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2009年8月31日(月) |
男女にこだわるお役所体質 |
裁判官の国民審査は、投票の仕方についても内容についても、まだまだ周知徹底されていないから、ほとんどの人は「よく分からないから×をつけずに箱に入れる」という現状で、結果としては政府の思惑通りの裁判官が指名されている。
しかし、時々「よく分からないから棄権する」という人が現れている。前から居たのか、今回が多いのか分からないが、とにかく何人かの人は「棄権」の表示として用紙を返してきた。
それを受け取る事務担当は、必ず「男か女か」ときいてくる。男女別に集計しなくてはいけないらしい。
そういえば、受付で渡される投票用紙引換券も男女別になっている。
以前は用紙の色が違っていたが「なぜ違うのか」との批判を受け、今は用紙の色は同じで、隅の一カ所に丸い切り込みを入れて男女の区別をしているのだと、ベテランの「市民事務担当者」が教えてくれた。彼女はその批判をよく思っていない口ぶりだったが。
なぜ男女別の集計が必要なのかよく分からない。「棄権」表示は「異議」表示でもあるから、文句を言うのは男女どちらに多いのか集計するためかもしれないなどと勘ぐってしまう。年令は問題にならなくて、ただただ男女が問題になるのはなぜなのか。お役所の旧体質としか思えない。
そのお役所が「選挙人との応対に当たっては、性同一性障害等のさまざまな方が居ることを配慮して、選挙人の人権に十分配慮してください」などと、もったいらしく「場内係のしおり」に書いているのを読むと噴飯ものに思えてくる。
説明を受けた時に目にとまったので「どう配慮するんですか」ときいてやった。すると「じろじろ見たり・・・」などと、いかにも分かった風に述べられた。実際アンタはそういう人に会ったことがあるのかい。話を聞いたことは。戸籍の問題などで、役所の立場で応援しているのかい。とつっこみを入れたくなったが「まあまあ、言っても仕方ない」と黙っていた。
幸か不幸か、私の会場には来場者がなかったので、現場でどうなったかは分からない。
男女問題を通してみたら、スタッフ構成にもはっきり男女差が出ている。
受付、場内係などの「実務」を担当しているのはほとんど女性。居ても居なくてもたいして存在感のないような、1日おしゃべりしているだけのような「立会人」は全員男性。
実務は女性に限るとはなっていないから、男性に依頼しても良いはずなのに、なぜか男性には依頼しないらしい。1日14時間半もの拘束時間だから、シニアの男性の方が、家事を背負っている女性よりやりやすいと思うのに、男性の仕事にはなっていないのだろうか。
男性は上に立つ仕事。女性は下につく仕事との仕事分担が生きているからではないかと勘ぐってみる。そこの意識改革ができなければ、日本の民主主義も本物には成れないと思う。
とにかく、一度は体験としてやっても良いが、2度、3度やる気にはなれない仕事だった。
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2009年8月31日(月) |
投票場人間ウォッチング |
「選挙事務取扱者」なる肩書がついた、生まれてこの方無かったような、ながーい1日だった。
座っているだけが多い仕事だったが、暇だからと本を読むわけにもいかず、居眠りをするわけにもいかない。その上「ダメダメ」が来るから、やれることは選挙人ウォッチングくらいしかない。
その1 「若い夫婦は夫が子育て」と言っても良いほどに、夫が協力的だった。夫婦に幼い子ども連れで投票場へ来るような夫だからかもしれないが、夫が子どもの世話をよく見ていた。
赤ん坊を抱いているのが夫。妻は空身でのんびり歩いている。バギーを押している夫の横をすまして歩いている妻。それが自然に見えるようになっている。時代は動いていると感じる。
その2 多数派は人の目を気にしない。
比例区投票箱の後に座って、「こちらに白の用紙を入れてください」などと言うのだから、目の前に投票用紙がある。「見よう」と思わなくても折ってなければ見えてしまう。
「アララッ」と思ったが、目をつむっているわけにはいかないから、見える用紙は見てしまった。
銀行ウーマンの仲間も見えてしまったという。さらに彼女は興味ある話をした。「折らない人は自民党と民主党が多い。公明党や共産党は絶対折って入れるから見えないんだと思う」と。
なるほどと思った私は、次の当番の時に注意してみた。確かに見える用紙には「民主党」とか「民主」と書かれている。時々「自民」とか「自民党」がある。「公明」は0だった。一人だけ「共産党」と書いた用紙を折らずに入れた人がいた。「折らずに入れて大丈夫なのかい」と思ってしまった。
一つの会場の短い担当時間で、動向が分かるとは思わなかったが、「民主」と書いた用紙がずいぶん多いと感じたので、新聞の結果報道に「やっぱり」との思いを強くした。
事前のテレビ番組で、選挙人の動向として「勝ち馬に乗る」と「判官贔屓」の心理とがある。選挙の場合は「勝ち馬・・・」の方が強く出やすいと評論家が話していた。見えた投票用紙から「勝ち馬」だと予想できた。
「自民党」と書いて入れるじい様やばあ様は何となく納得できる。若い時からずーっと自民党に入れていたから、自民党以外に入れるなどは思いも寄らぬことなのだろう。
しかし、若いイケメンのお兄さんや、OLっぽいお嬢さんなどが「自民党」と書いた用紙を入れると「オイオイ。分かって入れてるのか。親の言いなりか。宗教団体の所属か」などと、聞いてみたくなってしまった。勝ち馬に乗るのが若い人の常だと思うのだが、判官贔屓もいるのか。それとも新保守の方々なのか。もちろん聞いてみることはできないから、想像するだけだが。
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2009年8月31日(月) |
旧態依然のお役所選挙 |
「民主大勝 自民愕然」などという文字が新聞一面を飾っている朝刊を見ながら、昨日のことを思い出す。
町内会の役員を押しつけられたら、やり手がないからとの理由で「選挙事務従事者」をさせられることになった。
役員だから仕方がない。一度くらいはそういうことをやるのも良いかと覚悟を決めて、朝6時半から夜9時までの長時間労働で、時給は千円にもならない「ボラバイト」を引き受けた。
「市民従事者」の説明会には参加できなかったが、一応個別に話は聞いて「場内係のしおり」なる文書も読んで、日曜日の朝6時半に会場である小学校の体育館に出掛けた。
第1の「ダメダメ」は、貴重品を入れたウェストポーチを腰の後にまわし、会場準備を終わって自分の持ち場に着こうとする時に来た。「荷物を身につけているのはまずいので、舞台の後に置いてほしい」とのこと。「ウェストポーチくらい荷物には入らないだろうに、これもダメとは何だ。貴重品はどうするのだ」と思ったが、そこは初参加者の身だから、とりあえずは係の言うことを聞いて、財布と手帳をポケットにつっこんでみっともなくなったが、所定の場所に着いた。所定の場所は、同じ町内から参加の3人で受け持つ、投票箱2つと出口の3カ所のうちの一つである投票箱の後だ。
2つの投票箱は、比例区と最高裁裁判官国民審査の投票用紙を別々に入れるための箱で、隣り合っているから、どちらにどちらの用紙を入れるか戸惑う人が居るので「白の用紙はこちらに入れてください」というのが担当する仕事。並んでいるんだから、それだけなら1人でもできそうなのだが、そこが「お役所」たるゆえん。一人では目を離したすきに不正が起きるかもしれないから、それぞれが自分の担当の箱に集中していなくてはならぬから、二人必要なのだそうだ。
真面目に注目していたら、1時間もしないうちに頭が痛くなってきた。そこで、出口担当と代わってもらった。ここは比較的気楽な部署。間違えて入ってくる人を止めるのが担当だから、滅多に「仕事」はない。
前任者は銀行ウーマンだったから、経験があるのだろう。投票を済ませて帰る有権者に「お疲れ様でした」と頭を下げていた。私もそれを受け継いで「お疲れ様でした」と言っていた。そのうち、それだけでは自分が「案内ロボット」にでもなった気分になってきた。
出口にはボードがあり、1時間毎の会場内投票率集計の速報を張り出している。時々は熱心にそれを見ている方がいる。7時からの1時間では、わずか3%くらいしかない。「低いなー」などと友人と話している方もいるので、「これでも例年より投票率が良いんだそうですよ」と言ってしまう。すると「そうなんですか」と安心した顔で帰っていった。嬉しくなって、何組かに同様の説明をした。
そこで第2の「ダメダメ」が出た。係がとんできて、「投票率については話さないでください。間違っているかもしれないし、うるさく記録している人が居たりしますから」と言うのだ。仕方ないから、以後は黙って見ていた。
第3の「ダメダメ」は「インフル対策消毒液」。出口近くには、このご時世だから「新型インフル対策消毒液」が置かれていた。
なるほど、投票所は不特定多数が集まる場所だからな。と感心していた。意識の高い住民の多い地域だから、時々消毒していく方がいる。一人がすると、後に続く何人かがつられて消毒していくのは面白い現象だと見ていた。
子連れの方が来たので「消毒はよろしいですか」と言ってみた。「あっそうですね」と親子で消毒していく。小さい子どもはおもしろがって、今までぐずり加減だったのが、機嫌良く帰っていくこともある。
ニコニコしていると、係がすっ飛んできた。「消毒液はこれ1本だけなので、勧めないでください」と言うのだ。「何だ。役所は注意を払っていますというアリバイ作りに置いてあったのか」と頭に来た。しかし、言われたからその後は仕方なく黙っていた。
後で聞くと、意識の高い皆さんは使用して、昼頃には無くなってしまったとのこと。やるなら充分な量を用意すべきだ。
とどめの「ダメダメ」は「投票証明書」の扱いだ。「投票証明書」なるものの存在を知らなかったが、「遅延証明書」みたいなもので、確かに投票所へ行って投票したことを証明する文書だ。大きさも「遅延証明書」並みで、A4を8つ切りにしたより小さいくらい。会社などで、投票に行くために早退した場合に、証明書を持っていくと欠勤や休暇扱いにならない特典があるらしい。
一般市民にも特典があるとのこと。契約している店で「証明書」を見せると、買った商品を割引してくれるのだそうだ。
そんな効用のある証明書なのに、認知度はきわめて低い。積極的なPRがされていないからに違いない。どうしてしないのか分からないが、割引につながるようなことを「お役所」がやってはいけないからなのかも。
とにかく、もらいたい人が遠慮してもらわないのはまずいと思い、証明書用紙を預かった立場を幸い「証明書をください」という人が現れると「証明書の必要な方はこちらでお渡しします」と大きな声で言ってみた。自分ではなぜか分からないが、私の声はただ大きいだけでなくよく通る声なので、出口で言っても、体育館中程の立会人がいる当たりまで届くらしい。またまた係がすっ飛んできて「証明書は申し出のあった人だけにしてください」と言われてしまった。いらない人に「どうぞ」と言った覚えはないが、以後は仕方ないから内緒話調で、証明書を出した。
何をやっても「ダメダメ」が出て、つまらなくなったが、そこは「無ければ作ってやるぞ」という根性だから、帰っていく方に声をかけて楽しむことにした。
子どもには「バイバイ」とか、高齢者には「お気をつけて」などのように。なかでも手応えがあったのは妊婦さん。「これで役目は果たしたわよ」というような多少仏頂面で出ていこうとしている場合でも、おなかをさする動作と一緒に「お大事に」と言うと、みんなニコニコ顔になって「あっどうも」と言う。なかには「もう近いですね」と言ったら「後2ヶ月です」の答が返ってきて「お大事に。元気な赤ちゃんを産んでくださいね。我々の未来がかかっている大事な子どもですから」「はい。有り難うございます」などと、会話がはずんだ時もあった。
「場内係のしおり」には、「選挙人に対しては、常に明るく親切に対応し、気楽に投票できるようにしてください」と書いてあって、私の行為はそれに反してはいないと思うのだが、お役所の物差しにはあっていなかったようだ。
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2009年8月24日(月) |
父親になったジョナサン |
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大月書店から出された本の表紙となかの写真抜粋
今から13年前、川田龍平さんが実名を公表して「薬害エイズ」を訴え始める前。
『ぼくはジョナサン・・・エイズなの』が大月書店から出版された。本に書かれているジョナサンを日本に呼びたいと、子どもたちを含めた活動が始まり、ついに東京にジョナサンが来た。
活動のお手伝いをしていた私は、ジョナサンとともに過ごす時間があり、握手を交わした。それまでもエイズについての知識はあったから、からだに触れても握手しても移ることはないと、頭では分かっていた。しかし、彼と握手した時に、私の内で何かが変わった。頭だけで分かっていたHIV感染者との対等・平等の関係について、骨肉化したと言ったら大げさか。とにかく頭だけでなく、身体の芯から「分かった」という感覚が生まれたことを、今でもはっきり覚えている。
そのジョナサンが父親になったという本が出たことは、以前大月からのDMで知っていた。しかし、すぐに注文する元気のない時だったから、いずれ・・・と思いながらそのままになっていた。
近くの図書館で何気なく聞いたら「ここにありますよ」との返事。早速借りて帰り、一気に読んだ。子ども向けの本だから、一気に読めなくては余程もうろくしたことになるが。
ジョナサンにとって、また母親にとっても、日本に来た頃が一番輝いていた時だったのだと分かって、なんだか複雑な気分になった。
日本に来たジョナサンと、賢明に子育てしている母親の姿は、我々にとっては「かくあり何」と思わせるような、理想の親子のように移った。「エイズ」のカゲが常につきまとっていることから来る緊張感が、その時を精一杯生きようとする意欲につながっていたのだろう。そんな彼らのひたむきに生きる姿に打たれたのだ。
その後の彼らは、何とも残念な状況であったらしい。特に母親は「エイズ」と闘う必要が無くなってから、目的を失い、麻薬に手を出し中毒者となり、ついに連邦刑務所に入る身となったらしい。
それでも、ジョナサンが父親になったということで『ジョナサンの旅 死ななかった少年』として、全米に報道されたと書かれている。
アメリカのお国柄で、たとえ母親が刑務所に入っていても、本人が報道されるに値する行為をしたのであれば、報道するのだろう。
しかし、日本人の感覚としてはどうも納得できない。まして、子どもたちが読む本としてどうなんだろうかと思ってしまう。
「あんなに一生懸命ジョナサンのために尽くしていた母親でも、尽くす必要が少なくなってしまうと『燃え尽き症候群』のように、ついふらふらと薬物に手を出してしまい、中毒者になり、刑務所行きになることもある。気をつけなくてはね」という話にすればいいのだろうか。
逆に、若い時からコカインだの何だのと悪さをしていた女でも、必死になると、勉強し、説得力を発揮し、素晴らしい女になるのだという見本として話をするのか。
とにかく、あの素晴らしかったジョナサンと母親を知っている身には、なんとも複雑な気持ちにさせる1冊だった。
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2009年8月18日(火) |
世話もしないでムシのいい話じゃないか |
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昨年の8.5に「猫も逃げ出す暑い家」のタイトルで、緑のカーテンをゴーヤとアサガオで作ったことを書いた。
ゴーヤはまずまずの収穫があったので、今年は「緑のカーテン」を昨年のアサガオの分までゴーヤとし、さらなる収穫増を狙った。その代わり、アサガオでフェンスを飾ることにした。ご近所に常緑の庭木に「琉球アサガオ」をはわせているお宅があり、素敵だと思っていたので、真似をすることにしたのだ。
昨年のこぼれ種が芽を出して、窓の下いっぱいになるほどあったので、それを適当に抜いて、フェンス脇に植えた。植えたとはいえ、ズボラばあさんのすることだから、苗を地面に置いて、チョイチョイと土をかぶせただけという不精なやり方。その後は水をやるでもなく、雑草を抜くでもなく、自然に任せておいた。
アサガオにとって幸いなことに、7月は結構雨が多かったので、チョイチョイ植えでも何とか数本は根付いたようで、何本かがフェンスを上り、庭木に巻き付いてきた。
しかし、ご近所の庭のようにきれいに巻き付いていない。巻き付くというより、自分勝手に上へ上へと上っているようだ。なかには横に伸びて、空中を漂っているつるもある。
「なるほど。人間が手を加えて、巻き付かせてやらないと、きれいに巻き付かないんだ」と気が付いた時には、手を加えられる高さを超えてしまっていた。そういえば、浅草の「アサガオ市」に出すアサガオを、丁寧に巻き付けている場面をテレビで見たことがあったっけと思い出したが、すでに手遅れ。
それでも、隣家との境のフェンス沿いに植えた朝顔は、フェンス脇にある隣家の庭木に巻き付いてはいけないと、つるの頭を再度フェンスに戻したりしていたので、それなりに少し横に広がって花をつけ、いくらか見栄えがしている。
しかし、それ以外は、自分勝手に伸びているから、あっちに一つ、こっちに一つで、花が咲いているのかどうかさえ、さだかではない状況。
いくら原種に近いアサガオだからって言ったって、アサガオはアサガオ。雑草じゃないんだから、手入れをしてくれなくっちゃ良い花は咲かせられないよ。肥料もろくすっぽくれないし、水さえほとんどくれないんだから、大きな花がいくつも咲くわけがない。だいたいズボラを決め込んでいたのはそっちなんだから、花の咲く時になって文句つけられたって困る。こっちだって、良い花をつけて良い種を作って、良い子孫を残したいと思っていてもできないんだから。
花を見ていると、そんな声が聞こえてきた。確かに「我が家の庭は野原庭」などと言って、雑草だらけにしておいた責任はこちらにあるのだから、弁解のしようがない。
自分が労を惜しまず手をかけてこそ、きれいな花が咲くのだとアサガオに教えられた次第。
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2009年8月16日(日) |
神社発表では4千人増とのこと |
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8/15の靖国参拝ルポの紙面
今朝の新聞が「靖国参拝ルポ」を組んでいた。写真を見ると「これこれ。この人居た居た」などと興味をそそられ、ついつい全部読んでしまった。
我々が行った時は、安倍・小泉・森田などの話題になりそうな政治家が帰った後で、正午の黙祷とその後の「軍服姿」の行進には間がある時間帯だったようだ。白鳩を飛ばすところをカメラに納めたかったが、集合時間と重なって、準備中の写真しか撮れなかった。軍服姿の皆さんも、まだ待機中の写真になってしまった。国会議員の皆さんは、ちょうど渡り廊下のような所を歩いているところで、顔が見えなかった。よろず中途半端だった。
9時過ぎ、神社に到着して、大鳥居をくぐってしばらく行ったところで「靖国神社に参拝する地方議員の会」の幟旗を束にして、担ぎながら来る男性にあった。「今年は首相が派手にやるなと言っているから、そうそうに旗をしまうのか」とひとり合点していたが、どうも政治家の参拝が終わったから片づけるところだったらしい。
当然のこととはいえ「遺族会」のメンバーは遠くから来ていることが、バスの表示で分かった。多分夕べ出発して、今朝早く着いたのだろう。高齢の方も多いだろうに、夜行バスでは大変だ。ズラッと並んだバスの表示を見たなかでは、香川県遺族会が最も遠かった。
次は青森県遺族会、三重県・岐阜県・長野県もあった。
新聞報道によれば、国会議員は昨年の53人より少ない41人だったそうだ。昨年は来て今年は来ない人は、地元の選挙活動に忙しい人達だろうか。昨年は参拝していた山谷さんは今年はどうしただろう。カトリック信者が神社に参拝するなんて・・・と憤慨したのだが。
野田議員が記者団の質問に答えている場面がニュースで流された。お国のために犠牲となった人達に思いをはせて、平和の尊さを考えたというようなコメントが、どうしてもしっくり来ない。平和の尊さを言うのに、なぜ靖国なんだ。戦争を始めた指導者も祀られている靖国で、平和が考えられる神経が分からない。
ビラや出店で、昨年との違いを見ると情勢の変化が分かる。
ビラでは、直接靖国とは関係ない「DV法反対」署名とか、大江健三郎の『沖縄ノート』裁判の類がなかった。代わりにNHKがやり玉に挙がっていた。台湾をバカにした作りで、日本統治を偏向報道していた。良いことも悪いこともあったと話したのに、悪いことばかりに編集した。ということらしいが、残念ながら番組を見てないので、何とも言えない。
横浜で教科書採択がされ東京でも採択が増えたから、勢いに乗っているのか「日本会議入会受付」という出店が目に付いた。田母神氏の広島での講演記録が早くもDVDになっていた。「ふんっ!」と横を向いた私に対し、一緒に参加したAさんは「集会とかで使えるから。他ではなかなか買えないから買った」と、わざわざ1500円も出していた。彼らに1000円以上も儲けさせるのはしゃくだが、仕方ない。
10時から11時頃は、まだまだ人手が少ない時間帯だったようで、昨年より参加者が少ないように感じたのだが、報道が正しければ昨年よりは若干増えているのだそうだ。
それにしても、3年前の「縁日」のような賑わいはなかった。やはり首相の参拝問題とかでマスコミが取り上げると、参拝者が増えるのだろう。なんだか訳も分からず、人だかりがすればすぐにその一員になろうとする傾向は、どんどんひどくなっているように思う。一人ひとりが自分の頭で考えて、判断すべきなのに。この傾向が続けば、憲法改正もあっさり通ってしまいそうな危うさがある。
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2009年8月13日(木) |
ないないづくしに あることひとつ |
総選挙が近づき、自民・民社ともに大盤振る舞いの「マニフェスト」を掲げている。
現在も「景気対策」として、いくつかが実行されたり、実行されようとしている。
しかし、どれをとってみても、直接我が身が潤うことはない。
「高速道路料金」が割引になり、大渋滞が起きている。しかし、我が家にあったポンコツ車は、たまにしか使わないので、税金や車検などの維持費が、便利さを上回るような状況だからと、処分してしまったから関係ない。言うまでもないが、エコポイントがあるからと、今更電気自動車など買う気もないから、新車減税の恩恵はない。
家電製品には「エコポイント」なるものが出るそうだ。しかしこれも関係ない。20年以上使っていた冷蔵庫は数年前に故障して、やむを得ず新しくした。エコポイントがつくからとまた買い換えるゆとりはない。テレビも地デジに変わるまではと頑張っていたが、20年以上も前に、長男が友達からもらってきたという年代物だったから、とうとうカラーが出なくなって、昨年買い換えたばかり。
エアコンに至っては、買うには買ったがほとんど使わず壁の飾りのようになっている。これから買い換えようという気はさらさら無い。
「子ども手当」が小学校卒までとか、中学卒まで支給されるとかいう話もある。孫は小学生だから、間接的に恩恵にあずかると言えるかもしれないが、支給されたからと言って長男が小遣いをくれるなどという話にはならないから、全く関係ない。
一事が万事この調子。
「これが出ます」「あれもやります」と言っても、それが本当に国民一人ひとりの生活保障になっているのだろうかと、大いに疑問だ。
やったやったという割に、わらにもすがりたいほどに切実な国民への支援策は削られつづけだ。
母子家庭への加算を削り、高齢者の介護認定を厳しくして支援を削り、「自立支援法」などという美名の下に、通所施設の利用料を有料化したり。数え上げればきりがない。
高速料金を下げるな。エコカー減税はするな。エコポイント不要。などと野暮なことをいう気はない。それで経済が活性化すれば、日本がどん底からはい上がれるだろうから。 しかし、エコカー買って、高速使って旅行できる人は、明日の食事を心配する必要のない人であることは確かだ。家電製品を買い換えられる人も同様だろう。
そういう人に手厚くする金を、明日が食えるかと思い悩む人達に回してもらえないだろうか。
とにかく我が身には、ないないづくしの大判振る舞い。その先にあるのが「消費税増税」と「年金切り下げ」では浮かばれない。
だからといって、個人でできることはほとんど無い。消費税増税を言う党には、絶対に入れないと決めることくらいだ。
仕方がないから「おり句絵手紙」に気持ちを込めた。一票に物言わせるぞと。画材は小松菜。
こー幸福夢見て
まー任せた政治
つーつもる恨みだ
なーなめんなよ |
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2009年8月12日(水) |
オレオレ詐欺を喜ぶ母?! |
定例になっている体操の集まり後のおしゃべりタイムで、この頃はオレオレ詐欺がまた変わって、初期の頃のやり方が復活しているという話が出た。
「オレオレ詐欺は家にも何回か来た」と言うと、「私は、夫が単身赴任の時に『痴漢をした』という電話が来て、もしやと思ったことがある」とか、「私の友達は気が強い人で、『来るなら来い』って待っていたら来たので『待ってました』って言ってやったら切れたんだって」など、など。次々引っかかりそうになった話で盛り上がった。引っかかりそうになっただけだから盛り上がって済んでいるが、本当に引っかかったらこうはいかない。
結論として出た話は「よくそんなお金があるね」だった。銀行のATMに行って数百万円の金が下ろせるということは、普通預金にそれだけの金が入っていることになるのだから。我が通帳ではそうはいかない。数百万円の金がないとは言わないが、すぐに引き出せる状況にはない。すぐに引き出せるとしたら、せいぜい何十万円だ。
我が家にオレオレ詐欺の電話が来たことは、2006.10.3の「はらだち日記」で書いている。実際の「事件」にあったのは、その1年くらい前のことだが。
2007.1.24の「はらだち日記」では、親は子どもに頼られたがっているから、振り込め詐欺に遭ってしまうのだ。いい大人になっている息子に、いくら我が子だからと電話をちょくちょくかけることは気が引けるから、ついつい疎遠になってしまう。振り込め詐欺が心配だから電話をしたという口実で、連絡を取り合ったらどうかと提案している。
テレビのCMで「オレオレ詐欺さん」などと言っていて「面白いな」と思っていたら、今度は新聞広告になった。公共広告も、やっと「連絡取り合うことが大事だよ。振り込め詐欺の最大の防止策は親子の会話だよ」というところにたどり着いたらしい。
随分時間が経っていると思う。素人の私が2年も前に提案しているのに、電通や地方新聞社に連絡先がある、専門家と言われる人が関わっているだろう「AC」が、今頃やっと言い出したのだから。 振り込め詐欺の犯人を捕まえることに躍起になるあまり、被害者の状況をじっくり聞かなかったのではないか。どういう人が被害に遭うか。どんなときに被害に遭うかを、統計処理するだけでも、予防策が出ただろうに。
とにかく、ひとり暮らしをしているかどうかにかかわらず、家族が親密に連絡取り合うことが大事だということだろう。互いの個を尊重することと、互いの状況を掴んでおくことは、矛盾するようにも思うが、今のご時世では大事なことなのだから。
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2009年8月9日(日) |
割安「癒し」のその先は・・・ |
先日、西新橋で78歳の女性が刺殺され、21歳の孫娘が重体になるという事件が起きた。孫娘は「耳かき」店に働いていて、そこの常連であった男性に刺されたと報道されていた。
そも「耳かき店」とはなんぞや。理髪店などで、ついでにやってもらう「耳かき」が商売になるのかいなと思っていたら、新聞に取り上げられていたので、実態が分かった。
独断と偏見で一言で切るならば「新手の風俗」というのが当たりらしい。なるほど、それならば商売になるだろう。
紙面によれば、理髪店などでしている本来の耳かきには技術がいるが、耳かき店の「女の子」は技術は無くてもいいらしい。耳かきには「資格」が設けられていないからということなのか。しかし、耳かきは非常にデリケートな耳の中をいじるのだから、素人がやって事故を起こさないのだろうか。
以前、視覚障害の人達の専業になっていたマッサージに晴眼者も参入が認められ、中には本来のマッサージよりも、性的サービスが中心になっている人達が出てきたことが報道されたのを覚えている。
売春禁止法ができた時には、仕事がなくなった売春婦が、温泉街などで「マッサージ」と称して売春行為をした。パンパンと按摩の合成語「パンマ」ができ、当時は子どもだった私の記憶に残るほど、世間に広がった。
今はどうなっているのか詳しくは分からないが、マッサージという看板を掲げるには、しっかりした資格が必要になったことは確かだ。
耳かきも人間の身体にふれる行為だから、職業としてやるには、それなりの資格が必要だと思うが、法の網の目をくぐって商売する輩が居るということか。
とにかく、法律は「後追い」だから、始末が悪い状況が続かなければ制定されない。現実の行為の方が常に先行する。
耳かき店も同様だ。そのうち、鼓膜を破ったとか、外耳炎を起こしたとかの騒ぎが起きて、やっと法律ができるだろう。それまでは、30分3千円弱の「癒し」を求めて通う男性に支えられ、お店は繁盛していくことだろう。
店員の年令は20歳前後だそうだが、常連になろうとなるまいと「お店以外でおつきあいして」と言われて、売春に移行することはないのだろうか。
店が増えているとのことだから、競争も激しくなるだろう。そうなれば、店外での「おつきあい」をウリにする店も出るだろうし、店内でも「スペシャルサービス」としてウリにする店も出るのではないか。
次から次へと「癒し」と称して、男性の性的欲求を満足させる商売が出てくる。性的欲求を満たすことが「性」なんだとする考え方を何とかしてもらいたいものだ。「性教育」がないと、いつまで経っても変わらない。 |
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2009年8月9日(日) |
ツクツクホウシよ おまえもか |
昨日台所にいると「オーシンツクツク オーシンツクツク 」という鳴き声が聞こえた。「まさか」と空耳を疑った。
しかし、きょうは公園でまた「ツクツクホーシ ツクツクホーシ」の鳴き声を聞いた。2日も続けて、場所も違う「空耳」などあり得ない。ツクツクホウシが本当に鳴き始めたということだ。いつもなら8/20過ぎに鳴き始めるのに、今年は10日くらいも早い鳴き始めだ。現役の頃は、ツクツクホウシが鳴き始めると「ああ、これで夏休みもお終いだ。また仕事が始まる」と、何となくからだが重くなるように感じたものだ。
確かに、暦のうえでは「立秋」を過ぎたが、これから夏本番で「猛暑日」だの「熱帯夜」だのが続く時だというのに、秋の訪れを告げるツクツクホウシがお出ましとは。いったいどうなっているのか。すでに「セミ界」では夏は終わりで、秋に入ったということか。
これも地球温暖化の現れではないのか。地球温暖化は、温度が上がるという問題ばかりが取り上げられている。加えて「北限」が移動していることも。
しかし、季節がずれていることはあまり聞かない。
身近なところでの季節のズレとして、今年は7月半ばのオミナエシ開花もある。
毎月近くの公園で行っている「斜面緑地保全」活動の例会で発見した。オミナエシといえば、秋の七草にも入っている代表的な秋の草花であるのに、7月の例会時には満開だった。「季節がずれている。これも温暖化じゃないの」と話したものだ。
探せばこんなズレは次々出てくるのではないか。
これが季節のズレの表れだとしたら、今後どうなっていくのだろうか。
暦の季節と花や虫が合ってくるものもある。暦の立秋を過ぎたら鳴き出すツクツクホウシのように。
しかし、秋の紅葉などは確実に遅くなっている。そのうち暦では、秋の紅葉ではなく冬の紅葉になるかもしれない。
春の桜は早くなり、冬の桜になりそうだ。
今でも何となく春や秋が短くなったと感じているが、これが何となくではなく、はっきりと短くなってしまうのだろうか。そして、冬があるような無いような時が来るのかもしれない。
そうなるまでには、まだかなりの年月がかかるだろうから、私の生きている間は「何となく」で終わるかもしれない。しかし、孫はどうなるだろう。それを考えると「温暖化対策」は何としても進めなくてはと思う。
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2009年8月7日(金) |
田母神氏「原爆の日」に広島講演強行 |
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田母神氏講演を報じる紙面と文学碑建立を報じる紙面
次々に「はらだち」記事が出てくる。今の日本では当然かもしれないが、新聞が大きく取り上げて、世間のみんなが「はらだち」しているようなことは書かず、世間では小さいと思われている問題で、気になることを書こうとしているのだが、なかなかそういかない。
今回は、例の田母神氏の行動に関する問題。
6月頃の新聞で、かの有名な田母神氏が、8/6に広島で「核武装を追求すべきだ」との主張を展開する講演会を開くことが分かり、秋葉市長が「原爆投下の日であるから、広島市民の心情に配慮して日程の変更を」と申し入れていることを知った。「何を考えているのか」と、彼を「異星人」のような存在に感じた。しかし、その後はなんの音沙汰もなかったので、忘れていた。
今朝の新聞を見て驚いた。講演を強行したのだとのこと。定員850人の会場は満員だったと書かれている。1200円の前売りチケットは完売だったそうだから、当然だが。広島には、8/6に「核武装を考えよう」という集会に行く人が、1000人近くいるということだ。世界中から集まってきた「核廃絶」を願う人々に比べれば、微々たるものと言えるかもしれないが、それでも、居るということ自体にやりきれなさを感じる。
「核兵器廃絶は私たちの願い」だと主張していると書かれているが、「核兵器廃絶」を願う者がどうして「核武装」をしようと主張するのか。理解を超える。
彼らの主張は知っている。再び核兵器の犠牲にならないためには、核武装して核抑止力を持たねばならない。「核廃絶は夢物語」に過ぎないから、現実的には核武装して抑止力を持ったうえで核廃絶を言うべきだ。そうでなければ力にならない。と言うことだろう。
今の世界では一見それが正しそうに見える。核保有国はじわじわと増えている。核廃絶など絶対にできないように見える。しかし、米ソ2大国時代に比べれば、力を持つ国が増えている。新興国も力を持ってきている。国連の場でも議論が闘わされやすくなってきているのではないか。今は「夢物語」であっても、現実になる可能性はある。
世界で唯一の被爆国としての日本が、名誉ある地位につくためにも核武装などということは言わないでほしい。被爆国だからこそ、持たないことで、世界に核兵器の恐ろしさをアピールしてほしい。
同じ紙面に、被爆詩人「原民喜」の文学碑を、民喜が被爆翌日に一夜を過ごした広島東照宮の境内に立てる計画があるとの記事もあった。自らも被爆した東照宮の宮司が計画しているとのこと。
田母神氏講演の記事に「はらだち」した身としては、救われる思いだ。小さな積み重ねが「核廃絶」という大きな実を結ぶと信じたい。
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