人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2008年10月31日(金)
横浜事件再審開始決定

  横浜事件再審開始決定を伝える紙面

 内容に精通しているわけではないが、戦時中の言論弾圧として注目していた横浜事件。再審請求をするたびに、門前払いを食っていたので気になっていた。
 今回、第4次請求に出された新証拠が「無罪とすべき明確な証拠である」と認められ、再審開始を決定したことが、大々的に報じられた。

 戦時中、特高警察がでっち上げた「言論弾圧事件」は、数限りなくあるだろう。三浦綾子さん原作で、青年劇場によって上演された『銃口』のように、子どもたちを思う真面目な教員達を「アカ」の名の下に弾圧した事件。
 『母べえ』として山田洋次監督が映画化した、野上さんの父上のようなケース。など、など。数え上げればきりがないのだろう。

 そんななかでも「横浜事件」は、逮捕された人数が60人以上と多く、戦後審理中の被告は免訴になったのに、有罪判決を受けた被告の名誉は回復されないまま、今日に至っていた。名誉回復を訴えて、再審請求しながら、認められぬまま亡くなってしまった被告達。どんなにか無念であったろう。

 しかし、遺族が引き継いで再審請求を続け、20年以上も粘り強く訴え続けて、再審請求を勝ち取った。
 「父親は間違っていない。何としても、間違いを正したい。この訴えは、父の個人的問題ではないんだ」との信念で、請求を続けたとのこと。

 幸か不幸か私には、それほどまでのエネルギーを、注ぎ続けるような「事件」はない。
 「お国のために徴用され、過労死した父の損害賠償」を国に求める裁判を、起こせないことはないのかもしれないが、証人となるべき母は亡くなった。徴用先の会社は、今の日立らしいということしか分からないから、起こしようがない。
 同様の状況にある人が、日本中に何人くらいいるかも分からない。もし、かなりの人が居るならば、その人達と力を合わせて、国の責任追及ができるかもしれないが・・・

 戦争という異常事態が、憲兵などという「狂的」人間を生み出したのだろうが、それにしてもどうなったら、平気で拷問を加えられるような人間を作れるのだろうか。
 ドイツのナチスゲシュタポでも同様だったようだ。アウシュビッツやビルケナウでガイドさんから聞いた話によれば、ユダヤ人に対してすごい拷問をしていたSSやゲシュタポが、家に帰るとクラシック音楽を聴き、子どもたちの良きパパだったというのだ。
 どう考えても、拷問と良きパパは一致しないのだが。

 普通のおじさんが、どんな教育を受けて、憲兵やSSになっていくのかを、詳しく知りたいと思う。再び、横浜事件が起きないためにも。
 横浜事件が再審で、はっきり無罪となることを願う。今もある「言論弾圧」に影響を及ぼすことを信じて。

2008年10月31日(金)
「カミングアウト」の言葉の軽さにとまどう

  朝のワイドショーで、トラブル解決法について、街頭インタビューをする場面があった。 20代とおぼしき女性が、初めて朝帰りをした時に、母親が起きていて、バナナをこめかみに押しつけられた。痛くはなかったが、しばらく髪などにバナナの臭いが残って困った。という話をしていた。そのあとで、2、3年経ってから、母親に「どうしてバナナだったのかと、カミングアウトしてから聞いてみた。」と発言したので、「えーっ」と思ってしまった。

 まだ日本では「カミングアウト」という言葉が、ほとんど知られていなかった頃、HIV感染や、同性愛関連で「カミングアウトができているかどうか」が、重い響きで言われた時を知っている立場では、「その使い方、間違ってやしない」と言いたくなった。

 「カミングアウト」の本来の意味は、「隠れているクローゼットから出る」という意味の英語の隠語だから、人にはなかなか言えない、地位や名誉などの人権に関わることがらを公にすることを指すはず。
 同性愛は、国によっては、公にしたら処刑されてしまうほどの重い問題。処刑はされなくても、社会的に抹殺される危険のある重大な公表事項。
 HIV感染で処刑は聞いていないが、社会的に抹殺される点では、同性愛と同様の重さを持っている。

 最近は、同性愛については、若い人を中心にやや寛容になってきているから、マスコミの場でも「カミングアウト」するタレントなどが増えているようだ。
 それにつれ「カミングアウト」という言葉も、よく耳にするようになってきたのだろう。カミングアウトするタレントも、気軽に言葉を出しているし、周りも聞いて固まるような状況はなく、「昨日彼女とデイトした」レベルの「告白」と受け取るようになったらしい。

 言葉が日常的になっていくことは、事柄も日常的になり、特に差別や偏見を持つ必要のない事柄になっていく面があるから、母親に朝帰りの理由を説明したことをカミングアウトと言っても良いのかもしれない。
 しかし、一方で、言葉が軽くなると、本質的な問題が脇に置かれ、なあなあで進んでしまう危険もある。

 同性愛やトランスジェンダーのタレントが、自分をおもしろおかしく表現することをウリにしているような状況で、タレントではない、一般の同性愛者やトランスジェンダーは、認められる存在になるだろうか。むしろ、自分をさらけ出して卑下するような行動をとらないと、認められない状況を作っていくのではないかと心配する。
 そうなれば、ますます「カミングアウト」することが難しくなる時が来るのではないか。そうならないことを願うが。
 「カミングアウト」の言葉の軽さに、考えさせられた。

2008年10月28日(火)
同じ神を仰ぎながらの右左

     「全国大会」参加の投稿紙面

 「正義と平和全国集会」に参加したシスターの投稿が載った紙面を見つけたので、読んでみた。
 そのなかに「教皇様も日本の司教団も『死刑廃止』の立場を言明している。・・・日本のカトリック信者の中には、今も『死刑廃止反対』を声高に主張する人が居ます。・・・教会の方針が明確に示されている以上、その線を前向きに受け止めていくのが信徒のとるべき態度ではないでしょうか。・・・信仰の根幹に関わるような問題(たとえば靖国神社参拝)などについても同じことが言えます」のくだりがあり、余りにも堂々と主張しておられるので・・・とは、どんなことを指すのだろうかと、ネットで調べてみた。

 「教会の政治的言動を憂慮する会」という、物々しい名前の会があることが分かった。
 2008.1.1に設立された会。「カトリック正義と平和委員会(略称「正平協」)」が、カトリック系学校に対し「日の丸・君が代反対」の呼びかけを出し、それに反対した信者達の有志が設立したとのこと。戦後60年経ち、国民に定着している「日の丸・君が代」に反対することは、国民感情を敵にまわす愚挙だという理由で。

 編集委員として名前を出している方々は、神奈川県内の教会に所属している。名前だけではどんな方か分からないが、多分、かなり年配の男性で、教会内では一目置かれる存在の方々だろう。教会委員とか、壮年会などの会長を務められているような。

 これらの方々に代表される勢力が、教会内に存在することは事実で「カトリック右派」と呼ばせてもらうことにする。
 それに対し、「正平協」の大会に参加するような方々が居られることも事実だから「カトリック左派」と呼ばせてもらうことにする。
 こういう現象は、日本に限ったことではない。アメリカでもプロテスタントのなかに「キリスト教右派」と「左派」がいる。ブッシュが頼りとしているのは「右派」になる。
 他の宗教でもあるのではないか。仏教でも「9条の会」を作る僧侶達がいるし、それに反対する僧侶がいる。

 同じ神を戴きながら、やっていることはまるで反対になるのはなぜか。私には理解できない。
 「憂慮する会」の設立趣意書には、「愛と平和」を追求するのだと書いてある。愛と平和を追求する立場で、戦争賛成の行動をとるのはなぜか。「9条」改正に賛成するのはなぜか。靖国神社参拝に賛成するのはなぜか。まるで分からない。
 「正平協」の責任者である松浦補佐司教は、講演会の質問に答え「行動は違っても、めざす頂は同じだ」というような発言をされていた。

 富士山に登るのに、御殿場口もあれば、須走口もある。どの道を登ろうとも、最終的には富士山の頂上に着く。御殿場口から登らねばならない。須走口でなければ。などと言うことはできない。富士の頂上を目指しているならば、同じ登山者だ。ということらしい。

 しかし、右と左の違いは、登り口の違いなどと言うことではなく、富士山に登っているのと、槍ヶ岳に登っていることの違いのように思われる。「山登り」という共通点はあるかもしれないが、めざす山は全く違い、接点はないように思う。

 それでも「山登り」という共通点のある者同士として、手を組まねばならないのか。日本のカトリック信者は、人口の1%にも満たないのだから。なんだかやりきれない気分になる。

2008年10月23日(木)
梅毒も急増中

    「梅毒が急増中」を報道する紙面

 古典的な性病の一つである梅毒が、2年連続で急増しているとの記事を見つけた。
 エイズについては、先進国で唯一増加しているという報道を、時々聞いて分かっていたが、古典的な性病の梅毒が、勢いを盛り返しつつあるとの情報は初めてだった。
 先天梅毒も増加傾向があるとの、憂慮すべき報告になっている。

 妊婦検診を受けない女性の増加。できちゃった出産の増加。周産期医療の問題、等々。出産を巡る新たな問題が起きているが、先天梅毒も新たな問題のひとつになりそうだ。
 ふたりの合意のもとに計画的に出産する場合は、妊婦検診も定期的に受け、血液検査などもしっかり受けて、健康な赤ちゃんを産むための努力をするだろう。
 しかし、できちゃった出産で、経済的な保障も薄く、妊婦検診を定期的に受けることもできず、血液検査も受けないまま出産を迎える場合は、感染のリスクが大きくなる。

 感染していながら、何人もの女性と関係を持つ男の存在が、元凶にあるようだ。患者の3/4が男性だとの統計結果がそれを示している。20代から40代半ばの最も社会的活動が活発な年代の男性が、自覚症状に気づかぬまま、または気づきながら、女性と関係を持っているのは許せない。自分が次の世代を生み出す存在との自覚を持ってほしい。

 女性は10代後半から感染者がいる。できちゃった出産なども、10代後半に広がっているようだから、今まで以上に母子感染の可能性が高くなる。妊娠とはどういうことか。何に注意しなくてはならないかなどの、知識を全く与えられずに、妊娠という事実だけが進み、「中絶するのは悪いこと」「赤ちゃんができたら生みたい」などの、夢物語のような感覚だけで出産に向かうという、空恐ろしい現象が起きているわけだ。

 それもこれも、学校教育の中に「性教育」がしっかり位置づけられていないことによる。性教育がされてきた'92からの10年で、いくらか「性」を明るい場で真摯に話すという機運が生まれたにもかかわらず、'02の指導要領改訂で、'92以前の状態に戻してしまった。戻したよりもっと悪くなった。'92以前は、心ある教師は性教育することができたが、今は全くすることを許されない状況に追い込まれている。

 かたや「ポルノ」による「性教育」は、以前にも増してその力を付けてきている。「できちゃった婚」を、ススんでいる女のトレンディな行為か何かのようにはやし立てる一方、性病に関する情報は、かけらも与えないなど、全く偏った情報を発信している。
 10代後半の女性は、目隠しされて、引き回されているような状況に置かれている。

 性病の問題を大々的に取り上げ、根本にある性教育の充実を図らせないと、少子高齢化社会の土台が、思わぬ所から崩れることになる。
 小泉政権下で、性教育の後退を図った閣僚や政治家は、どう責任をとるつもりなのか。

2008年10月23日(木)
ゴミ処理の壮大な無駄遣い

   見学先でもらったパンフの一部

 先日「リサイクルセンター」の見学会に参加した。
 工場が稼働している、平日の昼間見学に行かれるのは、リタイヤ組の特権と感じながら、かつての同業仲間とワイワイガヤガヤ。15名ほどでの見学となった。
 名称から勝手に「公共施設」と思いこんで行ったら、リサイクル事業を展開している企業の工場だった。以前は製鉄業が中心だった企業が、溶解技術を駆使して、プラスチックや廃家電製品のリサイクルをしている所だった。リサイクル事業=公共との狭い認識を恥じた。今やリサイクルは産業の立派な一分野なのだ。

 常日頃、分別収集とか、ラベルの有無などをうるさく言われている。「もったいないばあさん」としては、ペットボトルも野菜のプラボックスも「プラ」となっているのだから一緒でかまわないと思っていた。ペットボトル以外を入れると、回収時に置いて行かれてしまう。「何だよ。全部燃やすゴミに入れてしまうのでは、もったいないのに。融通きかなすぎ」とブツブツ言いながら、仕方なくペットボトル以外は、焼却ゴミに出していた。

 工場での作業工程を見て「なるほど。確かに種類を厳密に区別しないと、製品の質が下がるから、うるさいのだ」と納得できた。
 ペットボトルと形状が似ている醤油などのボトルも、材質が違うから除かねばならぬし、キャップとラベルも一緒にはできない。比重などを利用して機械的に除去しても、最後は人間の目と手で取り除くことになる。きちんと分別されていれば、必要ない工程であるのに。その分費用がかさむことになる。

 「選別作業に従事するのは女性が適している。女性は粘り強く緻密に作業を進められるが、男性はすぐに飽きて雑な作業になり、きれいに除けない」との説明。粘り強さは女性の特性なのだろうかと、疑問を持った。粘り強い女性もいれば、そうでない女性もいる。男性のなかにも粘り強くできる男性はいるのではないか。何となく性差別の臭いを感じた。
反論する場ではないから、黙って聞いていたが、納得はできなかった。

 廃品回収のシステムによって、缶とペットボトルを分別する自治体、混合でかまわない自治体がある。ただし、混合の場合は、缶との分別のための工程が余分に加わり、費用が高くなる。裕福な自治体は高くなってもかまわないから混合にしているが、小さくて費用が出せない自治体は、細かい分別を住民に要求することになるとの話。

 今時、余分な工程を加えても良いような自治体があるだろうか。大きな自治体といえども、財政は厳しいのが通例。分別をしっかりすれば、余分な工程が減り、費用が安くできる。それだけ税金の有効活用が可能になる。
 自治体は住民の協力を得るための努力を、もっとすべきではないのか。できるだけ出しやすくすることによって、回収率を上げるのも一方法かもしれないが。

 私の実感として、見学に行って、ラベルやキャップをうるさく言う理由が納得できたから、今後は以前にも増して廃品の出し方に注意しようと考えられた。
 全住民の見学会は難しいにしても、自治会の廃品回収担当者に、見学会の報告会を開かせるとか、自治会で組織的に啓蒙活動を展開するなど「なぜか」についての説明を、きめ細かくすることにより、余分な費用をかけずに、リサイクルが進められると思う。 
 お役所は「説明」することに、時間をかけるべきではないか。「どうせ住民は意識が低いから」と、初めから見下したような姿勢はどうかと思う。

2008年10月17日(金)
裏紙は死語になる?!

  今朝も新聞を取りに行くと、いつものことながら、ポスティングされたチラシが、ごそっと郵便受けに入っていた。
 息子がバイトをしたこともあり、ポストに「チラシ投函お断り」と書いた紙を貼るのも大人げないと、取り出しては「雑紙」の袋に入れる。

 右から左に処理しているから、どんなチラシなのか、内容をよく見たことはなかったが、あれっと思ったことが出来た。
 以前は、片面印刷のチラシが多かったように記憶しているが、この頃はほとんどが両面印刷になっている。
 息子のバイトで、不動産屋のチラシ入れを手伝った時も、チラシは両面印刷だった。片面は時々変わっていたが、もう片面はいつも同じだった。それでも両面にはしてあった。
 情報量が2倍になるのだから、両面印刷の方が効率は良いことになる。紙の無駄使い減少の意味でも良い。最近の不景気で、紙の節約を考える企業が増えたのだろうか。

 以前は、紙の質が悪く、安くて薄い紙だと裏写りしてしまうから、両面印刷ができなかったが、最近は紙の質が良くなって、安い紙でも裏写りせず、両面印刷が簡単になったのかもしれない。その反面、紙そのものの値段は高くなったから、片面印刷で2倍の量を印刷するよりも、両面印刷にした方が、経費が安く上がるのかもしれない。
 インクの値段が下がったことも原因の一つにあるのだろうか。以前はインクが高かったから片面印刷するしかなかったが、今は両面印刷しても、片面印刷とたいして値段が変わらなくなったのかも。

 白い紙をそのまま捨てるのに罪悪感を持っている「もったいないばあさん」としては、片面印刷のチラシは、FAX用紙として最適だっただけに、ちょっと残念な気がする。
 しかし、両面使って、資源を半分で済ませれば、パルプ用に切る木は少なくて良いわけだから、大いに奨励すべきことだと思う。

 「裏紙をメモ用紙に使う」という言葉は、そのうち死語になるだろう。
 FAX用紙や試し刷り用紙が消えるのは寂しい気もするが、FAXや試し刷りの時、自分でこまめにとっておき、裏表2回使えばいいことだ。
 事務所などに行った時、裏の白い印刷紙がゴミ箱に捨てられているのを見ると、もらって帰りたくなってしまう。「こんな気持ちが行きすぎると『ゴミ屋敷』の主になるのだろう」と思い、ぐっとこらえて声には出さぬようにしているが・・・

 企業は計算だから、サッサと両面印刷を普及させているが、学校や団体が鈍いように思う。以前の裏写りする時代の印象が強くて、裏表印刷はするものではないと考えているのかもしれない。技術の進歩について行かれる現場であってほしい。

2008年10月14日(火)
座席は全部優先席では

  東京に出て、ちょっと油断をしたので、夕方の電車に乗る羽目になった。
 当然車内は満員。行きのゆったり座っての乗車とは大違い。それでもと「優先席」に近づいてみた。座席の前に立っている人の後側ではあったが。

 ヒョイと前を見ると、2歳前の娘を抱いている母親が、吊革にも掴まれずヨタヨタしている。自分のことどころではない状況に、若造が座っていたら立たせようと、前の人の間から座席を覗く。白髪頭と禿頭が見えた。「これはダメだ。3人目は野球帽だから見込みがあるかも」と、前に立つ人を押しのけるようにして覗く。すると、野球帽の下には白い無精ひげがあった。

 自分に近い側の3人は、いずれも「優先席」の条件を満たしている。立たせるわけにはいかない。
 反対側はどうかと、電車の揺れを利用して移動。親子連れも揺れのために移動して、反対側の座席近くに立つことになった。
 反対側は、ほとんど見えなかったが、かろうじて見えた一人は、条件を満たすばあさま。その隣もダメそう。3人目は完全に見えない。

 よろよろしながら立っている親子を見かねて、入り口の手すりにつかまっていた爺様が「どなたか立っていただけませんか。幼い子どもを抱えたお母さんがいます」と、座っている3人に声をかけた。
 しかし、誰も立たない。3人とも「優先席」の条件を満たしている人なのだろう。しかし、くだんの爺様は、再度「譲っていただけませんか」と迫った。
 すると、見えなかった3人目が立ち上がった。何とやはり「優先席」の条件を満たしている男だった。それでも3人のなかでは若手だったのだろう。親子連れはやっと座ることができた。

 横浜市営地下鉄に乗る機会があったが、そこでは全席優先席だとのこと。全席優先席などと言われては、おちおち座っていられない感じもあるし、どこかで立つだろうから、自分の席では立たなくても良いと考え「名ばかり優先席」になり、譲らない方向に行くのではないかとも考えた。もし徹底すれば、理想の車内になるのかもしれないが。
 実情をネットで調べると、余り譲られていないらしい。やはり、6人だけの特別コーナーだから譲るのだろう。
 子どもに「皆さん」と呼びかけると、自分とは思わないから、氏名を言えと先輩から教えられたが、おとなでも「あなた立ってください」と言われないと、自分が立たねばならぬ存在だと思わないのだろう。

 しかし、きょうのような現実は、今後ますます増えるだろう。電車は、家畜運搬車に近くなり、通勤時間帯には、座席がなくなるという状況もある。「そういう時間帯には、老人や子連れは乗らないでくれ」というお達しが出るようになるかもしれない。しかし、生活の必要で、乗らないわけにはいかない。となると、とても1車両6人ぽっちでは間に合わない。半分くらいは「優先席」にしてもらわないと。そうでないと、老老介護ではないが、60代の高齢者が、70代80代に席を譲らねばならぬ事態が起こるだろう。
 白髪頭を見せれば、すぐさま譲ってくれるなどは、夢になる時代が迫っているようだ。
 

2008年10月9日(木)
年令とともに時間は早くなる科学的真実

  先日、高校の女子同期会があった。元男子校が女子も入れるようになった高校で、1学年350名くらいのなかで、女子はたった15名。1年時は全員が1クラスだったから、全員同級生。当時は団結心が特にあるとは思わなかったが、約60年ぶりとなる今回の同期会には、卒業以来初めての友も来た。

 恩師も数人お招きした。学生時代から「面白い先生」だった生物の先生は、80を越えられた今日も、やはり「面白い先生」のままで、参加者の一人からの質問に答え「生物時間」についてのミニ講義をしてくださった。

 高校時代にも「生物時間」についての話を聞いていた。「みんなはまだ15や16だから、人生の時間はこれからいっぱいあると思っているだろう。しかし、生物時間からすれば、もう人生の半分くらい過ぎているとも言えるのだよ」と。
 あの時は、「何をくだらない、非科学的なことを言っているのか。いくら生物の先生だからって、そんなこと言って良いのか」と思ったものだった。
 高校時代の私にとって、人生の時間など無限にあるように思えたものだった。

 成人式が過ぎると時間が早くなる、と聞かされたのは誰からだったか記憶にないが、いくらか時間が早くなっているようだと、感じ出したことは確かだ。なんだか、いろんなことをせっせとやらないと、時間が足りなくなりそうで、つんのめって歩くような生活になっていった。

 結婚し、共働きになり、1日30時間ほどほしいような生活を、何十年も続けた。それでも、充実感があり、それなりに時間を有効に使ってきたように思う。
 50の声を聞くと、そのあとの10年はあっという間だよ。と聞かされたのは、職場の先輩だったろうか。
 「離任式」のとき、「なるほど。そうだったな」としみじみ思った。50過ぎからどころではない、着任からの33年が、あらっという間だったように思う。
 頭をなでながら、「この学校に来たとき、私の頭は黒でした。しかし、今は白くなりました」と、子どもたちに話しかけて離任の辞を始めたら、子どもたちには大受けだった。 

 60すぎた今、先生の「生物時間」が、実感としてよく分かる。
 「生物時間」が早くなるということを裏返せば、「中身が充実していない」「行動が遅くなっている」ということにも通ずるのではないかと思う。
 現役の頃は、朝30分で、洗顔、朝食、トイレを済ませて、電車に乗ることができた。今は洗顔だけで30分かかる。食事も最低30分は必要だ。駅までの時間は10分と変わらないが。ぼんやりしているわけではないが、動作の一つひとつが遅くなっている感じがする。

 先生に言わせると、ハツカネズミは早く動くから寿命が短いとのこと。その論法でいけば、若いときと同じスピードで動こうとしていたら、私の寿命は70くらいでつきてしまうことになり、今のようにゆっくりにしたら、85くらいの平均寿命までいかれるということになるのかも。一生のなかでやれる量は、だいたい決まっているということか。
 ある人は、50年でそれをやってしまい、ある人は、90年かけてそれをやり遂げる。そう考えれば、早く死んでも、長生きしても、たいして中身は変わらないことになる。

 はらだち日記など書いていると、長生きできないかもしれないが、「憎まれっ子世にはばかる」のことわざもあるから、長生きするのではないかと期待しておこう。
 今度先生にお会いしたら、そのへんのことを伺ってみようと思う。

2008年10月6日(月)
鎧が取れると、柔らかなこころが出てくる

  息子一家と「おじいちゃん」のお見舞いに行ってきた。おじいちゃんとは、息子の立場からの呼び方で、私にとっては舅である。
 家庭での生活が難しくなり、数年前からグループホームで生活していた。94歳にもなるから当然のことではある。
 息子達は昨年も来ているから、勝手知ったる・・・で、リビング様の部屋に入って用件を告げた。職員に「退所されましたよ」と言われ、ビックリ。
 連絡をもらっていなかったから、居ないなどとは思っていなかった。
 「施設職員にしては、まれなくらい親切な方」との、息子の連れ合い評の職員で、行き先を調べてくれた。

 結果を待つ間、入り口で待っていると、中から80代と思われる男性がやってきた。孫を見つけて声をかけたかったらしい。どこでも、子どもは歓迎される。
 孫に声をかけたが、今時の子だから、知らない人とは口をきかない。両親に促され、「こんにちは」をやっと言う。
 喜んでニコニコしたが、その次には、直立姿勢になり、「○#▽$△#○▽+*」と聞き取れない言葉を発して、90度のお辞儀をした。なおも聞き取れない言葉で話したが、「一生懸命頑張っております」だけは聞き取れた。そして、敬礼でもするような恰好でこちらを見た。と思うと、突然泣き出した。

 調べ終わった職員さんが来たので、彼は奥に連れ戻されて、それっきりとなる。
 老いて認知症を患っているらしい彼の中に、「大日本帝国」の亡霊を見た。
 見かけで判断してはまずいかもしれないが、赤紙で駆り出された兵士の部類に受け取れた。少尉、中尉という位のある男には見えなかった。

 戦時中は、一兵隊として闘って、やっとの思いで帰還したのではないか。戦後は、家族のために身を粉にして働いてきた。戦場での様々な体験は、こころの奥深くにしまい込み、ひたすら戦後の厳しい時代を生きてきた。
 年をとり、こころの扉が緩くなり、奥深くにしまい込んでいた「おもい」が、ふとしたはずみでポロッと出てきてしまうようになったらしい。

 はき出したくてもはき出せなかった「おもい」。墓場まで持っていくと誓った「おもい」。
理性が働いているときは、それができた。しかし、認知症が進み、押し込めていた理性の力が弱くなったとき、「おもい」が噴き出てくるようになったのではないか。
 「日本軍は、清く正しく美しい軍隊だった」と、体裁を取り繕い、それに反する声は押さえ込んで、ひたすら、経済的発展を遂げてきた日本。
 しかし、今それが揺らいできている。「俺たちは、言いたいことも言わずに頑張ってきた。その結果がこれか」と、怒りが渦巻いているのではないか。
 
 たった独りの、たった5分くらいの出逢いから、「ここにも、声なき声を持つ兵士がいるのではないか」と、イメージをふくらませてしまった。 

2008年10月3日(金)
効率一辺倒の都行政は障害児を切り捨てる

 都の削減計画に反対する声を載せた紙面

 今年2月に「都立障害児学校の寄宿舎」を残してほしいという、父母・教職員の声が新聞に載った。
 かつての研究会仲間にも、寄宿舎指導員がいるので、「彼も大変だろうな。組合の役員はまだやっているのだろうか」と心配はしたが、その後、特に動きがあったような記事はないままにすぎていた。

 先日、会報とともに「廃止反対署名」が送られてきた。「まだ、続いているんだ」と分かり、早速友人に書名を頼んで、同封されていた返信用封筒で返送した。
 彼がまだ役員を続けていることが分かっただけで良かった。研究会で仕事をしているときは、毎月のように会っていたが、離れてしまうと、まるっきり会わなくなってしまう。仕事仲間とはそういうものなのだろうが。

 返送して終了と思っていたら、メールが届いた。運動はなかなか大変らしい。
 そもそも寄宿舎ができたときには、確かに遠方で通学困難な子どもたちのための施設であったろう。
 交通は便利になった現在、親元から通うのが一番良いのだから、できるだけ通うようにするべきだ。との都の意見は一見もっともらしい。

 しかし、現在の寄宿舎には、もっと大きな使命がある。「子どもたちの自立の一助としての寄宿舎」だ。
 自宅から通学していれば、どうしても親がかりになり、甘えて自立の経験が積めない。 帰宅後は、近所の仲間には入れず、一人で過ごすから、人間関係が広がらない。自分が主体になって活動する行事なども組みにくい。
 こんなマイナスを補うのが、寄宿舎だ。だから今や、寄宿舎は、遠距離通学の有無にかかわらず、必要な施設なのだ。

 成人の障害者は、自宅が近くにあってもグループホームに入所することがある。それは、自宅ではできない自立を図る施設にもなっているからだ。身寄りが無くて、行くところがない障害者が、グループホームに入るというわけではない。それは、行政も認めているはずだ。親亡き後に備えて、親のいるうちから自立に向けての訓練をする。そうしなければ、親亡き後の生活が保障できないからである。

 福祉と教育は違うという言い分で押してくるのか。教育であればこそ、子どもたちの自立を促すことは、重要ではないのか。
 とにかく、都のやり方は、「切り捨てられるものは何でも良いから切り捨てろ」という感じだ。そうやって切り捨てた金で、「東京オリンピック」の招致活動などをやるのだろう。自分が華やかな場に立てることは、せっせとやるが、金にならない弱い者は目障りだから、切り捨てる。

 もし、東京オリンピックが開催されても、見にも行かないし、テレビも見ないぞ。

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