双極障害奮闘記双極障害奮闘記
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 子どもの頃、「片親なのに、明るくて元気な子」と、周りから言われていました。
 明るく、元気な子どもであることが、かわいがられる要素と思い、常に「明るい元気な子」を演じていました。

 元気。負けん気で、ツッパリ人生をばく進しました。
 しかし、さすがに50年も、突っ張って生きると、息切れがしてきます。
 手話通訳者の職業病である「頸肩腕症候群」の予備軍となり、更年期が重なり、内憂外患のストレスがたまり。背負い切れぬほどの圧力に耐えていたのでしょう。

 オーバーワークが続いた時、自分の無能さに落ち込んでいきました。そして、ついに、不眠症状が始まったのです。
 「これは、自助努力ではらちがあかない。何はともあれ、精神科の受診」と、知っていた精神科を受診しました。
 薬を飲んでもいっこうに改善しない症状が、3ヶ月後には、ウソのように消えました。
しかし、以前と同じ生活のなかで、3ヶ月後にはまた落ちました。

 現役時代は、オーバーワークを止められず、3ヶ月毎のあがり下がりを繰り返しながら、休職はせず、かろうじて、退職までこぎ着けました。
 退職後に決まっていた仕事は、落ちていて行かれず、年金生活での療養が始まりました。調子の良いとき、落ちているときを繰り返すので、医者は「双極障害T型」と名付けました。

 今は、双極障害についての情報も、雨後の竹の子のごとく出ています。しかし、同じ病気でも、十人十色で、症状も様々。個人的な情報を提供することで、何かの参考になれば幸いと、体験を綴ってみます。
 

 ◆ 有名人の鬱を視る

 テレビに出てくる有名人で、カムアウトする人が増えています。「徹子の部屋」では、何人もの人が、過去に鬱だったと言っていました。

 そんななかで、印象的だった二人のことを書いてみたいと思います。
 ひとりは、木の実ナナさん。ご本人が、「バリバリの鬱だった」と言われています。
 「徹子の部屋」に出演されたとき、同病者の勘で、すぐにピーンと来ました。「明るい木の実ナナ」を演じていると。「明るさ」を売り物にしているから、生来の明るさ以上に演じていると、強く感じました。生来明るい人なのでしょうが、それ以上に、明るく明るく、振る舞っている印象で、あれでは疲れてしまうだろうと、我が身に引き寄せて見てしまいました。 今は良くなられたそうだが、無理して明るく見せていると、また、疲れてダウンしないかと、いらぬお節介に思いました。

 もうひとりは、先だって亡くなった、原たいらさん。随分前に、「クイズダービー」で拝見したことがあります。その時の印象が、「随分暗い人だな」でした。しかし、漫画家には、時々ネクラの人もいるから、原さんも、そういう人なのだろうと思っていました。
 最近になって、新聞か雑誌で、鬱だったことを知りました。回復したと知ってから、新聞の広告に出ている、お顔を見たが、随分明るい顔になっておられました。「なるほど。あの時は鬱だったんだ。」と納得できました。と同時に、鬱状態なのに、クイズ番組によく出られたと、感心しました。 私は、鬱状態の時には、とても人前になど、出られなくなってしまうので。
 
 それが仕事であれば、できるものなのだろうか。それとも、鬱状態が軽かったから、できたのだろうか。
 詳しく聞きたいところですが、故人になられた今は、できぬ相談となってしまいました。


 ★ 鬱病は死の病

 鬱病になると、自殺の可能性があるから注意しろとは、よく言われます。
 私の同僚だった女性も、「明日入院する」という前日に、自宅マンションのベランダから飛びました。通院していたにもかかわらず、回復が思わしくなかったことを悲観したのだと思います。

 自殺による死だけでなく、鬱によって、様々な病気を誘発するという意味で「死の病」と言いたいのです。
 鬱になると、バッテリーのあがった車と同じで、家に引きこもります。そして、動けないままに、じっとして時を過ごすことになります。

 動かすことなく、ほっておかれた車は、エンジンが錆び付き、車体もぼろぼろになってしまいます。その後、バッテリーが充電されたとしても、使い物にはなりません。
 バッテリーがあがってしまっただけで、エンジンも車体も故障していたのではないのに、ただ、動かさずに置いていたというだけで、車としての機能が失われてしまいます。

 人間も同様です。動いていてこそ人間でいられるのです。鬱状態というのは、脳内のバッテリーがあがった状態ですから、動く人間とは、まるで反対の行動を取ることになるわけです。食事はとれないか、非常に偏ってしまう。運動はゼロに近い。1日一万歩が理想というのに、1日50歩も歩くか歩かないようになります。
 そこから、様々な病気が生み出されてしまいます。

 私の場合は、常時便秘に悩まされました。食事が偏り、運動しないから当然かもしれません。「出すために入れる」ような状況が、さらに気分を落ち込ませました。
 ほとんど食べなかったり、特定の物以外は食べられない場合は、糖尿病、高血圧、心疾患などの生活習慣病が待ちかまえています。
 その先には、内臓疾患による突然死や、生活習慣病による病死もあり得ます。「鬱は死の病」と考えたゆえんです。
 
 私の場合、内臓疾患は今のところ何とかなっていますが、骨と関節は大きなダメージを受けました。
 毎日、ほこりをかぶったプーさん人形のように、椅子に寄りかかっていましたから、頸椎のS字カーブが無くなり、脊椎管狭窄症と変形性膝関節症を背負い込みました。実年齢の半分くらいだと自負していた骨密度は、かろうじて、実年齢に引っかかるレベルにまで、落ち込みました。
 身体のあちこちにがたが来ました。すべては食事バランスと、運動不足が原因です。

 このままの状態が続けば、死の病の前に、脊椎や膝関節症による寝たきり生活が、待ちかまえているようにも思われます。そうなれば、やはり死を早めることになります。
 鬱は「死の病」だと言って、過言ではないと思います。

 
 ★ 名医は互いの協働で創り出す

 名医と出会うことが、病気を回復させる近道とよく聞きます。入院前日にベランダから飛んだ同僚の場合は、医師との出会いが良くなかったと聞きます。彼女が別の医師に変わっていたら、自ら飛ばずに済んだと思う、という同僚も居ました。

 何の病気でも、名医との出会いは大事なことですが、癌や高血圧、腎臓病などのように、検査で数値が出たり、患部の変化が目に見えていたりして、はっきり物的証明がなされる場合と違い、医師との問診でしか、病状が掴めない病気ですから、なおさら、医師との意思疎通が重要になります。

 私は、診察を受け始めてから今までに、4人の医師と出会いました。家族との関わりを含めると、全部で7人の医師と関わっています。それらの医師達は、残念ながら、マスコミで流されているような「名医」ではありません。最近は、鬱病に関する本はかなり出されています。その中に必ず書かれている「名医の条件」の一つが、患者の話をよく聞いてくれる医者です。「よく聞く」が、どれくらいの時間を使うかに換算されれば、客観的な評価ができるはずです。私が考える条件では、最低30分は話を聞く医師です。

 しかし、現在の医療制度のもとでは、この条件を満たすためには、保険外診療にしない限り無理だと分かってきました。
 最初の医者は、医科大学の精神科医長を努めた経歴を持つ、社会的には「名医」の部類に入る方でした。しかし、その肩書きに安住しているところがあり、患者の質問には答えず、自分の方針で治療を進めました。
 2番目の医者は、特に肩書きはない「凡医」の部類に入る方でした。しかし、こちらの言い分は聞いてくださり、治療を進めてくださいました。私にとっては「名医」に入る方でしたが、あまり言いなりになるところが、「専門性はあるのか」と不安になりました。
 3番目の医者は、若い方でしたから、最新の治療法に通じているのではないかと期待しました。しかし、転院の理由を「落ちているときは、電車で1駅向こうまで行くのが辛いから、バスで玄関横付けになるここに来ました」と言いましたら「1駅くらいどうということは無いじゃないの」と言われたのです。それを聞いて「この方は、落ちているときの患者の気持ちが分かっていない。これじゃ話にならない」と、早々に結論を出しました。
 4番目の医者は、現在も関わっている方です。「主任」として、何人か居る医師達のまとめ役をしている方のようです。ひょうひょうとした感じで、権威的でもなく、自信なげでもありません。

 4人目ともなると、医師がどういう状況に置かれているかも分かってきました。個人的資質だけでなく、日本の医療制度にしばられて、本来やりたい診療ができないのだということも、見えてきました。
 「良い医者」を求めて、あちこち彷徨しても、簡単には満足できる医者には巡り会えないことも、推測できるようになりました。
 そこで、「この医者とつきあっていくには、どうしたらいいのか」と考えました。
 そして、今の日本で、医者に期待できることは、自分の症状をできるだけ正確に伝えて、最も合う薬を調合してもらうこと。それだけで、それ以上は求める方が間違っているとの結論を出しました。
 生活面、心理面、などに関しては、自分で何とかするしかない。カウンセリングを受ける。行動療法を試みる。など、他の治療法や、アドバイスを他に求めて、自分で少しでも良くなる方向を探るしかない。と。

 変わったばかりは、躁状態の私にとまどっていた4人目の医者も、本来の私に戻りつつある今は、落ち着いたことを喜んでくれています。
 上がり下がりの波が小幅になって、日常生活が平穏に続けられる日の来ることを期待しながら、当分つきあっていくことになると思います。
 幸い、私よりは随分若い医師ですから、職場を辞めない限りは、つきあい続けられると思います。

 名医とは、患者本人にとってのことで、社会的にどうとか、学問的にどうとかいうものではないと考えています。