日本基督教団中目黒教会


牧師挨拶



「求めなさい。そうすれば、与えられる」

マタイによる福音書7章7〜12節



神様の創造された「被造世界」は「極めて良い」世界でした(創世記1:31)。そこはまた、神様によってすべての人があの「1匹の羊」のように大事にされ愛される(ルカ15)世界。そして互いに互いを大切にする世界でありました。

さて創世記2章には二つ目の「創造物語」があり、人間のためのすばらしいこの「被造世界」を「エデンの園」として描いています。そこははじめ、すべての生き物が十全に生き、生き生きとしている喜びの楽園でありました。そして神は人に命じて、これを耕し、守れと言われたのです。人ははじめは喜んでいましたが、なぜかだんだん元気がなくなっていったようです。そこで神は「人が一人でいるのは良くない」と仰有って、その人とぴったり合うパートナーを与えました。二人でひとつの間柄。親密な深いところで結び合う、互いに違っているが同じ者。向き合って見つめ合い、呼べば応える関係。嘘のつけない、何でも話し合える相手。助け合う相手同士です。ようやく人は再び元気になりました。人間とはそもそもそういうものだというわけです。こうして人間は、神との交わりと、人間同士の交わりと助け合いのうちにエデンの園を文字通り、喜びの楽園としました。互いの愛、真実と信頼が喜びを生むのです。そして、人間同士の助け合い、喜びの交わりと奉仕によってこの世界は、まさに一つの生命環境体としてそれぞれの命が十全として生きている平和の園でもありました。

さて、この喜びの楽園の実現のために、愛と真実と信頼が大切、これは頭ではわかった気にはなりますが、より具体的には、神と人との関係、人と人との関係はどうすればよいのでしょうか。つまり私たちはどのように生きればよいのでしょうか。そこでイエス様は仰有るのです。「求めなさい。そうすれば、与えられる」。これが、ここ、喜びと平和の楽園の生き方の「公理」「原則」、いや「鉄則」だと言うのです。

まずは神と人との関係です。喜びの園は、神がわが子として愛する人間のために創造されたのです。ですからイエス様は言います。「あなたはパンをほしがる自分の子に石や蛇を与えるだろうか。そんなわけがないだろう。たとえその子がどんな子であろうともだ。ならば、あなたがたがたとえ悪い者だとしても、あなたがたの天の父が求める者に良いものを下さらないわけがないではないか。だから求め続けなさい。捜し続けなさい。門をたたき続けなさい。根気よく、あきらめないで。たとえすぐに与えられなくても、その真剣さ、真実さに、神は最善をもって応えてくださるのだ。天の父が良くしてくださらないわけがないではないか。そうだろう」。もう、まさに天の父へのこどものような信頼です。人と人との関係もそうなのです。「与えられる」とは受動態ですが、逆に言えばあなたは、求められたら与えなさい、ということです。お互いにそうすれば、喜びの園がそこに実現するのです。神の愛の賜物と信頼を受けているお互いではないか。お互いにそうするのが平和の園では当然なのです。

そして最後に更にもう一歩進めて、イエス様は言われます。ほうら、天の父はあなたに良くしてくださっただろう。だから、そうなのだ。「人にしてほしいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(12節)。これは古くから「黄金律(Golden Rule)」と言い習わされてきました。これが、ここ、喜びと平和の楽園の「生き方」、ここではこう生きますという「憲法」なのです。神に愛されている人間どうし、神を愛し、人を愛し、世界を愛で満たし、そこを守ることを託された人間の、喜びと平和の楽園の「憲法」です。権利の主張ではありません。人と人との相互契約、取り引きでもありません。イエス様に愛されているから、そうするのが自然な、この喜びと平和の楽園では当然なことなのです。イエス様は、そういう人と人との関係を「求め続けなさい。そうすれば、与えられる」と勧めるのです。

 

主任牧師 寺田進

         



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