人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2008年8月31日(日)
防災訓練の効果はどれほど

  明日は「防災の日」だが、きょうが日曜日だからか、前倒しで、きょう町内の「防災訓練」があった。
 昨年は、近くの公園に集まっただけで終わったが、今年は、公園に集まった後、避難場所に指定されている、学区の中学校まで移動して、受付をしたり、体育館で「講義」を聞いたりした。
 
 何で、そこまでするのかと不思議に思っていたら、今年は我が区が市内の「拠点区」になっていて、市長も区内にある「防災センター」に来て、状況を見るのだとのこと。なるほど。だから大がかりにやるのだと、納得いった。

 「防災用品」グッズを持って集合だというので、家の中にある「ストック食品」やら、敷物代わりになるタオルだのを、バックに詰め込み、近くの公園へ。50〜60人が集合済み。なかには幼児を連れて家族全員参加の「真面目」な若夫婦もいたが、町内の現況を表すように、シニアが目についた。
 体育館での「講義」のなかに、救助することを考える項目があった。しかし、まわりの顔ぶれでは、自分がはい出すのも難しいが、救助するのはもっと難しそうだ。腰が痛い、膝が痛いという人がゴロゴロしているのだから、とても救助どころではないと思う。

 公園から中学校は、徒歩5分くらい。途中で信号のある大通りを渡る必要もある。しかし、リュックを背負って、スニーカーで集まったシニア達は、小学校の遠足気分で、雑談に花を咲かせながら、わいわいと歩く。途中の信号もまるで無視。赤になってもゾロゾロと悠々と歩いている。「危機意識」は0に等しい。

 体育館での「講義」にしても、テレビや新聞・雑誌などで、かなりの知識を持っているから、皆さんの聞き方には、イマイチ真剣味がない。「必要な方は申込用紙がありますから」と言っても、取りに行く人もまばらの状況。
 「そこに敷いてある毛布に、ふたり入ることになります」と言われて、「座るだけなら6人でもできるけど・・・」などと、自分が寝るという意識で見ていない。
 我が町内だけでなく、隣の町内も来ていた。きょうは訓練だから、体育館ざらっといっぱいくらいの人数だが、本当に地震が来て、住民の8割方が被災してきたときには、入りきるのかと心配になった。入りきらない場合は、別の場所にある武道場も避難場所になるとのことだが。誰がどっちに行くかなどは、決まっているのだろうか。細かいことを気にしだしたら、不安だらけになりそうだ。

 第1回目の訓練だから、こんなもので仕方ないのだろうが、本番に向けての徹底した訓練をするならば、毛布1枚でふたりが寝てみるとか、炊き出しの訓練をするとか、1泊2日の生活訓練してみるとかが必要ではないのか。
 小学生の遠足気分での訓練で、役に立つのかと不安になった。そういう私も、隣としゃべっていた一人だが。

2008年8月25日(月)
ドッキリカメラのえげつなさ

  前々から、テレビの「ドッキリカメラ」は、好きでなかった。横町に隠れていて、バーッと脅かすくらいなら可愛げがあっておもしろいが、テレビの場合は、手が込んでいて、プライバシーの侵害に近い、ほとんど「イジメ」に近いことをしている。

 「ドッキリカメラ」だけの番組は、影を潜めたようで「良かった。良かった」と思っていたら、番組のなかに「ドッキリカメラ」を入れ込んだ番組があった。しかもそれは、若者に人気があると思われる「モー娘。」の番組だ。

 昨日放映された番組では「4億円が当たった」という「ウソ」を作って、それにどう反応するかで、「欲深さ度」の測定をするという趣向だった。
 名前は知らないが、人気があるらしい9人のモー娘が出てきて、9位からのランキングを発表していた。

 4億をどう使うかとか、番組で買ったくじが当たったのだから、番組としては全額寄付したいが、それで良いかとか、さんざん頭を悩ませておいて、それがすべてウソだったと伝える。その時の金の使い道や、寄付に対する反応で、欲深くない人から9位、7位と発表していって、最後に、最も欲深い人は誰と特定した。

 芸能人だから、何をされても我慢しなくてはならない。自分にとってどんなに不快なことでもニコニコしていなくてはならない。と、プロダクションから言われているのだろう。欲深さbPと言われたタレントも、ニコニコしていた。

 わずか15や17の子どもに、4億円という途方もない額の金額を提示し、どう使うかとか、どう使わないから欲深だなどと、勝手に決める、プロジューサーの神経を疑いたい。
 「お遊び番組だから、一緒にニコニコ笑っていればいいので、目くじらたてる方がおかしい。ばあさんはそれだから扱いにくい。そういう人は、この番組を見ないでほしい。若者は楽しんでいるんだから、良いじゃないか」と言われそうだ。

 そういわれたからと引き下がるのでは、ツッパリばあさんの名がすたる。おかしいことはおかしいと食い下がってこそのツッパリばあさんだ。
 「お遊び番組だから・・・」と言うであろうプロジューサーに、百歩譲って、若者がこれを見て、テレビの中だけのお笑いだと認識し、見た後は忘れることが保障されているならば、何も言うまい。
 しかし、忘れるという保障はないと思う。そして、気に入らないクラスの友達とか、職場の同僚とかに、同じようなことをして笑い飛ばし、相手を傷つける行為をしないという保障はないと思うがどうだろうか。
 イジメの種など、どこにでもあるのだから、我々ばかり責めるなと言われても、テレビという非常に大きな影響力を持つ存在だからこそ、自覚を持って番組作りをしてほしいと思う。テレビでやっていたのだからとの言い訳が、必ず出ると思うから。

2008年8月25日(月)
5000人を無視?! 3000人も無視?!

 農業関係者の総決起大会を報じる赤旗記事

 8/21。北海道札幌で、農業関係者5000人が集まって、生産資材高騰に対し、政府に抜本的対策を求めた「全道農業危機突破総決起大会」が開かれたとの記事を目にした。 漁業関係者が、出漁を取りやめたとの情報は、テレビでも流されていたから、よく分かっていたが、農業関係者の総決起大会は、知らなかった。

 漁業の時は、オリンピック前だったから、ニュース性があったが、今はオリンピック一色になっているから、ニュース性が薄くて、取り上げられていないのだろうか。それとも、北海道という中央から遠い地域だからだろうか。
 時を同じくして、沖縄でも3000人が集まる「沖縄農業経営危機突破生産者大会」が開かれたとの記事が並んでいる。これも、中央から遠い地域だから、ニュース性が薄くて、取り上げられないのだろうか。

 ニュースとして取り上げる基準は何か。以前にも同様のことを書いた覚えがある。
 有名な話では、犬が人間をかんだよりも、人間が犬をかんだ方がニュース性があるとか。つまり、より珍しさが強い事柄にニュース性があるということだ。
 または、規模が大きい事柄はニュース性があるらしい。何万人の集会となると、大きな見出しの記事になる。
 それ以外にも細かい基準があるのだろうし、紙面全体の容量があるから、大きなニュースがあれば、削られてしまう場合もあるだろう。その日の運みたいなものがありそうだ。

 北海道は5000人、沖縄は3000人。主催者発表だから多少割り引くとしても、数百人ではないはず。規模としては取り上げるべき大きさだ。
 農業関係者の総決起大会は、春闘の大会のように、定期的に毎年開かれている集会ではないと思う。この点では珍しさが強いはず。

 と、考えれば、ニュースとして取り上げる基準は、充分満たしていると思う。それにもかかわらず、取り上げないのはなぜか。
 私の見損ないで、取り上げられているのかもしれないが、一般紙でもテレビでも、見た覚えがない。オリンピック一色に嫌気がさして、テレビニュースを見る回数が減っていたから、見落としたかもしれないが、一般紙をネットで検索した範囲では、引っかからなかった。
 イマイチ自信はないが、どうも問題を大きくしたくないからと、掲載を見合わせたような気がしてならない。北海道や沖縄だから、中央とは関係が薄いということで。
 地域差別ではないかと勘ぐってしまう。

 ついでに言えば、地域差別以外に、思想差別もあるように思う。7月に横須賀原潜配備反対集会があり、数万が集まったのに、マスコミは報道しなかった。どの政党が関わっているからとか、主催がどこだからと言って、万単位の集会を無視してしまうこの国のマスコミはどうなっているのか。
 報道の公平が失われたら、その後に来るのは独裁ではないか。

2008年8月22日(金)
グルメは栄養素と両立できるのか

  手抜き料理専門の立場からの一考。

 料理のレパートリーがきわめて少ない上に、手抜き料理ばかりするので、「お袋の味」は「何かな」と、沈思黙考しなければ浮かんでこない息子達。
 息子達が子ども時代に言っていた「言い訳」は、共働きで時間がないということだった。

 仕事がなくなった今も、手抜き料理は変わらない。時間がないとの言い訳はしにくくなった今、別の理由を前面に出すこととした。以前から思っていたことだが、時間がないの後に隠れていた。
 それは「栄養素が失われないため」ということ。

 味を調えるために、栄養素を捨てているのではないかという疑問は、以前から持っていて、今も捨てきれない。
 たとえば、ポテトサラダを作るのに、キュウリを塩もみして、水気を絞る。味が良くなることは分かるが、絞った水の中にビタミンCが流れ出していったのではないか。そう思うと、キュウリは塩もみしないで、そのまま入れてしまう。「手抜きポテトサラダ」のできあがり。当然、味はイマイチで、買った物とは似て非なる代物となる。
 下ゆではしない、煮込みは指定時間の半分くらいで終了。と、一事が万事、レシピ通りではなくなる。
 
 レシピ通りにやれば、栄養的な効果が上がるのならば、手間をかけることに意味を見いだし、それなりに努力するのだが、手間をかければかけるほど、栄養価が低くなっていくように感じられると、手間をかける気にならない。

 お客が来てくれないと成立しない料理屋ならばともかく、家庭料理が、料理屋と同じにする必要があるのだろうか。
 まずい料理を毎日食べさせられる方はたまらない。と言うかもしれないが、子どもの場合は、物心着いたときからその料理だから、それが当たり前と思って育つだろう。現に私は、料理の余り得意でない母の作った料理を、特別美味しいとは思わなかったが、こういうものだとして育ってしまった。それが不満だったということもなく。

 妻の料理が下手だと、夫が帰宅しなくなるということがあるかもしれない。しかし、それを恐れていては、夫の健康管理はできない。
 そもそも、今日の「メタボ」は、一言で言えば、うまい料理を作ったことに原因がある。 うまいから、必要以上に食べてしまった結果「メタボ」のオンパレードになったとも考えられる。
 たいしてうまくない料理を食べていれば、必要以上には食べないから「メタボ」とは無縁でいられるはず。日本人は半数以上が「メタボ」になる遺伝子を持っているそうだから、うまい物を食べることが間違っているのだ。うまい物は、たまに料理屋で食べる物で、我が家で食べる物ではない。

 手抜き料理とは、栄養素が失われないように調理することであり、美味しくて食べ過ぎないための料理ということだ。
 などと、偉そうにいっても、所詮は料理嫌いの自己弁護でしかないかも。半分は本気で栄養を考えているつもりだが。
 唯一の自慢は、この料理で育った息子達が、丈夫で医者知らずであること。 

2008年8月21日(木)
築地市場は移転可能なのか

 移転を批判する環境学会について報ずる紙面

 都の築地市場豊洲移転で「日本環境学会会長」が、「都専門家会議」の「最終報告書」の問題点を指摘したとの記事を目にした。
 「移転については問題がある」と、随分前から言われていたと思い、ネットで調べたら、2001年の、石原知事就任から始まっていることが分かった。なるほど前から言われていたのだ。

 今回専門家会議が「「最終報告書」を出したことで、改めて問題が浮き彫りになったようだ。
 移転先が、様々な猛毒物質により、高濃度に汚染されているという問題は、前々から言われている。それにもかかわらず、今回の最終報告では、基準内で安全だと言うことらしい。 しかし、環境学会側によれば、汚染を心配する研究者を排除し、粗雑な調査の下に、具体的なデータを示さず「安全宣言」をしたとのこと。

 「科学的」のまやかしが、ここでも使われている可能性がある。調査をし、データをとったから、「科学的」で、結果には信憑性がある。とするのは、お上の常套手段だから。 その論で、今まで様々な「口封じ」が行われてきた。
 薬害エイズ、薬害肝炎、などの医療問題。水俣病、イタイイタイ病、などの水質汚染による公害病。四日市喘息、川崎喘息、などの大気汚染による公害病。諫早湾に代表される建設工事による環境悪化。などなど。数え上げればきりがない。

 これらすべての問題に対し、「専門家」と言われる「学者」が、「科学的」根拠を示し、「安全」というお墨付きを行政に与えて、事が進められた。
 しかも、後で問題が起きても、誰も責任をとらない。専門家も役人も。

 築地移転も、初めに「移転ありき」で、すべては移転を可とするための方策ではないのか。不可となる事実は隠蔽し、可となる事実だけを表に出し、「安全ですから、進めます。賛成してください」と言っているのではないか。
 100歩譲って、基準内であったとしても、食品を扱う場所としてふさわしいかどうか。ビルを建てるとか、駐車場を作るとは訳が違う。都民の胃袋となる場所なのだ。基準内に収まっていても、それが今後何十年も続いていく場合に、安全であると言い切れるのか。
 
 ネットの書き込みによれば、石原知事の一族が、この移転に絡んで儲かるしくみになっているとか。それが事実であるならば、儲けのために、都民を犠牲にするなどとは、もってのほかではないか。
 事実が真実かどうかは分からないが、就任以来一貫して移転を進め、そのために偏った「専門家」の報告書作成までしているとなると、真実っぽく感じてしまう。
 となりまちのことだが、気になる記事だ。

2008年8月21日(木)
4年後に無罪では

 帝王切開の産婦人科医無罪を伝える紙面

 福島県の産婦人科医が、胎盤剥離手術中に、患者を死なせたことの責任を問う裁判の、判決が福島地裁で出たとのニュースが、夕刊トップに載った。

 「ああ、そんな事件があった」と、読んでみると、2004年の事件だとのこと。
 紙面には、産婦人科医の腰が引けて、医師不足に拍車がかかる一因になったと書かれている。
 4年前に起訴され、4年間拘留されていたとは思えないが、今日まで、医師としての仕事はできていなかっただろう。猫の手も借りたいほどの、人手不足の産婦人科の現場で、医師が一人仕事からはずれていたことになる。

 判決が医師の無罪と出されたことによるのだろうが、患者さんが亡くなってしまった時点で、遺族と病院とがうまく話しあいを進められなかったのかと、残念に思う。話しあいがうまくできれば、裁判などということにはならなかっただろうし、医師も仕事ができない状況を作らずに済んだだろう。

 なぜ裁判になってしまったのか。それも過失致死という刑事裁判になってしまったのか。知りたくて、ネットをいろいろいじってみたが、結局それについての答はなかった。
 病院側の対応が適切でなかったから、遺族が裁判を起こすという民事なら分かるが、刑事なのだから、遺族が告発したにしろ、それなりに警察、検察が調べたはずだ。それにもかかわらず起訴になり、4年もの年月をかけて、結果としては無罪になった。
 不起訴にしていたら、民事に踏み切っただろう。民事の場合は、休職にする必要はなかっただろうから、待っている患者を診ることもできたはず。そちらの道を進めた方が良かったのではないだろうか。

 最近の傾向として、自分の意に添わぬ問題が起きたときには、相手を訴えるというケースが標準化されてしまっている。
 裁判にならない前に、何とか話しあいで解決しようという努力が足りないように思う。

 「お互い様」の精神が消えたからではないか。あれこれ「はらだち日記」に書いている「ツッパリばあさん」の言うことではないかもしれないが、人の関係がギスギスしていることに腹を立てているのであって、人の関係をギスギスさせるために、腹を立てているわけではない。
 主張すべきことは主張すべきで、泣き寝入りしろなどと言うつもりはない。しかし、自分は棚の上に置いて、相手ばかりを言い立てるのは、納得できない。

 「この病院でなかったら死ななかったかも」、「別の先生に執刀してもらったら死ななかったかも」。遺族の思いは、どこまで行っても晴れることはないだろう。どうしたら、納得できるのだろうか。同様の事件は、皆無にはならないだろうから。人間がやる限り、最善を尽くしていても、事件は起きてしまうことがある。そんなときの対応に、第三者機関の存在が有効なのかもしれない。

2008年8月16日(土)
「靖国」は「北京」に負けた?!

 のぼり旗を持つ人々   戦時下の各種制服

 「8/15に靖国神社に行ってみよう会」の メンバーになっている。「批判するには、まず現場を見ること」と考えているほんの数人が、勝手に称している「会」にすぎないが。
 今年は体調良いから、10時の放鳩式も見ようとあたふた出かけたが、電車のつなぎが悪く、「九段下」駅で10時になってしまった。それでもセレモニーをやっているうちには着けるかもしれない。鳩を飛ばすのは10時15分くらいだろうと、希望的観測で現場に到着。それらしい様子はない。近くの警備員さんに聞いてみると、すでに終わったとのこと。短時間で終わったということは、儀式張ったセレモニーはなかったようだ。数十羽の白鳩を飛ばすそうだから、きれいだろうと期待したのに、残念至極。来年は調子が良かったら、もっと早く来て絶対見ようと決めた。

 11時の全員集合までには間があったので、ブラブラ回って警備員さんに質問したり、のぼりや標識、立て看板をカメラに納めたりした。
 「創立140年記念行事」に寄付を求める大きな看板。明治の創立がよく分かる。建物の修復をしたり、新しい建物を造ったりするらしい。お寺の改修で寄付集めするのと同じ状況。宗教法人であることのひとつの証明にはなるかも。

 「靖国神社奉賛会」の大ポスターもあった。扇千景がトップに着いた会だ。「忠霊祭」の立て看板も目についた。わざわざ大きな立て看板を立てるからには、特別の「お祭り」をするのだろう。何のまつりか。「何でも見てやろう会」会長としては気になるところだが、誰に聞いたらいいのか分からず、そのまま。不消化の感あり。

 「靖国神社に参拝する地方議員の会」というのぼりもあった。のぼりを作るのだから、数人ではないだろう。幾つくらいの地方の何人くらいが結集しているのだろう。
 のぼりを何本も押っ立てて来る一団があった。「靖国神社国家護持」を先頭に、「平和呆けから目を覚ませ!このままでは日本は滅亡する」、「政治は最高の道徳である 政治倫理確立!」「大東亜戦争は侵略戦争ではない」「皇国日本萬歳」まで、日頃ほとんど目に触れないフレーズが次々並んでくる。

 日頃目に触れないものには、署名やチラシの数々もあった。「大江健三郎『沖縄ノート』岩波書店の嘘を許すな」と、高裁勝訴向けの署名。百人切り裁判の署名もあった。
 「在日特権を許さない市民の会」とか、「外国人参政権に反対する会」などの入会お誘いチラシ。「1000万人移民にNO!国民集会」、「映画南京の真実」、「西村(衆院議員)塾公開講座」など、集会お誘いチラシ。西村塾の今回の講師は、何と「戸塚ヨットスクール」の校長。8/15の靖国でなければ、こういうチラシはいただけない。
 日頃の生活の中ではないものばかり。チラシを配っている人も含めて、存在を実感できるのが、現場に立つことの醍醐味。

 それにしても、軍服姿や、もんぺ姿のなかには、コスプレっぽい若者も居たが、今年は結構目についた。
 というのも、前回に比べて、全体の参加者が少ない感じだった。前回は、九段下改札をあがったところから、大鳥居をすぎ本殿に至るまで、人がびっしりで、軍服を着ている人が居るかどうか、のぼりの言葉が何かなどが、よく分からないほどだった。浅草三社祭とか、多摩川の花火とかに出かけてくる人の群れのようだった。
 
 今回は、「北京五輪」も見ずに、「靖国神社に行かねば・・・」という、志を持った人が来ていたのではないか。「どうする?オリンピックと靖国とどっちにする?」「オリンピックで良いよ。きょうは猛暑日だっていうし」「そうするか。オリンピックは今年だけだし。靖国は来年もあるから」などという家族の会話で、五輪観戦になったのではと推測する。
 その程度の志の低い人は来ていないから、人出は少なくなったのではないか。
 これは、喜ぶべきことなのか、憂うべきなのか。

 一緒に参加した若手のメンバーが、靖国神社に参拝するってのに、アメリカ軍の迷彩服を着ているとは何事か。ビールなど飲みながらとは何事か。下着みたいなチャラチャラした服で参拝するなどは許せない。と、本気で腹を立てていたのには苦笑した。彼は右翼とは遠い存在のはずなのに、ビシッと決めたい右翼と同じ事を言っていたので。

 来年はまた、縁日並みの賑わいになるだろうか。調子が良ければ行ってみたい。

2008年8月11日(月)
イタイイタイ病認定から40年

 イタイイタイ病認定から40年を報ずる紙面

 富山県の神通川で発生した「イタイイタイ病」が、認定から40年経ったという記事が目にとまった。
 「あれから40年にもなるのか」と、感慨深く読んだ。確かまだ私が大学生だった頃に、「奇病」があるという話を聞いたように思う。公害病として認定される前から、病気は始まっていて、心ある医師や研究者が警告していたような覚えがある。

 曖昧な記憶を確認しようと、ネットで調べた。最初に「イタイイタイ病」と名付けたのは、荻野医師で、富山新聞が`55.8.4に、社会面で病名を報じたと書いてあった。
 それ以前からも病気は存在したとのことだが、イタイイタイ病という名前が出て、患者の状況が報じられてから、認定されるまでに13年かかったということになる。

 認定されて一件落着なのかと思っていたが、40年経った今でも、問題の解決は完全にはされていないらしい。
 公害病として認定されたのは、重症の人たちだけで、それ以外の人たちは、認定されずに今日まで放置されていたらしい。

 水俣病でも、同じことが起きている。重症の人たちだけは、やっとの事で認定を受けたが、そうでない人たちは、認定されずにいる。
 原爆症の認定でも同様のことが起きている。距離が遠いから、入市の時期が遅いから、などという理由で、原爆症の認定がされていないと聞いた。

 役所は、できるだけ税金を使わない方法を考えているのかもしれない。自分たちが使う分は、大判振る舞いで使っているが、民に返すこととなると、随分ケチになる。
 大判振る舞いで返していたら、税金が不足するから、できるだけ使わないのだ、と弁解するだろうが、民にたいしてあったかみのある使い方には思えない。
 誰がどうつついても、ぼろの出ぬ範囲で支給しようとするあまり、「疑わしきは支給せず」になっている。

 原爆症の原因は、放射能しか考えられない。水俣病の原因は水銀しか考えられない。イタイイタイ病の原因はカドミウムしか考えられない。しかし、症状との因果関係となると、100%は難しいこともある。
 人間は機械ではないから、個人差もあるし、体調の変化もある。それを、器械で図ったように症状が出なければ、認定されないのでは、とりつく島もないことになる。

 ついでに出ていた、築地の汚染調査がいい加減だという記事も、将来「あの時にもっとていねいに調査しておけば・・・」となるような恐ろしさを感じる。
 起きてしまって、苦しむ人が何人も出て、心ある人たちの活動があった結果、やっと良くなる。こんな歴史をこのまま繰り返していって良いのか。

2008年8月5日(火)
猫も逃げ出す暑い家

 10cmほどに育ったゴーヤとアサガオの花

 真夏日だの、猛暑日だのと言われている昨今。暑いのが好きな我が家の猫どもも、さすがにたまりかねたらしい。いつもの絨毯の上の定位置から、廊下に引っ越した。布よりも木の方が涼しいのだろう。朝晩はそれでしのいでいるらしい。
 昼間は、それでも暑いからだろう。家から逃げ出して、隣家の庭石のうえで昼寝をしている。木の陰になっている庭石は、直射日光が当たらないから、木よりもさらに涼しいのだろう。寒がりの猫も、夏の暑さには参っているらしい。

 と書いてくれば、お分かりだろう。猫も逃げ出す暑い室内にもかかわらず、いまだにまれにしかクーラーを使っていない。
 クーラーは設置されている。5、6年前になるだろうか。室内で熱中症になりそうに暑い夏があったとき、扇風機だけではどうしようもないと買った。
 しかし、適応能力抜群の身は、徐々に猛暑日の暑さになれて、クーラーではなく、扇風機ですますことが多くなった。

 頸肩腕症候群などというあまり聞かない疾患のため、クーラーに弱い体質になったらしく、長い時間居ると、気分が良くなくなる。
 「夏は暑くて、汗をかくもの」と、からだが覚え込んでいるらしく、汗をだくだくかきながらの方が、体調が良く、気分も良く過ごせる。

 かといって、なにも暑さ対策をしないわけではない。昔ながらの暑さ対策をしている。まずは、首に巻いたぬれタオル。この頃は、冷凍庫に入れておいて、冷たさが長持ちするグッズもあるようだが、それは冷たすぎになりそうで使わない。水道で濡らしたタオルをぐるぐるっと巻く。なま暖かくなったら、たたみ方を変える。いよいよダメになったら、濡らし直す。首が冷えると、だいぶしのぎやすくなる。

 着るものは、必要最低限にする。一番簡単なのは、アッパッパーと言われていた、日本版ムームーのようなワンピース。母の形見で何枚かあるから、とっかえひっかえ着ている。ミソは、下になにも着なくても人前に出られること。宅配だの集金だのが来ても、そのまま出て行かれる。ちょっと見には、下に着ていないとは思われない。少し厚手の木綿だから、透き通ることはない。絞めるものがないから、からだの中を風が通っていく。下着分の洗濯物が減らせるのも嬉しい。

 寝るときは、もちろん、窓は開けっ放し。幸い、我が家の雨戸は南欧風のさんになっているものだから、開けておくと結構風が入る。雨戸に鍵が着いているから、開けられる心配もないし、外から見れば、ガラス戸が開いているかどうかは見えない。
 その上、今年は、「緑のカーテン」も作った。穴だらけではあるが、気分的にはまあまあ涼しい。アサガオは、花が咲くようになった。きょうまでに4つ咲いた。

 究極の暑さ対策は、昼寝。2時前後のどうしようもなく暑い時間帯は、なにもできないから、昼寝をする。1時間くらい、大汗かきながら寝て、起きたらシャワーを浴びてすっきりする。それからまた仕事。少し夜更かしした分を取り戻せば、夏バテもせず、元気で過ごせる。

 なんだかんだ並べてみれば、温暖化防止にも相当貢献していると思う。ひょっとしたら、表彰ものかも。
 年金暮らしで、定職もないから、こんなのんきなことをしていられるのかもしれないが、あくせくする必要がない立場の者まで、クーラーだ、携帯だ、やれなんだと、言っていることが、温暖化を推し進めていると思う。要するに、貧乏人のひがみなのだろう。

2008年8月3日(日)
イジワルばあさん意識しないで意地悪をする 
 近くのドラッグストアーで、月に1回開いている「検診」を受けに行った。
 2ヶ月ばかり用事で行かれなかったので、今回は前回受けたと同じ「血液診断」になってしまった。3ヶ月くらいでローテーションしているらしい。前回との比較ができるから良いかと、受けることにした。
 前回と同じく、薬指の爪の下あたりをスコープで写す。少しは良くなっているかと期待したが、2、3ヶ月での変化は望み薄らしい。前回と同じで、血管にねじれがあった。

 血管がねじれている原因は何かと聞くと、栄養と運動だとのこと。せっかく個人的に診断しているのだから、どんな食べ方をすればよいとか、どんな運動を、どれくらいすればよいとかの話を聞きたいと思った。
 1日に、30分くらいは体操とウォーキングをしている。毎日便通はある。ご飯は子ども茶碗2杯くらいだから、さして多くはないはず。野菜もまあまあとっている。油や肉・魚類はそこそこ食べている。言われたことはみなクリアーしていることになった。

 健康診断を担当しているのだから、単なる店員さんではなく、保健士の資格か、栄養士の資格を持っていると思うお嬢さんだが、教科書の「基礎編」にある知識しか持ち合わせていないらしい。
 こちらも、基礎編くらいの知識はあるから、彼女が「これはどうですか」という項目は、すべてクリアーしているわけ。
 
 仕方がないから、「お腹が空いて食事をする状況がない」と話を変えた。それは、つまりカロリーがオーバーしていることを意味するわけだが。
 彼女が提案したのは、食事の種類と内容を書くことくらいだった。それをすれば良いことは知っているから、わざわざ言われることではないが、実行はしていないから、「そうですね。やってみましょうか。私が必要カロリーをオーバーして食べていることは、事実だと思いますから」ということで、「診断」を終わった。

 終わるとき、彼女は「大変勉強させて頂きました」と言うので、皮肉かもとは思いながら「そうですね。この地域の方々は、結構学習されている方が多いから、基礎編だけではなかなか満足して頂けないと思いますよ。応用編を勉強する必要がありますね」と返した。 専門学校か短大を出ただけで通用するような、甘い仕事ではないことを知ることは大事だと思う。ベテランと新米の違いは、「応用編」をどれくらい取り込んでいるかだろう。

 今回に限ったことはないが、この頃は教科書や、マニュアルにあることがすべて、と思いこんでいるような手合いが増えている。教科書は「基礎編」だし、「応用編」は、自分で個別に学ぶ気がなければ、身に付かない。
 
 とか何とか言って、結局意地悪ばあさんのいじめだったかなと、ちょっと反省。分からない振りをして、彼女の話を聞いてやるべきだったか。それでは彼女の進歩はない。キャリアウーマンとして伸びるためには、厳しい支援が必要だと思う。
2008年8月2日(土)
ヨレヨレの浴衣姿は男女とも

  ヨレヨレの浴衣姿についての投稿

 夕方や夜の電車に乗る機会が何回かあり、車内で、浴衣姿のイケメンお兄さんを見かけることがあった。「最近は、男性も浴衣を着る人が出てきたと聞いていたが、これがそれだな」と思いながら、イケメンお兄さんを楽しんで見ていた。「オジさんが、ミニスカギャルを楽しんで見ている時の気分は、こんなものかな」と、自己分析などしながら。

 座っているお兄さんが立ち上がったとき、100年の恋も一時に冷めた。何ともはや、見られた格好ではない。朝起き抜けに、旅館の廊下で会ったオジさんのような姿。
 イケメンだから、メンはイケていたが、浴衣の着こなしがいかにもぞんざいなのだ。浴衣は、旅館で出る寝間着になってはいるが、本来は、日本の夏の衣服なのだから、人前に着て出るときには、それなりの気配りをしてほしいもの。せめて前だけでもピシッと合わせて、裾がしっかり合わさっていてほしい。今年はやりらしい、裾が三角に垂れ下がっているスカートのような状況にはしてほしくない。

 そう思っていたら、今朝の新聞投書欄に『ヨレヨレの浴衣姿多い』という表題が目についた。
 投書者は、女性の浴衣姿がさまになっていないことを嘆いていた。若い女性の母親達が、すでに浴衣を着こなせないから、伝統の継続がされず、洋服感覚で着ているところに問題があるということらしい。
 「せっかく着るなら、練習して美しく着てほしい」と書いている。
 女性が浴衣を着ているのは、珍しくないくらいになっているから、気づかなかった。
同性より、異性に注意を払いがちな、心理状態にも関係しているかもしれないが。
 
洋服を着ることが当たり前になって、自分をアピールするためのツールにはなりにくくなっている今。何とか自分をアピールしたい、個性的でありたいと思う若者が、着物文化という「目新しい」ツールを使い出したということなのだろう。
 しかし、着物は、「新しいもの」ではなく、「新しく見えるもの」にすぎない。
 若者にとっては、新しいものであっても、年配者にとっては、当たり前だったものになる。着方は分かっている。それだけに、分かっている着方から外れた着方をすると、気になってしまう。

 全く新しい文化を創る気持ちで、着て行くには、浴衣はシンプルすぎて難しいのではないか。浴衣以外の和服ならば、重ね着をしたり、羽織やはんてんを斬新な着方で見せるなど、従来の「着物」ではない着方ができる。現にやっていることだが。
 それに比べて、浴衣は帯をどうにかするくらいで、重ねたり、切ったりできにくい。
 ここは一つ、年配者の顔を立てて、すっきり着こなすように、練習したらいかがなものか。女性のためには「着付け教室」があるのだから、男性のためにも教室があってしかるべきと思うが・・・

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