人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2008年9月30日(火)
教会でも「性と生」の分科会開催

     「大阪集会」を報じる紙面

 「カトリック正義と平和全国集会」が、大阪で開かれたとの報道が「カトリック新聞」に載った。
 毎年開かれている集会だから、「今年は大阪なんだ」とよく読みもしないでいた。たまたま時間があったので、丁寧に読んでみると、分科会の中に「性と生」があったと書いてある。若者向けの分科会で、他には「いじめ」の問題もあったとか。

 どんな内容だったのか知りたくて、正平協(カトリック正義と平和協議会)のサイトを見たが、残念ながら参加の案内だけで、まだ報告はなかった。報告をまとめて載せるまでには、1ヶ月以上必要だろう。
 大阪は、正平協担当の松浦悟郎補佐司教の地元だから、「大阪宗教者九条の会」の活動で連帯している他宗教者の協力を得られたり、カトリック学校の協力で、子どもたちの参加が多かったなどの特色があったようだ。

 それにしても、カトリックの中で「性と生」を、子どもたちにどう教えているのだろうか。教会内の子どもに接する機会がないので、全く分からない。「結婚まではセックスしない」「プラトニックラブは良いが、肉体関係はダメ」などと教えているのだろうか。山谷えり子氏や、曽野綾子氏などの流れをくむ指導者が教えたら、そうなるかもしれない。

 しかし、それが今の子どもたちに受け入れられるかどうかは疑問。たとえカトリック家庭で育ったとしても、学校や塾、習い事の場などで、子ども版ポルノ雑誌のようなものにはふれるだろうし、友達との会話の中には必ず入ってくる。そのときに、教会の教えだからと話したら、相手にされなくなる可能性もある。古い、変わってる、別人種としてのけ者にされるだろう。

 友達との関係だけでなく、自分自身の問題としても、教義として教えられていることと、自分の感情や行動が矛盾してくることになる場合もある。
 うちから突き上げてくるような性の衝動にどう対応するのか。恋しい相手と手を取り肩を抱き、唇をあわせたいとの思いをどう押さえ込むのか。
 性的好奇心や、性的エネルギーが小さい子どもの場合は、何とか矛盾を感じないで、おとなになれるかもしれないが、感情が豊かで、好奇心旺盛な、エネルギーも大きな子どもの場合には、自己矛盾により苦しむことになるだろう。

 青年期の自慰の問題は、かなり前から絶対禁止という建前はとらず、認める方向に来ているようだが、婚前交渉、同棲、未婚の出産などになると、まだまだハードルは高いのではないか。子どものときから、正確な性器の名称などを教えられるのか。
 神を信じて、教義に従うことと、自分の生活との矛盾が、できるだけ小さい方が、落ち着いた生活ができる。自己矛盾で苦しむ子どもが無くなるような、教義の解釈になることを願う。 

2008年9月26日(金)
見せブラは進化している

平日の昼間というのに人があふれる109の前
 
 20代の頃から「海抜は高いが、標高差は小さい」という胸をしていた。
 動きやすい身体で良いと思っていたから、特に「豊かな胸」に出会ってもジェラシーなどは感じないで、今日まで過ごしてきた。
 仕事をしているときは、それでも姿形に気を配り、ブラジャーなるものを着けていた。しかし、腕を上に上げたりすると、すぐに定位置から外れ、修正するのに苦労した。なにしろコニーデのような形状だから、ブラの端が引っかかって、そこから上には動かないということにはならなかった。
 
 形状の形容にネットを引いたら、今ではコニーデとか、トロイでとかの言葉は使わないことを知った。中学時代の知識をそのままにしておいては、世の中の動きに置いて行かれる。ちなみに、コニーデは成層火山というのだそうだ。Cカップ、Eカップのような人の形容には、溶岩ドームと言わねばならぬらしい。「トロイデだわね」という方が情緒があって良いのだが。溶岩ドームのようなどと言われたら、キッとにらまれそうだ。

 とにかく、仕事を辞めてからは「フリーが一番」と、できるだけ着けないで過ごすこととした。しかし、夏Tシャツ一枚で体操するときには、ふくらみがないとはいえ、ポチは形が分かる。若い人ならばポチが見えるのが今風ということになるかもしれないが、そうもいかない。仕方なく、夏だけブラをすることになっていた。ストラップは下がるし、本体は上がる。始末に負えないが仕方ないと諦めていた。

 集会の席で、友人から「ニップレスがあるわよ」と聞かされた。すぐさまその情報に飛びついて、近所のスーパーに行ってみたが、置いてないとのこと。ついでがあったので、シブチカの店に行った。「完売で現在はありません」とのこと。夏も終わりだから仕方ないかと、売ってそうな店がどこかありませんかと聞くと、109の中ならばあるかもと言われ、「白髪頭は目立つだろうな」と思いながら寄ってみた。自分では探せないから、案内のお嬢さんに聞いて、言われた店に行った。

 店内は、ブラのオンパレード。前々から「見せパン」があって、わざわざ見せても良いパンツをはくというのは知っていたし、その前から、ブラも華やかになってきているのは感じていたが、ズラーッと並んでいると、壮漢としか言いようがない。
 ブラウスやスーツが買えてしまう1着何千円もするブラを、誰が何のために買うのだろう。「勝負下着」という言葉もあるから、初めてベットをともにするときに着けるのだろうか。フツーの娘さんがいざというときのために買っておくのだろうか。

 白いスポーツブラではつまらないというのは理解できるが、ゴテゴテのブラを見せられた男が、それでいい女と思うだろうかという疑問は残る。
 何でもそうだが、これでもかこれでもかとどぎつくなっていくと、だんだん感覚が麻痺して、どんなことをしても興奮しなくなるのではないだろうか。下着は下着なのだから、汗を吸い取り、肌を守る働きのあるものにした方が良いと思うのだが・・・

2008年9月25日(木)
日本はいつから「治族」社会になったのか

   麻生内閣発足に対する新聞の報道

 麻生内閣が発足したので、きょうの一面は当然大臣の顔ぶれで埋まっている。
 賛否いろいろあるが、11/2投票が既定の事実になりつつあるようだから、短命も短命。10日か2週間だけの内閣だから、あれこれ言うだけ無駄の感はある。

 それを見越してのことかもしれないが、2世、3世議員にハクづけするための配慮は、充分している。顔写真の載った議員達のほぼ半数が「七光り議員」。
 前々から「七光り議員」はいた。小泉首相もそうだったし、阿部首相、福田首相もそうだ。福田氏にいたって、初めて「首相2世」になった。
 アメリカでもブッシュは「2世大統領」だから、2世、3世は日本の専売特許ではないかもしれない。
 それにしても、大臣の半数近くが「七光り議員」というのは、異常ではないか。

 歌舞伎や能・狂言のような「伝統芸能」の「世襲」には、それなりの意味がある。三つ子の魂の時から、所作を覚え、立ち居、振る舞いに至るまで、形式美を吸収するためには、「世襲」もやむを得ないだろう。
 「前進座」の歌舞伎と、「歌舞伎座」で上演される歌舞伎を比較すると、残念ながら、伝統の重みが違う。テーマ性に優れた内容の時は気にならないが、伝統的な歌舞伎演目の舞台では、やはり見劣りがする。成人後の所作体得と、幼児からの違いではないかと思う。

 政治の世界にも、世襲による「伝統」が必要なのか。もし必要とすれば、どんな「伝統」なのか。賄賂をもらっていても、清廉潔白であると言い張れるような「厚顔」か。国民を見下しているのに、自分は「国民目線」で政治をしますという「虚偽申告」が平然とできる2枚舌の育成か。
 そんなもの以外に何があるというのか。「政治学」の勉強は、学校でできる。「国民目線」の活動は、むしろ「政治一家」でない方がやりやすい。

 明治時代、士農工商の廃止に抵抗する武士のため「士族」を置いた。農工商は「平民」となったが、「エタ・ヒニン」は「新平民」として区別した。その流れを今新たに作ろうとしているように見える。
 「士族」に代わり「治族」を作る。市民の中に格差を作り、「我々も大変だが、あの人達に比べればずっとまし」と安心させ、「治族」の安泰をはかる。

 「治族」が舵取りをしていく日本国の将来はどうなるのだろうか。「一将功成って万骨枯る」ような社会になるのではないか。それが分かっていながら、たいした問題提起もしないで、淡々と過ぎていく。
 政治に対し、真正面から噛み付くと、精神衛生に悪いから、できるだけ見て見ぬふりをしているが、今回は見ぬふりができぬほどにひどい。選挙で決着付けるより無いが。

2008年9月25日(木)
ネオナチに対抗する市民達

 集会阻止を果たした市民達を報道する紙面

 ドイツ・ケルンで開催予定だった、ネオナチ主催の国際会議「反イスラム化国際会議」が、市民の実力行使で粉砕されたとの記事を目にした。
 ケルン市議会の極右会派「親ケルン」が、ケルンに2010年完成予定の、欧州最大規模のモスク建設に反対し、オーストラリアの自由党、イタリアの北部同盟、フランスの国民戦線などに呼びかけ、1500人規模の集会を計画したとか。

 これに対し、他政党や労組、左翼グループが対抗デモを組織し、4万人が会場周辺に集まり、左翼グループは会場周辺道路に座り込んで、会場を封鎖。空港からの鉄道線路にも入って移動を妨害し、他国の議員や極右支持者を空港に足止め。バスやタクシーは乗車拒否。ホテルは宿泊拒否。レストランも予約受付拒否。

 ナチス賞賛はドイツでは犯罪だが、集会は移民政策テーマのため合法。公道占拠などが違法だが、警官隊に排除するそぶりはない。左翼から市民まで一体になった圧力により、会場にたどり着けた参加者は50人ほど。警察は「市民の安全を優先する」として、集会の中止を命令した。市長は「この街の民主主義の力だ」と、市民の勝利を宣言した。と、紙面には書かれている。

 「モスク建設はかまわないが、イスラム批判には理由がある」として、建設も含め、市内には不安や、危惧の声もある。とも書かれている。
 ヨーロッパにおける、キリスト教とイスラム教の対立の歴史は、知識としては持っていても、イマイチ実感としては分からないので、大反対の起きる素地については理解しがたいところがある。十字軍遠征以来の確執があるのだろう。

 とにかく、ネオナチの動きに対する、敏感で、結束力ある市民行動に感嘆した。
 ドイツと日本は、敗戦国としては同じだが、その後のありようが随分違っていると言われ続けてきた。そうだろうなと思いながら、イマイチ実感は持てなかった。
 しかし、誰が指揮を執って、誰を動員してというのではなく、それぞれのグループが、それぞれの動きをすることで、大同団結の結果となり、成果を上げられる。これがすごい。

 今の日本だったらどうなるだろうか。原子力空母の入港に対しても、せいぜい3万人くらいが集まるので精一杯。きょうはいよいよ入港だというのに、ニュースとして取り上げることもない。会場デモのための船を借りることすらできないと聞いた。プレジャーボートで何万トンの空母に向かうそうだ。ゾウの周りをアメンボが泳いでいるような結果となるだろう。テレビの絵にはならないかもしれない。万一事故が起きれば、関東全域に被害が及ぶ船が、今後は居座り続けるというのに。(そういう私も、体調が理由で、横須賀には行かれない。情けない話)
 
 日本の民主主義は、与えられた民主主義で、市民の自覚がないままにすぎてきていることの証拠なのか。号令を発する機関があって、動員がかかれば動くが、一人ひとりの自覚で動くことはないのか。このままズルズル戦前に戻っても、仕方のないことなのか。 

2008年9月20日(土)
ベトナムの司祭は意外に多かった

 抗議行動の先頭に立つ司祭達を報じる紙面

 ベトナム・ハノイで、カトリック教会の土地を取り上げ、公園にすることに抗議して、信者らが抗議行動をしているとの情報は掴んでいたが、スータンを着た司祭達の写真を見て、ベトナムには意外に多くの司祭が居ることを、改めて認識した。
 ベトナムは共産主義国家だから、カトリック教会があったにしても、フランス領時代の遺産で、南の方に信者が多く、しかも信者は年寄りばかりだろうと、勝手に決めていた。
 ネットで調べたら、人口の3%から5%だそうだ。日本よりパーセンテージは多いのだ。「認識が浅くて失礼しました」と言わねばならない。フランスから輸入されたものだろうが、信者の系譜は、脈々と繋がっていたのだろう。

 人口の3%としても、200万人もの信者数だという。全国でこれだけだから、ハノイにどれほどの信者が居るのかは、はっきりしないが、それにしても、数千人ということはないはずだ。首都だから、共産主義が浸透して、宗教や教会に対する風当たりが強いのかもしれないが、教会の土地を接収して公園にしてしまうのは、一方的すぎる気がする。
 ハノイの司祭だけではないと思うが、司祭が抗議行動の先頭に立っているのは、素晴らしいと感じた。

 日本の司祭は、どうするだろうかと考えた。個人的には抗議行動や、反対運動にかかわる司祭はいる。
 現に今、私の所属している教会の隣に、マンション群が立つ計画が起き、教会の表門横に、駐車場入り口が作られたり、教会から1メートルくらいの所に、5階建ての建物が建つことが明らかになった。
 先週は公聴会があり、司祭が公述人になって、現状の計画変更を訴えた。「スータンを着ていった方が、司祭らしく見えて効果的」と言ったが、今の日本では、スータンを着ている司祭は皆無に近い。当日はローマンカラーだけはしていたが、普通のオッさんのようないでたちで臨んだ。話のなかでは「さすが司祭」というアピールの仕方はあったが。

 他にも、障害者の支援をしたり、ハンセン病患者問題に取り組んだりしている司祭を知っている。ただし、個人的なものばかりで、司祭達が一斉に何かに反対して、抗議行動に参加するという経験は、残念ながら無い。
 「死刑執行への抗議」とか「チベットの平和的解決への要望」、「沖縄海兵隊員女性強姦への抗議」など、文書による活動は「司教団」として発表しているが、抗議行動をしている現場に出てくることはない。
 教会の土地を奪われるというような、差し迫った重大問題が起きていないから、行動するところまではいかないのかもしれないが、拘束され、収監されるかもしれない危険を覚悟で、抗議行動をしている現場に入るベトナムの司祭を見ると、「これぞ殉教の歴史を背負うカトリックの司祭ならではの行動」と感激してしまった。

 中国でも、当局の弾圧に抗して活動している司祭達が居るようだ。
 司祭だけではない。信者もすごい。抵抗運動をしている信者は、現代の殉教者。日本の信者に、それだけの強い信仰があるだろうか。反省しきり。教会の中にも「平和呆け」があるようだ。 

2008年9月15日(月)
平頂山事件から76年が経った

  中国人証言者王さんの来日を報じる紙面

 日本軍が中国住民を大量殺害した「平頂山事件」から76年になり、生き残った86歳になる中国人女性が、来日して証言するとの記事を見つけた。

 平頂山には、12、3年前の研修ツアーのおり訪れた。今は立て替えられていると聞くが、当時は、スケート場のような室内の、外周に当たるところが見学通路になっていて、そこをガイドさんの説明を聞きながら回った。中は楕円形の100メートル近いフィールド状になっていた。実は、当時のままの地面を掘り出したままの場所だったのだ。そこに、数千体もの白骨が散らばっていた。フィールド状の隅に掘られた穴から、外周の奥に伸びる暗闇には、累々たる白骨がまだまだ無数に続いていることを示す白骨が見えていた。記念館は、埋められた住民の一部を掘り出し、そのうえに建てられていたのだ。

 白骨といえば、上を向いて手を組んでいるものとの認識しかなかった私は、平頂山で初めて、怒りの声を上げたまま白骨になったと思われる、口をカッと開けた白骨や、子どもを守ろうとしたと思われる、おとなのうつぶせになった白骨と、その下にある子どもと思われる小さな白骨。妊婦と思われるお腹の付近に胎児の骨を抱えた白骨。膝を立てたままの白骨。などなど。殺されたときの状況を今そこに再現するような、数々の白骨群を、声も出せずに見て歩いたことを思い出す。
 山の崖下に集められ、殺された後すぐに崖を爆破して埋められたため、50年、60年後に発掘されるまで、全く動かされず、当時の瞬間を切り取った状況が現れていた。

 「日本軍がやったのではない」とか、「中国人同士の殺し合いの結果だ」とか、現地を見に来ても「抗弁」していく日本人がいると、記念館の館長は話された。
 銃痕を見れば、日本の銃か、中国のそれかはすぐに判明する。当時の生き残りの方に問いただせば、日本軍が来たのか、中国軍なのかはすぐに判明する。それでも「日本製の銃を奪って撃った。日本軍に化けていた中国軍だ」などと抗弁する。どういう神経なのか。それほどまでにして、「帝国軍人」を清廉潔白の徒としたいのか。日本の中国侵略を正当化したいのか。
 「見たからといって、考えが変わるとは限りません。私たちは、そういう人たちに動かされることはありません。真実は動かせませんから」と静かに語る館長に、申し訳ありませんと頭を下げるのみであった。

 今回の証言がどれほどの広がりを見せるのかは分からない。シンポジウムに何人が集まったのか。シルバーばかりなのか、若手も来たのか。東大で開くというからには、大学生の若者も来ることを期待したいが、60年も70年も前のことでは、完全に風化した問題で、興味・関心を呼ぶ問題とは言えないかもしれない。他の予定が入っていて、聞きに行くことはできなかったが、講堂いっぱいの参加者が集まり、それぞれが重く受け止めて帰り、「政府に謝罪してほしい」という生き残り証言者王さんの願いが共感を喚んで、広がっていくことを願っている。 

2008年9月14日(日)
ぜんせいれん全国大会初参加

 ぜんせいれん全国大会を報じる赤旗紙面

 障害者問題にはかかわってきたつもりだったが、精神障害者についての知識は足りなかった。「全障研」は、身体障害、知的障害が中心だった。しかも、現役の時には「障害児」に関心があったので、「者」については疎かった。
 全障研のなかでも、精神障害についての研究は遅れている分野ではないかと思った。障害と見るよりは、病気と見る方が強かったように思う。

 今年は第10回大会だとのこと。毎年大会が開かれているのではなく、2年に1度だそうだから、すでに20年も前から全国規模の大会があったことになる。前回は北海道だったとか。今年は埼玉だったから、ラッキー。遠いところでは参加できなかった。

 会場の立て看板には「ぜんせいれん全国大会」とひらがなで書かれていた。「全国精神障害者連絡会」だから、「全精連」と書くべきところだが、ひらがなにしているのは、意味があるのだろうと感じた。
 会場前の立て看板は、誰でも見られる。漢字表示していて、誤解や偏見の強い人が見て、「何だ。こんなところで、アブナイ人間が集まっている」などと、トラブルが起きかねない。無用なトラブルを避けるために、わざわざひらがなにしたのではないか。

 司会者も当事者。実行委員長も当事者。会長も当事者。当事者の会だから当然なのだが、病気や障害のある部位が、意識活動の中枢だから、議事や演説のできることが、感覚的に受け入れられないところがあった。「あれだけのことができるのに、病気なの。障害者なの」という気持ちが強かった。

 分科会に参加し、自己紹介を含む話を聞きながら、自分の状況に引き寄せて考えていた。参加者として話ができる人ばかりだが、上がったときも、落ちたときもそれぞれ大変な状態を経験している。同病者が少ない病気とかで、なかなか同じ体験をした者が見つからないのが、悩みの種だとよく分かった。
 次の大会でも、同じ参加者が集まれたらいいが、大会時の体調で来られない人も出るだろう。

 報道が入るというので、嫌な人は嫌と言って良いとか、取材も拒否して良いなどと、注意がされていた。しかし、大会についての新聞報道は、一般紙ではないようだ。地元の新聞には載ったかもしれないが、我が家の新聞には載っていなかった。
 やはり、新聞に取り上げられるような大会ではないようだ。ひっそりやった方が良い大会なのだろう。
 何か事件が起きれば「病気で通院していた」と必ず載せるが、当事者が声を上げるような大会については、載せたくないのだろう。権利を主張されてはかなわないとの思いがあるのではないか。
 まともな人間にとっては、厄介な存在だろうから。

2008年9月14日(日)
茶番の公聴会参加記

 6棟にしか見えないマンションを3棟とする図面

 「マンション計画」に関わる公聴会なるものに、初めて参加した。
 前々から話は聞いていたが、直接自分とは関わることがなかったので、参加したことはなかった。公聴会だから、誰が参加しても良いわけで、参加しようと思えば、参加する機会はあったが、そうそう何でもかんでも首をつっこんでいては、身が持たないから、直接自分に関わらないことには、首をつっこまないようにしていた。
 今回は、参加についての動員がかかったので、どんなものかを知る機会と思い、喜んで参加した。

 日曜日の朝10時から午後3時まで。途中1時間の昼休みと、10分ほどの「公述準備時間」を数回とるだけで、後はずっと座りっぱなし。しかも、「傍聴者へのお願い」によれば、写真撮影も声を出すことも遠慮するよう指示されている。ただ黙って座っているだけの5時間は、なかなかしんどいものだった。

 終わったときに、何らかの進展があって、公聴会に参加して良かったとなれば、疲れ方も違うのだろうが、何のための公聴会か分からない状況で、全くの進展はなく、住民側の要求は全て「聞き置きます」という企業側の姿勢と、それに対して、「住民の意見を真摯に聞いて、訂正できることは訂正してはどうなのか」という行政の姿勢は全くないことが、疲れ方を増幅させた。
 
 「公聴会は企業側と行政のアリバイ作り」とは聞いていたが、これほどとは思わなかった。企業側は「部長」というのが一番上で、後は主任、リーダー、マネージャーという肩書きの者が出てきた。肩書きのないのも居た。
 そもそも住民の意見を聞いて、即断できる立場にいるものは居ないのだから、聞き置くだけになるのは、当然のこと。「承って持ち帰り、検討します」ということになってしまう。その結果に基づいて、再度の公聴会は開かれないのが通例らしい。つまり、聞き置いた事項を社で検討した結果、以前の計画に変更なく実行されるということになるらしい。建ててしまえば、文句を言ってもつぶせないから大丈夫ということなのだろう。

 今回知った、企業の新たな手口は、どう見ても6棟あるマンションを、無理矢理渡り廊下のようなものでつなげて、3棟のマンションだと言い張っていること。6棟の場合は、日照の問題があるから、棟の間を広くしなくてはならないが、3棟にすれば、間は狭くできる。その分多くの棟が建てられる。建築基準法では引っかからないらしいが、「ニセ3棟」であることは、明々白々。それを真面目に3棟と言い切る厚かましさ。大企業はそれでなくては務まらないということか。
 地下マンションとか、'06.11.1の日記に書いた「偽3階建て」とか、法律の網の目をくぐるようにして、違法建築が建てられる。法律とは破るためにある存在らしい。

 違法建築をする業者に対し、行政が「おかしい」と言わないこともよく分かった。公聴会の進行を努めるのは行政だが、時間が来たら即終了にしてしまう。問題は何も解決していないにもかかわらず「本日の議事録を市長に提出します」で終わり。
「公聴会は1回とは限らないと言ったじゃないか」と言われ、「その必要性があるかどうかも検討します」と、ぬけぬけと言って終わりにしようとする。「住民の立場に立っているのか」と言われると「立っています」というのだが、問題解決になっていないことを分かりながら、淡々と終了に持っていこうとする神経が分からなかった。
 
 よく、あんな風に淡々とできるものだと感心した。役人の脳は、感情を表現し、創造的に物事を進める「前頭葉」が萎縮しているとしか思えなかった。役人生活のなかで、職業病として前頭葉が萎縮してしまっているのだろう。
 脳が萎縮している役人が取り仕切る公聴会である限り、企業側の論理がまかり通ることになる。目先の利益にばかり動かされているような企業が、幅をきかせている日本の未来は明るくない。
 孫に誇れる日本にしたいと思うが、道は険しい。 

2008年9月7日(日)
やっと『七人の侍』の真髄を理解

   ネットで見つけたスチール写真

 NHKBSで『七人の侍』を放映するというので、「またか」とは思ったが、息子とのつきあい半分で観た。
 映画館で観た記憶はなく、テレビの映画放映で見ただけ。8時から11時半近くまでだという。以前に見たときには、3時間半近い上映時間ではなかったような気がした。
 記憶がおぼろになっていたからかもしれないが「こんな場面はなかった」と思う場面が随分あった。オリジナル版とテレビ用の縮小版の違いなのだろう。

 以前から『七人の侍』はすごい映画だ。日本が世界に誇る映画だと言われていた。『荒野のガンマン』だったと思うが、西部劇に翻訳されるほどだとも聞いていた。
 しかし、以前見たときの印象は「言われているほど、すごい映画とは思えない」というものだった。最後の名セリフと言われている「また負け戦だった」という勘兵衛のセリフも、「そうかな。そうは思わないけど・・・」という受け止めだった。

 今回のオリジナル版を見て、それらの疑問が解決した。「なるほど。すごい作りの映画だ」と分かったし、「確かに勝ったのは農民だ」というのが、実感できた。
 縮められた映画では、7人の侍達の動きを中心的に追っているため、農民達の動きがカットされてしまっていたのだ。だから、おどおどしているだけの農民達が、訓練を得て、実戦を積むなかで自信を付け、積極的に敵に向かっていく変化が、受け止められなかった。
 7人と言いながら、志村喬、三船敏郎、木村功など、中心的な役者しか取り上げていないから、7人の個性が表せきれなかった。
 今回は、7人個々が丁寧に描写されていたから、紡ぎ出されて7人の集団が厚みを持って迫ってきた。

 それにしても、敵が武器を持って攻めてくる場合は、こちらも武装して闘わねば生き残れないのか。北朝鮮が攻めてくる。中国が攻めてくると言われると、自衛隊はもっと拡大しておこうということになるのか。今でも、敵はいるのか。隣人は敵なのか、敵ではないのか。何を持って敵と決めるのか。何をもって良き隣人と決めるのか。

 いくら剣の達人でも、鉄砲ではいちころで死んでしまう。飛び道具には飛び道具で対抗しなくては。鉄砲でも足りない。大砲がなくては。それでも足りない。もっともっと。ついには核兵器ということになる。兵器はきりがない。兵器に上限がないのなら、廃止するしか真の安心を得る道はないのではないか。兵器がある限り、安心などあり得ない。
 などということを見ながら思った。黒澤監督の意図とは、外れているのだろうが・・・

 黒澤監督は、農民の勝利で終わらせたが、最後には、武士ではなく農民の世になることにしたかったのか。
 戦は一時のこと。それが終われば日常が待っている。日常になれば、武士は不要になる。武士は次の戦を求めて放浪することになる。
 武士がいるから戦が起きるという理屈も、成り立つのではないか。みんなが丸腰になれば、戦などは起こせない。丸腰でできることは、話しあいだけだ。
 戦国時代に話しあいは難しかったかもしれないが、21世紀の今日ならば、可能にしたいものだ。 

2008年9月5日(金)
自転車はケンケン乗りが常識

 都会に住んで交通の便が良く、たまにしか使わない自家用車。5年ほど前に15万ほどで買った代物だが、近くを乗り回している分には全くトラブルはなく、それなりに重宝はしていた。しかし、車検のたびに10万以上の整備費が必要となり、税金もバカにならない。そんなこんなを考えると、どうしても必要なときはタクシーにして、車を持たない方が経済的だとの結論に達した。

 車がなくなってみると、買い物などに不便を来すときがある。運動不足でメタボ検診に引っかかりそうにもなってきた。「自転車を買おう」の結論を導き出した。
 しかし、我が家の周りは坂だらけ。家から駅に行くだけでも長い坂がある。いくらマウンテンバイクでも、エッチラこぎ登るのは不可能。

 一大決心で、電動アシストの自転車を購入。「これで万事解決」と、意気揚々だったが、思わぬ難関が待ち受けていた。
 「使用のしおり」を読むと、「ケンケン乗り」は禁止だと書いてある。
 これは一大事。子どもの時に、自転車の乗り方を覚えたのは、大人用自転車を「三角乗り」しての方法だった。だから、自転車はペダルに足をかけて勢いを付けてから乗るものと、インプットされている。「ケンケン乗り」が、禁止の対象になる乗り方だなどとは、思ってもみなかった。

 今までにも、たまに自転車に乗る機会があったが、その時は必ず「ケンケン乗り」をしていた。サドルにまたがって乗っている子どもを見ると、「今の子どもは、子供用自転車があるから、またがって乗れて良いこと。あれなら早く覚えられる」と思っていた。サドルにまたがるのは子どもがすることで、おとなが自転車に乗る時は「ケンケン乗り」をするのが、私の頭のなかにある「常識」だった。

 とにかく「禁止」となれば、またがって乗らねばならないから、練習を開始。60の手習いで、自転車の練習をしなくてはならないとは・・・と思いながらも、家の周りのわずかな平地での練習。それなりに乗れるようになったからと、実戦を試みる。
 練習とは大違い。こぎ出しがもたもたするから、後からピッピーっとやられそうで、ドキドキしてあわてる。そのため左右にハンドルが振れてしまう。「アブナイッ!」と止まろうとすると、ブレーキをかけて足をつくのではなく、ブレーキをかけながら自転車から飛び降りてしまう。

 そんなこんなで、車とぶつかりそうになって溝に車輪をおとしてしまったり、自転車を倒してしまったり。せっかくのかっこいいブラウンの自転車が、ネズミ色になりかかってきた。そのうえ、止めたときに電気を切り忘れて、入りにしたままで放電し、帰りの電池がなくなってしまったりと。さんざんな状況になっている。

 50の手習いで、免許の取り直しをしたときも大変だったが、60の手習いはそれ以上に感じる。脳の老化、特に運動神経の老化は、いかんともしがたい。ツッパリ精神だけではどうしようもない。
 シニアに自転車を売るためには、もっと簡単な仕様にしてほしいものだ。

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