた。
つまり、ミックスとは「異なる純血種同志」の交配によって生まれた、いってみれば「新しい純血種」のような犬のこと。プードルとブルドックをかけ合わせて「ブルードル」という新種を作ること。親がプードルであり、ブルドックであることが重要になる。ラブラドールのような大型犬とチワワのような小型犬の交配が可能かどうかは分からないが、もし可能ならば、随分珍しい犬が生まれることだろう。
ミックスなんて横文字で、要するに雑種じゃないかと考えていたのは、「その他大勢」の庶民感覚で、ミックスを飼うような方は「新種の犬を飼っているのです。純血種はもう古いのですよ」というプライドがおありになるのかもしれない。「ああ、雑種なんですか」などと言ってはいけなかったのだ。「そうですか。新種をお飼いになっていらっしゃるのですか。それはお楽しみですね。子犬が生まれたらどんな犬になるのでしょうかしら。ぜひ見せて頂きたいですわ」くらいのことを言わねばならなかったのだ。失礼してしまった。
彼らに言わせれば「宅の犬はミックスでして、雑種などではありません」ということらしい。
ミックスが純血種同志の交配に対し、雑種とは文字通り雑種で、何がなんだか分からないほどに混じり合ってしまっているということになる。
人間にたとえれば、どこの馬の骨か分からぬ庶民は皆「雑種」で、徳川家と九条家の婚姻で生まれたこどもは「ミックス」ということになるのだろう。
氏素性がはっきりしていて、しかも高い身分の素性の者同士に生まれた子は、たとえ素性が違っていても、格が上の存在になる。素性の違う者同士でも、身分が低い者同士の場合は格が下になる。
氏素性だの身分だの、格だのというものは「民主主義」のご時世には関係ないことだと思っていたが、日本国社会ではいまだにしっかり根付いているらしい。
さすがに人間を「雑種」だの「ミックス」だのと言えないので、犬の世界のことにして、溜飲を下げたり、プライドを保ったりしているのだろう。
たかが「ミックス」と「雑種」という犬の問題ではないようだ。こだわりには理由があったのだ。
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2010年5月7日(金) |
蟻の一歩でも良いから歩こう |
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2010年国民平和大行進が始まった。今年で53回目になるのだとのこと。
地図でルートが示されている。6日から行進が始まるのは東京〜広島コースで、全国では11のルートがあるとのこと。全自治体の通過を目標にした網の目行進も繰り広げられる。とも書かれている。
今まで関心は持っていたが、住んでいる地域はルートに入っていなかったこともあり、報道を見聞きしているだけにとどまっていた。
しかし、今年は地域での「平和行進」が取り組まれ、出発式には区長が挨拶するのだという。
昨年のオバマ発言以来、核兵器廃絶の問題は「声に出して言って良いこと」「右だ、左だは関係なく、誰でも言えること」のようなムードができてきたように思う。
超進歩的とは思われない行政の長が、挨拶することに違和感を感じなくなっているように変化したらしい。むしろ核廃絶を言うことがトレンドになったとも言えそうだ。
トレンド好きでもなければ、行政におもねる気もないが、自分の足で歩ける範囲での行進があるというので、参加することを決めた。
全国ルートとは全く関係ない、網の目行進の一歩にすぎない行進だが、志を同じくする仲間と歩くのは、楽しいに違いないと期待している。
NYに行っている仲間は、まだ帰国しないだろうから「お土産話」を聞きながら歩くことはできないかもしれない。しかし、毎年のように行進に加わっている仲間からは、全国ルートの話や、行進の中で体験したエピソードを聞くことはできるだろう。
大河の一滴のような、ちっぽけなちっぽけな歩みではあっても、自分が大きな流れの中にいるという実感を得るには充分だと思っている。
原水爆禁止世界大会へは参加したことがあり、世界の国々から、平和について考えている方々が集まっている中に立てた喜びは知っているが、彼らの国では何がどう取り組まれているのかは、充分理解できていない。
唯一の被爆国として、日本は特別の存在だと思いこんでいるが、日本で取り組まれている以上の取り組みがされている国が、あるのかもしれない。特別だとうぬぼれていてはいけない。
ただ見ているだけの今までとは違い、蟻の一歩ではあっても、自分もともに行動する今年は、世界が違って見えるだろう。
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2010年5月7日(金) |
100億円で何ができるか |
ピカソ「幻の絵画」と言われる「ヌード、観葉植物と胸像」が、NY競売で史上最高額の1億6百48万ドルで落札された。とのニュースを聞いた。約100億円だそうだ。
今までの最高額は1億4百30万ドルだったそうだから、2百万ドル強も高かったことになる。その時も史上最高額として報道されたのだろうが、聞き漏らした。
このところ美術品市場は高騰気味で、ロシアや中国、中東地域からの引き合いが多いと書かれている。今回の落札者は電話によるもので、誰かは明らかにされていないとのこと。個人で買ったのか、団体なのかも分からない。
知人の言によれば、平和な日本にいては分からないかもしれないが、紛争が起きるかもしれない地域に住んでいる金持ちは、今は金持ちでもいったん紛争が起きればどうなるか分からない。その時財産を背負って逃げるわけにはいかない。絵画ならば丸めて持ち出せるから、そういう時のために備えとしておくのかもしれない。日本の感覚でものを言っては当たらないこともある。とのこと。
確かに持って逃げるには絵画は便利かもしれない。投機の対象にもなるだろう。個人で買ったとすれば、本人のステイタスにもなると思う。誰かのものを盗んだわけではなし、不当に圧力を加えて奪い取ったわけでもない。正当な競売の結果として手に入れたのだから、恥じることはないし、誇りに思っても良いことだろう。他人がとやかく言えることではない。何か言えば「貧乏人のひがみ」ということになろう。
しかし、たかが有名人の絵画1枚に、アフリカなどの弱小国の国家予算以上の金をつぎ込むことには納得できない。「価値観の違い」と言われてしまえばそれまでだが、100億円もの金を、本人が見るだけの絵画につぎ込むことは許せない。個人が購入して、それを自国の美術館に寄付して、自国民やら世界中の愛好家に見せるというならば、まだ許せるが。
100億円の金があったら何ができるだろうか。「○○財団」のような機関を立ち上げ、途上国の子どもたちの人材育成に使う。優秀だが経済的に困窮している研究者を育てる奨学金を創設する。「国境なき医師団」とか、「ユニセフ」とかのような有名な団体ではないが、環境問題や福祉問題などに取り組んでいる小さな団体に、運営資金を提供する。
何をしても「ノーベル」とか、「フルブライト」などのように「○○」には本人の名前を入れれば、財団がある限り本人の名前は顕彰されることになる。幻の絵画を独り占めするよりは、余程「知名度アップ」になると思うし、名画は紛失したり汚されたりしたらそれでおしまいになってしまうが、育った人材や団体の功績はいつまでも残る。
同じ投資をするにしても、確実性や永続性ではずっと上回ると思うのだが、そういう考えは持たないのだろうか。
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2010年5月6日(木) |
690万分の37は?! |
6,901,037名分の署名を、NPT会議に手渡したとの報道があった。
国連前で、各国の団体が集めた核兵器廃絶を求める署名の共同提出式が行われ、日本原水協が中心になって集めた国際署名「核兵器のない世界を」は、690万1037人分だったと書かれていた。日本原水協の代表理事と新日本婦人の会の事務局長が、NTP再検討会議議長に就任予定のフィリピン国連大使と、軍縮担当国連上級代表に署名を手渡し、再検討会議に提出した。とも書かれている。
記事に添えられた写真を見ると、軍縮担当らしい方の胸には折り鶴のレイがかけられている。新婦人代表の後には、長崎市長の顔も見える。
署名は箱詰めにして船便で送ると聞いていたが「Japan Total 6,901,037」と書かれた横断幕の後には、いくつもの箱が写っている。残念ながら地域の代表で行った方々の顔は見えない。写真の外にいるのだろう。
新婦人のピースアクションに数回参加して、その都度50筆、126筆と集めた署名が、あの箱の中に入っているのだろうと思うと、感慨深い。地域で30筆、98筆と集めていたときは、こんなささやかな署名がどうなるのだろうという気持ちがあった。本当に大きな力になるのだろうか。自己満足にすぎないのではないかとさえ感じた。
全国で署名に取り組んだ一人ひとりのなかには、私と同じ気持ちで活動していた人もいたのではないか。街頭署名をすると、毎回虚しさが残ったものだ。通り過ぎる人は多いのに、署名をする人は1/10にも満たない。「なぜ署名をしないで、平気で暮らしていかれるのか」と、そのたびに腹立たしくなった。やればやるほど虚しさが膨らむから、班が担当になったときだけの最低の活動しかしなかった。毎回のように参加する人には申し訳なかったが、とてもやってはいられない気分だった。
690万分の37くらいは自分の力で集めた署名かと思うと「塵も積もれば山となる」を実感する。たとえ37でも0よりはまし。やらなければ0だ。
最初の目標は国民の1割だったと記憶している。1200万が約1割になる。690万は目標の半分ということになる。この結果は「成功」と言えるのか、それとも「失敗」なのか。聞いていないから分からないが、被爆国日本としての一定の成果として評価されることは間違いないだろう。
NPT会議では、イランの核問題で悶着が起きているらしいニュースを見た。初めから自国の利益への影響だけを前面に打ち出し、相手国の言い分は聞かず「こうだ」と決めてかかっていては、話しあいもへったくれもない。
歴史的に作られた溝が、そう簡単に埋まるとは思われないが、武力ではなく話しあいでなんとかしようというのが「国連」のあり方なのだから、自国の利益ばかり主張しないで、何とかしてもらいたいものだ。
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2010年5月2日(日) |
手を変え品を変えての性犯罪 |
研究会仲間から「モバゲータウン」についての話を聞いた。「出会い系サイト」の会員版だとのこと。彼女は「30歳の養護教員でーす」と20歳以上もさば読んで「会員登録」したそうだ。すると、メールが毎日のように来るとのこと。しかも、相手は40、50のおじさんばかりだとか。相手もさば読んでいて、実際は60、70かもしれないし、30代もいるかもしれない。何しろバーチャルの交際だから、実際がどうなのかは皆目見当がつかないらしい。
「隠語に潜む危険」「援助交際は『サポ・プチサポ』」「出逢い系犯罪温床に」の 見出しが、彼女の話に繋がるものだと分かった。
出会い系サイトは犯罪の温床になっているということで、取り締まりが厳しくなったり、自動的に削除されてしまう機能をつけたりして、鎮静化に向かってきたようだ。
変わって、ミクシィやモバゲータウンなどの「被出会い系」サイトによる少女売春などが横行してきたとのこと。
「サポ」とはサポート、つまり援助交際の略で、性行為を現す隠語、「プチサポ」は性類似行為の隠語。と書かれている。「サポ・プチサポ両方良いです」との書き込みは「性行為、性類似行為どちらの援助交際でも良いです」との意味で、相手を募っている書き込みなのだと解説されている。
「あちらがダメならこちらがあるよ」とばかり、規制を強化すれば抜け穴を見つけて、次々新手のサイトが登場する。つまり、いくら規制しても規制だけではこの手の犯罪は無くならないということの証明だろう。
誰でも良いから関係を持ちたいという「欲望を持った男」と、「金になれば、なんでもあり」という女が居る限り、取り締まりには限界がある。
男にも女にも「欲望」を持つことの意味と、それを行使する手段を考えさせること。つまり「性とは何か」を教育すること。これがなければ、この種の犯罪根絶は無理だろう。いくら取り締まっても、抜け穴を必ず見つける。抜け穴のないような取り締まりをするとなると、「表現の自由」だの「恋愛の自由」だのが脅かされる事態になる。
罪に対する意識が高くなって「倫理的罪」「道義的罪」についても考えるようになれば、この種の犯罪は減少するかもしれないが、いまの日本国ではとうてい考えられない。
性教育をすれば、性的欲求を持つことと、それを行使するときのマナーが分かるはず。軽率な性関連行為、好奇心による軽率な行為がどういう結果をもたらすかを知れば、性行動は慎重にならざるを得ない。「知れば実行しかねない」との誤った考えで、知らせないこと、ただ禁止することを進めていても、この手の犯罪は減少しない。
知ることにより悪用する人間が出たとしても、知らないことにより軽率な行為をする人間を上回ることはあり得ない。
麻薬・覚醒剤についての知識を持てば、近づかなくなる人間の方が、知識を持ったから近づく人間よりずっと多いと同じ理屈だ。何に限らず、知ったことにより近づく人間は必ず居る。しかし、知ったことにより近づかなくなる人間の方が多いからと知らせるはず。無知が最大の危険であることは、性に限らないだろう。
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