ツッパリばあさんのはらだち日記
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人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。


日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2009年10月29日(木)
判決期日は取り消されましたが

  11/19に、何も審理をせず判決が出される予定だった「葛飾ビラ配布弾圧事件」の判決期日指定が、最高裁としては異例の措置で取り消されたとの報道があった。
 被告とされている荒川さんたちは、最高裁が口頭弁論を開き、逆転無罪を勝ち取ろうと決意したとのこと。

 地裁では無罪、高裁では有罪のケースは、行政の姿勢を問う裁判にはよくあることで、今回だけのことではない。11/12に高裁の第2回公判が開かれる「ここから裁判」も同様のケース。高裁では有罪になるかもしれない。人ごととは思えない。
 今回の裁判がとりわけ重要なのは「言論の自由」という民主主義の根幹に関わる問題だからだ。

 マンションの共用廊下にある郵便ポストにビラを入れたら「犯罪」だとして逮捕された。ポスティングというらしいが、マンションでも戸建てでも毎日無数ともいうほどにビラが入れられているのが現状。そのほとんどは「広告」だ。不動産関係が最も多いと思うが、食べ物店やイベントの案内など、数え上げたらきりがないほどだ。いちいちごみ箱に捨てるのも厄介で、入れたら犯罪だということで取り締まってもらったらせいせいすると思うこともある。
 だから、余り世間の関心を喚ばないのかもしれない。「そんなことするからよ。迷惑だから、取り締まってもらった方が良いわ。ついでに広告も全部取り締まってほしいわ」という声も聞こえそうだ。

 しかし、そんな声を上げているうちに、時の権力に対して「もの申す」手段としてのビラ配布が全て圧殺されてしまったら、どうやって批判するのだろうか。
 ネットがある。テレビがある。ビラなどという旧式な手段でなくても充分批判することはできる。と言うかもしれない。しかし、ネットは高齢者を中心に利用できていない人達が居る。テレビは、民法の場合はスポンサーが付いているから、スポンサーの気に入る報道が中心になる。NHKは「国立」のようなところがあって権力に弱い。「女性国際戦犯法廷」の例でもはっきりしている。

 やはり、旧態依然ではあっても、ビラには価値がある。一軒ごとにお知らせが入るのだから、確実性がある。たとえ関心のない人が、読まずに捨てることがあっても、いくらかでも関心を持つ人の手には渡る。そして、関心を深めることもできる。継続してビラが入っていれば、関心のある問題の時だけでも読む人が出てくるだろう。

 ビラ配布を取り締まりたい側は、効果があることが分かっているからだろう。全く効果がないものならば、拘束して、家宅捜索して、起訴するようなことはしないだろう。
 「言論の自由」を守るための最後の砦というべきこの事件が「無罪」という結果に終わってほしいと切に願う。 

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2009年10月29日(木)
夫婦は同姓だから夫婦?

  1990年代から論議されながら、いまだに選択的夫婦別姓は法制化されていない。
 法制審議会が導入を含む民法改正案を1996年に答申したにもかかわらず、「家族の一体感が弱まる」だの「子どもが自分の姓選択について混乱する」などという、明治時代の「家族制度」そのままのような反対理由で、法案提出が見送られていた。

 06年の内閣府調査では、別姓はかまわないが約37%、必要ないが35%と拮抗しているそうだ。しかしこれは若者から老人までを含んだ結果で、姓選択に直面している20代女性は約46%、30代女性は約40%と半数近くが望んでいるとの結果が出ている、と書かれている。ネットで調べると、2001年5月の調査では、65%が別姓に賛成したと出ていた。

 すでに同姓で何十年も過ごしてしまった世代は「必要ない」というだろうし、男性は自分の問題とは考えないから「必要ない」になるだろう。
 自分の問題として考える20代、30代の女性の半数が法改正を求めていることに注目すべきではないか。

 「家族の一体感が弱まる」とは、どんな根拠で言うのだろうか。お隣の中国や韓国は夫婦別姓だが、それで家族の一体感が弱まっているようには見えない。別姓の理由は「嫁は他家の者」との考え方から来ているそうで、男女平等という観点ではないとのことだが。それにしても、儒教の家父長制が生きていて、家族は一体感を持って生活しているようだから、別姓が即一体感を弱めるとは言いがたいと思う。

 欧米は殆どが別姓かと思っていたら、英・米・独・仏・カナダなど、主要な国が同姓だったのは意外だ。ドイツは別姓に移行中らしいが。
 オランダ、スペイン、スウェーデンなどは別姓とのこと。スウェーデンは、結婚していてもいなくても、子の養育、相続などの差別が全くないようだから、別姓とか同姓とか言うまでもない国だろうと思うが。

 賛成、反対でネット上では侃々諤々の論議があるが、社会生活上の不便が姓を変えた方だけに押しつけられる。結婚で姓を変えるのは今でも97%以上が女性だから、結果として女性に不便が押しつけられることになる。
 当事者が納得した場合には、夫婦別姓を選択できるようにするというだけの法律で、結婚したら全員別姓にしろとか、同姓夫婦は旧態依然の夫婦として差別するとかいうことは全くないのに、どうして頑迷に反対するのかが理解できない。
 枠組みがしっかりしていないと安心できないのは、中身に自信がない証拠ではないかと思ってしまう。

 頑迷固陋の自民議員は今回の選挙でも当選したようだから、自民が反対するのは間違いないだろうが、民主は社民との合意事項に別姓問題を入れているだろうか。もし入れていれば、別姓賛成の社民の意向が働いて今度の国会で成立するかもしれない。
 別姓が成立すれば、それを待って不便を我慢していた人達が救われる。その点では喜ばしいと思う。

 シングルマザーからは、別姓問題が解決しても、我々に対する差別は無くならない。むしろ差別が強くなるとの危惧の声があるようだ。どんな問題でも、谷間に入って解決できない問題が出てくるから、新しい問題は次々解決していくより仕方ないだろう。
 そもそも戸籍は、血縁に基づく生物的血統を記した文書だから、今の時代に必要な文書であるかどうかの問題になる。嫡出子とか、非嫡出子とか、長女、次男、などという、血縁をもとにした証明文書がどれだけの必要性があるものなのだろうか。
 「家族」は人間関係を基にした集団として、戸籍そのものを無くさない限り差別は無くならないのではないか。

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2009年10月28日(水)
被告欠席の国際法廷はどうなるのか

  CNNやBBCが取り上げている報道だから「何だろう」と思っていた。日本語版同時通訳放送だから、丁寧に聞いていれば分かるはずだが、どうも同時通訳は聞きにくく、分かっている問題ならば内容が理解できるが、日本で大きなニュースとして取り上げられない問題は、いまいち理解が困難な場合がある。

 旧ユーゴ戦犯法廷初公判にカラジッチ被告が欠席したとの報道が載った。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時代のセルビア人勢力指導者のカラジッチ被告が、13年間の逃亡生活の末、昨年7月にユーゴのベオグラード市内で潜伏中に逮捕されたとのこと。かつて勢力を持っていたセルビアとはいえ、13年間も潜伏していたとは驚きだが、その間も捜索し続け、ついに逮捕したというのもまた驚きだ。

 「旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷」として「国際戦犯法廷」にしたのはなぜなのだろうかとネットを見たら、国連決議により「国際戦犯法廷」が開かれているのだと分かった。国際法廷は国内法廷に優越するとのことだから、国内世論をうまく味方につけて、裁判を有利に進めようという魂胆は通用しないことになる。

 写真やポスターを持っている女性たちは何かと思ってテロップを読んだ。虐殺を生き残った住民女性で、150人以上がバスでハーグ入りしたが、公判が休廷になったため、法廷前に座り込んだりして抗議行動をしたのだとのこと。
 ユーゴからハーグまでバスで来るというのは、さすがヨーロッパは大陸だと思う。1日か2日かかるだろうが、それでも乗っていれば着いてしまう。飛行機よりずっと安く来られるからバスを使ったのだろうが、日本では考えられないことだ。それにしても、写真で見る限りではかなりの年配の方もいるようだ。バスに揺られてきつい旅をしても、カラジッチ被告に正当な判決を望みたい、との想いで来たであろうことに胸が痛む。

 紛争が起き、家族を奪われ、13年余も耐えに耐え、やっと今戦争犯罪が裁かれようとしているのに、肝心の被告が出廷しないではやりきれないだろう。
 カラジッチ被告が無罪を主張している根拠はよく分からないが、裁判がNATOによるもので、カラジッチ被告には権限が及ばないからだということらしい。
 東京裁判が戦勝国の報復裁判だから、東京裁判には意味が無いという論理と似ているように思う。

 国連で国際戦犯法廷の設置が承認されたということは、世界が認めたことになるはずで、NATOだけの問題ではないだろう。無理にこじつけて、自分の非を認めない魂胆としか思えない。
 この問題に特別関心を持っていたわけではなかったが、余り大きく報道されないことに異議を称えたかった。人道上の罪に対し鈍感になっていたら、自分にしっぺ返しが来ることになるだろう。油断してはいけないと思う。

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2009年10月28日(水)
犯罪者が英雄?
  「伊藤博文暗殺から100年 1200人が安重根称賛」の見出しと大きな写真に目が留まった。
 6年ほど前、研究会が4日間おいて福岡と広島で開催された時「宿泊費が安いからソウルに行ってみるか」という不純な動機で飛行機に乗った「韓国旅行」を思い出した。
 行くことを決めてから『観光でない韓国旅行』みたいな「案内書」を図書館で借り、一応の勉強はして行ったが、にわか仕込みだったから、本に書いてある所を「観光タクシー」で回ってもらった。

 その中に「安重根記念館」があった。案内書では「韓国では英雄である・・・・」となっていたが、乏しい私の記憶では「伊藤博文を暗殺した野蛮な韓国人」くらいしかなかったので「英雄なんてホントかいな」と半信半疑だった。
 記念館に入って驚いた。素晴らしい書がある。歴史に関する著述がある。凄いインテリの男が実像だった。「これほどの人だったことを何も知らなかった」ことをひどく恥じ入った。

 安重根記念館での驚きは、西大門刑務所やタブコル公園にもあった。
 戦後の教育を受け、日本の朝鮮支配は間違っていたとの知識は持っていた。植民地支配した過去の歴史にも賛同はしていなかった。しかし、「バカチョン」の「チョン」が朝鮮人差別語だと知ったのは40代過ぎだった。ことほど左様に、日本と朝鮮との不幸な歴史上の関係についての知識は、ほとんど無かったことを思い知らされた。

 植民地支配に対する抵抗運動があったこと。その事実を証明するのが、西大門刑務所跡や、タブコル公園のレリーフであること。
 西大門刑務所跡は、今「歴史博物館」になっているようだが、私の行った時は「博物館」とはなっていなかった。しかし、ネットで見ると「拷問跡」などがそのまま「博物館」になっいるようだ。

 タブコル公園のレリーフは、レリーフという概念からは遠いものだった。大きさにまず驚かされた。そして、それほどのレリーフを作った人々の想いに胸が痛んだ。「日本はインフラ整備や教育など、当時の朝鮮ではできなかったことをしたのだから」と、正当化する人達は今でもいるし、その説を聞いて「そうだ。日本はよいことをしたのだ」と誤解している若者も多い。それらの人には現地を見てもらいたいものだ。

 もっとも頑迷固陋の人達は、現地を見、現地の人の話を聞いても自説を曲げようとしないだろう。中国の「平頂山」博物館長に聞いた話を思い出せば、それがはっきりする。
 「ここへ来て話を聞いても、考えを変えない人が居るのでは」との質問に、館長は「そうです。たまにいます。話を聞いてもウソだろうみたいなことを言って帰る人達が居ます」と言っていた。彼らはソウルでも同じ事を言うだろう。「慰安婦は商取引だ。当時は売春が公認だったから当然だ」くらいのことを付け加えるだろう。

 現地に立ち、ガイドさんの説明と本で学んだ知識とを付き合わせることで、先人が何をしたのかを実感した。そして、直接手を下した世代ではないが、関心を示さなかった。学ぶことをしてこなかったという意味では、先人だけを責められないことを知った。

 余談になるが、当日のガイドさんは日本留学の経験があり、お連れ合いは日本人だそうで、今まで妻に言われているから、ガイドしたことの無かった所をガイドしたと言って「きょうは私も勉強になりました」と喜んで帰った。後日彼のHPを見たら、私の行った所を「ソウル歴史コース」として載せてあった。日本人でも、独立や統一に関心を持つ人が居るから、商売になると分かったらしい。企画料をもらえるだろうが、丸1日質問攻めにしたお礼として黙っていることにした。 
2009年10月27日(火)
2000円で何を買う?

  毎月開いている地域の仲間の会。このところ難しい話が多かったから、たまには美味しいものでも食べる会にしようとの提案で、近くのフランス料理店に繰り出した。
 テナントビルの2階にあるしゃれた名前の「本格フランス料理店」とのこと。期待に胸ふくらませての参加だった。

 店内は30人も入れるかどうかのこぢんまりした店。我々が10人で店の半分を占めてしまうくらいだった。ちょうど昼時だから、他のお客さんもいて、10人がワイワイ話すわけにはいかない雰囲気。「もう少し貸し切り的になれば良かったな」と思いつつ席に着く。早く行ったので奥から詰めようと一番端の席にした。これが失敗のもと。10人の参加者がそろって「今月の近況報告」などが始まると、他のテーブルの声も邪魔して、うまく聞き取れない。近くの人がどっと笑ったりすると自分が取り残されたようで、だんだんうつむき加減になってきた。「やっぱり話をするような場所じゃない」と実感。

 雰囲気を買うつもりが、それはできそうにないのでせめて料理を期待したが、出てきた料理はお決まりの3点セットのみ。スープ、メインの魚料理、コーヒー付きのデザート。「これで2000円かいな」と、ちょっとしょぼくれる。確かに手が込んでいることは認める。魚に添えられた野菜など、あれこれの野菜を手間をかけて見た目もきれいに仕上げているし、デザートも旬のイチジクなどを使って口当たりよく、丁寧に仕上げてある。

 頭では「こんなものだ。これで2000円はお得な方だろう」と察しはつく。理屈では分かっているが、感覚が承知しない。「料理はどうということない。ごくありふれたフレンチだ。特別美味しかったとも思えない。店内が特に趣があるというわけでもない。フランス料理という言葉に騙されているのではないか」などと、ケチをつけたくなってしまった。「これだから、ツッパリばあさんだの、意地悪ばあさんだのと言われるのだ」と分かっていても、自分自身に収まりがつかない。

 店を選んでくれた人の責任ではない。彼女はよかれと評判の良い店を選んだのだから。他の人は満足していたのだろう。
 なぜ満足できないのか考えてしまった。
 ひとつには、近頃は「量より質」にはなったが、色々出てくれるのが嬉しい立場の人間だから、3点セットだけではガックリ来た。もっと安物でも良いから色々チョコチョコあるのにしてほしかった。
 2つ目には、フランス料理の本場で食べた経験があるせいかもしれない。ツアーで行く店だったとはいえ、シックでしゃれた店に何度か行った。伝統のある古い落ち着いた店や、店内の飾りがユニークな店もあった。

 日本料理屋へ行けば、その店独特の飾りや、伝統的な雰囲気がある店がある。それは日本人にとって日本料理屋は「知っている店」だから、いい加減なことはできないからではなかろうか。フランス料理店も、本場に行けば同様のことになるだろう。それが日本でフランス料理となると、最大公約数のような店構えになってしまうから、つまらないと感じてしまうのではないか。
 次の機会には、当たり障りのない理由をつけて、ご辞退申し上げることにしよう。
 へそ曲がりばあさんは「赤ちょうちん」が合っているということかもしれない。

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2009年10月23日(金)
障害児に寄り添った教師の死に想う

  「近藤益雄」という名前は、障害児教育に関わった頃に聞いたことがあった。障害児のための寮を作り、共に生活している人だと言われていた。
 私は知的障害児教育には直接関わらなかったので、その後は名前も忘れていた。

 城台さんという写真家が、近藤益雄さんと「のぎく寮」(後には「のぎく学園」)の写真をずっと撮り続けていたことは、全く知らなかった。今回写真集が出るという新聞を見て「そうだ。凄い人だったらしいな」と、近藤益雄さんのことを思い出した。
 校長だった近藤さんが、障害児学級担任になったのだという。どんな気持ちで担任になったのだろうか。

 私が世話になった組合の専門部長だった方は、校長になれる力を持っていながら、退職まで障害児学級の担任をやり通した。彼のなかには「満州での・・・」という想いがあったらしい。本人から聞いたことはなかったが、満鉄の関係者で、戦前は満州でかなりのことをやってきた人らしいとの噂を聞いたことがあった。「贖罪」と言えば大げさだが、それに似た気持ちがあって、障害児教育の草分け的存在として頑張っておられたらしい。
 教育委員会も校長も眼中にないという方で、障害児のためならばと要求を突きつけて通してしまう方だった。

 近藤さんが「贖罪」の気持ちからされたのかどうかは全く分からないが、当時の情勢では、障害児は「お荷物」であり「邪魔な存在」としか見られなかったであろう。そんな時代に九州というやや差別が強かったであろう地域で、障害児のために寝食を忘れて努力されたというのには、頭が下がる。
 しかし、そんな純粋さからだろうか。心労がたたって自殺してしまわれたとのこと。純粋に考え行動していく人が、自殺しなくてはならないほどに、我が国の障害児教育は遅れていた。そして、今でもたいして変わっていない。世界第2位の経済大国が聞いてあきれる状況。どうなっているのだろうか。

 写真家の城台さんは、弟さんの戦死の真相を知ったことから「障害者や弱い人が最も不利な立場におかれる。この現状をどう告発するか」という考えで写真を撮り続けてきたらしい。「リアリズム写真集団」という団体の主張と、城台さんの考えが合致しているのだろう。私の友人もこの集団に属しているが、寄宿舎の子どもたちがいい表情している写真をいつも見せてくれていた。私は写真に「主張」があることが気に入っている。

 弱い者が弱いままで生きられる社会を目ざす取り組みをしている人が、報われる社会を望むのは「無い物ねだり」なのか。日本はそれほど貧しい国なのか。

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2009年10月15日(木)
人間がすべきは「考える」こと

  「思考の整理学」との表題は「取っつきにくそう」と思ったが「人間がすべきは『考える』こと」との副題には「そうだ!」と共感できたので、どんな人かと読んでみた。

 1986年の初版本が再び読まれ始めて、このほど100万部を超えたので「この人」に登場したようだ。
 初版も今回も本は読んでないが「知識ばかりを大事にする社会への批判をエッセーとして書いてみた」「刊行時は40代後半以降の世代が教養書として読んだ。今は知識を蓄えるだけのコンピューター人間になることに不安を持つ人が読んでいるのでは」には、なぜ売れているかについて納得がいく。若者のなかには、コンピューター人間になることへの不安があると知りホッとする。「あれで満足しているのか」との疑問と不安を持っていたから。

 「40才くらいまでは、考えることと知ること、思うことの区別ができていなかった。だが、コンピューターの登場で、人間がすべきは「考える」ことだと気づいた。の弁には、我が意を得たりとの感がある。
 我が家の長男夫婦は、我が子(つまり私の孫)を、コンピューター人間にしようとしている節がある。
 今頃は廃れていると思うのだが、中学への「お受験」を狙っているらしい。しかも、本人がそれを望んでいると錯覚している様子がある。小学校2年や3年で本人が本当に「お受験」など望むわけがないと思うのだが、当人たちはその気らしい。そのために、長男は早くも「単身赴任」をすることを計画中。小学生のうちから親が単身赴任などしたら、ろくなことはないと思うのだが「お受験」が最優先だから他のことは見えないようだ。

 「人間がすべきは『考える』こと」がしっかり分かっていれば、どう育てればいいかは自明の理だ。「お受験」などに無駄な時間を費やすのではなく、本人の「好奇心」を育てるように、夢中になれることを準備してやることだ。自然に向かうとか、環境、科学、社会事象、芸術など、など。その子が夢中になれるものがあれば、どんどん勉強していくだろう。

 「お受験」して「良い中学」「良い高校」「良い大学」と進んでも、考えることをしなかった子どもは、その先がない。好奇心を育てられなかったら、自分で問題を見つけ、解決していく能力が育っていないから、すぐに行き詰まってしまうだろう。
 そんなことにならぬ為にも「お受験」は思いとどまらせたいが、どういうきり出し方が効果的か。頭が痛いところだ。

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2009年10月11日(日)
「チェンジ」後押しのノーベル平和賞

  今年度のノーベル平和賞が、オバマ大統領に贈られるというので、話題沸騰している。新聞にはデカデカと一面に載っていた。それは言うまでもないことだが、関連して「核なき世界」の演説要旨が載っていたので、改めて読んでみた。

 実は、ノーベル賞受賞ニュースが報道された日の午前中、毎月恒例になっている「ピースアクション」があり、地域の駅頭で「核兵器廃絶署名活動」をしたばかりだった。
 帰宅後に受賞のニュースを知り「朝これが分かっていたら、ピースアクションで使えたのに」と悔しがった。

 署名活動にはできるだけ参加しているが、ビラを配ったり、署名をお願いするのは得意ではない。受け取ってくれる人とくれない人の区別がつかず「読んでください」と差し出しても受け取ってもらえない。「署名を・・・」と言っても横を向かれる。そんな経験が続いたので嫌になったのだ。

 それに比べれば、無視されることが多くても「スピーチ」をする方がまだまし。ハンドマイクを握り「駅ご利用の皆様。御通行中の皆様・・・」と始め、その日のポイントになる話をほんの1分くらい続ける。毎回言うことは「世界中の核兵器を無くそうという署名」で「国連に届ける」ことと、「子や孫に安心の社会を残すための署名」だということくらいか。後は、通る人を見ながら臨機応変に言葉掛けをする。高齢者が通れば「お孫さんの幸せのためにぜひ署名を」と。子ども連れが通れば「子どもさんの未来のために」と。子どもたちが通れば「核兵器を無くしたいと思ったら、子どもでもできる署名ですよ」と。

 8月には、小学生に向けて「このパネルはホラー映画ではなく、本当にあったことですよ。残酷な写真ですがよく見てください。そして考えてください。あなたたちはこんな状況を経験したいですか・・・」などと話しかけた。すると、3人くらいの小学生がパネルを見てくれて、さらに別の人からの説明を熱心に聞いて、署名していってくれた。

 いくらかの手応えある「スピーチ」には、「旬の話題」と「有名人」の名前が必要だ。「きょう、オバマ大統領は・・・」と受賞のことを話したら、後10人署名が多くなったかもしれない。知らなかったから、チェコでの演説のことしか話せなかったのは、返すがえすも残念至極だった。

 「世界でただひとつ核兵器を使った国の大統領として、核兵器を無くす活動をしていく責任がある」とマイクで言っていたが、少々正確さに欠けることが分かった。「核兵器のない世界をつくるために、全力で取り組む」という方が正確だろうか。「私たちは『世界は変わらない』と言っている人達を無視しなければいけない。そして『イエス・ウィ・キャン』と言おう」と言ったオバマ大統領が平和賞をもらったのだ。「この署名は、大統領の方針に沿った世界をリードする署名なのだ」くらいのことを今度は言おう。それにしても、受賞後1ヶ月も経ってしまっては「旬」ではなくなる。何としても残念だった。 

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2009年10月11日(日)
ロバをシマウマにさせるな!!

  「離れてみればシマウマ」の大きな見出しと、子どもたちが喜んで乗っている写真に「何をしているのか。変わった趣向だこと」と笑いながら目をとめた。
 「パレスチナの動物園」? なんだか笑ってはいられないことかもと、本文を読んだ。

 読み終わる頃には涙が出て、怒りに身体が震えるほどだった。
 パレスチナのガザ地区にある動物園で、白いロバに黒の縞模様をつけて「シマウマ」にした2頭が、子どもたちの人気者になっているとのこと。
 同園には今年初めまで本物のシマウマが2頭居たが、イスラエルによる大規模攻撃の際に、世話を受けられず餓死した。代わりを探したが、イスラエルの物流封鎖をかわして密輸すれば数百万円かかるため、ロバへのボディペインティングを思いついた。最初はペンキを試したが見栄えが悪く、女性用の髪染めを使ったらうまくいった。よく見るとロバだと分かるが、遠目では違和感は少ない。と記事は結ばれている。

 「イスラエルの物流封鎖は、子どもたちの夢までを奪っている」との、世界中へのアピールになっている。
 誰が何と理屈をつけようとも、イスラエルのパレスチナ攻撃は間違っていることを証明するような画像だ。
 子どもたちが本当のシマウマだと思いこんでいるとは思えない。写真で見る限り、右側の二人は小学生くらいの子どもだ。左側の子どもは幼稚園くらいだから、本物のシマウマだと思っているかもしれないが、右側の二人は分かっていると思う。それでも「シマウマのような動物に乗ってみたい」と思って乗っているのだろう。「いつか本物のシマウマを見たい。そして乗ってみたい」と思いながら、偽物で我慢しているのだろう。

 本物のシマウマが、戦闘によって餓死させられたという箇所からは、太平洋戦争中に餓死させられた「かわいそうな象」の絵本になった、上野動物園の象を連想させる。
 動物には何の罪もないのに、戦争のために犠牲になっていくことには、我慢ならない。

 パレスチナ攻撃については、オバマ大統領が仲介役になって、イスラエルとパレスチナのトップが会談を始めたらしいが、そもそもイスラエルが違法な入植政策をとって、パレスチナ人を刺激しているからの「報復」の連鎖なのだと思う。
 「我が約束の地」として、世界をさまよっていたイスラエル人が建国したことは、百歩譲って認めるにしても、パレスチナ人が生活している「自治」が認められているはずの地に、なぜ入植を繰り返し、広げていくのか。

 イスラエル人は世界をさまよっていたのだから、国を追われることがどんなに辛いことかを理解できないはずはない。それなのに、自分たちはパレスチナ人を安住の地から追い出そうとしている。旧約聖書という2000年以上前に書かれた文書をそのまま信じて、自分たちだけが「神に選ばれた民族」と、今でも思いこんでいるとしか思えない。
 どちらにも言い分があるとは思うが、シマウマロバを見てしまうと、パレスチナ人に理があるように思えてしまう。
 一度は和平にこぎ着けそうになり、ノーベル平和賞まで受けながら、戦争を続けていることは、絶対に許せない。

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2009年10月7日(水)
最高裁もお払い箱か

  2006年8月25日の「はらだち日記」で、「一審判決は無罪だが・・・」と書いた葛飾ビラ弾圧は「高裁、最高裁と控訴され、逆転有罪になるのではないか」と危惧した通り、高裁では逆転有罪になり、今は最高裁が、弁論を聞くことなく19日には判決を出すとの報道だ。

 被告にされた荒川さんと弁護団が、国民救援会の会員さんが宣伝するなか、最高裁に「申立書」を提出したと書かれている。申立書の内容は、判決宣告日時指定の取り消し。大法廷での審理に回付して、憲法判断を行うべき。口頭弁論を開き、公正、慎重な審理を行うべき、としているとのこと。

 9月28日に上告趣意補充書を提出したら、同日に判決期日を通知したとのこと。「補充書を提出したその日に、判決期日を決めることが許されるのか。ビラ配布という表現の自由に関わるこの判決は、どんな結果にしても社会に大きな影響を与える問題であり、弁論無しの判決はあり得ない」と、主任弁護士が支援者らに、最高裁の対応の批判も込めて報告したと書かれている。

 最高裁の裁判官は、自・公政治のときに選出された人ばかりだが、政権交代後も、省庁の官僚のように豹変する必要がないから、旧態依然なのだろうか。
 それとも、民主政権でも言論の自由などは認めない方が良いから、変える必要がないとの「お達し」がすでに出ているのだろうか。
 「よらしむべし 知らしむべからず」は、日本の「お上」の伝統だから、政権交代くらいで変える必要はないのかもしれない。
 
 民主党は比例区の議員数削減に熱心だから、少数政党は切りたいのだろう。自民、民主の2大政党だけで、政権をキャッチボールしながら、根底の所はたいした違いもなく、政治を進めていきたいのかもしれない。
 
 ビラ弾圧が「有罪」になれば、ビラ配布に腰が引け、テレビで報道されない限り、真実は分からなくなっていく可能性は高い。ビラに変わってインターネットが情報発信するから大丈夫だというかもしれないが、ネットを使えるのは若い人が中心で、4人にひとりが65歳以上になるというこれからの時代に、国民の1/4は情報からシャットアウトされかねない。そうなれば、政府の良いなりにならないとも限らない。

恐ろしいことになる状況のはずだが、ビラ弾圧についてのニュース報道がほとんどない。自分の問題だとして見ていないのだろうか。マスコミも弾圧を受けるご時世が来る前兆なのに。

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2009年10月7日(水)
筆談でホステスができる?!

  「筆談ホステス」との見出しに「えっ?!」と思い、本文を読んだ。
 耳が全く聞こえないので、筆談でお客さんとのやりとりをしている銀座のクラブに勤めるホステスが、半生記を出したら好評で、続編もすでに出版したとのこと。

 1才半で失聴したらしい。「耳は全く聞こえない」と書かれているが、以後はどこで教育を受けたのか、気になってしまう。そのまま受け取れば、聾学校の対象児ということになる。しかし、聾学校に入ったらしい記述はない。そこが分からない。
 聾教育を受けずに小学校に入ったとしたら、とても学習についていかれない状況になるはずで、中学校で「青森一の不良娘」になどなれないと思う。不良娘の恰好をするだけなら、見て真似をすればいいことだが、行動するにはそれなりのコミュニケーション能力が要求される。それはどこで育んだのだろう。

 高校も殆ど登校せずと書かれているから、試験を受けて通常の高校に合格したことになる。レベルが色々あるとはいえ、高校に合格する学力をどうやってつけたのだろう。しつけの厳しい両親に反発して不良になったというからには、親に勉強を教わっていたとは思えない。家庭教師でもついたのだろうか。

 店での客とのやりとりを筆談でするだけの日本語能力を、どこでつけたのかの疑問がどうしても消えない。
 「耳が全く聞こえない」と簡単に書かれているところに、落とし穴があるように感じてしまう。「聞こえない」とはどれくらいのレベルなのか。
 高齢になって耳が不自由になり初めは、30デシベルくらいで補聴器を考えると言われている。このレベルは聞きづらくなったというくらいでしかない。50デシベルを超えると「聞こえない」という範疇に入り出す。しかし、補聴器をうまく使えば、日常生活に支障はない。そういう区分をしていくと、「全く聞こえない」というのは、90以上になる。 
 1歳半で失聴して、90以上の場合、そのままほっておいたら、日本語は入らない。それが、筆談できるほどの日本語力があるのが、どうにも解せない。
 通常学校へ行ってやっていけたのなら、せいぜい70くらいではないのか。それは「全く聞こえない」の範疇ではないと考えてしまう。

 70くらい聞こえない場合は、「全く聞こえない」と言っても良い範疇だと考える人もいるのだろう。多分インタビューした記者も筆談でのやりとりで、声を聞かなかっただろうし、音に対する反応も気がつかなかっただろう。
 世間一般では「全く聞こえない」で通るのかもしれない。その方が都合が良いのかもしれない。「聞こえないのに日本語は素晴らしい」とする方が、受けが良いだろうから。

 しかし、何となく嘘くさい感じがして、身体にムズムズ感がある。私が関わってきた聾者とは違うような気がして。

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2009年10月3日(土)
象のウメ子に泥水かけられた思い出

  小田原動物園のインド象「ウメ子」をしのぶ「お別れ会」が、今月17日に小田原城本丸広場の象舎周辺で開かれるとの記事が目に留まった。
 ウメ子が死亡したのは9/17だそうで、その頃死亡記事を見た記憶はある。とはいうものの、私としては「そうか。あの象が今まで生きていたのか」と思っただけで終わっていた。しかし、「お別れ会」を開くまでの人気者だったとなると、心中いささか複雑な思いだ。

 今から30年くらい前の夏休みのこと。「新幹線」に乗りたいという息子達の願いをかなえるために、小田原に向かった。新幹線に乗ることが目的だから、特に行く当てはなく、駅から近い所にある小さな動物園だからとの理由で、小田原城内の動物園に入った。
 息子達が好きだから象の檻をめざした。もっとも、人気のある動物としては、象しか居なかった記憶がある。

 ただ見ているだけではつまらなくなったのか、長男が象をからかった。「べろべろバー」みたいな事を言って、手足をふざけた仕草で動かした。当時4才だったと記憶している次男は、お兄さんの真似をして、自分も象にふざけて見せた。
 「ふざけなさんな。象が怒るよ」と言いながら、ベンチに座って三男のシャツを着替えさせていた私は、象が水を吸い上げて溝にこぼし、再度吸い上げるのを横目で見た。「妙なことをするな。飲むならわざわざ泥水を作るようなことをしなくても良いのに」と思いながら、象の動きに目をやった。

 次の瞬間、象が泥水を次男に吹き付けた。柵の近くでふざけていた次男は、まともに泥水をかぶった。頭からシャツ、ズボンまで泥水をかぶり、土砂崩れ現場から救出された幼児のような姿になった。
 「水道! 水道!!」と、パニックになった私と次男は園内を駆けずり回った。象舎の裏には飼育員室があり、そこには水道もあることに気づかなかった。

 やっと見つけた水飲み場で頭とからだを洗い、着替えは持っていたので取り替え、落ち着いたところで象舎に戻り、飼育員室のあることに気づいて、中に入って事情を説明した。
 飼育員の方々は、私の話はまるで聞かなかった。「言いがかりをつけに来た変なオバサン」くらいの応対だった。次男は何ごともなかったようなきれいなみなりに戻っていたから、話だけでは信用できなかったのかもしれない。汚されたシャツも見せたが、象に汚されたことの証明にはならなかったのだろう。

 時間が迫っていたので、そのまま帰宅したが、腹が立って、投書してやろうかとか、市長にねじ込もうかなどと考えた。しかし、その後は忙しくて苦情を言う暇もなく、いつの間にか怒りも収まってしまったので、そのままになり今日に至っている。
 次男は今でも覚えているが、それがトラウマになった様子はないのが幸いだ。

 今考えれば、泥水をかぶった状態で説明すれば、納得してもらえただろう。
 それまでに同様の苦情はなかったのだろうか。時々動物園には「おしっこを引っかけることがあるので注意してください」などと書かれた檻を見たことがあった。しかし、ウメ子の檻には書いてなかった。泥水をかけるようなことはしたことがないのかもしれない。
息子達の対応があまりに侮辱的だったから、ウメ子が切れたのかも。例外的行動だったのかも。その後問い合わせをしていなかったから、同様の行動の有無は分からずじまいだ。

 ただ水をかけるのではなく泥水にしてかけたことに、象の知能の高さを感じた。その上、侮辱されたことが理解できていることにも驚きを感じた。象の知能は相当なものだと教えられたウメ子の冥福を祈りたい。

2009年10月3日(土)
漢字変換は人を見るようになった?!

  パソコンで文章を書き始めてから何年にもなるが、今までは一太郎を使っていた。職場で使い始めたのが一太郎だったから、そのまま便利に使っていたのだが、メールでの添付ファイルをやりとりしなくてはならないことが増えて「一太郎は開きません」と言われることが多くなり、万やむを得ずワードを使用することになった。

 なぜワードにしなかったかと言えば、以前使った時の感じで、一太郎が「日本人の文章変換」に対し、ワードは「アメリカさんのビジネス日本語」のようだったからだ。日本語を子どもたちに教える立場の片隅に居た身で、練れた日本語でない感じを持った。
 あれから何年も経っているから、ずいぶん良くなっただろうと期待して使ってみたが、やはり「アメリカさんの・・・」はたいして変化していないことが分かってがっかりした。
 
 進化したと思われるのは、使う人の年令に合わせた変換をするようになったと思われることくらいだ。
 後悔が公開になったり、店頭が転倒で出てくるくらいならば「さもありなん」と許せるが、先日は噴飯ものと言おうか、怒り心頭と言おうか、何とも年令に合いすぎる変換をしてくれた。
 解除(介助)は生命の維持に必要で、・・・逝く(行く)先は・・・・となり、ついには霊界(例会)に来てみると・・・と変換された。いくらばあさんの文章だからと言っても、逝く先が霊界とはできすぎだと思う。

 年寄りだから、よろず「あちら」に近い昔風の変換をするのかと思うと、戦時中の話の中で「福音(復員)命令が出て、本土に帰還した」などと変換してくれる。福音は命令などされてするものではないだろうに。
 一太郎の方が、文章全体を読み解いての変換ができているように思う。ワードの場合は、単語の一つひとつを変換していくから、前後のつながりに注意が払われていないように思われてしまう。
 さらにいやなのは、単語変換する時に初発の変換文字が、ビジネス関係の単語になっていること。ビジネスとは縁もゆかりもないこちらとしては、ビジネス単語が最初でなく、通常の日本語が最初に出てほしいのだから。
 はじめからワードを使っている人には分からないことかもしれないが、日本語には少しだけうるさい身には、気になってしまう。

 ビデオテープのサイズ規格が、ソニー製と他社製で違った時、ソニー以外が統一規格を作り、共同してテープを普及し、ついにソニーも規格変更を余儀なくされた経緯があった。
 今回の一太郎とワードでも同様のことがあるように思う。以前使っていた時からそれは分かっていたが。日本人が文章を書く場合には一太郎が合っているのに、パソコンに搭載されてしまっているからワードを使う人が増え、一太郎で作成した文書は互換性が無くなり、変更せざるを得なくなった。
 市場原理だけで物事が動くと、本当によいものも「悪貨が良貨を駆逐する」ように、市場から追いやられてしまう。情けない話だ。
 

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