11/19に、何も審理をせず判決が出される予定だった「葛飾ビラ配布弾圧事件」の判決期日指定が、最高裁としては異例の措置で取り消されたとの報道があった。
被告とされている荒川さんたちは、最高裁が口頭弁論を開き、逆転無罪を勝ち取ろうと決意したとのこと。
地裁では無罪、高裁では有罪のケースは、行政の姿勢を問う裁判にはよくあることで、今回だけのことではない。11/12に高裁の第2回公判が開かれる「ここから裁判」も同様のケース。高裁では有罪になるかもしれない。人ごととは思えない。
今回の裁判がとりわけ重要なのは「言論の自由」という民主主義の根幹に関わる問題だからだ。
マンションの共用廊下にある郵便ポストにビラを入れたら「犯罪」だとして逮捕された。ポスティングというらしいが、マンションでも戸建てでも毎日無数ともいうほどにビラが入れられているのが現状。そのほとんどは「広告」だ。不動産関係が最も多いと思うが、食べ物店やイベントの案内など、数え上げたらきりがないほどだ。いちいちごみ箱に捨てるのも厄介で、入れたら犯罪だということで取り締まってもらったらせいせいすると思うこともある。
だから、余り世間の関心を喚ばないのかもしれない。「そんなことするからよ。迷惑だから、取り締まってもらった方が良いわ。ついでに広告も全部取り締まってほしいわ」という声も聞こえそうだ。
しかし、そんな声を上げているうちに、時の権力に対して「もの申す」手段としてのビラ配布が全て圧殺されてしまったら、どうやって批判するのだろうか。
ネットがある。テレビがある。ビラなどという旧式な手段でなくても充分批判することはできる。と言うかもしれない。しかし、ネットは高齢者を中心に利用できていない人達が居る。テレビは、民法の場合はスポンサーが付いているから、スポンサーの気に入る報道が中心になる。NHKは「国立」のようなところがあって権力に弱い。「女性国際戦犯法廷」の例でもはっきりしている。
やはり、旧態依然ではあっても、ビラには価値がある。一軒ごとにお知らせが入るのだから、確実性がある。たとえ関心のない人が、読まずに捨てることがあっても、いくらかでも関心を持つ人の手には渡る。そして、関心を深めることもできる。継続してビラが入っていれば、関心のある問題の時だけでも読む人が出てくるだろう。
ビラ配布を取り締まりたい側は、効果があることが分かっているからだろう。全く効果がないものならば、拘束して、家宅捜索して、起訴するようなことはしないだろう。
「言論の自由」を守るための最後の砦というべきこの事件が「無罪」という結果に終わってほしいと切に願う。
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