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 お役所の出した「とんでも本」 9/1

人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2006年9月30日(土)
山本大臣に、具体策無し?!

          演説会の模様を伝える紙面

 土曜の朝は、また「ウェーク」を見ることになった。先週で頭に来たから、見なければいいのに。他に見たい番組が特にない。少しはましな発言をするかという期待。今以上に悪くならないように、監視する意味。そんなこんなで見てしまう。
 今朝は、3大臣が、それぞれ発言した。特に気になったのは、山本大臣の発言。
 安倍総理が目玉のひとつにしている「再チャレンジ」を担当するらしい。どんなことをするのかと思ったら、さっぱり具体的でない。

 フリーターになった人にも二通りある。ひとつは、画家になりたいから、フリーターしながら、画家の勉強をしているような人。二つ目は、大学も出て、真面目に仕事を探したが、なかなかうまくいかなかったような人。この人達のために、チャンスを作らねばならない。と言っただけ。具体的な手だてについては、何も言わない。大臣になりたてだから、具体的手だては今後考える。ということだろうが、自分なりのビジョンを持って、大臣になってもらいたいものだ。それがないから、お役人の言いなりになってしまうのだろう。

 ぜひ、具体的な手だてをと促すと、若者の話をしていたはずが、定年後のシルバーの話にすり替えてしまった。定年後、農業や漁業をやりたい人に、やれる場を考える。というのだ。こっちが必要ないとは言わないが、若者の問題が、最優先されるべきだろう。
 若者の二人にひとりは、非正規雇用だという。今朝の「朝日」一面トップで、偽装請負に、初の事業停止が、厚労省命令として出されたと、報じられている。しかし、これも氷山の一角で、非正規雇用の内容は、相当ひどいものがあるようだ。

 これのすべてが、小泉内閣の「規制緩和」の結果だとは言わないが、相当大きな責任があることは、明白な事実だろう。その小泉政権を支えてきた、安倍総理の内閣だからこそ、速やかに後始末をしてもらいたい。
 偽装請負、サービス残業、ワーキングプアー、などなど。若い労働者を、使い捨てのように扱っている、今の企業の姿勢を、正さなければ、日本の未来は暗い。

 昨夜は、友人に誘われ、共産党の演説会に行った。今朝の『しんぶん 赤旗』によれば、3千人の参加者だったそうだ。1/3000の存在だったわけだ。
 志位さんの話は、具体的で分かりやすかった。「ワーキングプアー」が、大問題になるような状況をつくった反省もなしに、「再チャレンジ」というのは、「悪政の責任を、国民の自己責任に転嫁する卑怯、卑劣なやり方」と、厳しい口調で述べたのに、共感した。
 大学を出ていなくても、30過ぎのフリーターでも、穏やかで、幸せな毎日を過ごせる。というのが、真の平和国家ではないのか。
 日本国内で食えないから、海外に出て行くという状況になったら、「満州」に出て行った、かつての歴史を繰り返すことになってしまう。

2006年9月28日(木
山谷えり子教育再生担当補佐官への祝辞

          新聞に載った紹介文

 入閣が取りざたされていましたが、いよいよ実現しましたね。
 ご自身のHPでも言われていますし、新聞に載った紹介にも書かれています。「ジェンダーフリー教育が、過激な性教育を生んだ」ことへの批判活動が、政府レベルでできるようになりました。ご自身としては、やる気充分でしょう。

 2002年、衆議院の委員会で質問し、時の女性文科相、遠山さんの「私もこれは行きすぎだと思う」の答弁を引き出しました。そして、厚生省の肝いりで作られ、全国の中学生に配布されるはずだった『ラブ&ボディ』ブックは、前代未聞の、回収・廃棄処分になりました。
 その後も、性教育にたいする質問を続け、小泉首相の「ここまでやるのは・・・」との答弁も引き出しました。
 自民党では、「過激な性教育実態調査」チームが作られ、安倍首相が、座長を務められたことは、HPで知っていましたが、山谷さんが事務局長だったことは、紹介文で知りました。

 性教育に並々ならぬ情熱をもたれているようですが、山谷さんは、「性教育」と、「性道徳教育」を混同されていませんか。
 先日判決のあった「京大アメフト事件」、その前にあった「早稲田スーフリ事件」など、性道徳の欠如に基づく事件は後を絶ちません。カトリック信者である山谷さんが、何とかしなくてはと考えられるのは、当然です。
 しかし、その気持ちを、科学的な性教育、人権に基づく性教育に向けられたのは、大きな誤りだと思います。
 『ラブ&ボディ』ブックが渡らなかったことにより、中学生は『恋いざかり おとめ組』『ヤングジャンプ』『ラブベリー』などという「子ども向けポルノ」雑誌を教科書として、学んでいくことになりました。

 過激な性教育として、性器や性交を、科学的に教えることができなくなりました。
 「統一協会」の二番煎じのような「摂理」に取り込まれ、強姦されたのに、何をされたのか分からないという、有名女子大生が出ている現状は、まともな性教育がなかった結果と思われます。性器についての科学的知識があったら、あんなことにはならなかったでしょう。いくら、偏差値の高い学生でも、教育がなければ、無知に置かれます。

 「知っていたけれど」行動してしまうのと、「全く知らなかった」まま、行動するのでは、その後の回復の仕方が、全く違うと思います。
 世界的に見れば、「科学的な性教育を受けると、行動が慎重になる。受けないと、知らないまま、無謀な行動に出る」ことは、常識です。

 『Hanachu ハナチュー』『My Birthday マイバースディ』『恋ざかり おとめ組』は、氷山の一角です。これらを教科書にさせないような性教育が、展開されることを期待します。ビジョンを、具体的に示してください。
 
 こんな手紙を、読んでもらえたらと思うが、まず無理だろう。相手は大忙しの補佐官。こちらは、一介のツッパリばあさんでは。しかも、ご自身のHPには、読者からの投稿欄がないのだから。 

2006年9月27日(水)
京大元部員3人、有罪判決

       奈良女児殺害事件を報ずる新聞夕刊

 「奈良女児殺害事件」の「死刑判決」が、一面トップで出された昨日の夕刊。その陰に隠れて、扱いが小さくなってしまったが、京大アメフト部員3人が、集団強姦した事件に、京都地裁は「1名に、5年6ヶ月の実刑。2名に執行猶予付き有罪」の判決を下した。

 女子大生を泥酔させ、集団で強姦した、同様の事件としては、「スーフリ事件」もあった。早稲田の学生を中心とする、大学生のイベント実行委員会のメンバーが、女子大生を集団強姦した事件だ。
 奈良の事件と、これら大学生の事件とは、強姦という共通点はあるが、違いもはっきりしている。「奈良女児殺害事件」が「反社会性人格障害」をもつ犯人の、どちらかといえば、特異な犯罪であるのに対し、「スーフリ事件」や「アメフト部事件」は、今の若者ならば、誰にでも起こりうる事件だという点だ。

 早稲田、立教、京大など、いわゆる「良い大学」の学生が起こした事件だという点が、非常に興味深い。
 植草教授の事件でも書いたが、どんなに偏差値の高い、いわゆる「お勉強」のよくできる子どもでも、性教育を受けなかったら、性の問題行動を起こすおとなになる、という証しだと思える。
 「お勉強」のよくできる子どもは、記憶力が良いから、いろんな情報を記憶する。読解力にも優れているから、おとな向けの情報でも、理解できてしまう。
 塾などに通わされ、勉強によるストレスもたまっている。家族そろって夕食の団らんなどという、人間味あふれる時間も、犠牲になっている。

 彼らのストレス解消は何か。企業戦士と同じで、ポルノ情報と、いわゆる猥談だ。猥談とは大げさな・・・と思われる人が、あるかもしれないが、塾帰りの子どもたちの乗る、夜9時過ぎの電車に、乗ってみれば分かる。そこで話されているのは、オヤジの猥談に近いものだ。女性との対等な人間関係としての、性関係ではなく、「欲望解消の道具」としての、女との関わりについて、語っている。ネタ元は、コンビニの週・月刊誌。乗り合わせた時には唖然とした。「スーフリやアメフトの予備軍がここに育っている」と、性教育を絶った者にたいする怒りが、改めてこみ上げた。

 学校で、まともな性教育がされなくなった今、この傾向は、どんどんエスカレートするに違いない。そして、第2、第3のスーフリやアメフトを生み出すだろう。
 こうした状況のなかで、学校での性教育は封じ込めたから、次は、さんざん書かせ放題にさせていた、出版統制へと歩を進めるだろう。

 安倍政権は、戦前状況を戦中状況まで進めたいようだから、言論統制は欠かせない。
 言論統制の糸口として、性に関する出版物をつかうのは、常套手段だ。エログロナンセンスのなかでのエロは、トップバッターにふさわしい。「子どもたちにこんな情報を与えて良いのか」と切り込んでくる。確かにひどいから、反対を唱えにくい。そして、次々と統制の網を絞り込んでいくことになる。
 「そこまでするのは、行き過ぎじゃないか」と反対を強める頃には、もうすっかり内堀まで埋められていることになる。

 それを防ぐためにも、学校でのまともな性教育で、ポルノに取り込まれないおとなを育てたい。第2、第3のスーフリやアメフトで、有能な人材が、社会で活用されずに終わらないように。

2006年9月26日(火
「前科者」は、ダメ人間か?!

  安倍内閣の組閣など、見たくないからと、刑事ものの再放送を見る。見ながら、はぐれ刑事シリーズで、よく出てくる言葉を思い出した。藤田まこと扮する刑事「安さん」が、よく口にする言葉「罪を償ってください。あなたはまだ若いんだから、きっとやり直しができます」を。
 しかし、別の場面でよく出てくるのは、何か事件がある度に聞き込みに来られて、勤め先からも疎まれて、失職してしまう前科者の姿。

 どっちが本当なのか。よく分からない。
 何しろ、「私は前科者です」という人に会ったことはないし、刑事ものによく出てくるクラブ、キャバクラなどへは、行ったことがない。風俗経験はゼロ。ホストクラブも行った経験ゼロ。全て体験はなく、「ドラマ」の世界でしか知らないことだから。

 それでも何とか想像はできる。やくざの出入りなどで懲役になったときには、刑期を終えると「兄貴。おつとめご苦労さんでした」と、出迎えられることはあるのだろう。
 しかし、一般人が、出来心や、酒が入って、恨みが募って、などの理由で犯罪を犯して、刑期を終えた場合はどうなのだろう。
 家族や友人などに支えられ、更正できる人が多いのだろうか。実は更正できた人に会っているのかもしれない。「私は前科者です」などと、わざわざカムアウトする人はいないだろうし、する必要もないのだから、会っても分からなくて当たり前だ。

 しかし、何年かの刑期を終えて出てきたときに、迎えに来ている人は誰もいない。刑務所内で離婚届に判を押し、家族は世間体をはばかって、違う場所で生活していたりする。当座はホテルしか泊まる場所もない。就職しようとしても、履歴書に空白ができるから、なかなか就職もできない。たまに、安さんのような親切な刑事とか、担当弁護士が、世話をしてくれる場合もある。しかし、更正のための、制度としてあるわけではないから、必ずやってもらえると期待はできない。

 そういう人はどうなるのだろう。
 再犯するしかないようにも思う。金無し、仕事無し、家族無しでは、再犯しかない。
 「あいつは前科者だ」として、社会からつまはじきする風潮は、以前と比べれば減ったようにも思うが、まだまだ、「別の人」として、はじき出しているのではなかろうか。「勝ち組」、「負け組」の現状では、状況が悪くなっているのではなかろうか。
 社会人としての経歴が長い、40代以上の人の場合には、それでも何かしらのつながりがあって、やっていける確率も高いだろう。

 しかし、「少年院帰り」などの若者の場合はどうだろう。社会経験はないのに、犯罪歴だけが目立ち、技術や能力も未熟なまま、社会に放り出されることになっているのではないか。これでは、犯罪者を再生産している社会ということになる。

 少年法を変えて、小学生から厳罰で処遇するという案も出ているようだが、それでは、ますます犯罪者の再生産を、加速させるだけではないか。

 
 

2006年9月24日(日
やっぱり日テレは、石原知事擁護テレビ

 今朝は、TBSの「サンデーモーニング」を見ながら朝食をとった。
 昨日と同じ、「都教委裁判」についての、論議を始めた。
 国旗・国歌法作成に関わったというコメンテーターも、含まれていたが、その人も含めて、判決が、全面的におかしいという人はいなかった。
 国旗・国歌に対しては、自然に敬意を持つようにすべきで、それが国旗・国歌の持つ「権威」というものだ。今回のように、「権力」で、従わせようとすると、かえって反発を招いて、混乱が起き、自然に広がりつつある、国旗・国歌にたいする敬意が、損なわれる恐れがある。という論調で、しめくくられた。

 昨日書いた、日テレとは、随分論調が異なる。若者から高齢者までの、視聴者全体の合意が得られるのは、今日のような論調ではないかと思う。判決は、国旗・国歌の指導がおかしい、というのではなく、権力による強制をしたことで、混乱を招いたことが行き過ぎだとしているだけ。この論では、勝訴の原告だけでなく、指導すべきとする人にも、 説得力があるのではないか。賛成、反対の歩み寄りができそうに思う。

 戦後生まれが、国民の6割とか、7割近くになったとか言われ、戦争前後の「くらい時代」についての記憶を持っている者が、少数派になりつつある今日の状況。特に、高度成長期以後に生まれている若い世代では、国旗・国歌は、サッカーワールドカップや、オリンピックでの表彰式で、掲げられ、歌われる「誇らしき日本」の象徴で、「なぜ、見るのがいやなの。歌いたくないの」という、素朴な疑問を持つだろう。そういう彼らにも、「それを歌うことで、くらい時代を思い出し、不快に思う人がいる。その人達まで、強制的に、歌わせることはどうなのだろう」と言えば、理解してくれるはず。個人の自由を大切に育てられている世代だから。

 日テレのように、裁判官の名前を覚えて、抗議の電話をしなさいよ、と言わんばかりの放送することは、権力による強制に加担しているとしか思えない。ジャーナリストの端くれとして、時の政府与党に、加担するような態度をとることを、恥としないのだろうか。
 ジャーナリストとは、権力に対峙する者であるはずなのに。

2006年9月23日(土)
日テレは、石原知事擁護テレビ?!

  朝9時頃、遅めの朝食をとりながら、ぼんやりと、日テレの「ウェーク」を見ていた。
 「今週あった、注目判決についての、コメント」というので、ピーンと来て、注意してみた。 
 思った通り、昨日出された「日の丸・君が代」判決にたいするコメントだった。
 識者として参加していた一人が、判決には納得しがたいとの意見を述べた。国歌を歌うのは、当然の行為で、それをしないでも良いとする判決は、考えられないというのだ。

 二人目は、裁判長が、過去の戦争の問題を、持ち出したのが、ナンセンスだという言い方だった。
 三人目は、宮城県知事だった浅野氏。あまりカッカしても仕方ない。今の学生は、国家どころか、校歌ですら歌わない状況だし、強制したという点を問題にしたのだから。と、前の二人よりは、ややソフトな表現だった。
 司会者は、フリップを見せながら、この裁判長が、こちらの教育委員に、もの申したわけで・・・と、裁判長の名前を、よく覚えておいて、抗議をしてくれといわんばかりの、言い方だった。

 教育委員の名前を見て、東京の教育委員に、作家の内舘牧子氏や、将棋の米長氏が入っていることを知った。彼らは、確か、君が代賛成の立場だったと思う。後の二人は聞いたことのない名前で、どういう立場かは分からない。しかし、都教委の事務官を加えた三人が、賛成であれば、二人がたとえ反対であっても、教育委員の多数決で、賛成になる。
 二人を教育委員に任命したのは、石原知事。一見民主的なスタイルをとりながら、上意下達が、できるわけだ。任命制になったことが、民主主義の崩壊であることが、よく分かる。
 
  テレビに戻せば、判決に反対の人だけを登場させるのは、アンフェアだ。はっきり反対を言う人が出るなら、はっきり賛成の人が出なければ、放送の公平性に欠ける。
 毎週出ている識者が出ただけで、特に意図はない。とか言って逃げるのだろうが、フリップ準備したりして、番組に組み込んでいるのだから、意図的に、反対者だけを登場させた。と言われても弁解の余地はない。

 テレビ局としての、良心がまだあるならば、次の機会では、しっかり賛成者に話をきく場を、作るべきだ。戦争できる国造りに、賛成する立場が、広がる方向ばかり向いていたら、いずれ、しっぺ返しを食うことになる。

2006年9月22日(金
違法と判断の今回は、特異な判決

   違憲判決を伝える新聞紙面   都教委はショックの文字も

 家永教科書訴訟も、当初は違憲の判断もあった

 昨日、都教委のいわゆる「君が代」強制裁判の、地裁判決が出された。
 原告団の予想を超える「全面勝訴」で、損害賠償までついている、という画期的な判決。新聞の写真を見ても、原告団の談話を読んでも、喜びに躍っているさまが、目に浮かぶ。
 
 都教委は、1%も敗訴を予想していなかったそうで、提訴時の横山教育長から代わった中村教育長は、判決時外出中だったとのこと。現場は、予想外の結果に混乱したと報じられている。都庁に戻った中村教育長は、控訴の方針を明らかにしたとも書かれている。
 判決が出たからといって、来年3月の卒業式、4月の入学式では、強制の通達を変更する意志はないそうだ。その背景には、石原都知事の存在も大きいらしい。

 ビラまき無罪判決の時にも、「一審は無罪でも・・・」と日記に書いた。
 今回も、同様の思いがある。それを強くするのは、朝日新聞に出された「元文部省初等中等教育局長」で「現国立教育政策研究所名誉所員」の菱村氏の談話に、はっきり出ている、次のコメントだ。
 「05年福岡地裁判決など、これまでの判決の流れからすると、今回の判決は特異な判決。私が関わった家永教科書訴訟でも、当初は違憲と判断されたこともある」
 「国立教育政策研究所」とあるからには、時の政府の教育政策を、左右する立場にある人なのだろう。だから、当然ではあるが、家永訴訟が、間違っていたと言わんばかりの言だ。こういう人に、教育政策を、決めてもらいたくないものだ。

 ビラまき無罪のときに書いたが、一審では「原告勝訴」判決が出ても、高裁、最高裁では、逆転するケースが多々ある。地裁判事は、試験を通ればなれるが、高裁、最高裁となると、時の政府与党に、気に入られなければ、なれない仕組みだから、当然といえば当然。
 そこの仕組みを、何とかしなければ、真の民主主義など、あり得ない。それには、どうしたらいいのか。問題が大きすぎて、とても考えられない。

 とにかく、国民一人ひとりが、賢くなることだ。「ヨン様ーっ」、「ハンカチ王子ーっ」、「紀子様ーっ」と、右往左往している、「オバ様族」の目を覚まさるのがひとつ。よほど優雅で、生活上の問題はないのか。孫が、兵隊に捕られる心配は、ないのか。全く、社会問題に、関心を示さない。「憲法9条」、「教育基本法」などの、街頭宣伝しても、話を聞きもしなければ、チラシを受け取りもしない。別の世界の問題という顔。「9条」などは、中・高校生の方がよほど熱心だ。「私たちが行かされるかもしれない」と言って。
 今回の問題も、オバ様族には、どんな捉えられ方をしているのだろう。オバ様族が変われば、日本の流れも変わると思うのだが。

2006年9月15日(金
着ぐるみでも キャスト?!

 先日電車に乗った時、つり広告を何気なく見たら、「アルバイト キャスト募集」という広告が目についた。「東京ディズニーランド」と「東京ディズニーシー」で、「キャスト」のアルバイターを募集するのだという。何かなと思って、小さい文字まで 読んでみた。要するに、園内で、着ぐるみを着て、お客さんを喜ばせる仕事をするのだとのこと。

 「着ぐるみ着て、動き回るのを『キャスト』って言うのか?! スタッフじゃないのか」と、納得できなかった。直接お客さんに接して、表の仕事になるから、入り口でモギリをしたり、土産物屋の店員と違うから、キャストだということなのか。
  何だかごまかしの感じがした。着ぐるみになったら、○○さんではなく、ドナルド・ダックとか、ミッキーとかになってしまう。自分の存在は消されてしまう。個性は見えない。それでもキャストか? 何だか変だ。

 控えておいたアドレスで、ホームページを見た。やはり、キャストとなっている。昨日、今日、明日の3日間、ディズニーランドの、すぐ近くにある浦安運動公園で、面接会があるとのこと。若者が、ゴマンと集まっていることだろう。予約しないで行っても良いそうだから。予約をすれば、それなりの特典があるとも書いてあった。

 人気の施設でアルバイトできるということで、若者が詰めかけても、期待通りの「夢のある働き方」ができるだろうか。以前、アルバイトの待遇に問題があるとして、改善に向けての働きかけがされたという、新聞記事を読んだような気もする。一見華やかでも、仕事となると厳しいのに、それに気づかず、若者が取り込まれ、挫折して辞めていく例も多いのではと心配する。

 若者の人気を盛り上げるための、宣伝のひとつとして、アルバイト募集をしているような気もしてしまう。大企業が大々的にやると、それに乗っかってしまう若者が多い。

 華やかな場所で、きれいな仕事を、楽しくやって、金になれば良いという風潮は、落とし穴もあるように思う。
 3日間で、何人集まって、何人採用されたのか、結果を知りたいものだ。
 

2006年9月14日(木
植草教授 また逮捕

 昨年、猥褻行為で有罪になった、経済学者の植草教授が、女性の身体に触ったと、また逮捕された。
 本人の言い分では、裁判は冤罪だそうだし、今回もやっていないと、主張しているようだ。マスコミにも良く出ていた有名人だから、格好のネタになっているふしもある。

 裁判結果で有罪になったから、絶対にやったとも言えない。確かに冤罪の可能性はある。最高裁までいって、有罪が確定しても、その後の再審で無罪になることもあるから、植草教授の事件が、本当に有罪かどうかは、まだ分からない。
 今回の場合、酒を飲んでいたので、よく分からないと言っている点が引っかかる。

 酒乱とまではいかなくても、酒を飲むと、ガラッと人柄の変わる人は間々いる。高校時代の恩師の一人がそうだった。普段は、シャイで、どちらかというと口数も多くない方なのが、酔うと、陽気になって、普段はしない女性の手を握ったりする。職場では、少々困り者だったらしい。そのせいで、校長になれなかったのかどうかは不明だが。
 植草教授が、酒を飲むと、人柄が変わる人かどうかは分からない。しかし、テレビで見る限り、酔っていないときは、物静かそうな人だ。妻もテレビのインタビューに答えて、裁判の結果は冤罪で、今回のことは、していないと信じていると発言していた。
 酒を飲むと、人柄が変わるとでも思わないと、辻褄が合わない。

 前回も書いたが、植草教授が、どんな性教育を受けてきたのかに関心がある。専門分野の知識はたいしたものかもしれないが、大学教授はとかく、専門バカが多い。自分の専門以外のことは、常識的なことさえ知らない場合がある。肩書きだけで、人格的にもすばらしい人だと、早合点しない方が良い。

 彼は、学校教育のなかで、性教育の無かった年代だから、自分で学ぶより方法がない。
 何で学んだか、どう学んだかが、問われる。ひょっとしたら、ポルノ情報で学んだのではないか。または、今も学び続けているのではないか。週刊誌情報によれば、アダルトビデオがたくさんあったとかいう話もある。

 まともな性教育を受けないと、大学教授でも、人権侵害に当たるような、性行為をしてしまうという、モデルに見える。真相はどうなのだろう。ぜひ知りたいものだ。

2006年9月11日(月)
教師も人の子 ポルノの子

 また、中学校の教師が、教え子に猥褻行為をしたという理由で、捕まった。この間も、小学校教師が同様の理由で、捕まっている。
 またか、これでもかというように、後から後から出てくる。マスコミでも取り上げられているのだから、捕まることが分かっているのに、後を絶たない。
 そのたびに、教育委員会は、「このような不祥事が起きないよう、厳重に対処します」というコメントを出す。実際には、どうしているかと言えば、各学校あてに「不祥事が起きないよう、厳重に注意せられたし」という内容の「通知」を出して終わる。
 それ以上は何もしない。通知を出して、徹底をはかったにもかかわらず、不埒者がまた同様の事件を起こしてしまい、誠に遺憾だという「アリバイ作り」をしているにすぎない。

 不祥事を起こす教員は、ほとんどが30代以上の男性。彼らは、小学校以来、教員になるまでの過程で、性教育はほとんど受けていない。
 そして、ポルノ情報は、シャワーをあびるごとく受けている。そのゆがみの結果が、不祥事だ。会社員だろうと、教員だろうと、かわりはない。受けてきた教育の結果が、成人後の行動につながる。
 多くの教員は不祥事を起こさないのだから、起こした人間だけが特別だと考えるかもしれないが、性教育を受けず、ポルノで教育されていれば、誰でも起こす可能性はある。
 たまたま、今回はその人だったというだけ。ポルノ情報の信じ方が強かったとか、ストレスのたまり具合が大きかったとか、夫婦関係がうまくいっていなかったとか。引き金になることがあったから、行動に移っただけだと思う。

 現在、学校での性教育は、東京を筆頭に、やれない方向に向いてしまっている。
 '92からの10年間だけ、性教育がされてきた。授業を受けた子どもたちが、20代になってきた。彼らの性行動が、どうなっているかを丹念に調べてみたい。
 まともな性教育を受けた子どもは、性行動に慎重になっているという結果が、出てくることを期待したい。

 小児性愛者のような特殊な例を除けば、30代以上の教員でも、教育が手遅れとは言わない。
 まともな性教育を受ける機会を作れば、不祥事はぐっと少なくなると確信している。性教育を教員が受けると、子どもたちへの接し方が変わる。学校内の雰囲気が変わり、子どもたちが、伸び伸びできるようになる。
 これは、学校ぐるみで、性教育を実践した学校で、実証済みのこと。
 
 人間の性とは何か、なぜ、猥褻行為は人権侵害なのか、など、など。それらを学ばずに、ただ、ダメだ。止めろと言っても止められるものではない。
 

2006年9月9日(土)
遊就館の展示に、ウソはないそうですが・・・・

 子ども向けパンフ「靖国大百科」と   中の案内図

 ヤスクニツアーに参加した。
 靖国神社へは、8/15に行ったから、またかという感はあったが、ガイド役がいて、説明してくれるというので、それならと参加した。
 ガイド役は、「侵略神社」という著書もある辻子さんという方。大鳥居を入る前の大灯籠から、大鳥居脇の上を切った社号標、さざれ石、慰霊の泉脇の石、など、など。
 次から次へと説明が続き、そのうち、頭が満杯状態になった。

 聞いたことのないことは、それでも頭に残った。おもしろかったのは、昔は開けっ放しにしていた鳩舎を、今は締めてしまったこと。開けっ放しにしておくと、せっかくの白い鳩が、ど鳩と交配して白くなくなるからという理由だそうだ。優秀な子どもは、隔離しておかないと、ボンクラと混じってしまうと、私立の学校に入れる親を連想した。
 
 靖国が「軍人だけでなく、全ての戦死者をまつっている」と言い訳に使うという「鎮霊社」は、初めて見た。拝殿裏側で、本殿と並ぶ形になり、南門からは、すぐ左手になる所にある。こんな所まで来る人は、ほとんど無いだろう。しかも、ここだけ鉄柵で囲われているから、お参りしたくてもできない。いかにも、アリバイ作りという感じ。

 靖国神社が、ウソの歴史は言っていない。と良く聞く。確かに事実と全く反する記述は、無いのかもしれない。しかし、都合の良いことだけを書いたり、都合の悪いことは、口をつぐんで、知らん顔するという事実はあるという証明を、いくつか聞いた。
 「靖国大百科」という、子ども向けの神社作成パンフがある。この説明の中には、「大東亜戦争」という名称が使われている。「連合軍の、形ばかりの裁判によって、一方的に"戦争犯罪人"とせられ、むざんにも命をたたれた・・・」とも書かれている。

 インドのパール博士について、1項目を立てて、説明している。ただ一人、被告団を全員無罪とする意見書を出された。勇気と情熱をたたえて、顕彰碑を建立したと書かれている。
 しかし、ほぼ同じ内容の英語案内版では、パール博士に関する記述は、削除されている。内向け、外向けで、違う内容にしなくてはならないことは、何かやましいことがあると、思わざるを得ない。
 
 遊就館もゆっくり見たら、「何、これっ?!」ということが、たくさんありすぎるだろうから、時間が無くて、さっとしか見られなかったのは、よかったというべきだろう。

 8/15に行くことは、日本の今を知るうえで意味があるが、ガイド付きで見学することは、現代史を学ぶという意味がある。

2006年9月7日(木
素人に使いやすい ソフトの開発を

 「性と生相談室」にはぜひHP が必要だからと、一大決心で作成を始めた。
 6年前にも、サークルのHPが必要だからと、3日間の講習を受けただけで、無謀にも作成をしたことがある。その時は、外周を回っただけで、東京の町を走り出したようなものだった。知らなすぎて、自分がいかに分かっていないかも分からなかった。それでも、職場の同僚に手伝ってもらって、何とかアップするところまでこぎつけた。あまりの大変さに、しばらく立ち上がれないほどに落ち込んだ。

 その経験があるから、作り始めたときは、「今回は楽勝だ。ソフトが随分進歩した。これなら一人でも何とかなるぞ」と思った。
 確かに、かなりスイスイと事が運んだ。表の中の背景色を変えたり、可愛いイラストを入れ込むことも簡単にできた。表紙には窓をつけた。タイトルもしゃれたイラスト入りでできた。自分の思うように画面を構成できるのは、6年前には考えられなかったことだ。
 これなら1週間でアップできるかもと喜んだが、それはぬか喜びだった。

 窓を修正しようとしたら、大きさがおかしくなって元に戻らない。仕方がないとそのままにして、とにかくアップしようとネットに上げたが、つながらない。
 いよいよダメだと、ソフト会社の問い合わせに電話した。アップできないのは、indexにしていないからだという。アップの仕方はマニュアルで説明してあるが、トップページの名称をindexにしないと、認識しないからアップできない、なんてことは書いてない。

 ことほど左様で、マニュアルには書いてないことが分からないために、アップできなかった。それでも、電話で教えてもらえるようになったのは、随分の進歩だ。6年前はそれもなかった。
 8/20から、アップ作業を始めたのに、半月たってもまだ不備のままの理由は、アカウントとか、IDとかが、何か分からないことにもあった。

 電話で指示されたとおりにしても、アップできない。プロバイダーの問題だといわれ、プロバイダーに電話。プロバイダーではないから、ウィルス防御ソフトの関係かもしれないと言われ、今度はそちらの会社に電話する。それでもアップできない。どうも作成ソフトだと思うというので、またまた、作成ソフトに電話。
 
 たらい回しの末、分かったことは、アカウントが違っていただけのことで、正しいアカウントを入れたら、直ちにつながった。分かってしまえば、バカみたいな話だが、闇の中を手探りで歩いているような状況だから、何が何だかよく分からない。ああ言われれば、そうかと思い、こうやれと言われれば、なるほどと思う。ページとサイトの区別も分からず、窓という用語も教えてもらって初めて知った。

 「はらだち日記」を書いて、それを次々積み上げていくことは、毎日のようにやるから、手順は覚えた。しかし、アップする作業は、日常的ではないから、覚えられない。ここがネックで諦める人も多いのではないか。

 ソフト制作に関わっている人には、常識的すぎて、説明の必要もないと考えることが、素人には難しいのだ。そこをもっと理解して、優しいソフト作りに励んでほしい。

2006年9月4日(月)
ガンコじいさん ご健在

 朝の体操を始めようとしたとき、2年ぶりに「ガンコじいさん」の姿を見た。
 2年前の今頃、たまたま朝早く、公園を散歩していたときにお会いしたじいさん。子どもたちの遊具のある広場を、せっせと掃除していた。
 「おはようございます」の声かけから、話が始まり、20年も毎朝掃除しているという行動に、すっかり感心し、翌日は、箒片手にお手伝いに行った。「若者が散らかして」と、ベンチ下から花火の燃えかすなどを拾った。「困ったものですね」と話を合わせていたら、とんでもない言葉が飛び出した。

 「教育基本法が良くない。教育勅語を復活させなくては」と言うのだ。「何を言うか。このじいさん。教育基本法通りの教育など、させてもらえなかったのに。させてもらえていたら、若者はもっと良くなっていた」。
 現場を知るものとしては、黙ってはいられない。
 「教育基本法が悪い訳じゃありません。基本法通りの教育ができなかったんです」。
 「戦後の民主教育が日本をダメにしたんだ。国のためを考えない人間を作っている。北朝鮮に攻められてしまう」。
 「それは違います。利己主義を作ったのは、受験競争が・・・」。

 箒で砂埃を巻き上げながら、互いに譲らず大激論を展開。ガンコじいさんにツッパリばあさん。良い勝負だった。
 多分、女性が対等に議論を仕掛ける経験が、少なかったのだろう。ガンコじいさんは辟易した調子で「明日から、あなたはあちらの掃除をしてください。ここは私がやりますから」と追い払われた。
 20年もやっている人にはかなわない。翌日からは、議論のできない距離で、掃除をすることとなった。その後、体調を崩し、ばあさんはあえなくダウン。元気になっが、体操を始めたので、掃除はおしまい。

 その後、じいさんについての情報を入手した。退職前は、黒塗りの車が毎朝お迎えに来ていた。今は、子どもは独立し、孫もいるが、公園脇の自宅で、夫婦ふたり暮らし。
 掃除も、20年間一人ではなく、一緒にやる人が出たこともあるが、じいさんのガンコに辟易し、皆去っていって一人になっている。掃除のやり方も、土を掻き取るように掃いてしまうから、だんだん地面が削られて、鉄棒の支柱など、土中のコンクリートが出てきてしまって、危ない状況になっている。
 見かねた人からの通報で、役所の人が掃除しないように言ってきたが、その時はゴミ拾いだけになっても、いつの間にか元の木阿弥で、地面を削り取っている。
 毎朝来られないくらいに身体の弱るのを待つしかないと、近所では諦めている。

 教育勅語を体現しているようなじいさんに見える。多分敗戦は20才頃。小学校以来の教育勅語がしっかり血肉化している。企業戦士として成功し、定年になっても、自分の考えを貫いて、今日まで来ているということらしい。

 あの時から2年が経って、じいさんの考え方が広がっている。教育基本法はもうすぐ変えられるだろう。「ガンコじいさん」と、少数者のように考えていたが、企業人の中には、脈々と流れている考え方だった。読みが甘かった。

2006年9月1日(金)
親はHOW TO SEX 子どもは「お母さんありがとう」 かみ合わない親子

    ラブラブで結婚し       親子はともに歩んでいる ?
                  
 朝日新聞の「人」欄に、「セックスレス解消に奮闘するネット主宰者」として、二松さんという方が紹介されていた。
 「性の相談室」を主宰するばあさんとしては、見逃せない。早速、「となりの寝室事情・うちの寝室事情」というサイトを見た。
 かなりHP作成に詳しいらしく、様々なページを作っていて、技術的にはとても太刀打ちできない。会社を起業するほどのパワーの持ち主で現役だから、リタイア組とは違うのは当然だが。

 ただ、気になったのは、即物的すぎるきらいがあること。
 投稿者のひとりがいみじくも言っていたが、「セックスって心でするんですね」の部分が、どう扱われているのかが見えない。
 パワーアップの食事、ムード盛り上げの寝室インテリア、珍しい体位の試み、などなど。どれも「必要ない」とは言わない。
 食事だって、毎日カレーばかりでは、いくらカレー好きでも飽きてしまう。だから、カレーを週2回にして、焼き魚だの、パスタだのと、目先の変わったものを出す必要がある。

 日本人は、今まで、夫婦の場合、あまりにも楽しんでこなかったきらいがある。夫婦のセックスは、子作りのセックスで、それが終わればおしまい。妻は、子育てに励んで一生を終わる。夫は楽しみたいなら、金で買う。結果として、夫婦間はセックスレスとなる。
 そんな、貧しいセックスではなく、夫婦が楽しむセックスがあればいい。楽しむためには、スタミナ食もインテリアも大事だろう。

 しかし、それだけで良いのか。「セックスは心でする」ことを忘れていないか。
 どんな技巧を使っても、どんなムードにしても、ふたりの心がつながっていなければ、所詮「プレイ」に終わる。もっと別の刺激、今度はこんな刺激と、刺激だけを追い求め、しまいには刺激に麻痺して、どんなことをしても、互いが燃えない関係になってしまうことを恐れる。

 エレクトして挿入することと、それにより、エクスタシーを得ることだけが、目的になったとき、待っているのは、互いの不感症だけのように思う。
 セックスレスを、挿入がないことと捉えて、挿入にこだわるのでなく、ふたりの幸せ度に考えを転換することも、夫婦の末永い結びつきには必要ではないのか。

 夫婦が、快感のセックスを得るために、あれこれ情報を取り込んでいながら、子どもの性教育では、性は生殖のみと限定して、生命誕生、「お母さんありがとう」を教えられるだけで、良しとしている現状を、不思議に思う。
 セックスレスの夫婦を、再生産することになると、気づかないのだろうか。子どもの時から、性は楽しいこと、楽しんで良いことという、知識を持っていれば、今のセックスレス夫婦の何%かは、セックスレスにならずにすんだことだろう。

2006年9月1日(金)
お役所の出した「とんでも本」

 大崩した斜面と組んだしがら。立て看板  ここも崩れて水道に

 我が家の近くには、地域でも有数の広さを持つ公園がある。
 そこの斜面緑地は、市の予算が潤沢だった頃、中途半端に整備したまま、捨て置かれてきた。 
 整備して、斜面に入りやすくなったことが災いし、「斜面緑地で、段ボール滑りができる、都会には珍しい遊び場」として、子どもらが集まる「名所」になってしまった。
 その結果、今は見るも無惨に斜面は崩れ、このまま放置すれば、斜面上に建つ建物が、近い将来、崩落するおそれが出ている。

 そこで、かつて自分たちの子どもを遊ばせた、シルバー世代が、「里山の会」を結成し、保護に乗り出した。斜面緑地があるだけで、水辺がないから、本当の「里山」ではないが、その昔は、薪を切り出した里山であったことは確かだから、「里山の会」とした。
 月一回、公園内外の清掃、しがら(斜面緑地の土止め用柵)の構築、野草や苗木の植栽、など、など。20人くらいのシルバーが、ボチボチ進めて3年目に入った。
 少しは会の名前も知られ、「緑の保全」ということで地域の合意もとれつつある。

 その矢先、とんでも情報が、役所の絡むHPに載っていることを、会員の一人が見つけた。地域の「公園情報」に、「緑地を滑り降りることができる楽しい公園」として、紹介されているというのだ。
 幸い、我が家は、役所から5分とかからない所にある。
 すぐにすっ飛んでいき、「里山の会」PR目的で開催した「写真展」で知り合いになった部長さんを訪ね、部長さんの口添えで、担当課長と話をした。
 話を聞いた課長さんは、「来週中には、削除します」と言ってくれた。

 部長さんが「役所が作った『子育て中の住民』向け冊子に、遊べると書いてあった」と教えてくれたので、早速その冊子も、もらって読んだ。
 公園情報のなかに、イラスト入りで、「斜面を・・・」と、解説が入っている。これがHPのネタ本だ。
 HPはすぐに削除できるが、冊子は次の改訂まで読み続けられることになる。

 極論すれば、子育て中の若いお母さん達は、将来崩落が起きるかもしれないからと、今、子どもたちの斜面滑りを止められるのは困る。という考えを持っている。
 我々里山の会としては、すべられたら崩落するんだから、やってほしくない。地域の貴重な緑を絶やすような行為は、今の環境保護の時代に逆行する。一刀両断、禁止を打ち出そうという会員もいる。

 お母さん達を、エゴだと切り捨てるのは簡単だが、我々年代は、自分の子どもに斜面滑りをさせてきたので、「禁止!」と一喝できない。
 ヨーロッパの植民地主義に遅れて、同じことをした日本が、太平洋戦争で負けて、たたかれた。だから、日本のしたことは正当だ、とは言えないが、この頃の「正当論」の根っこにあるものと、同一の論を、若いお母さん達から感じ、禁止か、容認かで迷っている。

 若いお母さん達が中心になって作った「とんでも本」が、次に改訂されるとき、我々も、論議に入らせてほしいものだ。現在は、崩壊が進みすぎて、滑り降りるには危険な所もふえた。しかし、斜面全部を壊すには、まだまだ相当楽しめる現状がある。

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