ツッパリばあさんのはらだち日記

人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。


日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2010年1月31日(日)
愛を絶叫する「愛妻家」たち

  日本には便乗商法が数々ある。語呂合わせをしては「○○の日」とか言って、いろんな物を買わせようとする。魂胆が見え見えで余り好きではない。
 便乗商法の最たるものはクリスマスだと思うが、バレンタインデーも近頃はすっかり定着してしまった。そう言いながら「今年も息子達にチョコレートを買ってやろうか。誰にももらわないのはかわいそうだから」などと考えてしまう。便乗商法にまんまと乗せられている現状。
 
 今度は花屋の便乗商法ができたようだ。1/31を「愛妻の日」としたらしい。1をアイと読ませて31をサイと読ませるのだろう。誰が考えるのか、語呂合わせやダジャレを考える人の才能には脱帽だ。頭の固い頑固ばあさんには思いもつかない。
  その上「世界の中心で愛を叫ぶ」以来有名になった「○○の中心」も引っかけて「日比谷公園の中心で妻に愛を叫ぶ」という催しにしてしまったらしい。

 チューリップの花言葉が「永遠の愛」だとは知らなかった。そもそも花言葉はほとんど知らないのだが。チューリップを持って、特設ステージで「愛してる」を絶叫したとのこと。何人の人が「絶叫」したのか、チューリップの花は本人が買ったのか花屋が提供したのかは不明。「そんなことはどうでも良いことではないか。妻に向かって絶叫したことに意味があるのだ」と叱られそうだが、絶叫してもらえないこちらとしては、絶叫の内容よりも、周辺のことの方に関心がある。

 ステージの男性を見る限りでは20代だけではなさそうで、かなりの「オッさん」も居たようだ。コメントにある男性は40才で、妻は38才とのこと。那須塩原市在住と書かれているが、なぜ日比谷公園にいるのだろうか。このイベントに参加するためにわざわざ那須塩原から出掛けてきたのだろうか。イベントは夕方開かれたらしいから、夫婦で夕方出掛けてきたことになる。飲食店経営とのことだが、夕方のかき入れ時に店を閉めてきたのか。それとも偶然定休日だったのか。
 「だから夢がない」と言われそうだが、店を休んで、子どもはどこかに預けて、夫婦で参加したのか、子どもも一緒に参加したのか。「現実主義」のばあさんとしては、彼らの生活に思いがいってしまう。

 とにかく、妻に対して衆人の前で「絶叫」するなど、団塊以前の世代にはなかなか考えられない光景ではないかと思う。
 「男は黙って・・・」の世代は、気持ちがあったとしても表現できないだろう。もう少し若かったら修正がきくだろうが「今更・・・」と言って変えることを止めてしまいそうな気がする。「あらたむるに・・・」の諺はなかなか実行できそうにない。
 衆人の前では難しくても、相手に面と向かって「ありがとう」だの「愛してるよ」だのと言える関係を作ることは大事だと思う。団塊以前の世代でもまだまだ20年、30年共に暮らす年月はあるのだから。「こそばゆい」だの「わざとらしくて聞いちゃいられない」などと言いながらも、言われた妻とてまんざらでもないと思う。どんなに「お世辞」と分かっていても、褒められて気分が悪くなる人は少ないだろうから。 

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2010年1月27日(水)
ヒロシマ市長が投下国大統領と握手

 写真入りだが小さな記事が目についた。「『歴史的握手』を公開」の見出しに「何かな?」と思ったからだ。
 広島市の秋葉市長がホワイトハウスを訪れ、オバマ大統領と握手した写真を、全米市長会議が公開したとの報道。
 
 秋葉市長が「ヒロシマ」という呼びかけをすると、オバマ大統領はすぐに気づいて握手をしたとのこと。広島訪問を求めた秋葉氏に「行きたいと思います」と即答したそうだ。
 全米市長会が秋葉市長と共にホワイトハウスを訪問したらしいが、なぜ訪問したのかは分からない。全米市長会に秋葉市長が来賓で呼ばれたのか、日米の市長交流ということで訪米していたのか。ニュースを注意していなかったから、分からない。

 それにしても、今まで現職の大統領が、被爆地の市長と面談したことがなかったとは驚きだ。前大統領のブッシュ氏は会わないだろうと思うが、それ以前の大統領が誰も会っていなかったとは。やはり、投下国の大統領としては「我が国の投下の正当性」を言い続ける必要性から、被爆地の市長などとは会えなかったのだろう。会えば責任問題を言われるに決まっているし、それがたとえ無いとしても「正当性」を言いづらくなるだろう。被爆地の惨状は充分分かっているだろうし、それに対して何もしてこなかったアメリカの責任も自覚しているだろうから。

 オバマさんの人気が落ちてきていて、民主党が補選で負けたとのニュースもある。このまま下がり続けて、次の大統領選で落ちるようなことにならないかと心配だ。
 ノーベル平和賞は「先行投資」すぎた面もあるようだが、それにしても、被爆地の市長と正面から向き合う大統領は、今まで無かったアメリカの象徴的な存在だと思う。
 オバマさんが落選して、共和党が復活でもしたら、被爆地の市長とは二度と会ってはくれないだろう。「我が国の正当性」を前面に押し出して、排除するだろうから。

 「行きたいと思う」と言ったオバマさんの希望を実現させる方向で、日米が考えてもらいたいものだ。日本も自民党ではなく民主党になったのだから、今までのしがらみは取り払って、これからの方向を考えられるときが来たはず。
 投下国の大統領が被爆地を訪問し、今もなお苦しんでいる被爆者と会い、世界からの核廃絶の決意を一層強固にしてもらいたい。
 なお言えば、ロシアのプーチン氏にもぜひ被爆地を訪問してもらい、核廃絶の必要性を痛感してもらいたいものだ。二大保有国の指導者が、被爆の実態を体感してもらえば、核廃絶へ弾みがつくのではないか。
 核廃絶は夢物語だとしている一派に、事実を見せてやるときが来ることを願っている。

2010年1月22日(金)
他家ではゴミでも 我が家じゃ現役

 息子が引っ越し荷物を運んできた。運送屋に頼む金がないから、自分でトラックを借りて、何回かに分けて運んだ。
 かなり突然の舞い戻りだから、転用していた彼の部屋の「原状回復」が間に合わず、トラックから降ろした荷物を即部屋に運べなかった。そのため、車が無くなって、地下室の出来損ないのようになっているガレージに、一時保管する羽目になった。

 夜の間にとられる物もないからと放って置いたら、翌日ピンポンがなった。ちょうど別の荷物を移動する日だったので、その人が来宅したかと「ハイハイ」とドアを開けた。ところが、階段の下にいたのは「廃品回収」の車から降りた業者の方だった。「ここにある物は廃品に出す物ではありませんか」というのだ。「えっ!」と言ったきり、何のことか一瞬分からなかった。

 息子の荷物だから本人が良いようにするだろうと、ろくに見てもいなかったので、どんな荷物が来ているか知らなかった。業者に言われて階段下に降り、改めて荷物をしげしげと眺めた。アパートに引っ越すときに使った段ボールを取っておいたのかもしれないが、古びけた段ボールが相当数ある。「あの狭い6畳間のどこに入れていたのだろう」と感心するくらいの量だ。その横には、引き出しが壊れかけた、勉強机のなれの果てという代物。手前には、ゴミ置き場から拾ってきたのかと思うような回転椅子。
 まともな品物は殆ど無いに等しい。

 我が家の周りは、結構「物持ち」の家が多く、廃品として出てくる家具や道具は「もらってもよろしいでしょうか」と言いたいようなものが少なくない。それを当て込んでか、「廃品回収車」がしょっちゅう回ってくる。時には1台が行ったかと思う端から次の車が来るようなときもある。「財産整理」に入っている年代のお宅も多いから、需要があるのだろう。

 そういう中にあっては、息子の荷物は、完全に「廃品」の仲間入りをする代物ばかりといっても過言ではない。
 しかし、息子にとっては「現役」の家具なのだ。それを見て「買い換えたら」という金のない私にとっても「現役」でいてくれなくては困る。

 業者は、わざわざ車を降りたので「何か出す物はありませんか」と勧誘を始めた。「壊れた炊飯器くらいしかありませんね」と言いつつ、内心「お引き取り願いたい」と思ったら「見せてください」とのたもう。仕方がないから上がってもらうと「500円で引き取りますよ」ときた。「タダかと思うと金を取られるから気をつけろ」と言われていたから「それなら良いです」と断ると「市に頼むと消費税分で525円になるからうちの方が安いですよ」とたたみかけられた。25円でもグラッと来たが「考えときます」と「出張引き取りチラシ」だけ受け取ってお帰り願った。

 よそ様ではとっくに「廃品」になる代物でも、我が家では「現役」として、いよいよ壊れるまで使い切る。これぞ究極のエコではないか。これも「ツッパリばあさん」スタイルだから、今後も貫いていくつもり。世の流れが変わってもおいそれとは変えられない。

2010年1月22日(金)
ネコにまつわる諺を地で行く日々

 ネコにまつわる諺は結構いくつもある。俗諺、俚諺のたぐいもあるが。
 「借りてきたネコ」「ネコは3日で恩を忘れる」を地で行っているのが、今の我が家。

 息子がネコを連れて帰ってきた。一人暮らしをしたいからと、ろくな仕事にも就いていないのにアパート暮らしなどをしたのだが、この厳しいご時世では食っていけないから、仕方なく帰ってきた。帰る家があるから良かったが、そうでなければホームレスになるところだ。
 元々、家で彼が飼っていたネコのうち、ネコと同居OKのアパートを見つけて、1匹だけ連れて行ったので、我が家には最後の1匹が残されていた。2年半ほど別れていたが、今回また同居することになった。

 2階で仕事していた私のところに、息子だけがカラのゲージを持ってあがってきた。「トラちゃんはどうしたの」と言うと「下にいる」との返事。久しぶりのご対面をと降りて見ると、部屋の隅に隠れるように座っていて、ニャーとも言わない。文字どおりの「借りてきたネコ」状態を絵に描いたような姿。かつては自分の家だったという記憶がまったくないらしい。

 そのうち、外で遊んでいたミーちゃんが帰ってきた。我が家にいたネコたち兄妹(姉弟かも)の2年半ぶりのご対面になった。互いを見ているが、ニャーとも言わない。フーッとも言わないので、人間よりは親近感を持っているのか、どこかに昔の記憶が残っていて、まるっきりの初対面とは思っていないのか。これならどうにか共存できるかと安堵した。トラは雄でミーは雌だから、何とかなったのかもしれないが。

 ネコ同志は何とか折り合いがつきそうだが、息子とミーとは全く折り合いがつかない。トラと私も同様だが。
 かつての「ご主人様」をミーちゃんはすっかり忘れていて、おとなの男としか見ることができず、もっとも苦手とする人間だから、怖がって家から飛び出してしまった。
 反対に、余り世話をしていなかったとはいえ、この家の主である私に対して、トラちゃんは警戒心をむき出しにする。こちらは雄だけあって、近づこうとすると鼻にしわを寄せて「フーっ!」と言い、口を大きく開け威嚇のポーズをとる。それ以上近づいたら爪をかけられそうだから、早々に退散した。

 「3日で忘れる」ネコだから、3日我慢すればなれるだろうとたかをくくっているが、その間に逃げ出して外でトラブルを起こしたり、トイレに行かずに室内で用を足してしまったりという危険がある。
 たかがネコ、されどネコで、人間の都合であちこち連れ回すことは考えねばならない。それにしても、昔の人は物事をよく観察して、的確な表現で次代に伝えていたのだと、改めて感心した。

2010年1月19日(火)
テイコクシュギは排除されるべきか

  「テイコクシュギ」とカナで書いたのは、テイコクシュギと聞くと「帝国主義」を連想するのが一般的だと思うからで、私自身もこの言葉を初めて聞いたときには「帝国主義」を連想し、何ということを言うのかと憤慨しそうになった。
 日本語は同音異義語が数多くあるし、同音に引っかけていろんな「新語」を作る名人が居る。「テイコクシュギ」もまさにその一つで、漢字で書くと「定刻主義」となる。

 「定刻主義」は大賛成だから、その後は「私は定刻主義者です」と言うことにしている。毎朝やっている公園体操でも「定刻主義」を通している。7時40分になれば、例え半数しか来ていなくても始めてしまう。参加者の皆さんもなれたもので、来る人は来るし、遅れる人は遅れる。遅れたから罰があるのでもなく、早いから賞が出るわけでもない。それぞれの流儀に従ってやっている。それで支障はないから誰も何も言わない。

 先日、新年会を兼ねた集会があった。民主的と言っている会なのだが、日本特有の「○○時間」がある会で、定時に始まることはまれのような状況がある。革新的な素晴らしい会だから参加しているが、開始が遅れることが玉にきずで、いつも我慢させられていた。 先日も心配した通り、定時に集まったのは1/3にも満たない。こちらは時間を気にして昼食もとらずに駆けつけたので、イライラしていた。
 
 「時間すぎたのだから始めませんか」という提案に対し、副責任者が「私は待ちたいんです」との答え。遅れてくる者を待ってやるのは「思いやり」だとの考えなのだろう。しかし、定時に来ている者に対する「思いやり」はどうなるのか。定時に来る者は暇な人間で、遅れてくる者は忙しいから待ってやるのが思いやりという考えもあるかもしれない。しかし、私に限って言えば、暇だから定時に来られるわけではない。定時に来るためには、途中でほってくることがあれこれある。後10分で仕上がる洗濯物干しを諦めたり、食事もとらなかったりと、様々犠牲を払って定時を守る。そういう者に対する「思いやり」は、定時に始めることだと思うのだが、なぜか日本では遅れる者にだけ「思いやり」をかける伝統がある。私としては「悪しき伝統」で、民主的な集団では改革が必要だと思うのだが。

 病気のせいか、イライラを我慢する力が減退しているので「遅れてくる者を待つなら、私は帰ります。定時に来ている者を尊重できないような会では共にやれません」と語気を荒げた。「またそう極端なことを言う」と止めに入った仲間もいたが、勢いに押されて「じゃ始めましょう」ということになった。「乾杯はリハーサルです。全員そろったら本番をすればいいのですから」との提案に、渋々の副責任者もホッとした顔に戻った。

 日本には「○○時間」が多すぎる。時間は取り返しのつかない事柄の代表格で、待たされるということは、自分の時間を盗まれていることに等しいと感じている。
 だから、本当は遅れる方も気を使って大変ではないかと推測している。自分が仲間の時間を盗んでいると考えたら、気が気ではないと思う。遅れることが分かっていたら、連絡するし、始めていてほしいと願うのではないか。
 少なくとも私は、遅れたときには始めていてもらいたいと思う。自分のために始められないと思ったら、焦って事故でも起こしかねない。遅れたら始めていてくれると思えば、気が楽になってゆっくり行動できる。その方がお互いの精神衛生には良いのではないかと考えている。
 とにかく、イライラして命を縮めるようなことにはなりたくないから、定時に始める習慣に変わってほしいものだ。

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2010年1月15日(金)
今度は民主に接近の統一協会

 「統一協会の犯罪認定される」とのタイトルで、09.11/12に統一協会について日記に書いた。犯罪性が認定されて、少しは被害者が無くなるだろうかと期待した。
 しかし、彼らの常套手段をまた使ってきていることが新聞の記事で分かった。

 「統一協会、民主に接近」「集団結婚参加者が選挙応援」の見出しに「やっぱり!」と思いながら本文を読んだ。案の定、彼らの常套手段である「政治家への取り入り」である。政界にパイプを作ることが、自分たちの「犯罪行為」を隠蔽し、勢力を広げるのに有利だから、常套手段としているのは自明の理である。以前は自民党だったが、今回民主党が政権を取ったから、即民主党への接近を図ったのだろう。
 とにかく、権威や権力を持っていると考えられる者達の取り込みがうまい。
 大学教員などには学究の会のように装った団体を作って取り込む。時には、論文などを書かせて、法外とも言える原稿料を払ったりする。
 大学の教員などという人種は、自分の学問には精通しているが、社会的には子どものようなところがあるから、チョロッと騙されて取り込まれてしまう。

 権力を持っている「議員」と名の付く者達にも接近し、取り込みをはかる。これには選挙活動の利用が確実。選挙には莫大とも言える金がかかるようで、これを安くあげることができれば、非常な喜びになるわけだから、そこを狙ってくる。
 タダか、タダ同然のような手当で選挙運動を熱心にやる。実際、現場に派遣されるのは「熱心な信者」だから、真面目に精一杯活動する。候補者の立場からは、こんなに有り難い存在はないというもの。
 そして、首尾良く議員になれば、さまざまな便宜を図らせたり、ヤバイ「商売」をしても罪に問われないよう、裏から手を回してもらうという「見返り」を要求する。

 統一協会側の意図や行動はよく分かる。
 しかし、議員なり候補者がどうして易々と、運動員に加えてしまうのか。どうして取り込まれてしまうのかが理解に苦しむところだ。
 報道によれば、外国での犯罪歴で日本入国が禁止されている文鮮明が「特例入国」できたのは、当時自民党副総裁だった金丸信氏が法務省に口利きしたからとのこと。
 霊感商法の摘発が進み、宗教法人の認証取り消し問題が浮上する現在の状況下では、政界とのパイプ役だった、梶栗玄太郎元国際勝共連合理事長が会長になったとのこと。
 勘ぐれば、宗教法人取り消しを取り消させるよう、政界への働きかけを強めようとしているとも受け取れる。

 選挙に金がかかるのは、金で人心を買おうとするためだろうし、議員活動に金がいるのも、金を目当てに動く人間を相手にしているからだろう。
 善良な庶民から、なけなしの金を巻き上げて、そのカネで政界にコネを作り、ますます庶民を苦しめるような活動をしていく。何ともはや「これを宗教法人」というのかという団体だ。
 そういう団体に接近されても、鼻の下を長くして受け入れてしまうような政治家にはなってほしくないものだ。権力を持ったからと、即接近された民主党関係の議員諸氏には心してもらいたい。庶民の味方を言うならば、庶民の敵とは関係を持ってほしくない。

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2010年1月11日(月)
「アラー」はイスラム教だけの神か

  「『アラー』使用で論争」「キリスト教会襲撃」の記事に「何だ?!」と思って読んでみた。日本では考えられないことだが、イスラム教圏では、宗教に絡んでの紛争がちょくちょく起こっているようだ。特に中世の十字軍以来からか、キリスト教とイスラム教との対立が多いらしい。
 
 アラーと言えばイスラム教の「神」という認識だったが、「唯一絶対の神」という意味では、イスラム教以前から使われていたそうだ。
 それにもかかわらず、アラーと言えばイスラム教の神のように思いこみ、他の宗教がアラーの言葉を使うことに反発するイスラム教徒は、どうにも心が狭いように思う。

 しかし、マレーシアでは信者だけの問題ではなく「神」を「アラー」と訳したキリスト教の聖書が、15000冊も政府に没収されたとか、カトリック団体のマレー語版週刊誌にアラーという単語を使わないように政府が指示した、と書かれている。週刊誌側が提訴して論争が広がり、同国高裁が「キリスト教もアラーの言葉を使える」との判決を言い渡したら、内務省が控訴したとのこと。そして、判決に抗議してイスラム教徒がデモや抗議活動を展開しているのだとのこと。抗議活動がエスカレートして、襲撃事件に発展し、4カ所のキリスト教会に火炎瓶などが投げ込まれたとも書かれている。

 イスラム教徒が皆過激な行動をするのではなく、ほとんどの信者は穏健だが、一部の過激派が目立つ行動をしているのだと、ネットで調べた記事には書かれていた。
 確かに、何にでも「過激派」というのは居るものだから、イスラム教徒だけが特別ではないかもしれない。
 イスラム教のことは余りよく知らないから、新聞などの報道によって判断している面があると思う。日本の報道がどれだけ中立か分からないが、新聞などのマスコミは、派手な動きを追いかける傾向があるから、一部の行動にもかかわらず、それが全体の動きであるがごとき錯覚を与えている面は否めない。

 しかし、過激派の行動が、多数派とは全く違う「浮いた存在」であれば、マスコミで取り上げるほどの力にはならないとも考えられる。内務省が控訴するくらいで、アラーの言葉はイスラムだけだとの考えが全体に強いから、過激な行動が国民から容認されているとも考えられる。
 イスラム教徒だけの問題ではないかもしれないが、イスラム教徒の持つ「絶対的な確信」のような宗教観はどこから生まれるのだろう。伝統とだけでは説明つかない。
 厳しい生活の中から生まれてくるのだろうか。イスラム教が、貧しい人々の最後の砦のような存在になっているのだろうか。
 日本にいては理解できない存在に思われる。とはいえ、過激行動に出て襲撃事件まで起こすというのは、民主主義とは遠い存在に思われる。

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2010年1月11日(月)
軍国少女を変えた映画たち

  息子達が保育園生だった頃、共に保育運動をしていた友人と久しぶりに会った。
 あの頃は週に1回くらいも会うほどのつきあいだったが、その後は忙しさに紛れ、だんだん脚が遠のいていった。「正月だから会ってみよう」と、近くに行ったので顔を出した。
 
 「あと2つで80だもんね」と孫に言われた話になり、女学生時代の思い出話をしてくださった。30年近くの親交がありながら、彼女の青春時代の話を聞く機会はなかったので、新鮮な気持ちで聞いた。
 県立女学校に受かるはずもない成績だったのに、どうしても行きたかったので「落ちても良いから受けます」と受験したそうだ。成績はどうだったか分からないが、口頭試問の教官に「もし米兵が上陸してきたらどうするか」と聞かれ「はいっ。竹槍で闘います!!」と答えたら合格してしまった。校内の教練で持久走があり、心臓肥大にもかかわらず最後の一人になるまで走り続け、ゴールした途端倒れ込むという「演技」までしたので、教官に気に入られ開墾組ではなく、通信組に入れてもらえたなどの話に「軍国少女だったのですか」と、聞かずもがなのバカな質問をしてしまった。市民運動の「闘志」のようだった彼女が、軍国少女だったとは信じられなかったから。

 「そうよ。軍国少女だったのよ」との返事に「軍国少女を変えたのは何だったのですか」と質問した。「女学校での墨塗り教育」とか「先生達の変化」とか、学校教育での「転向」が当然のように思っていたから、聞かなくても分かっていると思いながらの質問だった。 ところが、全く異なる答が返ってきた。「そうねえ・・・」とのあとに「映画かしらね」と言ったのだ。
 彼女は戦災で焼け出され、女学校などに通える経済状態ではなかったので、今で言うバイトをしたとのこと。それが「映画館の掃除」だったそうだ。
 上映終了後の映画館で、椅子を拭いたり通路を履いたりするバイトをしたのだとのこと。仕事を始める前に映画を見ていたのだそうだ。

 軍国少女の目に映った外国映画の数々は「今までの日本は何だったのか」「私は何をしてきたのか」と考えさせるに充分すぎたそうだ。
 「市民ケーン」「戦艦ポチョムキン」をはじめ「心の旅路」「ガス灯」「ジエーン・エア」「我が道を行く」「我らの生涯の最良の年」「三十四丁目の奇蹟」等々。いくつかは私自身もリバイバル上映されたときに見た映画が並ぶ。それまでは「戦時中」で映画どころではなかっただろうし、もし見たとしても「戦意高揚映画」などだったろう。
 今まで教えられたことと180度違う世界が、すでに外国にはある。今まで受けた教育の愚かしさも分かっただろう。

 軍国少女の転向話はいくつも聞いてきた。映画が衝撃的だったという話も聞いている。しかし、目の前で「私は・・・」という話を聞いたのは初めてだった。
 私はそれらの「大逆転」の時を体験していない。体験した者としていない者との「精神の心棒の違い」を思い知らされた気がした。
 「彼女の強さの原点がここにあるんだ」と納得できた。女学校卒業後も決して安定した生活ではなかったらしい。連れあいの年金を調べたら、30くらいも職場を変わっているのだという話も聞いた。「レッドパージ」にあったのかもしれない。組合などの活動に関わったために、職種が変わったのかもしれない。これも38年も同一職種で、33年も同一職場で過ごしてきた私には頭が上がらないところ。

 自分はかなり苦しい体験をくぐってきていると思いこんでいたが、彼女の前ではおとなと子どもほどの違いがある。私の体験など、彼女の体験からすれば「ままごと」のようだ。
 世間話の続きとして聞くのではなく、きちんと向き合って「体験を聞く会」を持たねばならないと感じて帰宅した。

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2010年1月8日(金)
自閉症の人は感情の神経機能が低かった

  自閉症の人は、ものにこだわったり、臨機応変の行動が取れなかったりで、扱いにくい存在と見られていた。
 初期には、育て方が悪いとか、人格的に問題があるとかと見られて、家族や本人が大きな生きにくさを抱えていた。知的遅れだけの人と比べて問題視されることも多かった。

 「自閉症の人の脳」「感情の神経機能 低かった」との見出しに「やっぱり!」と思いながら、本文を読んだ。
 神経伝達物質セロトニンを伝える神経のうち、セロトニンの運搬をになうタンパク質の機能が、健常者に比べて30%ほども低いことが分かったとのこと。機能が低いほど、物へのこだわりや、他人の気持ちの理解が困難な症状が強く表れることも分かったと書かれている。

 脳の機能が画像で示せるようになったから、今の状態がどうなっているかの研究が進んだ。その結果、推測や統計ではなく、はっきりした数値や目に見える画像で示され、説得力が増した。 研究チームは「自閉症は育て方が悪いと誤解されがちだが、脳の障害であることが明確になった。予防や治療の方法が進むだろう」とコメントしていると、本文は結ばれている。

 精神障害もそうだが、自閉症も「育て方が悪い」とか「先祖のたたりだ」とか「悪霊につかれている」などと言われ、癌や糖尿病などの病気とは別の次元で考えられることが多かったように思う。精神や心の問題は、細胞の変化や数値の変化で現すことが難しかったために、肉体的な「脳細胞」の障害と認められず、人格などの「こころの有り様」という次元で片づけられていた。 それが「脳細胞の障害」という物理的というか、肉体的というか、他の臓器の病気や障害と並列に見られるようになるのは嬉しいことだ。

 人間は理解できない問題に対して、警戒心からだろうが、特別視して排除したがる。
 以前は、聞こえない、見えないなども特別視し、排除していた。しかし、原因や行動についての知識が広がり、余り排除しなくなった。その結果「差別」も少なくなりつつある。 自閉症や精神障害も、もっと知識が広がれば「差別」が少なくなるだろう。
 脳の研究がもっと進んで、どういう治療をすれば改善されるとか、どういう予防法があるなどの知識が普及することを期待したい。

2010年1月8日(金)
チャッカリばあさん 中国方式で

  預金口座から振り込みをするために、銀行に行った。
 手続きが分からないので窓口で聞き、指示通りに書いたつもりで持っていくと、あちこち記入漏れがあった。そそっかしやだから見落としがあったらしい。「済みませんね。よく見なかったので」と言いながら記入したが、嫌な顔をしないで丁寧な対応をしてくれた。
 どうも「年寄りだから仕方ない」と思ったらしい。どう思われようと、自分にとって悪くない対応だから、そのまま「年より」を通した。

 以前にも書いたが「髪が白い人は年より」との公式ができているらしく、帽子をかぶらないで髪を出していると「親切」に扱われることが多い。
 電車に乗るときには、それまでかぶっていた帽子を取って、髪を見せることにしている。そうすれば、座れる確率が高くなるので。
 子どもが公共のマナー違反するおとなになることをいさめたテレビCMが、昨年秋頃に流されていたが、電車内でCMを地で行くような体験もした。

 研究会や集会で、久しぶりに会う人が居る場合は、以前と様変わりしていてびっくりするといけないので、帽子をかぶっていくことにしている。
 先日も、5年ぶりくらいに会う人が居る集会に出てみた。帽子のせいで「以前と変わりませんね。むしろ以前より若々しくなったみたい」とのお世辞半分の言葉が返ってきた。
 5年前の体調悪かった時を覚えている人には、今の方がむしろシャキシャキしていて若く見えたかもしれない。

 そんなこんなで、その場その場で使い分けをしている自分が「中国外交のようだ」と思われる。
 国連での中国の言動は、場面によって180度変わる。
 地球温暖化問題では「途上国」を標榜し「先進国の削減を」と、インドなどと手を組んで主張する。現在CO2排出量が世界1、2となっているにもかかわらず「途上国」だからと、温暖化の基準を緩くする立場に固執する。GDPは日本を抜いて世界第2位になろうとしている現状がありながら。
 温暖化の問題だけをとれば、確かに今まで排出してきたのは「先進国」だから、そこが厳しい基準をクリアーすべきは当然ではある。中国が排出したのはごく最近のことだ。だからといって、GDPが世界2位になろうという「大国」が「途上国」なのか。「おまえに言われたくない」と言いたい。

 その一方で「核問題」「軍縮問題」などに関する場面になると、180度豹変して「核大国」「軍事大国」としての主張を始める。核保有国だから英米仏などと同等に扱えと言う。「途上国」らしく引っ込んではいない。
 「中華」思想がそういうものなのか。そういう思想がなければ「中国四千年」の歴史は続いてこなかったのか。

 中国人の知人、友人が居るし、日本がかつて中国にした行為についても、反省すべきとは思っているが、中国の示す「ご都合主義」みたいなものは好きになれない。
 そういいながら、場面に応じて「年より」になったり「以前と同じ」になったり、私自身もかなりご都合主義かもしれない。「世渡りの術」と思っているが、筋が通っていないと言われるかも。
 今年は、どの場面でも帽子をかぶるか、帽子はかぶらずにすますか、思案せねばならないかも。ツッパルのもなかなか苦労がある。

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2010年1月4日(月)
子どもをポルノに売るとは何ごとか!!

  正月早々、我慢ならない記事を見つけた。暮れに読みそびれた新聞の記事だが。

 「幼い娘のポルノで小遣い稼ぎ」の大見出しと「20〜30代母親8人相次ぎ摘発」「出会い系で知り合い 男に画像」との見出しがあっても、何のことか分からなかった。
 本文を読んで、アタマに来た。「母親」などと書かないでほしいと思った。

 幼い子ども(と言っても1才から12才までの子どもが含まれているらしいが)のわいせつ画像を母親が写し、出会い系サイトなどで知り合った男らに提供していたと書かれている。なかには男に撮影させることもあり、一回の撮影で数万円を受け取っていたと書かれている。10年間もとり続けさせて、現金300万円を受け取った母親も居たとのこと。
 8都府県の警察で摘発があり、わいせつ画像を少なくとも1万枚押収しているとのこと。  いずれも経済的に困っている親ではなく、小遣い稼ぎでやっていたらしい。

 表面化しにくい児童ポルノ取引がなぜ発覚したのかと言えば、ある若い母親が「携帯サイトで知り合った相手に娘のポルノ写真を送ったが、代金がきちんと支払われない」と相談があり、携帯のメール記録などからイモヅル式に8人の母親と姉ら12人を摘発したのだとのこと。

 「性教育後進国 ポルノ先進国」の日本国の状況は、ついにここまで来たかという感がある。
 「ポルノ写真を送ったが代金が支払われない」と相談した母親の神経はどうなっているのだろう。ポルノ写真を公表することは児童虐待になり、処罰の対象になる行為だという自覚が全く無かったから、警察に相談したのだろう。つまり、犯罪の自覚が全く無かったということになる。代金をもらい損なったことは、詐欺事件などと同列に考え「警察に相談して取り立てよう」と考えたのだろう。だから警察に行ったと推測する。自分の行為を犯罪とは思わず、のこのこ警察に行くという「ポルノづけ」がアタマに来た理由の第一。「だから性教育をしなくてはダメだ」と、また大声で言わねばならない。

 もう一つのアタマに来た理由は、彼女に母親の自覚が全く無いことだ。
 母親ならば、無条件に子どもの幸せを考え、自分を犠牲にしても子どもを守る。それが「母性本能だ」とのたまう面々に「母性本能などはありません。母親は子育ての中で親になっていくのです。女ならば母性本能があるなどと、勝手に決めつけないで頂きたい」と言ってきたことを証明するような出来事だ。
 彼女は、娘のポルノ写真がネット上に流れれば、将来に渡って子どもを苦しめることになるという自覚が全く無かったとしか思えない。それとも、ポルノ写真はポートレートのひとつという感覚なのか。もしそうであれば、完全にポルノに汚染されきっている被害者と言うべきかも。

 世の中、何でも便利になりすぎて、苦労したり、我慢したりすることが少なくなりすぎた結果、小遣いが少ないから何とかしたい。小遣いを増やすことができれば、何をしても「自由だ」と考えるおとなが増えたのだろう。そこにつけ込まれて、今回のような事件が起きてしまったのではないか。苦労せず、汚い仕事もしないで、チョロッと稼げてしまうのだから、一度やったら止められなくなるに違いない。

 親としての自覚を育て切れていないだけでなく、まともな性教育をされず、ポルノでばかり教育されてきてしまった結果、性に対する知識も足りずに事件を起こしてしまった。
 今回の摘発は氷山の一角だそうだから、犠牲になっている子どもは数百人か、数千人か居るのではないかと心配する。
 今回の事件について報道されたことが「警告」となり、やろうとしていた親や姉弟が思いとどまってくれることを期待したい。 

2010年1月1日(金)
正月だからと言って・・・・

  いよいよ2010年が始まった。
 とはいえ、我が家はどうということはない。昨日に続く今日が来ただけ。
 長男は、妻の実家に行く道すがら、暮れにチョコッと顔を見せただけで、妻の両親が待っている、妻の実家に親子で行ってしまった。孫も含めて正月を迎えるために、準備万端整えているのだろう。
 家には体調がすぐれず、文字通り「寝正月」になっている三男が居るだけ。次男はかき入れ時のバイトでいそがしく、来宅するどころではない。家族が新年の挨拶をして、共に雑煮を食べるという相手が居ない。「日本の四季」などというテレビを見ながら、ひとりでボソボソ「雑煮モドキ」と「おせちモドキ」を食べてお終い。

 昨夜は「紅白歌合戦」も見ず、夕食に飲んだ焼酎のお湯割りのせいもあって、半分居眠りをしながら「宇宙での生活」「宇宙でのセックス」「殺人犯の心理学 カルト教祖」などという超マイナーな番組を見ていた。「へそ曲がり」もだんだん年季が入ってきたと感じる。映画でも良かったのだが、見たいのがなかった。紅白でない歌番組も見る気がしない。かといって、パソコンをやるには暖房が効かない部屋で難しい。あれもダメ、これもダメなのに「紅白は見ないぞ! 」とツッパルから、超マイナーな番組になってしまったという結果で、特に見たかったわけでもない。

 正月らしい唯一の活動は、届いた年賀状を見ていて「あっ!」と気づいた、出し忘れの賀状を大急ぎで書いて投函したことくらい。住所録とは別になっていた相手への賀状を書き忘れた。最近は正月三が日くらいに出した賀状には、スタンプが押されないから、来た賀状への返事か、元旦に届かなかった賀状かが判別できない。出し忘れた身としては有り難いことだ。
 毎年出す相手は殆ど決まっている。しかも、どういうわけか、こちらから出す相手からは余り来ない。毎年決まっているのだから、相手からも来て良いと思うのだが、なぜか出した相手からは来ない。10枚くらいズレがある。「出さなくてもいいや」と思う相手もあるが、そうかと言って来た賀状を無視するのも失礼かと思い、返事は書いている。
 印刷の賀状に添え書きしないで出すことと、印刷した宛名で出す賀状ほど失礼なことはないと思っているから、何か一言は書くことにしている。出し忘れと返事で合わせて10枚強の賀状書きに1時間近くかかってしまった。

 後は「怠け者の正月働き」とばかり、暮れにやらなかった掃除などを始めた。大掃除は諦めて、四角い部屋を丸くはきで済ませたが、それでも1時間強はかかってしまった。マメにやればいいのに、家事が嫌いでサボっているから、やり出すと汚れが目につき、ついつい時間がかかってしまう。

 唯一嬉しかったことは、近くのスーパーが閉店していたこと。昨年の元旦には「大企業のスーパーなのに元旦から開店するとは何ごとか」とかみついた日記を書いた。それが通じたとはとても思えない。どうせ不景気だから、元旦から開店しても、諸経費が売り上げを超えるだろうという計算で休業にしたことは分かっている。それでも、元旦の閉店は嬉しい。従業員がゆっくり休めると考えただけでも嬉しい。
 何も、元旦から開けることはないのだ。閉店が分かっていれば、それなりの準備をするだろうし、いざとなればコンビニに行けばいいのだから。田舎でスーパー一軒だけという地域ではない。あっちにもこっちにもコンビニがある。スーパーの閉店で困ることなど全くないはず。諸経費を考えたら、閉店する方が賢明に違いない。

 今年もまたいろんな「はらだち」の材料があることだろう。開店休業になることを願っているが、そうはならない1年だと思う。 

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