人生60年以上やっていれば、良いことばかりではありません。当然いやなこと、腹立たしいことも、多々あります。
「昔は良かった」と、繰り言を言うつもりはありませんが、最近は、腹立たしいことが増えています。
日々、社会の現象を見聞きし「これは?!」と思うことを、あれこれ、綴ってみます。

日記となっていますが、「ズボラ育児室」を主宰するばあさんですから、1日2回書いたり、10日間書かなかったりになると思います。そこはご容赦ください。

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2008年6月28日(土)
諫早湾は開門されるのか

      佐賀地裁判決を報ずる紙面

 佐賀地裁が、諫早湾干拓事業の潮受け堤防開門を命じた判決を出したと、大きく報じられた。
 ちょうどこの日は会議があって出かけていたので、夜のニュースを見そびれて、おまけに夕刊も読みそびれて、翌日になってから知った。

 「ギロチン」と呼ばれた堤防締め切りの時は、テレビで何度も放映され、国という権力の横暴さを見せつけられた。
 あれからすでに11年も経ってしまったのだ。漁民がこの間ずっと裁判闘争を続けていたことは、当事者には申し訳ないが、記憶から遠のいてしまっていた。

 ニュースを読んで、改めて「お疲れ様でした」と言いたい。
 10年一昔というが、それを越えた11年もの間、裁判闘争に関わってきた漁民の方々には、当事者でなくては理解できない、様々の困難があっただろう。
 2500人という大きな集団での訴訟となれば、考え方もいろいろだろうから、この間ずっと一致団結して闘ってくるのは、相当難しい問題もあったのではないか。
 判決後の報告集会に参加した漁民は100人ほどだったらしいから、中心になって進めてきた漁民はこれくらいだったのかもしれない。それらの人たちが、2500人をまとめてきたのだろう。「ご苦労様」としか言いようがない。

 この後、どう進展するだろうか。2004年に工事差し止めの仮処分申請し、佐賀地裁では認められ、工事は中断した。しかし、福岡高裁では処分取り消しとなり、今年3月に工事は完了し、すでに干拓地の営農が始まっているとのこと。
 国としては、営農の事実を作り、今更後戻りはできないから、開門はしないとしたいのだろう。前回同様、福岡高裁での開門取り消し判決を期待しているのではないか。
 そうやって、国は責任を取らずに、何年も前の決定を踏襲していく。

 営農を始める入植者が増えれば、その人達の生活保障が絡んでくる。漁業の補償に加えて、農業の保障をしなければならぬ事態が見えているのに、農地を売り出している。
 営農を始める人たちは、どういう気持ちでいるのだろうか。国が保障しているのだから、大丈夫だと考えているのだろうか。開門しても、塩害の心配はないから大丈夫だと楽観しているのだろうか。

 福岡高裁での逆転判決の可能性もあるとは思うが、逆転すれば、その先の最高裁まで行くことになるだろう。後何年かかれば諫早湾が以前の豊かな海に戻るのだろう。
 開門までに3年の猶予があるらしいから、その間に福岡高裁の判決が出るかもしれない。それを見越して、国は工事を始めないという選択もある。
 そうなれば、豊かな海に戻すのは絶望的ではないか。最終的に漁民の訴えがかなえられても、そこにはもう死んだ海しか残されていない可能性もある。
 北海道のアイヌの人たちが訴訟を起こした、二風谷ダムの場合のように。あの場合も、最終的にはアイヌの人たちが勝訴したが、聖地はすでにダムの底で、取り返しはつかなかった。
 諫早湾がそうならないことを願う。

2008年6月26日(木)
どこが変わった? 郵便事情

  久しぶりに、郵便局とやり合ってしまったので、思い出した。
 2007/1/10.15.16と、郵政民営化にともなう「変なこと」について書いた。あの時の発端は「賀状の遅れ」だった。民営化の混乱もあり、賀状の配達が遅れたのだった。今年の賀状が遅れたかどうか、よく覚えていない。覚えが無いということは、あまり遅れなかったのだろう。それなりに対応したということだろう。多分それは、職員の犠牲の上に立っているのだろうが。

 今回は、「速達」とはなんぞやである。
 急ぎの原稿を速達でやりとりする羽目になり、来るはずの原稿を待っていたが、いっこうに来ない。通常便は来てしまった時間になっても、速達の原稿は届かない。「これって何?! 速達って何?! 通常郵便でも同じじゃないの?!」。

 しびれを切らせて電話する。対応は、非常にきびきびと、一見丁寧そうな声の調子。しかし、件数をこなさねばならぬのだろう。応対した担当者は、ひたすら「早く終わらせたい」という思いでの対応であることが、ひしひしと伝わってきた。
 相手を思いやるばかりでは、こちらの言い分は伝わらない。時間がかかっても、納得できるまでは食い下がる。それが「ツッパリばあさん」の真骨頂だから、電話を切らせないように、質問をたたみかけた。
 
 結果として分かったこと。速達にも種類ができたこと。「なるほど。便利を買うシステムか。さすが『民営化』」。
 翌日10時便というのができて、これは、通常の速達に割増料金がつくらしい。これを使えば、翌日10時までには確実に届くらしい。
 通常の速達は、通常郵便の配達に混ぜて配達するから、通常郵便の配達時間でないと届かないという。これでは、あんまり速達の意味がない。通常郵便の配達が、午前・午後の2回ある都会では、通常郵便と同じになってしまう。速達料のただ取りの感がある。
 強いて言えば、夜間の配達があるとのことなので、通常郵便ならば翌日になるのが、夜配達してもらえるというメリットくらいか。

 とにかく、お急ぎならば10時便をお使いください。ということで、料金が高くなるということらしい。
 民営化以前は、速達は速達便として、通常郵便の配達とは別に扱っていたはず。通常郵便が1日1回しかなかったときには、速達便は随分早く届いていた。
 1日1回でなく、2回配達になり、通常郵便の配達は便利になったが、その分、速達便が速達の用をなさなくなったのでは、速達料のふんだくりに感じてしまう。

 お客様に迷惑かけない「民営化」だったはずだから、通常の速達でも、しっかり速達に値する時間で届いてほしいものだ。 

2008年6月21日(土)
性能がよい器械とは使い方がよく分かる器械では

 パソコンに向かって「仕事」をするのが「日課」の昨今。
 やれ会報の作成、所報の作成、HPの更新と、文章を打つだけでなく、レイアウトも考えねばならない。
 そこで、ソフトの機能がものを言う。今時希少種になるかもしれない「一太郎」の愛用者で、おまけに「かな入力」の人だから、「ワード」「エクセル」「ローマ字入力」が「標準」の今時のパソコンでは、なかなか厄介な状況が生まれる。

 最低限の操作だけを教わり、基本も理屈も分からずに使っている。いわば、「ヤクザの剣法」だから、「道場剣法」の方から見ると、噴飯ものの使い方をしているらしい。
 今回、師匠になってくださった近所の方に言わせると、パソコンは、初心者にも、専門家にも同様の操作を要求する器械だから、よく分からない初心者は、新しい機能にはさわらない方が安全なのだそうだ。

 ツッパリばあさんとしては、文句を言いたい。なぜ、初心者も専門家も同様の器械にするのだ。いろんな器械があるが、だいたいは、初心者向きには簡単な操作でできる器械があり、さらに高度な操作をしたい場合には、機種を変えて使用する。ではないか。
 なぜパソコンだけ、機能が同じなのだ。

 だいたい、性能が良い器械というのは、使用方法が簡単で、壊れにくいもののはず。
 以前に比べると、パソコンもだいぶ親切にはなった。「○○をすると、××になりますが、操作しますか」みたいなことを聞いてくるようになった。おかげで、せっかく1時間かけた原稿が、バッと煙のごとく消えて、歯がみして悔しがることは少なくなった。

 それでも、まだまだ不親切だ。いろいろ聞いてくることができるならば、これからすることで支障が出るときに、あらかじめ聞いてくる機能もつけてもらいたい。
 昨日も、スキャナーでの取り込みをやったとき、30分の「仕事」をパーにした。
 続けて取り込んだのが、器械のスピードより速すぎたのか、取り込み量がオーバーしたのかで、フリーズしたのだ。にっちもさっちもいかないから、仕方なく、画面を消した。 
 もし、「後1枚で容量いっぱいですが、続けますか」とか、「スピードが速すぎて、器械が追いつきません」とかの表示が出てくれれば、「ああそうか」と止めることができる。 「道場剣法」を習得している人ならば、「常識」として持っている知識があるのだろうが「ヤクザの剣法」の身では、操作は分かるが「意味」や「理由」や「構造」が分からない。何をやってはいけないのか、手順として必ずやらねばならぬことは何かが分からない。 2006/9/7の「はらだち日記」で「素人に使いやすいソフトの開発を」の文を書いたことがある。あのときは、HPの立ち上げに関する不満だった。
 パソコン教室に通わねばパソコンができないという「免許制度」になっているのではないのだから、もっと分かりやすい機種の開発を願いたい。

2008年6月18日(水)
温暖化対策の本気を示した?!

  夕方のニュースで桝添大臣が出てきた。カッターシャツのいでたちで。以前にも似たような服装をしていたから、「またか。クールビズのパフォーマンスか」と見ていた。
 実は、「児童虐待」に関する会議の報道で、会場内の参加者も画面に出た。画面上では全員上着無しで、なかには扇子を使っている参加者も居た。
 会場は厚生省の建物内にある会議場らしい。なるほど! 厚生省は室内の温度設定を高くしてあるのだ。だから全員シャツ姿で、扇子も必要なのだ。

 会議内容よりも、会場の温度設定の方に目がいってしまった。マスコミが入るからと、わざと会場だけ温度設定をあげて、「こんなに努力しているのです」とPRしたいのだろう。省内の事務室関係者は、上着を着て涼しい顔ができる温度かもしれない。
 勘ぐれば、「どうせパフォーマンスでしょ」と言えないことはない。
 しかし、そこまで疑うのは、腹立つことの多い昨今、精神衛生上の限界になりそうだから、厚生省は頑張っているということにしておこう。

 その前提で物言えば、パフォーマンスをしていないのは、テレビ関係だ。NHKのキャスターやアナウンサーは、上着着用で涼しい顔をしての放送だ。
 NHKだけではない。民放各社も同様。
 あれを変えれば、国民の意識が随分変わるはず。女性は、元々夏バージョンの服装をしていた。しかし、最近は冷房に耐えかねてか、男性並みのスーツ姿も増えている。男性が変われば、女性も元に戻るだろう。男性が変われば済むことだ。

 スタジオの温度設定を28度にしろとは言わないが、せめて25度にすれば、いくらサマースーツといえども、暑くて汗を拭き拭きになるだろう。上着を脱いで、ノーネクタイにすることも可能だ。そうなってこそ、デパートだの、商社だの、銀行だのが変わっていくだろう。横並びが好きな業界だから、変わったと言えば変わるだろう。

 日本はイングランドではないのだ。イングランドが世界標準などという法律はないはず。イングランドに行ったら、上着とネクタイ着用を標準にすればいい。
 しかし、我が日本国は、熱帯に位置するインドネシアよりも、蒸し暑い夏なのだ。日本標準を決めればいいはず。イングランドにしておかないと、文明国でないなどという考えがあるとしたら、それは明治の開国時代を引きずっていることになる。それこそ滑稽だ。

 ついでに言えば、冬になったら、チョッキ着用か、セーターを着込んで適温にしてほしい。間違っても、スリップまがいのちゃらちゃらした服装では、番組が終わるまで寒くてもたないくらいの、温度設定にしてほしい。
 暖房費を浮かすため、どてらやジャンパー姿でテレビを見ている高齢者もいるのに、画面の中では、かき氷でも食べかねないかっこうされたら、余計惨めさが身にしみる。弱い者いじめのようなスタイルをしてほしくない。

2008年6月16日(月)
放射性廃棄物は、CO2よりまし?!

  とんでもないCMを見た。
 子どもたちに向かって「原子力発電は、太陽光や風力と同じで、CO2を出さないクリーンな発電なんだよ」とカッパのキャラクターに言わせているCM。
 全国展開だと思うが、関東地方限定なのかもしれない。

 冗談じゃない! CO2さえ出さなかったら、クリーンな発電だと決めて良いのか。
 地球温暖化がうるさく言われるようになってから、一時は消えてしまっていた原子力発電についてのCMが復活してきていることは、前から気づいていた。
 放射性廃棄物の問題を棚上げして、CO2という目先の問題だけで、さもクリーンな発電のように言ってしまうのは、詐欺ではないか。太陽光発電や風力発電と同列に並べて、安全性を言うなどは、完全に詐欺行為だ。

 しかも、今回許せないのは、こどもにターゲットを絞ったコンテンツでのCMであること。
 かわいいカッパのキャラクターで親しみを持たせ、こどもに浸透させていく。10年後にはおとなになる子どもたちが、放射性廃棄物の恐ろしさを知らずに、CO2が出ないクリーンなエネルギーだと信じ込んだら、どういう結果になるか。

 岩手・宮城内陸地震は、想定していなかった場所での地震だと聞いた。日本は火山の上に形成されているのだから、どこでも「想定外」の地震が起きる可能性はある。そんなところで、放射性廃棄物の捨て場があるのか。捨てるために、何億もの税金を投入することになるのだろう。電力会社が、自前で廃棄を完全にやるとは思えない。
 子どもたちの未来に、大きな負の遺産を背負わせることになる原子力発電を、さも安全だというコンテンツでながしてほしくない。

 企業の論理は、庶民の論理とはかけ離れている。それは分かっているが、今回のはひどすぎる。子ども向け商品には当たらない、原子力発電についての解説を、こどもにターゲットを当てて発信している。
 学校では、原子力発電についての解説など、詳しくする時間はないだろう。原子力発電もありますくらいは言うにしても。
 ありますの情報を得て帰宅した子どもが、原子力発電は安全だというCMを見れば、安全なんだと思いこみ、友達に広げるに違いない。制作側は、それをねらっているのだろうから。

 放射性廃棄物の恐ろしさは、誰が情報発信できるだろうか。危険について知らせたいと活動している市民グループには、危険だとCMで流す金はないだろう。学校を回って話す機会もなかなかない。手も足も出ない状況か?!
 抗議の電話でもかけることにしよう。それしかやれることはないから。蟷螂の斧にすぎないが。

2008年6月15日(日)
老いてなお、清く正しく美しくある会員へ

  「退教連」の総会に、退職後初めて参加した。
 在職中、職場のある地域のメンバーになったことから、いつの間にか会員になっていて、退職後は、自動的に「退教連」の会員になってしまっていた。
 活動に異議があるわけではないから、脱会もしないで今日に至ったが、特に総会に出ようと言う気にはならず、ズルズルと年が経ってしまった。
 
 今回は、所属研究会のメンバーが書いた本のセールスをしようと思い立ち、初めて参加した次第。
 「年金者組合」と同様、後期高齢者でないと幅がきかない会の雰囲気。
 高齢になればなるほど、個人差が大きくなり、物理的年令では計れないことを証明する場面もあった。

 初代会長として紹介された方は、21年経ったと言われたから、すでに81才ということになる。しかし、どう見ても70代にしか見えない。次に紹介された方が75才というが、完全に逆転した容姿。
 総会に来られる方は、具合の悪いところがあっても、来られる体調を保っているのだから、当然かもしれないが、「やる気」「元気」で、退職後も活躍中の様子。

 「高齢者医療が・・・」「教育基本法が・・・」「憲法9条が・・・」という論調のなかで、いささか場違いな感はあったが、司会から何でも良いと言われたから、「人権としての性を考えるうえで、画期的な本が出ます」と、PRに努めた。
 会場には一瞬しらけムードが漂った。「性なんて低俗な問題に、俺たちは関係ない」とでも言いたげな。
 そこで引き下がっては「ツッパリ」の名折れとばかり、「この本の執筆者は・・・」となお食い下がった。執筆者の肩書きを聞くと空気は変わり、配ったチラシに目を通す人が増えた。「『性的マイノリティ』の問題を頭のスミに留めて、今後の活動を続けて頂きたい。活動家の皆さんだからこそ、人権の問題としての性についても、理解を深めて頂きたい」と、だめ押しの発言で終了。

 それにしても、革新的活動家だった皆さん。今でも革新的活動家を自認し、活動し続けている皆さん。
 皆さんにとっては、性とは何でしょうか。若いときの「子生み」「子育て」だけの性なのでしょうか。
 その後はひたすら活動に明け暮れて、「ふれあいの性」など考える暇もなかったのでしょうか。もしそうであるならば、連れ合いはお気の毒ですね。ご自身も、お気の毒ですね。 いくらお元気でも、そのうち活動できないときが来ます。その時に何が残るでしょう。 寂しいときが訪れないようにと祈っていますが、実現は困難だと思いますよ。

2008年6月9日(月)
小皇帝の未来像は
 中国では「一人っ子政策」が進み、今や、第1世代の一人っ子は、成人して結婚適齢期になっているとか。知人の娘さんも大学院に行く年になったと聞くから、なるほどと伺える。わがままいっぱいに育った彼らは、今までの中国人とは違った存在になっている。離婚も短ければ2ヶ月くらいで起こし、原因は互いの生活を変えないためで、至極あっさりと離婚してしまうそうだ。「反日」運動などに加わるのも彼らだ。と書き込まれていた。

 中国の現状をどうこう言おうとするわけではない。小学生になった我が家の孫は、「小皇帝」のため、トラブルメーカーで、息子夫婦がお手上げ状態。何かアドバイスがほしいと言われ、「小皇帝」先輩国の中国ではどうだろうかと、ネットを開いて知ったことにすぎない。
 「小皇帝のしつけ・対策」は、何か取られているかと探したが、具体的なものは見つからなかった。現状分析は簡単でも、具体的対策となると厳しいのだろう。兄弟がいれば何でもないことが、一人っ子だから問題行動として表れる。兄弟を作れば解消するだろうが、それができないなかで、有効な対策は取りにくいに決まっている。

 一応インテリの仲間入りする息子夫婦は、「理屈」でのしつけを中心にしてきたから、孫は、赤ん坊の時から理詰めで行動するよう育てられた。
 それが良いとか悪いとか言うつもりはないが、4年ぶりにあった孫は、完全に「小皇帝」になっていた。両親のDNAを受け継ぎ知能指数は高いようで、頭の良い子に育っているようだ。
 しかし、感情のコントロールは「未熟」の一語に尽きる。
 幼児の時に、感情のコントロールを覚えさせる機会が少なかったとしか思えない。どういう生活をしてきたのか、一緒に住んでいないから分からないが、「知識」を与えることには熱心でも、「気持ち」を育てることは軽視してきたのではないかと思う。

 「今までの育て方の結果なんだから、自分たちで何とかしなさい」と言ってしまっては、身も蓋もない。どうしようもなくなる前に言ってもらいたかったが、姑には言いにくかったのかも。
 とにかく、今までの育て方については、この際何も言わず、今後のことだけをアドバイスすることにした。「話の分かる良い姑」を演じることにする。
 「はらだち日記」を読まれたら、「良い姑」が演技であると分かってしまうが。
 
 「秋葉原事件」加害者の親も「教育熱心で厳格」だと言うが、「教育熱心」の親は、とかく「気持ちの育て方」に気を向けない。「気持ち・感情・感覚」のコントロールの上に「知識」が乗らないと、とんでもないことになることを、もっと社会が理解するべき。  やたらめったら「知識」のあるなしで、優秀かそうでないかを決めつける今の日本のあり方が、「小皇帝」を量産する結果を生むのに。
 人ごとではない。孫を何とかしないと、「事件」の予備軍になりかねない。
2008年6月3日(火)
国籍不明のホテル

 2年ぶりに大学時代の友人2人と再会した。いずれもリタイアして、平日に1泊旅行する時間が作れるようになっているから、半日は申し訳程度の観光をして、後は専らおしゃべりに時間を費やした。

 2カ所回るはずだった観光スポットは、「ここだけで良い」と一カ所にになり、早々に、友人が会員制のオーナーになっているホテルへ。
 湖の近くにあるホテルは、そこだけが外国のような雰囲気になっている。「豪華な雰囲気を楽しむ所」なのだそうで、ドアを入って「しばらくお待ちください」と言われて、手続きの済むまで待っていたホールも、エレベーターホールに至る通路も、ロビー正面に飾られた大きな花器の生け花も、すべてが外国のホテルの雰囲気に包まれている。

 部屋の中は、ツインのベッドと、6畳くらいの畳敷きがあり、「やっぱり日本」という雰囲気ではあるが、窓からの景色が、また外国風。
 ちょうど、近くに高い建物がないため、ホテルに隣接するゴルフ場の芝が、北欧の草原を連想させる。別棟になっているレストランが、異国情緒をかき立てる。
 市街地から30分くらいの所に、よくもこんな立地条件の土地があったものだと感心する。

 前回は、感心しきりで帰った。しかし、今回は2度目で、多少余裕を持って見られるようになっていた。
 そうなると、鼻につくことが多々出てきた。何度も、いろんな所に行ったわけではないが、欧米には行ったことがあるから、一応「本場」を見ている。その目からすると、いかにも日本的な「模倣」が鼻についてしまう。
 長崎の「ハウステンボス」が、オランダのあちこちにある観光地を、ミニチュアにして一カ所にまとめて展示していると言われたが、それに似ている。欧米のあちこちをミニチュアにして、ホテルの中にはめ込んでいるとしか思えない。

 外に大きなシュロの木があるのは、南仏風。大きなバルコニーと螺旋階段のあたりは南伊か。プールサイドの籐いすと、厚手のおおいは、モロッコあたりの避暑地風。温室みたいな結婚式場は北欧かな。南では暑すぎそう。
 などと、いろんな国を連想する、国籍不明の外国らしさに、落ち着かない。せめて南仏バージョンとか、北欧バージョンとか、決めてもらえば、納得できるのだが。
 オーナーの彼女には悪いのだが、居心地が良いとはいえないホテルになっていた。
 おしゃべりは楽しく、食べ物は美味しかったから、不満を言うスジではないのだが。
 所詮、持てぬ身のひがみごとにすぎないことだ。

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