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新城郷土芸能囃子曲持保存会

新城郷土芸能保存会は、囃子と曲持ちによって組織されている。
笛と太鼓、鉦で奏でる囃子の歴史は建久3年源頼朝が征夷大将軍になった折、鎌倉雪の下において大祭が行われ、杉山の六騎と称する武将により鎌倉囃子が始められたと云われています。
鎌倉時代より長い年月を経て江戸時代に盛んになり、明治の初め頃新城にも伝わり農民の生活の中に取り入れられて神事・祭事などに欠く事ができない庶民芸能として伝習されて来たものである。

 新城の囃子の曲目は「打込み・破矢・鎌倉・国固め・師調目・玉入れ・師調目・破矢・上がり」となっており、破矢の調子は速くも遅くもなく、中間(ちゅうま)である。昭和52年に獅子舞が復活し、新たに仁羽、昇殿、子守唄等の曲目も取り入れられた。

 一方、曲持ちは明治11年頃農家の若者の間で力自慢・腕白慢が盛んになり、石・臼・俵・酒樽等を使って力を競い合った。新城の力持ちは「向う者敵なし」と云われ大変強かった。
その後時代の移り変わりに伴って、力持ちから脚立や箱、枡、一斗桶、長柄を用いて米俵を投げ合う曲持ちになり、民家の上棟式、神社の遷宮や祭礼、仏閣の落慶式等、人の多く集まる所で行われていた。そして梯子を使った御所車や腹餅等の力技も伝承された。

昭和48年、囃子と曲持ちが一体となり、新城郷土芸能囃子曲持保存会を結成、共に100年を越える芸能として衆目の集まる所となり、昭和52年神奈川県民俗芸能50選に選ばれ、同53年に川崎市文化財に指定、同54年川崎市文化賞を頂いた。
それを励みに稽古に精進し、新城神社の祭礼、正月の獅子舞、県・市の各種行事への出演、福祉施設の訪問など、地域に密着した活動を続け、今日に至っている。

川崎市民俗芸能保存協会30周年記念誌より