本文へジャンプ はらだち日記8月

 * 白髪の効用 8/1
* 既製品なのにそっくりとは 8/1

人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

      ご意見、ご質問はこちらから

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2006年8月29日(火)
一審判決は無罪だが・・・

      当日の新聞紙面           無罪の文字が躍る

 8/28に、東京地裁で、「葛飾ビラ配布事件」に「無罪」判決が出された。
 「『表現の自由』通じた」。「言論封じに"待った"」などの見出しが新聞紙面に躍っている。被告は僧侶ということで、法衣を着ている写真が大きく載っていた。
 表現の自由を巡る最近の判決では、「立川の反戦ビラ配布事件」が、よく似ている。立川の場合では、地裁が無罪としたものの、高裁では逆転有罪で罰金刑となっている。
 今回の無罪理由が、立川とどれくらい違うのか分からないが、今回無罪判決が出たと手放しでは喜べない。

 立川のように、高裁では一転有罪になる、可能性もある。あるどころではなく、可能性が高いと言うべきだろう。地裁段階では、「表現の自由」、「民主主義」という点で、穏当なというか、まともな判決が出ても、高裁、最高裁と上に行くにつれ、時の政府与党に、都合の良い判決が出ている。今回も同じケースになるのではないか。立川事件の最高裁判決は、まだ出ていないようだが、高裁支持になるのではないか。高裁が無罪とすれば、希望はあったが、高裁で有罪だから、最高裁で覆る可能性は、きわめて薄いと感じる。
 
 ビラ配布という行為は、たわいもないものだと思う。空き巣に入る下見をしたとか、室内をのぞき見して、ビデオに撮ったとかいうことではない。会員勧誘や不動産のチラシのように、ほとんど必要もないものを、売りつけるための、チラシ配布でもない。
 「この思想は読みたくない」という人がいるとしても、詐欺まがいのチラシほどの、害悪はないはず。それなのに、害悪のあるチラシを、取り締まったという話は、聞いたことがない。特定政党に関わるチラシ配布だけを「ねらい打ち」しているとしか思えない。
 これが、政府与党関係のチラシだったら、たとえ住民からの通報があっても、「起訴」はしないだろう。そこに、検察の偏見を感じる。
 今回の事件に限らず、特定政党関係者への「不当逮捕」の数々に、国民としての不平等を感じる。だからこそ、高裁では有罪になるかもしれないと思いながらも、何とか現状を知らせて、再度の無罪を目指したい。言いたいことが言える社会であり続けるために。
 政府与党の言いなり社会になったら、完全な戦前社会だから。

2006年8月30日(水)
破壊した環境を売り物にする厚かましさ

残された桜の木とすでに入居者のいる住宅   立ち並ぶ建設中の家

 自宅から、10分ほどの所にあった、企業の研究所が移転し、跡地を大手の不動産業者が買った。
 研究所の周りには、40年ほどたった、桜の木が100本近くあり、春には地域の「名所」になっていた。
 不動産業者は、跡地に戸建て住宅を建てる計画を進めた。マンションは建てられない地域なので。
 数百軒の住宅が建つことが分かった付近の住民は、幟旗を立てて、反対運動に立ちあがった。特に、傾斜地の北側の人たちは、自宅の目の前に、4Mもの擁壁が建つというので、猛反対した。
 しかし、業者は、敷地を一斉に開発すると、大規模開発の規制に引っかかるからと、一部だけを「別件」のように開発し、開発総面積を小さくしたうえで、簡単な住民説明会を開き、既成事実の上に立って開発を進めている。
 開発の邪魔になると、桜の木は全部切ると通告してきた。付近の「名所」でもあり、環境問題でも許されない暴挙だと、「桜を残せ」の声は、地域に浸透していった。
 結果として、6本の桜だけを、恩着せがましく、かろうじて残した。
 それにもかかわらず、「別件」の建て売り住宅を売り出すときに、「桜ヶ丘住宅地」という名前を付けた。そして、桜の木がある場所には「桜ヶ丘公園」と仰々しいプレートまでつけて「桜」をウリにした。
 「ばかやろう! 恥を知れ! よくもそんな名前をつけられたもんだな! 厚かましいにもほどがある。自分たちが切り倒した桜を、宣伝なんかに使うな! 切り倒した桜を元に戻せ!」

 怒り心頭だったが、なかなか現地を見る機会がなかった。
 きょうは現地を通ったので、怒りを込めて、デジカメに納めた。しかし、怒りの万分の一も写せなかった。

 勿論、入居者に責任はない。彼らは、そんな事情を知らず、「桜の木があって良いわね」とか、「駅からはちょっと遠いけど、静かな良い場所のマイホームで最高よ」、「学校も近いし、役所も図書館も遠くないし。本当に良かった」と幸せをかみしめていることだろう。通りで見かける方々は、40代前半くらいだ。戸建てを買うにはよほど頑張ったことだろう。
 次々作られている「本体」の工事が終われば、また幸せ気分の、新しい家族が越してくることになる。そして、幸せ気分の人々に押され、反対運動は見事風化する。

 大きな開発をするときは、周りの住民のコンセンサスを得るようにと、法律を厳しくしたはずなのに、なぜ「別件」にすれば、その法律をすり抜けられるのだろう。
 法律は破るために作られているのだろうか。小さな不動産屋ではできないことをやっている、大きな不動産業者は、堂々と法律をすり抜けていく。規制緩和だの、自由競争だのと言いながら、強いものがますます強くなっていく仕組みを、作っているのではないか。
 開発が連続していると分かっているのに、許可を出す役所も、強いものに味方しているとしか思えない。庶民はいじめて、強いものに味方する役所が、現状だろう。
 庶民は、何を頼ればいいのだろう。
 

2006年8月28日(月)
靖国は、政府与党に寄与した人がまつられる所

  「『テロとの戦い』はどうした 放火への沈黙」の見出しがある

 首相の靖国参拝もあり、8/15のテレビは、久々という感じで、靖国問題を取り上げていた。
 スーパーモーニング(テレビ朝日)には、加藤紘一さんと神坂冬子さんが出て、論戦を展開した。
 神坂さんは、心情に訴えるような話で、ちょっと説得力に欠けていた。加藤さんは、「西郷隆盛も合祀されていない。会津の莫軍もされていない。国を思う気持ちに代わりはなかったはずだが、時の政府与党に貢献していなければ、合祀されない」と言った。これが、いちばん納得がいった。
 「時の政府与党の人間が、こんなことを言って良いのか。そのうち右翼に刺されるよ」とは思ったが、信念の人だなと思って聞いていた。 
 翌日、「昨夜、加藤さんの実家と事務所が全焼した」とのニュースを聞いた。
 「やっぱりやられた。あんなことまで喋って良いのかと、思ったもんね。」ニュースを聞いた時の、私の第一印象だった。
 テレ朝だけでなく、方々で論を展開していたとのこと。それでも、火事にはめげずに言い続けると、加藤さんは言っていた。あんなに骨のある人と思わなかった。東北人の粘りだろうか。
 それにつけても、自分の党の、かつてはYKKと言ったなかの盟友が被災したというのに、首相が何も言わないのはなぜだろうと思っていた。マスコミが騒いでいる様子もないのも不思議だった。少年の放火は、ガンガン報道しているのに、政府与党の幹事長をやった人の事務所が焼けたのに、静かなのはなぜだろうと不思議だった。
 やっと今日、「朝日」が論評を出した。他の新聞がどうなっているのかは分からないが、出さない方が不自然だ。すでに戦前の言論統制が始まっているのかもしれないが、61年前に、血の犠牲で手に入れた民主主義を、そんなに簡単に捨ててしまって良いのか。目の前の自分の保身だけで、動いていたら、取り返しがつかなくなることくらい、ジャーナリストならば、百も承知だと思うが、この頃は、ジャーナリストがいなくなったのか。

2006年8月27日(日)
時期が来れば、必ず新しい勢力が天下を取る
        蝉がいっぱい              抜け殻もいっぱい

 「朝の体操」で、ほとんど毎朝。「里山の会」の例会では月1回。その他にも、「里山見回り」と称して、ちょくちょく。家から3分ほどの所にある、地域では有数の広さをもつ公園は、すっかり「我が家の庭」になっている。
 きょうも用事で公園内の、「ミニ里山」を通った。この道を通ると、都会の真ん中にいながら、森林浴気分が味わえる。アスファルト道の先にある「子どもの頃の林」だ。
 通りながら、蝉の鳴き声が1週間前と違ったことに気づいた。1週間前は、出てきたばかりのツクツクホウシと、アブラゼミやクマゼミが、壮絶な鳴き声合戦を展開していた。

アブラ  : おい。ツクツク。おまえうるさいぞ。まだ、俺たちの季節だ。引っ込んでろ。
ツクツク: 何が引っ込んでろだ。もう秋だぞ。俺たちの出番だ。 おまえ達こそ早く引っ込め。 
クマゼミ: 何が秋だ。アホちゃうか。おまえの出番は、9月やで。
ツクツク: そっちこそバカじゃないか。立秋はとっくに過ぎたんだから、秋だよ。
アブラ : 何寝言いってけっかる。立秋なんて暦の上だけのことや。本当の秋はまだ先のことや。

 あの時は、多勢に無勢で、ツクツクホウシの分が悪かった。しかし、1週間後の今は、ツクツクホウシの天下になりつつある。アブラやクマゼミは、今のうちに子孫を残そうと必死だ。ツクツクホウシは我が世の春を謳歌している。
 夏の虫は夏が終われば去り、秋の虫も秋が終われば去る。生き物たちは、皆自分の分を心得て、それに従って生きている。
 人間はどうして、分をわきまえて生きられないのだろう。権力にしがみついたり、敵を作って、自分の勢力を伸ばしたり。大脳の発達は、プラスばかりではなかった。何とかならないものか。平和に人類が共存する道を探るなんぞ、どだい無理な話なのか。 
2006年8月26日(土)
組織も、所詮は個人で決まる

             新聞掲載の記事

 昨日の新聞に『妊婦ヌード、一転OK』との記事があった。
  東京メトロの駅に出る大きな広告に、妊婦のヌード写真を使用することに異議が出て、すったもんだの末、下腹部を隠さない「無修正」での掲載が認められたというのだ。

 「性表現」の問題となれば、「性と生相談室」としても見過ごしにはできない。丁寧に記事を読んだ。
 米国月刊誌の、日本版発売の広告だとのこと。メトロ社側の言い分は、「青少年保護の点で適切でなければならない」という内規に抵触するから、修正を求めたそうだ。下半身に何もまとっておらず、「利用客に刺激的で内規違反」だと、広告担当者が判断したとのこと。
 ところが、広告会社が修正を終わった後、メトロ社が、修正無しで、掲載を認める方針に変えたのだそうだ。「当初の担当者より上のレベルで、直接的な性表現には当たらないとの判断があった」という説明で。結局、広告会社は、修正用の黒いシールを無駄にしたとのこと。
 上が認めれば、現場は従わざるを得ない。日本の現状では、上が認めない例が多いから、これはおもしろかった。組織と言って、集団のように思いがちだが、結局は個人なのだ。

 8/28から「表参道駅」で掲載されるというから、ぜひ見に行こうと思う。新聞の写真でもかなり魅惑的だが、駅では、2、5M四方になるそうだから、相当圧巻だろう。 母になる喜びを、全身で表現している女性の姿は、30年前の自分を思い出させる。(容姿そのものは随分違うが)これに黒いシールなど貼ったら、かえって、いやらしくなってしまう。
 映画で「ヘアー」をぼかしたり、黒丸にするのと同じで、隠すとかえって猥褻な感じになることを、青少年保護条例を作った方々にも知ってほしいものだ。

2006年8月26日(土)
コスタリカの幸せ度は、世界第3位
  バナナの洗果・選別作業場        初めて見たカリブ海

 世界の幸せ度ランキングが、テレビで流れた。
 一昨年(2004)研修旅行で行ったコスタリカが、世界第3位の幸せ度の国かと、感慨深く思い出した。
 「軍隊を持たない国」「環境立国の国」として、今、世界の注目を集めている国のひとつだから、当然といえば当然だが、日本と比べれば、「貧しい国」になる。日本の「秋田ふき」に似た植物の名前が「貧乏人の傘」ということでも、それは分かる。
 
 すばらしい実践をしている学校として訪れた小学校も、ガイドさんによれば「貧乏じん学校」(人をにんと読むことを知らないガイドさんの言)だそうだ。
 コスタリカにも、貧富の格差はあり、金持ちは、私立の立派な学校に行き、貧乏じんは、地域のプレハブ校舎のような学校に行くらしい。

 大きな産業のひとつであるバナナは、アメリカのデルモンテに握られているらしい。
 コーヒーも、量として世界一のブラジルとは違い、手摘みだから、品質では世界一だと言っていたが、やはり外資が入っている。


「貧乏人の傘」(フキの仲間?)と、 代表的なコスタリカ料理

 しかし、それでも人々が明るく暮らしているのは、戦争放棄の憲法を、暮らしに生かしているからだと、はっきり分かる。貧しい国の少ない予算を、戦車や兵器の増強に使うのではなく、教育につぎ込んでいる。だから、日本と違い、教育費は本当に無償だ。どんな貧乏な家の子も、行く意志と学力があれば、高等教育を受けられる。だから、すばらしい人材が次々育って、今日のように、世界中から注目される国になったのだろう。

 日本の社会福祉のように、消費税を10%にして、それで賄おうなどという「タコの足食い」みたいなことを考えている限り、世界での幸福度ランキング上位入りは困難だ。
 
2006年8月23日(水)
アカーからの手紙

         カラー写真が豊富になったアカーの冊子

 久しぶりに「アカー」(NPO法人 動くゲイとレズビアンの会)から『活動紹介レポート』が届いた。リタイア後は、一口1万円のカンパが高いからと、3千円ほどの「ご協力」しかしていなかったせいか、会報も届かなくなっていた。年に1度くらいはレポートを送るようにしているのかもしれない。

 送られたレポートを見て驚いた。以前の「レポート」とはがらりと変わっていた。
 A4版だった体裁を、A5版にして、コンパクトな読みやすい体裁になった。なかは、写真が多く、カラフルになり、文字が減った。
 「自分たちの言いたいことはこれだ」と大上段だったスタイルが、ソフトになった。
 
 この変化は、編集者の交代もあるだろうが、時の流れもあるのだろう。
 彼らに初めてあった頃。カトリックのなかで育った私は、「同性愛。それって罪じゃないの」みたいな考えでいたから、「コペルニクス」的変換を求められた。しかし、かなり単細胞でもあったから、「同性愛は、自分の選択ではなく、生まれつきのこと。言ってみれば『性の左利き』だ」という解説に、すぐ納得してしまった。「神が作られたものは、全て善である。悪は人間が作るもの」という教えも後押ししたかもしれない。
 その後は、授業でも取り上げ、子どもたちにも話した。自分たちの障害に重ね合わせた子どもたちは、これまたすぐに理解し、「ホモ」とか「オカマ」という言葉が、教室から消えた。そんなことを、実践記録として書き、アカーに関わっている教員達が出す本にも載せてもらった。

 自分は世の中の動きに関わっていた。リタイア後の今は、まるでなくなってしまった世の中の動きに、関わっていたことを、懐かしく思い出した。
 彼らのリポートが、ソフトになるくらいの、世の進歩はあったようだが、アカーが活動を続けねばならぬのは、まだまだ、世の理解は進んでいないことの証だろう。3千円の寄付しかできないが、それでも関心を持ち続けよう。せめて自分の周りには、理解を広げよう。

2006年8月22日(火)
ハウマッチ英語で行く 世界旅

    孫文旧居の室内(入れなかったから、これは絵はがき) 

 世界旅は大げさだが、今までにヨーロッパを中心として、中国、韓国、ベトナム、アメリカ、オーストラリア、コスタリカ、ブラジルなど、結構あちこち行ってきた。
 いずれも純粋の観光旅行ではなく、「研修」旅行だから、国中を巡ったわけではない。それでも、学習の隙間をぬって、滞在地での「プチひとり旅」を楽しんだ。

 ハウマッチ英語だから、出国から帰国まで一人というのは、「ソウルひとり旅」だけだ。限界は確かにある。行った国の方と、少しこみいった交流をしたいと思っても「Why」の後が続かない。相手の言っている「Because」が分からないので、再質問ができない。ある時は、なるほどとか言ってごまかし、ある時は、分かりましたと言ってごまかすが、その実何にも分かっていない。

 しかし、用事を足すだけならば、ハウマッチ英語でも充分。相手がロボットではなく、考えてくれる人間で、場が設定されているならば、言葉がほとんど無くても通じる。
 上海に行ったときのことを思い出す。
 朝早く、「中国共産党第1回全国代表大会議」の開かれたという建物を見に行った。ホテルから、徒歩15分くらいだから大丈夫と、地図を片手にこっそり抜け出した。
 近くまで来ているはずなのに、見つからない。そこで、知っている中国語のひとつ「ニイハオ」と言いながら、家の前に、ひまそうに座っている老人に近づき、地図を指し示す。相手は、「中国語はダメだろうな」という顔をして、道を指さし教えてくれた。「シェシェ」とお礼を言い、「サイチェン」で別れた。知っている中国語を全て使い切った。
 同様のことを、3回ほど繰り返し、迷子にもならず、目的の場所に着いた。来た道を帰るのもつまらないから、予定外だったが、さらに脚をのばし、「魯迅旧居」まで行った。むろん開館時刻の2時間も前だから、中には入れなかったが、「こんな所に住んでいたんだ」ということだけは分かった。

 サンフランシスコでは、「OK」「Thank you」だけで、タクシーに乗り、見たかった教会まで行った。
 こんな話は枚挙にいとまがない。もっと知りたい人は「ハウマッチ英語で行く 世界旅」を、読んでほしい。近日中に立ち上げ予定。

2006年8月22日(火)
38億で何ができる? ネイティブスピーカー何人雇える? 

 文科省は、「英語教育の小学校から導入」を具体化するため、38億円を概算要求したそうだ。
 38億で何ができるというのか。
 テキストを作成して配る。また、読み書き英語が始まることになる。
 ネイティブスピーカーを何校かに一人雇う。先生が来た学校の子どもたちは良いが、来ない学校の子どもはどうなる。格差を付けるばかりではないか。
 中学校以来、10年間も「英語教育」を受けたのに、いまだにハウマッチ英語しかできない、私の立場から言わせてもらえば、「小学校から全児童に英語を教えるなど、『英語嫌い』を作るだけ」という論に賛成だ。
 ペーパーバックだけの、英語教育をするよりは、子どもたちの「好奇心」を育て、「お節介」な性格を伸ばし、日本語でしっかり基礎知識を教える方が、ずっと実になると思う。 
 息子の例を見ても、はっきりしている。
 約25年前の話だが、学童保育が終わった息子達を、時間つぶしに英語塾に行かせた。シスター達が運営する、当時は珍しいネイティブスピーカーだけの塾で、指導には一切日本語を使わなかった。
 次男は、そこで「おはようを英語ではグットモーニングと言うんだ」から始まる「語学」への興味を触発され、高校3年で、英検1級を取ってしまって、親を驚かせた。
 しかし、三男は、「あそこは、全然おもしろくなかった」と言っているが、英語には関心を示さなかった。そのままハウマッチになるかと思ったが、海外一人旅をきっかけに、かなり話せるように努力したらしい。原書を読むために必要だからと、英語の勉強もするようになった。
 
 いろんなことにたいする「好奇心」があれば、知りたい、理解したいという「欲求」から、必要な語学を学んでいくはずだ。欲求もないのにあてがっても「食わず嫌い」を作るだけではないか。
 お腹がすけば、美味しいと食べる。お腹がすいてもいないのに、「これは美味しいから食べろ。食べろ」と言われたら、食べる気がなくなるのに、似ているのではないか。
 何でも先に回って、うすーい施策をやり、「やっています。のびないのは自己責任です」と言われてはかなわない。子どもが何を求めているのかをつかんで、施策をしてほしい。親のエゴや独りよがり、アリバイ作りに迎合するのでなく。

2006年8月21日(月)
心の病 30代社員 急増

       30代社員に急増していることを示すグラフ

 8/21付け 朝日新聞一面トップ記事のタイトルが表題。
 記事を読みながら、1年前のことが思い出された。

 1年ぶりに銀行へ行った。暑い中を歩いていったから、喉が渇いてしまった。行内には浄水器がないので、「お水一杯いただけませんか」と言ってみた。すると、思いもかけない返事が、返ってきた。
 今の銀行では、行員は、お茶を自分持ちして、給湯器もないし、湯飲みを置く場所もない。とのこと。
 職場で、お茶のみくらいしなければ、息抜きもできないではないか。思いなしか、行員が、ギスギスして見えたのは、そのせいか。
 
 小泉政権の進めた、経営合理化を促す政策にのり、企業は、限界以上に無駄を削ることを、考えた結果ではないか。
 たまたま、私の行った銀行だけの問題ではなく、多くの企業が、限界以上の、余裕削りを進めた。その結果が、心の病を抱える社員の急増に、つながっていると思う。
 名前だけ有名な会社に入っても、お茶を、自分持ちして、職場の同僚と、話をする暇もなく、ただノルマに、追われている生活。それでは、やる気のない社員や、心を病む社員を、増やすことになるのは、当然の成り行き。目先の経費節減にはなっても、長い目で見たら、経験豊かな、優秀な社員を失うことになり、大きな損失を抱えることになろう。
 
 人間は、ロボットではないんだから、ゆとりや、遊びがなくては、長い期間、仕事し続けることは、できない。車のアクセルや、ブレーキでさえ、あそびがあるのだ。まして、生き物としての人間から、ゆとりや遊びを奪ったら、心が壊れるのは自明の理。
 なぜ経営者が、それを理解しないのかが、理解できない。

 小泉さんの大好きなアメリカでは、ずっと以前から、心の病を抱える人が、大勢いる。だから精神科医療が、進歩した。自己責任の、競争一辺倒の社会では、当然の帰結だ。
 日本も、そうなって良いのだろうか。小泉さんも、安倍さんも「自分は、心の病など関係ない」と、思っているのだろうか。奥田さん達、経団連などのお偉方も、「なる奴は、心が弱いんだ」くらいにしか、思っていないのかもしれない。
 人間として、まっとうな心を持っている者から、病に冒されているのに。気づかないのは、悲しいし、気づいていて進めているとすれば、どういう神経しているのかと思う。

 

2006年9月18日(月)
心の隙間に入り込む リフォーム詐欺

  瓦をはがされつつある屋根         金属製の屋根がほぼ完成

 自治会だよりに「リフォーム詐欺にご用心」の記事を載せようということになった。ついうっかり「被害者ここにいます」と言ってしまったら、「体験記を書いてくれ」と言われた。たかだか、400字ほどで、体験記など書けないと思ったが、通り一遍の「ご注意記事」よりはましかと思い、引き受けることにした。
 思い出したくもない、忌々しい事件だが、なぜ自分が引っかかったのかは、考えてみる価値がある。
 リフォーム詐欺のあることは、知っていた。「家に入れない」「その場で契約しない」などの、注意事項も知っていた。その上、「建設協同組合」の会員にもなっていた。何かあれば、相談に乗って貰えた。それなのに引っかかった。まさに「なーぜ?!」だ。

 いろいろ考えて得た結論は、以下のようなことだ。
 「一般的注意事項」は、自分のこととして、胸に落ちていないから、いざというとき、対処できない。知らないよりは知っている方が良いが、決定打にはならない。

 心に隙間があるときは、引っかかりやすい。私は、体調を崩しているとき来宅され、相手のペースにはまって、引っかかった。

 公共工事を隠れ蓑にされたこともある。最初は、自宅前の市道で、下水道工事をやっているとき、「敷地内の、排水溝も調べます」と、入ってきたことから始まった。それが、自宅の排水溝工事になり、工事済み検査から、屋根の雨漏り調査になり、とうとう、屋根の葺き替え工事に、到ってしまった。
 
 詐欺は、人間のすることだから、最後は「人間関係」の問題になる。屋根の調査に来た担当者が、いかにも「職人」を絵に描いたような、かっこいい男だったから、「この人が言うんなら、本当かもしれない」と、信じてしまったふしもある。
 後日、テレビで詐欺のニュースが流れ、担当者の名前を聞いたときは、「やっぱり! あの人は・・・」と、自分の愚かさを、思い知らされた。
 
 いろいろ原因をあげたが、最大の弱点は「建築に関する知識がない」ことにつきる。
 「職人」の彼が、詐欺マニュアル通りと思われる口ぶりで「瓦がずれて、漆喰もダメになっているから、こんなふうに漆喰が落ちる」と言いながら、漆喰のかけらを、屋根から放った。屋根の上に見に行けないから、彼のポケットから出したのか、本当に屋根から拾ったのか分からない。落ちた漆喰を見ても、我が家のものかどうか判断できない。
 「これは、詐欺マニュアル通りかも」と思っても、決定的証拠がない。
 屋根裏をデジカメ写真で見せられたが、どれがカビなのか、自然の汚れか区別できない。カビだと言われると、そうかなとも思える。
 後日、協同組合の方に、写真を見てもらったら、こんなものは、屋根の葺き替えが必要なカビじゃないと言われた。もっと驚いたのは、最初の排水溝工事も必要ないものだった。
 写真が証拠として残ったので、その後の業者との交渉では有利に働き、適正価格での工事に、させることはできた。しかし、必要ない工事をさせられた、悔しさは消えない。

 今さら専門知識は、学ぶ元気がない。協同組合の方に頼んで「家庭医」ならぬ「家庭建」になってもらおう。これが、詐欺防御のベストな方法だと思う。
 

2006年8月15日(火)
御礼参りの若者。左右の衝突に備えるポリス

      当日のにぎわいを写した朝日新聞
   説明には「閉門直前までにぎわう靖国神社」とある。



 21年ぶりに、首相が「靖国参拝」をするから便乗して、ではないが、靖国神社に行くことは、今の日本の、動向を知ることになると言われて、行ってみた。
 地下鉄「九段下」の駅から、大鳥居を越えて本殿まで、人。人。人。夏祭りか、花火大会の人出、という感じ。

 首相の参拝は、終わったはずなのに、まだ、警備の警察官が、いっぱいだ。なぜまだ居るのか。疑問を持つと聞かずにはいられない、5歳児の発達段階のばあさん。
 ちょっと暇そうな一人に「首相の参拝終わっても、警備ですか。なぜですか」と質問。そこは白髪の効用。「何を聞く?!」という顔もせず、答えてくれた。
 要約すると、「靖国参拝に、賛成と反対の方が居て、衝突することがあるので、それを阻止するためです」ということらしい。なるほど。自分がブラックリストに載らぬよう「ゴクロー様です」と、深々とお辞儀をして離れた。

 参道を、押されるように、歩いていくと、若者ふたりが、目にとまった。
 前回は、参拝の若者には、「靖国に来たぞ」という「構え」が、感じられた。しかし、今年の若者には、それがほとんど、感じられないので、「なーぜ」?」と思ったのだ。
 「お参りですか」と聞くと「ええ、御礼参りです」と物騒な答え。「えっ」と思ったが、ひるまずに聞いてみた。すると、大学合格祈願して、見事合格したので、文字通りの「御礼参り」に来たのだという。

 靖国神社は「軍人さん」というイメージだったが、神社なんだから「合格祈願」があっても、不思議ではない。「安産祈願」とか「縁結び」も、始めるかもしれない。
 そして、ディズニーランドにでも行くような感覚の、若者を取り込み、「善光寺参り」に行くような「善男・善女」を取り込んでいくのだろう。現に今年の参拝者を見る限り、すでにそうなっている。
 宗教法人ではなく、特別法人にするという話も出ているが、どうなるにせよ、真のねらいは「お国のために死ねる人」の中心になることなのだろう。実際になったところを見たくない。しかし、後20年生きたら、見ざるを得ないだろうなあ。

2006年8月10日(木)
トチの実燃やす行政など、怒ることではない

  街路樹のトチの実が熟れてきて、そのままにしておくと、落ちて通行人が怪我をする危険があるため、トチの実を落としたという、ローカルニュースがテレビで流れた。そのなかで、落とした実は焼却処分されると報道されたので、ムカッと来た。
 「何で燃やすんだよ。トチの実細工に使えるじゃない。熊の餌になるじゃない。欲しい人にあげて、それから余った分を消却しても遅くはないだろうに。全部燃やすより、経費が安いし、環境にも優しいはず。それなのに、何でも燃やせばいいと思っている」というのが、ムカッの理由。

 札まで燃やす行政(岐阜県庁)だから、トチの実を燃やすくらい、どうということはないだろう。そんなことにまで文句言われたら、やってらんないと言われるかもしれない。
 しかし、お上の時代は終わったはず。庶民の言うことも聞いて、きめ細かい行政を進めてもらいたいものだ。

2006年8月3日(木)
愛国心あふれる人?

    学習会参加のため、地下鉄に乗った。昼間の電車は、混んでいるというほどではないが、ザラッといっぱいで、ふたりが同時に座れるスペースはなかった。
 イタリア系と思われる男性と、日本人女性のふたり連れが乗り込んできた。ふたり並んで座れる席はない。私の横に女性が座り、前に男性が立った。
 次の駅で、前の座席がひとり分空いた。しかし、ふたりは別々に座る気はないらしく、男性は立ったままだった。
 「どうぞ」というと、私は前の座席に移り、ふたりが並んで座れるようにしてあげた。
 どうということはない「小さな親切」だが、「もし、日本人のペアでも譲るか」「外人さんがヨーロッパ系でなく、アフリカ系などでも譲ったか」と考えた。

 「自虐史観」とか「外国人参政権反対」などと、騒いでいる輩に対しては「なんだ。愛国心振りかざして」と思うが、小学校では、DDTをまかれ、鼻をつまんで、アメリカ軍お下がりの脱脂粉乳を飲んで育った世代。ヨーロッパ系には何となく、いわれのない劣等感を持ってしまうらしい。彼らに「日本人て親切でいい人達だ」と思わせたくなってしまうようだ。

 私がおりるとき、まだ座っていた彼らが、にこっと笑って会釈してくれた。「良かった」と思いながらも、何となく胸の奥に引っかかるものを持ってしまった。

2006年8月1日(火)
白髪の効用

  久しぶりに、電車に乗った。以前と勝手が違って感じたことを書いてみる。

 50代から白髪が出てきたが、「自然がベスト」とか言って、そのままにしていた。実はズボラで、染めるのが面倒なだけだったのだが。
 定年の挨拶で、「ここへ来たときには黒かった髪が、今はこんなになった。しかし、白髪も良いもの。得することも多い」と話したら、子どもたちに大受けした。
 世の中には、白髪は年寄りという「固定観念」があるから、少々周りに迷惑かけても、「すみません。歳でボケてますので」と言えば、いやな顔はしても、それ以上文句は言わない。その手で、自分が楽に進める道をとれていた。

 しかし、3年前に比べ、今はより世知辛くなっている。電車で席譲られることが減った。荷物の網棚への上げ下ろしも、気軽に手伝ってくれる人が減った。私が3年前より今の方が、若くなったとは思えないのに。
 この3年間で、世の中はホントに悪くなった。人々は、自分のことだけで、精一杯になっている。自分が負け組にならないために、必死になっている。「年寄りを大事にしろ」などと叱れないくらい、せっぱ詰まっている感じがする。

 それでも、店の人はより親切になった。売り上げを伸ばすために、必死なのだろう。「お客様は神様」が頂点に達している感じで、これまた気の毒になるくらい。
 こちらとしては有り難い限り。食べ方、作り方、着方、など。それぞれのプロが丁寧に教えてくれる。若いときは、「店員は売りつける人」と警戒していたところがあって、聞いたら損と思っていたが、随分損をしてきたものだ。これからは、ひとりでキリキリしないで、大いに聞いて、楽に暮らしていきたいものだ。
 

2006年8月1日(火)
既製品なのにそっくりとは・・・

  「つっぱりばあさんのはらだち日記」に、ロゴマークとして入れた白髪のばあさん顔。
画像素材集にある既製品。それなのに、私そっくり。自分で似顔絵が描けないから、困ったなと思っていたので、これ幸いと借用した。髪は既製品ほど白くはないが、眼鏡をかけた丸っこい顔は、どう見ても私だ。
 自分が個性的な顔をしている、とは思っていなかったが、既製品になるほど、ありきたりの顔とは、思ってもみなかった。「私は、どこにでもいるばあさん顔の女」ということらしい。がっかりしたが、みんなに好かれる一般的な顔だから、良いことだと思うことにしよう。

 

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