佐賀地裁判決を報ずる紙面
佐賀地裁が、諫早湾干拓事業の潮受け堤防開門を命じた判決を出したと、大きく報じられた。
ちょうどこの日は会議があって出かけていたので、夜のニュースを見そびれて、おまけに夕刊も読みそびれて、翌日になってから知った。
「ギロチン」と呼ばれた堤防締め切りの時は、テレビで何度も放映され、国という権力の横暴さを見せつけられた。
あれからすでに11年も経ってしまったのだ。漁民がこの間ずっと裁判闘争を続けていたことは、当事者には申し訳ないが、記憶から遠のいてしまっていた。
ニュースを読んで、改めて「お疲れ様でした」と言いたい。
10年一昔というが、それを越えた11年もの間、裁判闘争に関わってきた漁民の方々には、当事者でなくては理解できない、様々の困難があっただろう。
2500人という大きな集団での訴訟となれば、考え方もいろいろだろうから、この間ずっと一致団結して闘ってくるのは、相当難しい問題もあったのではないか。
判決後の報告集会に参加した漁民は100人ほどだったらしいから、中心になって進めてきた漁民はこれくらいだったのかもしれない。それらの人たちが、2500人をまとめてきたのだろう。「ご苦労様」としか言いようがない。
この後、どう進展するだろうか。2004年に工事差し止めの仮処分申請し、佐賀地裁では認められ、工事は中断した。しかし、福岡高裁では処分取り消しとなり、今年3月に工事は完了し、すでに干拓地の営農が始まっているとのこと。
国としては、営農の事実を作り、今更後戻りはできないから、開門はしないとしたいのだろう。前回同様、福岡高裁での開門取り消し判決を期待しているのではないか。
そうやって、国は責任を取らずに、何年も前の決定を踏襲していく。
営農を始める入植者が増えれば、その人達の生活保障が絡んでくる。漁業の補償に加えて、農業の保障をしなければならぬ事態が見えているのに、農地を売り出している。
営農を始める人たちは、どういう気持ちでいるのだろうか。国が保障しているのだから、大丈夫だと考えているのだろうか。開門しても、塩害の心配はないから大丈夫だと楽観しているのだろうか。
福岡高裁での逆転判決の可能性もあるとは思うが、逆転すれば、その先の最高裁まで行くことになるだろう。後何年かかれば諫早湾が以前の豊かな海に戻るのだろう。
開門までに3年の猶予があるらしいから、その間に福岡高裁の判決が出るかもしれない。それを見越して、国は工事を始めないという選択もある。
そうなれば、豊かな海に戻すのは絶望的ではないか。最終的に漁民の訴えがかなえられても、そこにはもう死んだ海しか残されていない可能性もある。
北海道のアイヌの人たちが訴訟を起こした、二風谷ダムの場合のように。あの場合も、最終的にはアイヌの人たちが勝訴したが、聖地はすでにダムの底で、取り返しはつかなかった。
諫早湾がそうならないことを願う。
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