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2006年10月29日(日) |
大きいことは 良いことだ? |
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週末にかけて、大学時代の同窓生と会うため、子ども時代を過ごした、地方都市に行ってきた。仲良し3人組が、1年ぶりに、会員制ホテルに泊まって、おしゃべり三昧をした。
約束の時間より、ちょっと早く駅に着いたので、駅構内の物産館に入ってみた。床に大きな市の地図が描いてあったので、しげしげ見た。以前、合併で市がとんでもなく大きくなっている話は、聞いていた。しかし、地図を見てなるほどと実感した。
私が育った頃には、考えられもしなかった山奥まで、市に入っている。4つくらいの市と、6つ以上の町村が、飲み込まれている。
以前は、海辺とそれに続く台地までが、市の領域だったのに、今では、海から内陸の山脈地帯までが、市の領域になっている。
飲み込まれてしまった、旧市の職員は、支部、出張所の職員になってしまった。そして、そこの職員は、やる気を無くしているとのこと。今までだったら、自分たちの創意工夫と裁量で、住民サービスができていた。小さなまとまりで、仕事ができるから、きめ細かい、工夫にあふれたサービスができ、住民から喜ばれ、働きがいを持つことができた。しかし、合併後は、中央の指令で、何事も動くことになり、地域の特性を生かした、きめ細かいサービスがやれない。
人口密度の高い中央と、山間部では、住民の要求は全く違うのに、一律のサービスしかできない。それでは、職員のやる気がなくなるのは、当然だろう。
やる気のある職員は、辞めていき、薄いサービスを担当していても、あまり苦痛に思わない、上からの指令を黙って聞く、ハイハイ職員が残ることにもなりかねない。それが、本当に、住民にとってよいことなのだろうか。
教育基本法を変えて、政府の意志が、現場に、ストレートに入るようにしようとしている。それが通った場合、旧市の職員と、同じ現象が起きると思う。やる気のある教員は、辞めていき、今よりもっと、ハイハイ教員が、増えることになるだろう。
文科省の言うとおりに教える教員が増えれば、それが良いと考えるかもしれない。が、創意工夫をしない、ハイハイ教員は、生き生きした授業はできない。指導書のコピーみたいな授業は、おもしろくない。子どもたちを引きつける授業にはならない。学校がおもしろくなくなり、子どもたちも生き生きしない。次代をになう子どもたちが、やる気を失ったら、やる気のないおとなになる。この国の未来は、暗い。
大きいことはよいことだと、合併に合併を重ね、ついに、海から山までをつなぐ市を作り、次は、指定都市になろうと考えているとか。指定都市になれば、市独自の事業も多くなり、行政運営が自由にできるのかもしれない。しかし、その運営に、どれだけの独自性が、持たせられるのか。地域の住民が生き生きできるような、きめ細かい行政サービスが期待できるとは思えない。
高校時代の親友はそう言っていた。
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2006年10月25日(水) |
1047名の解雇者は、20年も闘い続けている |
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高尾山を守る会のチラシ 東京の喘息罹患児を示す図
「高齢者大会」で、「戦う仲間達」の報告がいくつかあった。
東京は、日本の1割の人が住み、全国から人が集まってくるから、様々な問題が起きる。そして、多彩な人たちが、いろいろの運動を起こし、解決に向かって動いている。
自然保護、公害、医療、福祉、労働問題、など、など。様々。

都立病院統廃合反対のチラシ
いくつかの報告で、自分に引き寄せて、最も怒りを感じたのは、国労解雇者闘争。
まだ、解決つかずに、問題が続いていること。北海道の方々が多いこと。くらいは知っていたが、詳しい状況は知らなかった。
報告された方は、北海道の全動労の方。北海道だけの運動では、限界があるからと、全国的な運動にするべく、17年前に単身、東京に出てきて、今日に至ってしまったとのこと。半年か、1年の予定だったが、17年にもなってしまったと話された。
昨年('05.9)民事法廷で、不法行為、不当労働行為は認められたが、まだ、相手側が、解決のテーブルに着いていない。政府、国鉄清算事業団の責任は、20年の戦いで、明白になったが、解決にはいたっていない。
20年前、40代で解雇された組合員は、定年を迎える年になっている。すでに、最高齢の組合員は、74才になった。定年とともに、年金の問題が出るが、1047名の解雇者は、給料が支払われていないし、年金も出ない。
本当は、舞台に数十人がならんで、訴えたいが、それはできない。生活がかかっているアルバイトを、休むわけにはいかないから、平日の大会には出てくることができない。
自分が今、年金に頼って生活しているので、退職後の年金が、いかに頼るべき存在かがよく分かる。老後の生活設計が、根底から崩れてしまう。
それを考えると、年金もない状況に置かれていることに、いたたまれないほどの怒りを感じた。
民営化当時の中曽根総理は、「ひとりたりとも、失業させない」と言ったそうだ。そうやって、民営化を強行した。
その結果、20年経っても、1047名もの労働者が、失業したまま、放置されている。しかも、何の補償もなく。
北海道でなくては、ダメだと言っているから、どうしようもない。この職種に変われば、雇えるのに、今までの職種にこだわるからだ。とか、いろんな言い訳を出して、使用者側は、労働者側の責任にしていると、聞いている。
しかし、その腹の中の本音は、使用者側の言うことに、ハイハイと従う労働者は採用し、そうでない労働者は、お払い箱にした。ということではないのか。誰を採用し、誰を不採用にするかは、使用者側に、一方的に権限があるのだから。歯ぎしりしてもどうしようもない。今後も、起こりうる問題だ。だからこそ、勝利してもらわねば。 |
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2006年10月25日(水) |
テレビが、本来の人間性をゆがませた |
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昨日、「東京高齢者大会」に行ってきた。
「高齢者大会」にふさわしく、参加者は皆「大先輩」という感じ。「ばあさん」と威張っていても、ほんのヒヨッコでしかないことが、よく分かった。
記念講演は、徳光和夫さん。テレビ司会者として有名な方。何と、実行委員長が、中学時代の恩師だそうだ。「なるほど。有名人が、よく引き受けてくれたはず」と納得。学校の先生というのは、何かと役得がある。しかし、それは、子どもたちから慕われていたという条件付き。徳光さんの息子さんのように、「卒リン」やりたい、と思うような教師では、どうしようもない。教委の言うことばかり聞く教師が増えたら、教師の「役得」は、無くなるのではなかろうか。君が代の押しつけをしている東京は、既に無くなりつつあるかも。人間関係の濃密さが「役得」の原動力になるのだから。
日本が高度成長期に入り、テレビが家庭に2台になり、その後3台にと増え、家族がバラバラに、テレビを見るようになった。
テレビが1台の時は、じっくり考える人間を育てたが、複数台になり、情報が飛び交うようになると、じっくり考えないで、感性で物事を捉える人間が増えた。好き・嫌い、おもしろい・おもしろくない、など、など。「おもしろい」となれば、いじめておもしろがるような番組も、かまわず垂れ流されている。その結果、感性で捉える基準が、本来の人間性からはずれてきていると思う。
テレビ現場の、ど真ん中にいる徳光さんが、考えない人間を育てた、テレビのツミについて話されたのは、意外だった。
聞いていて、「台数増えただけじゃない。15分ごとのCMと、挿入方法にもあるぞ」と、思った。
所ジョージさんが、ドラマ「私は貝になりたい」を主演したとき、シリアスなドラマなのに、CMは、愉快な所さんが出てくるので、問題になった。もう10年くらい前になってしまったが。あれほど、問題にならないまでも、似たようなケースは、今もある。
かなり深刻な社会派ドラマや、ドキュメンタリー番組でも、CMのために、深刻さや怒りや、行動しようという気力が、断ち切られてしまうことが多い。真剣に考えているのに「なーんちゃって」と、肩すかしを食らうように感ずる、場面も多い。それにならされると、真剣に考えること自体が、ばかばかしく感じられてしまう。
一応、理性派時代に育った立場でも、だんだん馴らされてきているから、物心ついたときから、「なーんちゃって」で育った若者は、推して知るべしと思う。
昨今の怒り心頭のような事態にも、声も上げず、行動も起こさない、庶民をつくったのは、テレビかもしれない。「一億総白痴化」されてしまったのだろうか。
徳光さんのしめの言葉。「人間は、謙虚になると、世の中優しく見える。」「公立学校は、いろんな子と共に学ぶ良さがある。」「子どもは、国の宝。自殺の増加は止めねばならぬ」
情報に振り回されて、理性の働きを失いかけている、オジサン、オバサン。もう一度、世の中をよく見て、子どもたちが、幸せと思える日本にするために、行動を起こしてもらえないか。
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2006年10月23日(月) |
応益負担は、殺人者を増やす |
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介護保険料の、上乗せ助成を喜ぶ、高齢女性達
また、介護殺人が起きた。70代の男性が、妻の介護に疲れたと、絞殺したようだ。
妻が夫の介護をする場合、筋力が弱いために、大変さがあるだろう。しかし、夫が妻の介護をする場合は、家事の負担もあって、より大変だと思う。今まで、家事などやったことがなかったのに、全部を自分がしょわなければならず、ストレスが大きいだろう。
だから、絞殺しても良いなどとはいわないが、そうなる前に、周囲は何かできなかったのかと、残念に思う。夫が周囲に、援助を求めなかったのだろうが。
ひとりでの介護が大変ならば、思い切って老人ホームに入れることも、選択肢として考えるべきだろう。素人の手に負えない場合は、プロに任せるのがいちばんだ。
しかし、ホームへの入所が、選択肢にできない例も多い。
入所させるのに、順番待ちで大変なことに加え、入ってからは、毎月の利用料が負担になる。応能負担が、応益負担になったから、庶民には、負担がズシンと重くなった。
私の伯母は、一昨年101才で亡くなった。特別養護老人ホームに15年くらい入所し、そこで亡くなった。
家族の居なかった伯母にとって、唯一の血縁が私だから、入所、退所の手続きも担当した。15年もの長期間入所していたが、支払いについては、一切心配なかった。伯母の年金でまかなえたので。応能負担だったから、少ない伯母の年金でも大丈夫だった。
15年間寝たきり状態だったから、寝間着以外の衣類は必要ない。外出しないから、交通費もお弁当代も、一切必要ない。その結果、退所手続きで渡された預金通帳には、葬儀には充分すぎる額の預金があった。
これが応益負担になった今なら、全く状況は変わっている。寝たきりは、介護料が一番高い。伯母の年金では間に合わず、毎月、こちらの年金から、持ち出さねばならない。それがいやなら、我が家に連れてこなくてはならない。胃蝋の伯母を毎日看護するなど、素人の手に負えるものではない。結局持ち出しで、ホームにお願いすることになるだろう。 毎月の持ち出しが、家計にひびいてくれば、「早く亡くなってくれないか」ということになる。「衣食足りて礼節を知る」のだから、衣食に不自由するようになったら、死を望むのも、やむを得ない次第ではないか。どうしようもなくて、手にかけることが、起きたかもしれない。
だれも、連れ合いや、身内の死を願いたくはない。ましてや、自分の手にかけることなど、したくもない。
願いたくない人の死を願わざるを得ないなど、これ以上悲しいことはない。しかし、現実の状況がそうさせてしまう。
そんな状況をつくらないことが、政治のあり方ではないのか。
『おばあちゃん喜ぶ』ような、ささやかな幸せを与える地方行政に、国が待ったをかける。低い基準にする方向で、国が働きかける。どうなっているんだ。この国の政治は。
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2006年10月20日(金) |
カトリック信者の神社参拝 理解不可 |
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靖国参拝を報じる新聞紙面
靖国神社の秋季大祭に、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」から、84人が昨日朝、参拝したとの記事を見た。
その中に、山谷えり子補佐官も居たとのこと。写真の真ん中に写っているのが、彼女と見える。
以前から、「国会議員の会」のメンバーとして、参拝していたのだろう。そして、今回、閣僚はだれも参拝しなかったなかでも、参拝を続けたのだろう。
彼女がいつ、カトリック信者になったのかは、知らない。幼児洗礼なのか、大学時代の受洗なのか。
私は、幼児洗礼もよいところで、生後何日かの受洗だから、言ってみれば、生え抜きの信者ということになる。
子どもの時は、他の宗教にたいする規制が、かなりきつかった。「お祓いを受けてはいけない」「柏手打って参拝してはいけない」「葬式での焼香はいけない」などと、仏教、神道への制限が、厳しかった。10才くらい上の信者は、「鳥居をくぐってもいけない」と言われて、鳥居の脇をまわって、通学したという思い出を持っているようだから、それに比べれば、いくらか緩くなっていたのだが。
子どもの時のすり込みは恐ろしい。今は、礼儀として、全て認められていることでも、心の深いところで、抵抗感がある。焼香は、失礼にならぬようするが、他はできない。団体旅行などで、お祓いがあるときは、脇によけてしまう。賽銭投げての柏手もできない。
そんな私には、山谷補佐官の行動が、どうにも理解できない。
靖国神社は、立派な「神社」である。宗教法人として認められている。合格祈願、安産、縁結びなどの「お札」「お守り」を売っている。まつられている軍人達は「神」だ。
山谷補佐官は、カトリックで言っている「神」とは違って、「霊」のような存在だから、参拝することに支障はない、と考えているのだろうか。
自分の信仰心を表すのではなく、議員としての「おつきあい」で行くのだから、支障はないというのだろうか。
どちらにしても、または、両方であるとしても、私には納得できない。
お祓いを受け、柏手を打ち、参拝する。しかし、心はカトリックのままです。で、通る話なのか。形は心を表すからこそ、東京都の「日の丸・君が代」が、裁判まで起こす問題になったのではないか。心は別で、形だけ合わせているのだ、では通らない問題のはず。
議員の「おつきあい」ならば、わざわざ行くことはないではないか。現に閣僚は全員欠席したのだから。なぜ、欠席ができなかったのか。
靖国問題に象徴される「戦争のできる国」日本の建設を、強烈に願望しているとしか思えない。しかし、それは「愛と平和」を説く、カトリックの信仰と、矛盾しないのだろうか。強烈な「国家主義」が、先の戦争を生んだことは、先刻ご承知のはずだろうが。
どうしても理解できない。
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2006年10月16日(月) |
松竹梅の医療・介護 |
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公園内のあずまやで、お茶休みする会員の皆さん
昨日、「里山の会」の例会があり、介護や看護で、なかなか参加できない会員が、久しぶりに参加した。活動後のお茶休みは、もっぱら介護と医療の話になった。
年代的にやむを得ないのだろうが、家族、親族の介護に関わっている会員が複数いる。
久しぶりに参加できた会員は、ちょうど、ディサービスの日に当たったため、参加できたとのこと。介護保険を改訂するに当たって、政府は、被介護者の選択権を広げるため、と言っていたはずだが、現実は、選択権など、無いに等しいことがよく分かる。
介護者の都合で、この日にしてほしいと思っても、順番やら、希望の調整やらが有り、結局、ディサービス側の都合に合わせねばならない。よほど、閑古鳥の鳴いている施設なら、希望が100%かなうかもしれないが、そんな施設は、赤字で廃業してしまうだろう。
都会で、高齢者が増えつつある地域だから、近くに、介護関連施設が次々できている。申し込んでも何ヶ月待ちにはならないようだが、資格のあるスタッフが、対応できているかの疑問は残る。急速に膨らんだ施設数に、人材が追いついていないのではと思う。
介護保険の限度いっぱいに利用すれば、自己負担も増えるから、できるだけ、自己負担を減らそうとすれば、最低のことしか頼めない。その時に、資格があり、熱意のある人の対応が、してもらえるか、素人のいい加減な対応かでは、大きな違いだ。
ディサービスだけの対応では、介護に限度があるから、施設に入れたいと思っても、700人待ち、1000人待ちで、いつ入れるか分からない。とても入れるのは無理だという。有料老人ホームは、次々建っているが、何千万の準備金がなければ、入れられない。 若いときから、準備金を用意しなかった自己責任。子どもに甲斐性のない親は、仕方ない。とか言うのだろうが、子どもの学費に、何千万もかかる日本では、とても、自分たちの老後の蓄えまで、手が回らなかったのが、庶民の現実だと思う。少なくとも、今、高齢になっている方々の現実に違いない。
庶民の幸せを考えるのが、政治の責任のはずが、どうなっているのか。ミサイル防衛に5兆円も使ってる場合じゃないだろうが。国民日干しにして、何を防衛するのか。
もう一人の会員は、兄さんの医療で参っていた。
肝臓病で、そのままにしておけば、いつ何が起きるか分からない状況だと、兄弟で唯一の女である彼女が、呼ばれたとのこと。看護というと、女が呼ばれるのもどうかと思う。偉そうに言いながら、女に押しつけて、男は、結局逃げるのだから。
とにかく、ほっておけないから田舎に帰って、兄さんの今後について、方々と掛け合った半月だったと、こぼしていた。役所、福祉事務所、民生委員、など。いろいろ掛け合っても、らちがあかず、最後は病院に、どうなっても文句は言わないから、延命治療などはしないで、そのまま逝かせてくれ。と言って一時帰宅した。という。
医療も改悪で、ますますおかしくなった。
松医療は、最先端治療で、最後まで丁寧に、安らかに看る。むろん、個室。
竹医療は、最新医療で、それなりに、保険を少し出る範囲で、治療する。2〜3人部屋。
梅医療は、保険の最低限しかやらないで、できるだけ早く退院させる。6〜10人の大部屋。かなり重症になっても、個室には入れない。
半分笑い話で、盛り上がったが、これからは、笑い話でなく、庶民には、梅医療が現実の問題になる。
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2006年10月15日(日) |
国民ひぼしにして、ミサイル防衛構想 5兆円 |
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「自衛隊が<自衛軍>になると、どうなるのか」という学習会に参加した。
自衛隊が、どんどん大きくなっていることは、感じていたが、数字を出して、諸外国の軍事費と比較して示されると、具体的によく分かった。
どのような手段で、増強していたのかは、はじめて知った。自衛隊に限らず、変更したいときに、ごまかす方法として使える手段だ。
海自が、輸送艦を増強したいときには、古い艦船の「更新」と称して、全く新しい、より大きな艦船を配備する。耐用年数があるから、更新するといえば、反対しにくい。そこを、巧みについて、増強を進めてきた。
空自が戦闘機を増強したいときにも、同様の手段で、以前は持っていなかった戦闘機を、配備する。
そうやって、軍備を増強するために、この10年間で、5兆円もの税金を投入しているとのこと。これは、GTPの6%になり、現在では、税収の半分は借金だから、借金無しの国家予算にすれば、10%以上になるとのこと。
軍事費は、10%以上も使い、そのために、福祉予算を削って、年金、医療、介護を、自己責任で何とかしろなどと言われては、たまったものではない。専守防衛とは、相容れない増強など、即刻止めてもらいたいものだ。
防衛費の45%は、人件費だという事実も、はじめて知った。どこの国でも軍事費の40%くらいは、人件費なのだそうだ。徴兵制ではない場合は、仕事としてやるのだから、給料を払うのは当然。そういわれれば確かにそうだ。しかし、兵隊が仕事というのは、感覚的にはなじまない。
先日新婦人新聞に、女子高生への自衛官勧誘記事があって、気になっていたので質問した。(「目で見る戦争前夜」に掲載)
男性自衛官は、慢性的に不足しているので、女性自衛官に力を入れているとのこと。高卒女子の就職が厳しいこともあり、女性自衛官は倍率が高いとのこと。今は、IT戦争になっているので、重量物取り扱いなど、ごく少しの制限があるだけで、女性自衛官でも、充分対応できるのだとのこと。
海外派遣などで、イメージアップし、学校では、憲法がきちんと教えられていないので、自衛隊の存在が、憲法違反と知らない子どもたちは、普通の就職先のひとつのように考えてしまうのだそうだ。
いろいろ問題だらけだが、それでも憲法9条があるから、これくらいで歯止めがかかっているのだそうだ。何としても、9条を守らないと、孫の「赤紙」は、現実になりそうだ。
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2006年10月13日(金) |
いざなぎ景気以来の景気って、どこの国の話? |
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景気拡大と、給料ダウンを報ずる新聞
景気が拡大を続け、戦後最長の4年9ヶ月で、いざなぎ景気を追い越す勢いだとの報道。しかし、所得はほぼ横ばいで、昨年度よりは下がっているそうだ。
経済にはとんと疎いので、よく分からないが、景気が良くてニコニコしているのは誰なんだ。
所得は横ばいから、やや落ちているということは、労働者がニコニコしているはずがない。
企業が儲かっているということは、株主が、ニコニコしていることか。投資家がニコニコしていることか。
働いている人間が、ニコニコしていないで、働いてもいない株主や、投資家がニコニコしているなんて。これっておかしくないか。 汗水垂らして生産に関わっている勤労者は、生活にキューキューとし、株を操作しているだけの投資家や、株を持って左うちわしている株主が、有り余る金を手に入れている。どう考えてもおかしい。「働かざる者食うべからず」の論理に反する。
しかも、労働者の働かせ方も、昔に戻っている。労働者が人間らしく、8時間働き、8時間眠り、8時間自由に、自分の時間として使う。こんな、基本的な働き方が壊されている。過労死が問題にされ、いくらか良くなってきた労働条件が、完全に後退している。正規雇用者の、サービス残業は当たり前として、雇用者数を計算している。
正規雇用労働者も減らして、パートやアルバイトに変え、企業は利益を上げている。これは、フェアなやり方ではない。国際競争で、アンフェアとして問題にされていないのだろうか。
以前、障碍者雇用がヨーロッパなどから問題にされ、障碍者の雇用率がいくらか良くなった経緯がある。若者の雇用を確保しないで、景気拡大と浮かれている今の状況は、絶対問題にされるはず。
若者を非正規雇用のままにしていたら、今後の日本をダメにする。 若い労働者を大事にしない国に、真の景気拡大はあり得ない。技術の継承、希望を持って働く意欲、日本を愛する心。そんなものが失われてしまったら、海外流出も今より拡大し、少子化で減ってくる労働力が、ますます減少してしまう。
残された高齢者も生きていけない。そんな日本の未来は暗い。
企業のまっとうな努力を願うとともに、正規雇用者の割合を一定以上にする法律を作り、労働者を大事にする政治にしてほしい。
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2006年10月13日(金) |
北の兵士は、何を誇示しているのか |
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休戦ラインギリギリに立つ兵士 北側に立って記念撮影
北朝鮮の核実験後、板門店への取材申し込みが殺到したため、報道陣のツアーが組まれたとの記事が出た。
写真を見ると、北の兵士が、休戦ラインギリギリの場所に立っている。しかも、南を向いている二人だけでなく、両側にも4人ずつ、合計10人もの兵士が立っている。彼らは、丸腰なのか、ピストルくらい持っているのかは分からないが、かなり異様な光景だ。
板門店は、北と南が正面から、常時向き合っている所だから、いつでも異常な所には違いない。
4年前ソウルに行ったとき、ツアーの予約をした。私は危うくセーフで、現地に行かれた。しかし、翌日のツアーは、日本海での領海侵犯に絡む会議が突然開かれ、中止された。 いつ何時、どんなことが起きるか分からないのが、板門店だそうだ。あそこは、いまだに「戦争中」の所だから、当然だそうだ。
それにしても、4年前行ったときは、向かい側の建物の前に立っている兵士だけで、建物の外にある休戦ラインギリギリになど、兵士は居なかった。韓国側では、建物に半分身体を隠して立っている兵士は、あの時も居た。横向きの兵士は居なかった記憶がある。北が増やしたから、韓国側も増やしたのかもしれない。
建物の中は、北側に行っても良いといわれ、開けたら北だから、絶対に開けられないというドアの所まで行った。
記念写真も、北側に並んで写して平気だった。いまはどうなっただろう。机の真ん中に衝立を於いて、こっから先は見るなとでもなっているだろうか。
板門店に行くと、戦争がいかに無駄使いで、いかにばかばかしいことかがよく分かる。
Tシャツはダメ。襟のある服を着ろと言われ、途中の土産物屋でポロシャツを買った男性が居た。サンダル履きも、ジーンズもダメ。女性は、13歳以上はスカートがダメで、男物のブカブカのズボンをはかされた、お嬢さんが居た。いまだに南は貧しくて、アメリカの援助を受けている。との宣伝に使われる恐れがあるからだそうだ。
服装だけではない。現地に着くと、ビシッと2列で移動しろ。傘はさすな。走るな。と、行動の制限も色々あった。雨が降ったので、傘もさせず、走れなかったのはまいった。
そんな異常な雰囲気だが、兵士がラインギリギリまで来ているのは、不気味だ。
鼻をつき合わせているような感じで、この状況で、1日中警備に当たっていたら、神経が参ってしまいそうだ。警備の終わり近くになったら「ウオー」と言いながら、相手方に飛び込んでいきそうだ。そんなことをきっかけに、紛争を起こそうとしているのか。
「俺たちの国は、核を持ったぞ。おまえ達は、まだ持っていないだろう」などという、思いあがりが、あるとしたら、とんでもない思い違いだ。
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2006年10月10日(火) |
トイレのサンダル まだ健在 |
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40年くらい前、その頃流行り始めた「チャールストン」について、若い同僚達と、職場で話していた。そこへ、もうすぐ定年という先輩が現れ、「若い頃には、踊ったよ」と、踊り出した。「エーッ。じいさんが踊れるの?!」と、異文化に遭遇したような感じを受けた。「チャールストン」は、若者に似合うダンスで、じいさんが知るはずないと思いこんでいた。しかし、その先輩も、若いときがあり、若き日には、チャールストンが似合ったはず。しかし、「人間は、20年先までしか、想像できない」とも言うから、あの時、先輩について、想像できなかったことは、そんなに責められることではないと思う。
「歴史は繰り返す」と言うが、「流行はもっと繰り返す」ことは、年を重ねるとともに、よく分かるようになった。
特に、ファッションについては、30〜40年くらいの周期で、確実に繰り返している。
靴は、またつま先がとんがって、ヒールが細くなっている。飛行機の床にへこみができると、前回は騒がれたが、今回は大丈夫なのか。ヒールの細くなり方は、前回より激しい。箸のように細いヒールがある。よくあの体重を支えられるものだ。折れないかなと、心配しながら、からだと靴を見比べてしまうお嬢さんもいる。
名前を新しくして、出ている靴もある。
3、4年前の夏。「ちょっと。いくら珍しいのが良いからって、トイレのサンダルを履いてくることはないでしょ」と、注意しそうになった靴がそれ。下駄も流行ってきていたから、木製の履き物が「新鮮」だったのだろう。我々世代には「トイレのサンダル」として、なじみのあった履き物だったから、町中を歩いている若者を見ると、「はしたない女の子」と、思ってしまった。
そのうち、布製や、革製のサンダルが出てきた。そして、それは「ミュール」という、れっきとした流行の履き物だと知った。
同世代と思われる人との会話で、「若者は、ミュールなんかはいて・・・」と言ったら「ミュールって何ですか」となった。すかさず「ほら。トイレのサンダルみたいの」、「ああ、あれ」と、一言でピタッと通じた。「やはりこの人、同世代なんだ」と確認できて、嬉しくなった。トイレのサンダルと思っていたのは、私だけでないことも確認できた。
30〜50年経つと、歴史は繰り返す。
第1次世界大戦後、約30年で、第2次世界大戦開始。
ベトナム戦争開始後、約40年で、イラク戦争開始。
第2次大戦後、60年も戦争をしないのは、すごいことなんだと、改めて思う。これは、憲法9条の縛りがあるからだ。
それにしても、アメリカは、100年以上も自国内では戦争せずに、世界各地で戦争している。他国を破壊しては、復興と称して、自国の企業にもうけさせているとも言える。
歴史は繰り返すなどと、冗談半分で言ってることではない。すごい世界戦略なんだ。
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2006年10月8日(日) |
取材源秘匿は、取材の自由上尊重されるべき |
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テレ朝の週間ニュースで、「取材源の秘匿」に関する最高裁判決を、報道した。
10/5の朝日社説でも「知る権利に応えた最高裁」として取り上げている。NHK記者が、証言を拒んだことの是非を争われた裁判で、記者の主張が認められたのだ。「憲法で保障された、報道の自由とともに、取材の自由も、憲法に照らして、十分尊重に値する」との判断。
至極当たり前の判断だと思うが、読売新聞記者にたいする、東京地裁の決定では、当たり前が通っていないのだそうだ。守秘義務を負っている公務員が、記者に秘密を教えることは、違法行為だから、公務員が情報源の場合は、その秘匿は認められないというのだ。
公務員の守秘義務を楯に、情報提供を違法とされたら、全ての政府内犯罪は、まかり通ってしまう。ウォーターゲート事件のようなことが起きても、内部告発がない限り、犯罪の立証はされず、政府の犯罪は、やり放題になってしまう。「あきれた決定」と社説に書いたそうだが、書いて当然。その判決を「そうだ。もっともだ」という人の気が知れない。
さすがにおかしいとなったのだろう。高裁では取り消され、現在最高裁に上告中とのこと。上告した検察は、どういう神経なのだろう。いったん、裁判にかけたら、自分の方が負ければ必ず上告する。メンツが立たないからなのか。仕事を増やしたいのか。今回の最高裁決定で、結果は見えているのに。
一般常識で判断して、おかしいと思うことを、法律に照らして「おかしい」と言ってくれるのが、裁判所だろう。
裁判所が、判断根拠にする最も基礎になるのが「憲法」。その憲法が今変えられようとしている。もし変えられたら、国家の「機密」については、守秘義務で「内部告発」もできぬほどに縛る。それでも、英雄的行為で、告発した者にたいして、報道側に「取材源秘匿」の義務はないから言えと迫る。二重、三重の枷をはめて、政府内で犯罪行為をしていかれる状況にしようとしている。原潜入港、基地移転費、核爆弾。等々。今でも、国民にたいする数々の「疑惑」があるのに、憲法が変えられたら、やり放題になってしまう。
今回の最高裁を武器に、変えようとする力の、向かう方向を、国民の前に明らかにしてもらいたい。
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2006年10月7日(土) |
戦争を知らない子どもたちへ |
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コンサートのチラシ と 当日のプログラム
戦争が終わって/僕たちは生まれた/・・・戦争を知らずに/僕たちは育った/・・・平和のなかを生きてきた/・・・戦争を知らない 子どもたちへ
地域の「障碍者支援コンサート」に行って来た。「障害」は差別に繋がるからと「障碍」の字を当てている。耳には同じ響きだが、目で見れば違う。しかし、漢字を変えたくらいで、差別が解消するとは思わない。痴呆を認知症と変えたように、全く別の言葉にすれば、認識にいくらか変化が起きる期待感は持つが。
近頃、グループサウンズや、エレキグループの再結成や、リバイバルが盛んのようだが、ザ・ワイルドワンズは、それとは違うグループらしい。1曲だけの大ヒットで、後は特にヒットはないまま、40年もコンサート活動をしていたのだそうだ。
1曲だけのヒット曲を聴いたら「ああ。聞いたことがある」と分かったが、グループサウンズも、エレキグループも、あまり関心のないまま、ばあさんになってしまったので、いまいち、会場の雰囲気に乗り切れなかった。
当時の名曲メドレーのなかに、冒頭の歌が含まれていた。歌詞の全ては覚えていないが、舞台に合わせて歌うことはできた。
歌いながら「すごい歌だ」と感じた。団塊の世代に、改めて聞かせたい。歌詞の意味をじっくり考えてほしい。
平和の時代を生きてきて、それが「当たり前」だと考えもしないで、今の時代に生きている。平和は、自然に手に入るものではない。先輩達の貴い犠牲によって、獲得されたものだ。
平和は、守り、育てなければ、失われてしまう。今は、失われつつあるときだ。今、踏ん張らねば、平和は失われ、団塊の世代が、高齢者になったときの日本は暗い。
孫からは、「じじ、ばばが、浮かれてばかりいたから、僕たちは兵隊に行く羽目になった」と責められ、頼みの年金は、軍事費にまわって少額になり、医療は薄くなって、早く死んでくれという、世間の風潮が強くなっている。
その時、「しまった」と思っても遅い。今なら、まだ力がある。
「つま恋コンサート」に3万5千人集まったとか。エレキグループの復活コンサートで、武道館が満員になった。3人娘のコンサートが大評判で、チケットがなかなか手に入らない。などなど。団塊の世代が、青春をよみがえらせようと、右往左往している。
青春をよみがえらせるのは、コンサートに行くことばかりではない。自分たちで、グループサウンズをやることだけではない。
若いときに感じた「社会を変えたい」「社会を変えよう」というエネルギーを、よみがえらせてほしい。
平和の時代が続かねば、障碍者は安心して生きられないから。戦争は障害者を生み出し、障碍者を排除する。
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2006年10月6日(金) |
電話セールス 撃退マニュアル |
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昨夜、また電話セールスがあった。最近は、やや減ったようにも感じるが、それでも、我が家にかかってくる電話の7割方は、セールス電話だ。
しかも、その4割は「ご主人様は居ますか」で、「奥様ですか」の6割は、夫の代理者としての妻宛電話。要するに、妻本人宛の電話は、3割にもみたない。妻本人への電話内容は、化粧品、掃除、くらいか。ごくまれに投資の話が来たりする。
とにかく、うるさいの一言。撃退法はないのかと思う。詐欺や、脅しではないから、法的に規制をかけることは、できないのだろうが。
そうであれば、自衛しかない。どうやっているのか、それぞれの知恵を公開して、より強固な自衛策を考えたい。
自衛策のひとつは、すぐ電話に出ないこと。これは、電話に出るのが遅れたら、切れたことから、偶然見つけた。とにかく、ベルが3回鳴るまでは出ないことにした。すると、次々かけまくっているような電話は切れる。10秒でも待つのが惜しいのだろう。
2つ目は、留守番を装う。「そのことについては、留守番の者で分かりません」と、相手に、とりつく島を与えない。ただし、これは、またかかってくる可能性がある。
3つ目は、「関心ありません」という。株とか、金融商品などは、話を聞く前に「関心ありません」と言って、言い終わったら、相手の言葉を待たずに切る。
今までは、これくらいだった。
昨夜は、相手の言うことに合わせて、受け答えしながら、相手に諦めさせる方法を見つけた。
「ご主人様は、居ますか」 〈常套手段だ〉
「居ません」 〈実際居ないから、ウソは言ってない〉
「きょうは何時頃お戻りになりますか」 〈帰ってこないよ〉
「戻りません」 〈ウソは言ってない〉
「いつお帰りになりますか」〈帰ったら話をしようって訳だな。無駄だよ〉
「ずーっと帰りません」 〈これもウソじゃない〉
「失礼しました」 〈諦めたか〉
まだ言ってみたことはないが、言ってみたいと思っている方法がある。
美顔などの案内が来たら、「これ以上美しくなる必要はないので」と言う。
墓石の案内が来たら「1週間後に入る予定で、買ってあります」と言う。
顔が見えないから、言いたい放題言っても良さそうだが、「人の迷惑になることはしないように」との教育が身に染みついて、なかなか言えない。良い知恵を借りたいものだ。
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2006年10月3日(火) |
振り込め詐欺 危うくセーフ |
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まだ、振り込め詐欺が続いているらしい。高齢者への被害が拡大しているとのことで、老人会などでの啓蒙活動がされているとのこと。
昨年の今頃、振り込め詐欺に遭い、危うく振り込みを免れたことを思い出す。
久しぶりに長男が来宅し、子どもの頃の思い出話などして帰った翌週に、事件は起きた。
月曜日の夜、長男から電話があった。声がいつもと違うので「どうしたの?」と聞くと、体調を壊して声が変わったという。変だなとは思ったが、話し方は長男なので、電話は切らずに話を続けた。「体調が悪くて仕事がつらい。話を聞いてもらいたいので、また電話をしてもいいか」というので、「聞くのはかまわないけど、会社には診療所もあるだろうから、そっちで話した方が良いんじゃない」と答えた。連日午前様の生活だから、そろそろ過労死につながる症状が出てもおかしくない、と思っての発言だった。すると、「母さんに聞いてもらう方が、心が落ち着くから」と言う。殊勝なことを言うと思い、「電話はかまわない」と言って切った。
火曜日の夜、再度電話があった。「昼間かけたけど、出なかったから」と言う。「昼間出かけてた」と答えて、あれこれ話して切った。
水曜日午前11時頃に電話がきた。「実は、課の金を使い込んだ」と言うのだ。さらに「きょうの午後監査が入るから、監査の時間までに金がないと、会社をクビになる」と話が続いた。
長男は技術屋だから、金の出入りに関わっているはずがない。「これは、振り込め詐欺だ」と、ピーンと来た。
「これから銀行に行くから」と電話を切り、念のため、長男の連れ合いに電話を入れた。
本人に電話すると、携帯が、繋がらないようにされている場合がある、と聞いていたので、連れ合いにした。長男が携帯番号変えたこともないし、具合が悪くて声が変わっていることもないと、確認できた。
次に駆けつけたのは、警察。幸い、家から5分ほどの所に警察署がある。銀行に行って、犯人から振込先を聞き出したら、逮捕のお手伝いができるかと思ったが、応対した警官は、「何もしないのがいちばんですから、ほっといてください。もし再度電話が来たら、警察に行ったことを、言ってください」と言う。素人が深入りしない方がよいということらしい。渋々帰宅。振り込みしないで、ほっておいた。
金曜日の夕方。「携帯電話を変えたから」と、また同じ声で電話が来た。相当頭に来たので、「もういい加減にしませんか。警察にも話してありますよ」と強い語調で言った。
それ以来、きょうまで、その手のたぐいの電話はない。昨年は、2、3件あった息子の「痴漢」話の電話もなくなった。以前はあった、息子宛の「請求詐欺」もない。
どうやら、「かも客リスト」から、我が家の名前が消えたようだ。
リフォーム詐欺には引っかかったが、振り込み詐欺は、被害ゼロで終わりそうだ。
それにしても、離れて暮らす子どもたちとは、常日頃から、連絡取り合っておかないと、詐欺につけ込まれる隙を作ることになるとの教訓を得た。
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2006年10月2日(月) |
全日聾連の役員Kさんに、叱られた話 |
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地元の聴覚障害者協会の役員と、駅でバッタリ会った。久しぶりの再会で、話題がつきず、方向が同じということで、電車内まで手話で話し続け、先に降りる彼と、ようようバイバイした。
話のなかで、全国の役員をしているKさんのことが出たので、5年ほど前のことを思い出した。
聾者と一緒に店に入るときは、自分も「聾者」になることにしていた。特に、食べ物屋さんの場合、聞こえると分かると、通訳として同行したのではなくても、注文やら何やら、全て、通訳する羽目になる。直接、聾の人と向き合ってもらいたいのに、それをしない。それで、こちらが「聾者」になってしまうことにしたのだ。
ある時、聾者の施設近くの「デニーズ」へ入った。そして、いつものように「聾者」になった。
その店には、聾者がよく来るはずなのに、いわば、お得意様のはずなのに、対応が悪かった。聞こえない彼らは気がついていないから、腹を立てないが、聞こえるから腹が立ってきた。それでも、「聾者」だから、文句言うわけにはいかず、店長の名前を覚えて帰ってきた。
その後、「デニーズ」本社に電話して、障害者への扱いを、どう教育しているのか聞いた。一応、無難な答えが返ってきた。
そこで、施設近くの「デニーズ」の店長宛、手紙を出した。聴覚障害者施設にいるKさんを訪ねて、聾者への対応を教えてもらってくれと書いた。聾者が貴店を利用しないようにさせることは、役員を知っているのでできる。本社への報告も考えている。と、脅し文句も入れて、手紙を送った。
しばらくすると、Kさんから電話が来た。そして、「聾者の真似をするなどとは、あるまじき行為です。『あの中には、聞こえる人がいたのでは』と言われて、答えに詰まった」と、叱られた。誉められると思っていたので、がっくり来た。
その時だけ「聾者」になったのではない。
対応のまずさを知ったデニーズの店長は、かわった。他の店の店長に「応対マニュアル」を教えて、喜ばれた。本当にありがたかったと、手紙をよこしてくれた。だから、良かったではないかと思いたかった。
しかし、Kさんは違った。問題があるなら、聞こえる者として、その場で指摘するべきだという。通訳なんだから、そうするのが当然だという。運動論としては、それが正論だろう。
しかし、毎回それをやっていたら、疲れてしまう。聞こえない者にたいする無理解から来る、様々な問題行動は、日常茶飯事のように、数限りなくあって、対応しきれないくらいだ。真面目に対応していたから、頸腕になったのだと言いたい。たまには良いじゃないかと、言いたくなる。
しかし、叱られたことは、今でもこたえている。正論だから反論できない。しかし、自分の思う方向に行ったことは、おもしろかった。
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2006年10月1日(日) |
親父は本当に焼酎好き? |
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今、関東地方で流されている、高級品焼酎のCMを見て、ちょっと引っかかった。
父親の墓参りに来た息子が、「親父は焼酎が好きだったからな」といって、高級感のある瓶に入った焼酎を供える。満足げに帰る息子の後で、コップが空になる。
CMのシーンを見ながら、「本当に、焼酎が好きだったのか?」と、疑問が湧いた。何でも素直にとらないのが、ツッパリばあさんの悪い癖だが。
親父は田舎暮らしだったが、息子は都会にいる様子。画面の雰囲気では、大学出らしい。 大学出すために、親父は働きづめで、生活も切りつめねばならなかった。となれば、本当は、ウィスキーのダブルを毎晩飲みたくても、大吟醸の日本酒にしたいと思っても、焼酎が精一杯だった。のではないのか。
親父のプライドで、ウィスキーや大吟醸は飲めないから、焼酎で我慢しているとは言えず、「焼酎が好きだ。九州男児は、芋焼酎に限る」などと、粋がってたのではないのか。 子どもの頃から聞かされていた息子は、親父は本当に焼酎好きと、思いこんでいるのかもしれないが、親父は本当は、何が好きだったのかと、考えてみても良いのではないか。そうなれば、CMに出てくるような、高級な焼酎ではなく、いつも飲んでいただろう大瓶の、普通の焼酎を供えるだろう。そうでなければ、飲みたくても飲めなかった、ウィスキーとか、大吟醸を供えることもできる。
そんなことを考えていたら、次の番組で、大瓶に入っている、普通の焼酎のCM が流れた。「これこれ。親父さんが飲んでいたとすればこれだよ」と、画面を指さしてしまった。毎日飲んでいたとすれば、日本酒の小瓶に入っているような、高級品の焼酎ではなく、10日とか、半月は持つだろう 大瓶の焼酎に違いない。
貧乏人の唯一の楽しみが、焼酎コップ一杯の毎日の晩酌。ささやかすぎじゃないか。
そんな生活して逝った親父の墓参りには、焼酎じゃなくて、大吟醸か、ウィスキーのダブルを供えてほしい。
貧乏人は、焼酎で良い。生きているうちは、大瓶の安物で、死んだら高級品の焼酎を供えてやる。そんな言われ方をされているようで、気分が良くない。
焼酎のCMに、墓参りなんぞ使ってほしくない。
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